馬とシャガール

「シャガールは観ておいた方がええで」彼はそう言い残して家を出て行った。テーブルにはお土産のりんごジュースが残されていたが、きっとそんな物はどうでもよくて、その言葉を伝えるために家に寄ったのだろう。出て行ったのではない、私が彼を追い出したのだ。夢を諦めた彼に嫌気が差して。私のアトリエには彼が画集から切り抜いたシャガールの馬の絵が今も壁に貼られている。

四連休の二日目、馬に乗りたいという子供たちを車に乗せて那須にある牧場へ向かう。出発するのが遅かったので時間ばかり気にしていたが、到着するよりも先に雨が降ってきた。雨宿りするより仕方がない。そのままコーヒーを飲んでいるうちに牧場は閉まってしまった。ここに来るまで三時間、このままコーヒーを飲んで帰る訳にもいかない。地図とにらめっこをする。決めた。

「シャガールを観に行こう」北へ五百キロ、高速道路を飛ばせばそう遠くはない。「何も予定も立てていないのにもったいない」妻はそんなことを言うが、行こうと思ったこの衝動を抑えることの方がもったいない。子供たちは遠くに行ける、ただそれだけで喜んでいる。何もかも予定通りではつまらない。その日、その日、思いつきで旅をする。天気や気分で行き先はすぐに変わり、変わることで旅はどんどん楽しくなっていく。牧場からシャガールへと変わるように、旅は無限に広がっていく。

真夜中、高速道路を走っている途中に見覚えのある地名を見つける。”矢巾”。専門学校の時に仲の良かった友人の地元だ。思い立って連絡をする。「あの頃は明日のことを考えないで生きていたな」友人がそんなことを言う。確かにそうだった。学校へ行く電車賃がなくて川崎から恵比寿まで自転車を二人乗りしたことも、居酒屋をはしごして帰りの電車賃がなくなったことも忘れられない。あの頃のまま何ひとつ変わっていない。行き当たりばったりの旅をして、スケボーを枕にして眠っている。

シャガールの絵に囲まれて目が覚めた。素晴らしい。それしかない。ずっとここにいたい。さっきまで走り回っていた楽弥と希舟も不思議とここを離れようとしない。バレエの舞台背景として描かれた一辺十四メートルを超える四点の作品。原作はプーシキンの詩”ジプシー”。自由を求める貴族の青年と、本当の意味で自由なジプシーの娘。恋に落ちた喜びや、やがて訪れる悲しみが背景画から伝わってくる。ジプシーの魅力に満ち溢れた人間性や、しかし常識の通用しない考え方はルーマニアで暮らしているとよく分かる。そんな捉え所のないジプシーの精神性までもをシャガールは描いている。「どれだけ人が集まってもひとりの天才には敵わん」二年前、彼が呟いた言葉が脳裏をよぎる。彼は天才には敵わないと思い作品を生み出せなくなった。それだけ人を圧倒する力がシャガールの絵には込められていた。

車中泊をして旅は続き、最後はりんごジュースで乾杯をした。くたくたになり家に帰ると、大量の馬肉が届いた。道中、久し振りに連絡をした専門学校の友人からだ。吉野家の牛丼が何よりも贅沢だった二十年前には考えられないことだ。奥さんからの丁寧な手紙には小さな息子のことが書かれている。家庭を持つことになるなんて当時の友人からはとても想像できなかったが、幸せになることだけは確信していた。どうしようもない生活をしていたあの頃でさえ幸せそうにしていたのだから。

アトリエの壁に貼られた馬の絵、雨で乗れなかった牧場の馬、背景画に描かれた白馬、友人から届いた馬肉。行き当たりばったりのようで人生はすべて繋がっている。馬肉の塊を手にひとりそんなことを考えていた。

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