Cluj-Napoca

体調が悪くなってから一週間。いまだに熱もあるし咳も止まらない。もう井戸に行って水を汲む気力も薪を割る気力もない。どうにか環境を変えて体調を治そうとクルージ・ナポカに向かった。

宿に着くなり、バスタブに湯を張って風呂に入る。荒治療だが、具合が悪い時は熱い風呂に浸かって体の熱を外に出す。風呂の後は余計に高熱が出るが、一日、二日経つと良くなる。それにしても二週間振りの風呂は気持ち良い。

三人は散歩へ出掛けたが、私はずっとベッドの上にいる。外国まで来て一体何をやっているのだろう。出発前に買ったカメラが壊れて、古物が詰まった日本宛ての荷物が紛失して、普段ひかない風邪をこじらせてと良くないことが続いている。何とかここから持ち返さないといけない。そんなことを考えながらまだ明るいうちに眠りについた。

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Sic

散歩に出掛けたらミハイの奥さんのジュジに会う。「何で家に寄ってくれなかったの?ずっと待っていたのよ!」とそのまま腕を組みジュジの家へと向かう。

ミハイはシクで一番最初に出会った羊飼いだ。見るからに優しそうなおじいちゃんで、ルーマニアで暮らしていた時はしょっちゅうミハイの家に遊びに行っていた。ミハイの羊小屋を見せてもらい、ジュジの機織りを見せてもらい、壁一面に琺瑯の鍋が掛けられた台所で食事をご馳走になるのがいつもの過ごし方だった。

それが去年訪れた時に、五年前にミハイが亡くなったことを聞いた。ジュジは悲しそうな顔を見せたが、私たちに子供がいることを喜んでくれた。次から次へとパラチンタを焼いてくれ、子供たちが頬張るのを幸せそうに眺めていた。

「今日はパラチンタの材料がないの」とジュジは琺瑯の鍋の蓋を開けた。そして白インゲン豆のスープをよそってくれる。「もっと食べて」となくなるよりも先によそってくれる。それを食べ終わると楽弥と希舟は眠ってしまう。私まで希舟を抱いたまま眠ってしまった。ジュジの家は自分の家のように落ち着く。

別れ際に次に会う約束をした。ジュジは小さな紙に日にちを書いて、それを握りしめて手を振っている。

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Sic

朝一番にロージーの旦那さんが消えたままの家の電気を見に来てくれる。ドライバーでブレーカーをちょっと触っただけで電球が点いた。接触の問題だったのだろうか。村の人は家でも車でも自分で直してしまうからすごい。

「靴もう濡らさないようにね」と妻が声を掛けた次の瞬間、楽弥と希舟の足は水たまりにどっぷり浸かっている。庭にできた水たまりに木の板で橋を作り、おたまで雨水をすくっては川へと流しに行く。水たまりの水量は一向に減らないが、ふたりとも泥だらけで忙しそうだ。「足が重ぉい」とびしょ濡れのブーツを引きずっている。

夕暮れ時にジュジがクッキーを持って家に遊びに来た。これからジュジが履いていたというシクの赤と黒のブーツを孫のトゥンデのためにお直しに出すという。シクの民族衣装は本当に美しい。こうして村の民族衣装が受け継がれていくのだと思うと嬉しくなる。何十年も履いていたとは思えないほど踵に咲いたチューリップの刺繍が光り輝いていた。

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Sic

どういう訳か朝から電気が点かない。コンセントも使えなくなっている。停電でもないし、ブレーカーの問題なのだろうか。この家で使っているのは電球ひとつだけなのでさほど問題はないが、夜はどう過ごそう。

隣の家のロージーが揚げたてのランゴーシュとプルーンジャムを持ってきてくれる。彼女の作るお菓子はどれも優しい味がする。ロージーが電気のことを心配して旦那さんに訊いてくれるという。

子供たちをジュジと娘のシャーリーに預けて、マールトンの母親の埋葬に向かう。マールトンの青い自転車が教会の前に一台立て掛けられている。司祭が読み上げる言葉に棺を囲んだ親族が咽び泣いているが、マールトンだけは涙を流していない。母親が亡くなったことをまだ信じ切れていないのか、どこか上の空だ。

親族の手で棺が丘の斜面にある墓地へと運ばれていく。いつも教会のベンチから眺めている美しい墓地。墓地から眺める教会もまた同じように美しい。聖歌が響くなか、花で飾られた棺が男達が手にしたスコップによって少しずつ埋葬されていく。いつも酔っ払って陽気なマールトンが黙ってうつむいている。雨はますますひどくなっていく。

子供たちを迎えに行くとピシュタが薪を用意してくれていた。大袋がふたつ手押し車に積まれている。冬を越すのに薪は何よりも大事な燃料なのに、ピシュタは「無くなったらいつでも取りに来て」と気前が良い。お金も受け取らず、さらにお土産にとパーリンカをくれる。ピシュタに出会っていなければ、薪はもうとっくに尽きていただろう。客人にこんなにもパーリンカを振る舞うこともできなかっただろう。

家に帰ると、やはり電気が点かない。蝋燭に火をつけると希舟がふぅっと吹き消してしまう。どうしてもバースデーケーキのように消したくなってしまうらしい。楽弥も随分と嬉しそうにしている。水道もガスもない暮らしをしていると、電気もなくていいかもしれないと思えてくる。蝋燭が溶けて消えるまで子供たちと一緒に夜を楽しんだ。

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Sic

一向に体調は良くならないが、数日前から友人の家に誘われていたので三日振りに外に出る。ふらふらの状態でピシュタの家に着くなり、分かってはいたがアルコール五十二度のパーリンカが迎えてくれる。ここ三日間ほとんど何も口にしていなかったので体に堪える。

ピシュタとは十三年前にここシクで出会った。その時も気前良くパーリンカを振る舞ってくれ「また必ず寄ってくれ」とお土産まで持たせてくれた。もちろんそれもパーリンカ。それからシクを訪れる度にピシュタの家に寄らせてもらうようになった。

奥さんのジュジがサルマーレを作ってくれている。今日は孫のトゥンデも遊びに来ていて、楽弥も希舟も大喜び。彼女は十一才。父親はドイツに母親はハンガリーに出稼ぎに行っていて、祖父母の家に泊まっている。子供は言葉が通じなくてもすぐに仲良くなる。希舟がトゥンデのほっぺたをつねって笑っている。

ジュジからマールトンの母親が昨日亡くなったことを聞く。ずっと寝たきりだったが、数日前にマールトンの家に遊びに行った時はまだ手を振って笑っていた。ジュジが泣きながら私たちに喪服を用意してくれる。

子供たちをジュジと娘のシャーリーに預けて、葬儀に行く。伝統的な黒い羊の毛皮の帽子を被る男達の中でマールトンだけがいつものハンチングを被っている。小さな棺から一番離れたところで彼は静かにため息をつく。外から男達の聖歌が聞こえてくる。沈黙の時間が流れて、聖歌が終わるとパーリンカのボトルが回ってくる。何周も何周も。頭もぐるぐる回るように痛い。

ピシュタの家に戻るとまたパーリンカを勧められる。ピシュタの息子のピシュタはパーリンカを作っている。親子で同じ名前だから、郵便配達をやっていた父親をピシュタ・ポシュタ、息子をピシュタ・パーリンカと呼ぶ。勧められて呑まない訳にはいかない。ずっと具合が悪かったが、途中から一線を越えたのか頭が痛いことも忘れて呑んでいた。

そういえば昨日、十年以上使っていた革のベルトが切れた。偶然だろうが、誰かが死ぬ時、こういう知らせがある。不思議だけれど。

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