ピカソとビュフェ

「これ置いてくで」きっかけは十五年前に友人が家に置いていったフランソワーズ・サガンの『毒』という一冊の本だった。今から五十年ほど前にフランスで印刷されたその本は、モルヒネ中毒に苦しむサガンの九日間の記録に、ビュフェのイラストレーションとカリグラフィーが添えてある。すぐに心惹かれていつかビュフェの絵を見たいと思うようになっていた。ずっと心の片隅にそんな想いを抱きながらも時が経ち、今かもしれないと思い立ってベルナール・ビュフェ美術館へ足を運ぶことにした。

寄り道をしているうちに日は暮れて美術館は明日にすることになった。夜の海岸沿いを走っていると無性に花火がやりたくなり、目に付く店に手当たり次第に寄ってみるが、どこにも売っていない。毎週のように海に出掛けていたからまだ夏の気分だったが、もう夏は終わったのか。今年は打ち上げ花火を見ていない。これまで打ち上げ花火を見なかった夏なんて一度もない。だから夏が終わった気がしないのか。それにしても花火が見つからない。仕方がないから海だけでも見ようということになった。

しかしバイパス道路が邪魔をして海岸に出られない。地元の人に尋ねると来た道を少し戻ると道路をくぐれると言う。進行方向にも海岸に出られるところがあるか尋ねると苦い顔をした。「向こうはやめた方がいいかもしれません。ヤクザの事務所があるので」

ヤクザという言葉を聞いて楽弥と希舟が神妙な面持ちになっている。楽弥が不安そうに訊いてくる。「ヤクザって怖い?」「怖い人ばかりじゃないよ。優しい人もいるんじゃない」「でも鉄砲は持ってるでしょ?」「鉄砲くらいは持ってるかもね」「撃ってくるかな?」「悪いことしなければ撃たれないよ」その言葉を聞いて何故か希舟が兄を心配し始める。「がっくん撃たれちゃうかも」「きっきぃ黙ってて」楽弥が慌てて妹の口を抑える。騒がしかった車内が一気に静まり返る。

子供たちがあまりにも心配するので事務所のない海へ繰り出す。嬉しさ余って階段を駆け下りた楽弥が振り返る。「なんか怖いね」そう呟いて暗闇を指差す。「ほら海と空がつながってるよ。このままブラックホールに吸い込まれちゃいそう」確かに灯りひとつなく海も空も真っ黒で水平線が見えない。どうにか足下の砂浜は見えるが、その砂浜が海に向かって斜面になっていて本当に吸い込まれてしまいそうな雰囲気だ。そこに幻想のように白く浮かび上がっては消える波が砂嵐のような音を立てている。「もう帰ろうよ」希舟が足にしがみついて後ずさりしている。

「あっ。びっくりした」楽弥が声を上げる。「なんだ。しゃてきか」海を諦めて車を走らせていると射的の鉄砲がクロスにふたつ飾られていた。それをヤクザの鉄砲だと勘違いしたらしい。希舟はヤクザという言葉が出る度に両手で耳を塞いでいる。「何これ。湯婆婆が出てきそう」妻がそう言うように千と千尋の神隠しに出てくるような温泉郷に辿り着いた。深夜だからか水浴びをするカモはいるが人間は誰ひとりとして歩いていない。下水溝からもくもくと上がる白い湯気が不思議な夢の中に入り込んでしまったような気分にさせる。そのまま石畳を流れる小川のせせらぎを聞きながら眠ることにした。

せっかくなので早朝に温泉に入り、近くにある彫刻の森美術館へ行くことにした。目的はひとつ。ピカソの絵皿。何よりもそれが見たかった。入館するなり一直線にそこへと急ぐ。ピカソの陶芸から感じることは山ほどあるが、頭は使わない。難しいことは考えずに純粋に心で感じる。六十五歳から始めた陶芸はピカソにとって楽しくて仕方なかったに違いない。見ているだけでこんなにも幸せな気持ちにさせてくれるのだから。「子供らしい絵を描くのに一生かかった」そう語るピカソの言葉と愉快な顔が描かれた絵皿は頭の中に蓄積された余計なものを洗い流してくれる。少し寄るつもりが、子供たちと緑の中を駆け回っているうちにいつの間にか閉館の時間になっていた。

明日こそはビュフェを見に行こう。ビュフェの待つ町へと車を走らせる。山道を左右に揺れながら下山して湖に佇む海賊船を眺めて三十キロほど走っただろうか。「あれ?」妻がそんな声を出した。何かやらかした時の声。「荷物忘れた」彫刻の森美術館に入館する前に車内は熱くなるからとコインロッカーに荷物を預けたらしい。中にはお土産に買った地ビールや温泉まんじゅうが詰まっている。ベルナール・ビュフェ美術館はもう目と鼻の先だというのに来た道を戻るしかない。妻はコインロッカーの鍵を握りしめてうつむいている。うつむくのも無理はない。早朝にも温泉で同じことをしているのだ。

誰もいない真っ暗な美術館で荷物を取り、湖沿いに走っているとネオンサインの光るレストランを見つけた。閉店時間をまわっていたが、快く通してくれた。東欧にある場末の食堂のような外観もうらぶれた殺風景な内装も蝶ネクタイを締めた年配のウェイターもそれらを覆す本格的な味も最高だった。日本で一番好きなレストランができた。店を出て道を進むと夜景が綺麗な高台を見つけた。路肩に車を停めて町を見下ろしたその時だった。「パーン」打ち上げ花火が上がった。「パーン」「パーン」色とりどりの花火が次から次へと上がる。思わぬ光景に二度も荷物を忘れてくれた妻に心から感謝した。

翌日は本来の目的であるベルナール・ビュフェ美術館を堪能した。独特な黒の線描と限られた色彩で描かれた華奢な自画像やどこか淋しさが漂う静物画。戦後の混乱が残るパリで描かれた初期の作品に胸を打たれる。貧しさや孤独や不安による虚無感に苛まれていたであろう当時の人々の感情が思い起こされる。「絵を描くことしか知らない」そう語るビュフェが五十年余り描き続けた絵は時代と共に変化していくが、ビュフェの描く線はいつの時代もビュフェの線に変わりない。希舟が美術館の端っこで模写している。十字架の教会を直線で描いている。楽弥はピカソの絵皿に影響を受けたのか、丸の中に口髭を生やした男の顔を描いている。模写するのもいい。影響を受けるのもいい。その線が自分の線であればそれでいい。描きたくなければ描かなくてもいい。ビュフェでもピカソでも誰でもいい。ひとつでも心に響くものがあればそれでいい。

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