黒ばけものの絵本

絵本が大好きな子供たちは眠る前に必ず
お気に入りの一冊を妻の枕元に持ってくるらしい。
夜の読み聞かせを何よりも楽しみにしているようだ。
私はいつもみんなが眠ってから帰宅するので
その様子を目にすることはあまりない。

黒ばけものの絵本がようやく完成して
届いたその日は子供たちと一緒に眠ることにした。
この物語だけは自分で読んで聞かせたかったのだ。

夢中になって刺繍と言葉を追う子供たち。
しかし読み進めていくうちに楽弥の頭は混乱した。
「えっ...なんで?どうゆうこと?」
ページを行ったり来たり彼は小さい頭で考えている。
それが私には嬉しかった。
不思議に感じたまま終わるのではなく
彼は自分なりに答えを探そうとしている。

希舟は”おなかとせなかがくっついた”という言葉が
いくら想像しても思い浮かばなかったらしく
「ねぇ...おなかとせなかはくっつかないよ」と
まんまるのおなかを触りながらひとり呟いている。
そんなふたりの姿を見れただけで幸せな夜だった。

text by : tetsuya

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黒ばけもの



黒けもの展が終わった一昨年末。
アトリエはけものたちが旅立ってどこか淋しい空気に包まれた。
壁一面の黒けものがじっとこちらを見ていたのに
しばらくはレモンイエローの壁がしんと静まり返るだけだった。

年が明けて、フォークとナイフを手にした少年が壁に現れた。
何かを食べたそうにじっとこちらを見つめている。
この少年は一体何が食べたいのだろう。

それから一年が経ち、フォークとナイフを手にした熊が突如現れた。
ぎょろりとした鋭い目は少年以上に何かを食べたそうにしている。
どんな物語が生まれるのか私は密かに楽しみにしていた。

「次は黒ばけもの展だよ」と夫から聞いた時
彼らが化けていることを知った。
少年のバッグを手にしてみると中に見慣れないポケットがあった。
そこにはあのぎょろりとした目の熊の顔が刺繍されていた。
もしかしてと思い熊のバッグの中を覗いてみると
やはりそこには少年の顔が刺繍されている。
少年が熊なのか...熊が少年なのか...。
早くも黒ばけものの世界に迷い込んでしまった。

気になってバッグの中を覗いていくと
女の子の顔に子豚の顔が重なっていたり
男の子の顔に猿の顔が重なっていたりする。
それはまるでむちむちのお腹とお尻を揺らして歩く娘の希舟と
飛んで跳ねてすぐにどこかへと走り去る息子の楽弥のよう。
どんな人間にもけものらしい部分があるのかもしれない。

刺繍に夢中の夫は髪も髭も伸ばしっぱなしで馬のようになってきた。
早朝から深夜までアトリエにいるので家にはほとんど居ない。
子供たちは家で夫の姿を見つけると嬉しさのあまり
ふたりがかりで馬乗りになり引き止めようとする。

ひとしきり遊ぶと、楽弥は急に分かったような顔で
「パパは黒ばけもの作るから忙しいんだよ。きっきもうだめ!」
と調子に乗る希舟を諭してアトリエに送り出す。
夫の姿が見えなくなると私に耳打ちをした。
「パパの黒ばけもの...がっくん大好き」
楽弥も黒ばけものが生まれるのを密かに楽しみにしているようだ。

text by : yuki

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ゆきだるま



朝から降り続く冷たい雨。
ラジオから流れる各地の積雪情報に大変そうと思いつつも
どこか羨ましさを感じていた。
息子も同じ気持ちのようで物足りなさそうに呟いた。
「雪、降らないかなぁ」

鼻風邪を引いて、初めて耳鼻科にかかった。
長い待ち時間も重なってか珍しく大人しい楽弥。
ようやく終わった頃には待合室には誰もいなくなっていた。

外に出ると、やわらかな雪がはらりはらりと落ちてきた。
辺りはうっすらと積もっている。
「雪、降ってる!ずっと降らないかなって考えてたんだ」
楽弥は喜びの舞を踊り、先程の大人しさが嘘のように
浮かれて飛び跳ねて白い地面に小さな足跡を残していく。

夕食を終えた頃には驚くほど積雪していた。
夫と楽弥はこらえきれなくなって外へと駆け出した。
「おとこのこチームがつくるんだよね、ゆきだるま」
初めての大雪に腰が引けている希舟が言った。
父と兄のことを男の子チームと呼んでいる。
「さむいからさ、おんなのこチームはまってようね」
自分と私のことを女の子チームと呼んでいる。
たいがい女の子チームは楽な方を選ぶ。

家の門から消えていった男の子チームはしばらくして
大きな雪の玉を転がして庭に戻ってきた。
「パパ、がっくんにぃに、ばんがって」と希舟が声援を送る。
真っ白い息を吐くふたりは充実した表情で制作に励んでいる。
「きっきぃ、目と鼻、探してきて!」と夫に頼まれた希舟は
必死になって野菜かごを漁っている。
目にはジャガイモを鼻にはニンジンを頭にはバケツを乗せて
楽弥よりも大きな雪だるまが完成した。

快晴の翌朝、楽弥は布団の中でもぞもぞしている。
冬になってから、毎日のように読んでいた絵本
レイモンド・ブリッグズの『ゆきだるま』のように
夜のうちに遠くへ飛んでいってないかな?とか
朝がきて溶けていなくなってないかな?とか想像して
布団から出られなくなってしまったらしい。
「昨日の場所でちゃんと待ってるよ」と伝えると
慌てて階段を下りて窓にかじりついた。
安堵の表情と輝いた瞳で雪だるまを見つめる。
子供って素敵だなと思う。雪の日は特に。

照りつける太陽でジャガイモとニンジンが落ちてしまった。
保育園から帰ってきて、気を落とさないか心配だが
雪だるまの目と鼻が大好物のシチューになれば
少しは気を取り直してくれるかもしれない。

text by : yuki

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七五三



五歳になる息子と三歳になる娘の七五三を終えた。
十一月に入り、ようやく七五三を意識し始めたものの
写真館での貸衣装にも記念撮影にもどこか抵抗を感じていた。
分からないことばかりだけど、やるなら自分らしくやろうと思い
家族全員の着物を揃えるために蚤の市や骨董屋をいくつもまわった。
ひとつ、またひとつと揃う度に七五三が特別な意味を持ち始めてくる。
その一日に幕が閉じると、心にぽっかり穴が空いたように喪失感が残り
素晴らしく幸せな行事なのだということにあらためて気付かされた。

早朝、楽弥が大好きな美容師の友人が妻の髪を結いに来てくれた。
着付けまでゆっくり二階で寝かせておこうと思っていたのに
こんな日に限って楽弥は早々に目を覚まして降りてきた。
そして彼女と娘の愛莉ちゃんの存在に気付くなり
「えっ!なんで!これって夢?」と目を輝かせた。
いつも寝起きが悪く、保育園に遅れてばかりいるのに
好きな人の声が聞こえると、彼の眠気は吹き飛んでしまうらしい。

いつも早起きなのに、大事な日に寝坊する希舟を起こして呉服店へと急ぐ。
小松ご夫妻とは知り合ったばかりなのに、七五三について相談をすると
お休みの日にも関わらず、家族全員の着付けを喜んで引き受けてくれた。
骨董屋で集めた古い着物を立派な呉服店で広げるのは少し気が引けたが
「これは掘り出し物よ!」と微笑んで、無知な私たちを安心させてくれる。

「なかなか理想の学ランが見つからなくて...」
写真家の渋谷さんが申し訳なさそうに現れた。
七五三の撮影をお願いしてから幾度も連絡を取り合っていたのだが
数日前に渋谷さんが送ってきてくれたラフ画にはこう記されていた。
・貝戸くん...学ラン(つぎはぎ)+マント+ゲタ+ぼうし(特攻隊)
・玄関表札...かまぼこ板などでも可
主役でもない父親が何故つぎはぎの学ランを着るのか...かまぼこ板...
渋谷さんの妄想は私の想像以上に膨らんでいた。

古道具屋の岩井さんも駆けつけてくれた。
「袴か刀か持ってませんよね?」と訊いた時には
「袴も刀もないな〜ごめんよ〜」と言っていたのに
普段連絡をしない古物商の仲間にまで訊いて探してくれて
袴や刀に加え戦前の雪駄や下駄や外套までもを手にしていた。
それを当然のように用意してくれる岩井さんはやはり徒者ではない。

私は最後に記念撮影をする時に着てもらえたらと思い
岩井さんには黒い紋付き羽織りを
渋谷さんには赤い花柄の着物を用意しておいたのだが
撮影が始まるよりも前にふたりはそれを羽織っている。
私たちはひとつの劇団と化して、舞台となる香取神宮へと出向いた。

昼、境内にある古いお茶屋でラーメンをすする。
岩井さんは子供たちが頼んだラムネの中のビー玉の語源について語り
渋谷さんの手の中にあった瓶ビールの王冠は湯呑み茶碗にポチャンと沈んだ。
参道の団子屋で甘酒をまわし飲みしたり、九官鳥と間の悪いお喋りをしたり
何でもないようなことが楽しくて、撮られている感覚もないまま時が過ぎた。

夕方、アトリエで撮影をしながら私は幸せを感じていた。
この洋館に出会っていなければ佐原に越してくることもなかったし
考えてみたら、美容師の友人も小松ご夫妻も岩井さんも渋谷さんも
みんなこの地に越してきてから仲良くなった人たちだ。
そんな友人たちと七五三を祝えたことが嬉しかった。

夜、みんなで酒を呑んでいると電話が鳴った。
「ちょっと家の前に出てきてもらえませんか?」
呉服店の小松さんからだった。
忘れ物でもしたのかなと考えていたら
お祝いのケーキをわざわざ届けにきてくれたのだった。
思わぬプレゼントに驚きと嬉しさで胸がいっぱいになった。
子供たちも大喜びして、一緒になってケーキを切り分けたのだが
相当疲れていたのだろう、ケーキを食べずしてふたりとも眠ってしまった。
幸せそうな寝顔を見ながら、ここまで元気に育ってくれたことに感謝した。

深夜、男たちの話は何故か人間の善と悪にまで及んでいた。
岩井さんは紋付き羽織りを、渋谷さんは花柄の着物を羽織っていたせいか
岩井さんは武士のように、渋谷さんは花魁のようになっていた。
武士が花魁の精神に厳しくも優しく語りかけているようだった。
きっと着物には人格までもを変えてしまう魔力があるのだろう。
机の上には渋谷さんが何かに取り憑かれたように彫ったという
貝戸のかまぼこ板が残されていた。



photo by : kentaro shibuya

text by : tetsuya

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健太郎

雨降りの土曜日、友人がパンとビールを持って遊びに来てくれた。
ひとりは古道具屋の岩井さん、もうひとりは写真家の渋谷さん。
ふたりが現れると何とも言えない独特な空気が漂う。

そんなふたりに描いたばかりの絵本を見てもらった。
「こんな絵が描けたら、これで食ってけるんじゃない」
表紙を見るなり、そう言ってくれた岩井さんとは対照的に
渋谷さんはゆっくりとページを捲り、微笑んでいる。

ふと思い出したように岩井さんは言った。
「てっちゃん、俺と同姓同名の岩井良二っていう絵本作家がいるんだよ」
頭の中に荒井良二という有名な絵本作家が思い浮かぶと同時に
渋谷さんが顔を上げて、私が思ったことを訊いてくれた。
「荒井良二っていう絵本作家もいるよね」

数秒の間が空いてから岩井さんは答えた。
「渋谷さん、俺よく荒井さんに間違えられるんですよ。
 もしもし荒井さんですか?って電話がくるんですよ」
話が飛び過ぎて、ちんぷんかんぷんだが
おそらく岩井良二は荒井良二にもなりうるということだろう。

私は笑いをこらえているが、渋谷さんは真剣な表情で口を開く。
「岩井くん、僕もたまに清水さんに間違えられるんだよね。
 最初の”し”だけしか合ってないんだけど...不思議だよね」
岩井さんはそういう間違えあるよね...という具合にニコニコ頷いている。
きっと渋谷健太郎も清水健太郎になりうるということなのだろう。

笑いをこえて、私はひとつの劇をみせられたような気持ちになっていた。
これが感性の優れた人間の自然な会話の流れなのかと感動していた時に
ゆっくりと玄関の扉が開いた。
自ら醸造したビールに自ら収穫したシチリア島のトウガラシを
手にした男が立っていた。第三の男、啓ちゃんだ。

日が暮れてから、みんなで佐原の大祭に出掛けた。
山車を曳いていた息子は友人たちを見つけるなり走り寄ってきて
「岩井パパ、射的やりにいこうよ」とか
「渋谷パパ、金魚すくいやりたい」と言っては手を引いて消えていき
射止めたキャンディーやどじょうやリンゴ飴を片手に戻ってくる。
目的も知らされないままにどこかへ連れ去られた啓ちゃんは
先端がグルグル回る七色に発光する銃を鳴らしながら戻ってきた。
「変なパパがいっぱい」と楽弥は祭りが終わってもなおはしゃぎ回った。

子供が寝静まってからも異次元の会話が続いた。
”鼻の穴が大きい人間は馬力があるから成功する”
男四人でそんな馬鹿話をしながら時間を忘れて呑み続けた。
夜明け前、風呂を出て眠ろうと思った私の足下で黒いものが飛び跳ねた。
健太郎だ。渋谷健太郎でも清水健太郎でもない。どじょう健太郎。
楽弥が金魚すくいでもらってきたどじょうにみんなでそう名付けたのだ。
移しておいたガラスの鉢から飛び出したらしくピョンピョン跳ねている。
私は両の手のひらでそっと健太郎を水に戻してから眠りについた。

text by : tetsuya

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