少年と河童と古物商

「くれぐれも河童だけには気をつけるんだよ」少年は外に出る度に祖母からそう言われていた。毎日、毎日耳が痛くなるほど同じことを言われ続けて、少年はいい加減うんざりしていた。「河童、河童うるせえな」それでも祖母は続けた。「河童に足を引っ張られるんじゃないよ」そんな祖母を茶化して少年はこう返す。「ばあちゃんもあの世に引っ張られるんじゃないよ」祖母はまさかそれが少年の最後の言葉になるとは思ってもみなかった。「もう帰ってくるな。沼で河童とでも遊んでろ」そして少年もこれが祖母の最後の言葉になるとは思ってもみなかった。

その言葉通り、その日から少年は家に帰らず河童と遊び続けた。祖母の言葉は間違っていた。河童は足なんて引っ張らなかった。それどころか沼に沈みかけていた少年の手を引っ張り助けてくれた。そしてそのまま手を繋いで踊った。沼の中で泥だらけになって踊り続けた。河童と手を繋いでいると沼が沼でないかのように感じられた。さっきまで沈みかけていた足にヒレでもついたかのように体が軽くなり浮いていく。そうか、自由というのは自由を奪われて、束縛から解放される時に初めて感じることができるんだ。それまで自由気ままに生きてきた少年はそんなことを考えていた。日が沈むまで踊り狂い、町が暗闇に包まれると畑から胡瓜をかっぱらい、月明かりの下で緑色の胡瓜を夢中になって頬張った。少年は小学校に行くこともなくなり言葉も文字も忘れていった。沼の中でそんなものは何ひとつ必要なかった。

四十年後、祖母との会話を最後に行方不明となっていた少年は人間をやめて河童として暮らしていた。頭に白磁の皿を乗せて、手作りの舟を沼に浮かべていた。気が向いた時にだけ沼から上がり、舟いっぱいに古物を並べて、人間相手に商売を始める。名はないが、人間からは河童商会と呼ばれている。ゴミもアートも関係ない。彼なりの審美眼で河童に関する古物をひたすら集めてきた。一日ひとつ何か拾う、それが彼が彼自身に課したノルマだった。店主が河童なのだから人間が大事にしている金は一切通用しない。通貨は胡瓜、それのみ。河童商会で私は胡瓜三百五十本で河童の皿を買い、娘は胡瓜七十本で河童の陶の面を買った。そして息子は食べかけの胡瓜一本で河童の張り子の面を買った。他にも狙っているものはたくさんある。河童の目玉の方位磁石に、河童の奥歯のサイコロ。それに河童の頭蓋骨のカトラリーに、河童の前髪の歯ブラシ。胡瓜さえあればぜんぶ欲しいのが本音だが、私にも守らなければいけない生活というものがある。

おっと、大事なことをひとつ伝え忘れていた。四十年前、少年と出会った私は河童をやめて人間として暮らしている。足のヒレふたつと頭の皿一枚を譲ったお礼にと言葉も文字も少年がぜんぶ教えてくれた。だから困ることは何ひとつない。運よく河童に理解ある人間とも結婚できた。ただ想像してもらえれば分かると思うがふたりの子供はどうしても河童っぽい。でもそれも子供の個性を育てるとだかの教育方針のおかげで大して問題にはなっていない。仕事は沼の清掃員。私も人のことは言えないが、同僚は誰ひとりとして個性がない。時給八百三十円。胡瓜でいうと八本ちょっとといったところだろうか。これといって不満はない。他に楽な仕事はいくらだってあるが、正直言うとやっぱり沼が恋しいんだ。沼に捨てられたゴミを拾い、その給料で胡瓜を買って家族四人細々と暮らしている。そして胡瓜に余裕がある時は河童商会へ行き買い物をするって訳さ。

まだあの世に引っ張られないでいる少年の祖母は私を孫だと勘違いして喜んでいる。私もいちいち余計な説明はしない。黙っていた方がいいことだってある。そしてひ孫が外に出る度に祖母は同じことを口にする。「くれぐれも河童だけには気をつけるんだよ」

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