忘れた目玉

電話が鳴る。「こっちは最高の季節だよ。遊びに来ない?」「今から行くよ」雨降りの金曜日、何気ない会話だが距離がある。ここから長野まで300キロ。車で4時間はかかる。すぐに保育園と小学校に子供たちを迎えに行き、そのまま長野へと向かう。

暗闇のなか明かりが灯っている一軒の家。白猫のおもち、黒犬のあんこ、あんこに目玉を食べられたBOOと友人家族が迎えてくれた。そのBOOの目玉を直すという名目で遊びに来たのに、肝心の目玉を忘れて来てしまった。無性に彼らに会いたくなり、着の身着のまま慌てて出発したのだ。他の日でもよかったのかもしれないが、生まれたばかりの赤ちゃんの寝顔を見て、今このタイミングで来て良かったと思った。

ちかちゃんと初めて会った時、いろははまだ自転車の補助席に乗っていた。それから傘屋を始めて、ひとりふたりと家族が増えて、住まいも移り変わり、いろはは中学生になった。ひとつだけ変わらないのはいつ会っても魅力的な家族だということ。

鶏の鳴き声で目を覚ます。昨夜は暗闇で何も見えなかったが、見渡す限り緑の木々が揺れている。雨音だと思っていたのは、庭を流れる川の音。湿った植物の匂いがする。あまりの清々しさに茫然としてしまう。「空気が美味しいね」と妻が言うと、楽弥は口を開けてぱくっと食べて「ほんとだ。美味しい」と目を丸くした。おもちを追い掛ける希舟とあんこの散歩に出掛ける楽弥。ふたりで木のブランコに座り自然を満喫している。

産まれたばかりの鶏の卵で目玉焼きを作り、ビワの葉でお茶を淹れ、庭で摘んだフキやヨモギを天ぷらにして食べる。なんて豊かな時間なのだろう。山の麓や湖の畔を散歩して、ご飯を食べて、お風呂に入り、眠る。日が暮れて、夜が明けて。それが何よりも幸せに感じられる。温泉に誘われても、蕎麦屋に誘われても出掛けたくなかった。この家にいるだけで満足していた。

雨上がりの帰り道、ちかちゃんが「貝戸家もここに住んだらいいのに」と言っていたのを思い出す。離れていても心の近い友人の言葉はそれもなかなか面白いかもしれないと思わせてくれる。ゆうくんが持たせてくれた卵が助手席で揺れる度に心も揺らぐ。夕空にうっすらと浮かんでいた白い満月はいつの間にか金色に輝いていた。

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