リョウジのリョウリ

「その膝どうしたの?」と妻が訊く。「渋谷さんの力が足りなくて落っこちた」と膝から流血した楽弥が苦々しく答える。

真夜中に散歩に出掛けた楽弥の小さな手は友人ふたりの大きな手と繋がっていた。私は彼らの一歩後ろを歩いている。友人の力を借りて「いちっにのっさんっ」で飛び跳ねると同時に片方の手が離れる。地面に向かって楽弥の体が斜めに落ちていく。相当痛かったのだろう、悶絶している楽弥を「おいっ大丈夫か?」と潤ちゃんが気遣う。

「渋谷さん心配したでしょう」と妻が続ける。「全然」と楽弥が答える。「えっ。渋谷さん何してたの?」「星見てた」「嘘でしょ」「本当にこうやって星見てた」と楽弥は腰に手を当て夜空を見上げる仕草をした。確かにひとり夜空を見上げていたような気がする。

散歩から戻ると、料理をしない岩井さんが何故か料理について語っている。「俺が料理したら道具も食材も全部こだわっちゃうから駄目。でも味覚だけは天才かもしれない。いや本当に。小学校の時の授業で料理したら上手すぎて。それからみんなにリョウリって呼ばれてたの」楽弥を落とした渋谷さんが名誉挽回とばかりに口を開く「リョウジだけにね」。潤ちゃんが「そういうことか」と妙に納得している。

そこからリョウリことリョウジの肉汁の出ないハンバーグ論が始まる。「肉汁が旨いんじゃないの?」と口を挟む潤ちゃんに「違うの潤ちゃん。本当のハンバーグは旨みを閉じ込めるの」と返すリョウリ。そもそもハンバーグをどう作るかという話ではなく、どう作ってもらうかという話をしている時点で違うような気もする。そこにパン屋を営む謂わばプロの克ちゃんが「パテが好きってこと?」と至極真っ当な質問をするも誰ひとり聞いていない。渋谷さんはそんなことよりも「リョウジのリョウリね」と随分とその語呂が気に入った様子だ。ハンバーグの夢でも見ているのか、私の足下で眠ってしまった希舟は口をパクパクさせている。

ハンバーグ論は未明まで続いた。「俺は色んな大人に育ててもらったから楽弥にも色んなことを教えてやりたいの」と岩井さんは常々語っている。きっと今宵もハンバーグだけでなく、人間の本質を教わったはずだ。大人とはこんなにも馬鹿で楽しいものだと。

私は腰に手を当て夜空を見上げる。そして先程までハンバーグ論を繰り広げていた男が幼い頃のトラウマから肉が食えないことを思い出していた。

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