ひげくまくん

「まだ冬眠中なんだよね」と友人が言う。この家に連れて来たい人がいるらしい。もうひとりの友人は何とも言えない表情で黙っている。食卓には熊のように冬眠している彼が作った器に妻の料理が盛ってある。

一年に一回、いや二年に一回くらいしか彼は目を覚まさないらしい。よく似た友人がいるので、訊かなくてもその様子は何となく分かる。目覚めた時は創作意欲に駆られて周りの人を巻き込むほどひとつのことに夢中になるのだが、その集中力が切れた途端に音信不通になる。きっと彼もそんな性分なのだろう。彼と付き合いの長いふたりは私に会わせたいと思いつつも、会わせるのを躊躇っている。

そんな彼が作る器は素晴らしい。「これ使ってもらった方が喜ぶから」と友人がその器をくれたのは一年前。勢いよく刷毛を滑らせた格子模様の大鉢はどんな料理をも受け入れてくれる。言葉ではうまく言い表せないが、彼の人柄を表しているような気がする。

「これ預けておくね」ともうひとりの友人から彼が録音した大量のカセットテープとカセットデッキを手渡されたのは二年前。そこには二十年くらい前に流行った邦楽が収録されていた。私が毛嫌いしていた音楽ばかりだ。当時は洋楽ばかり聴いていて、邦楽にまったく耳を傾けようとしなかった。それがそのカセットテープをかけると、抜け落ちていた時代の音楽が光を纏って心の中に入ってくるような不思議な感覚がした。きっと彼は流行り廃り関係なく心で音楽を聴いていたのだろう。

何かのスイッチが入って、それを聴きながら連日連夜絵本を描いた。何日かかったのだろう。続けて聴き過ぎて、カセットデッキの中のベルトが切れて壊れた時に、ねこに憧れるくまを描いた「ひげくまくん」という絵本ができあがった。偶然だが、そのカセットテープには熊の絵とDJ BEARという文字が記されていた。

去年の冬、旅に出る前日にふたりの友人が「準備できた?」と急にアトリエに現れた。何も準備をしていない自分も自分だが、こんな忙しない日に連絡もなしに来る友人も友人だ。その時にちょうど冬眠から目覚めた彼も連れて来ようと思ったらしい。「でも明日からルーマニアに行く家族に会ったら興奮して付いて行っちゃうかもしれない」と旅が台無しになることを心配して一緒に来なかった。

ふたりから彼の話を聞くのが好きだった。「どうしようもない」と距離を置いていたかと思えば「あの人は天才」と瞳を輝かせて話すこともある。両極端なところがあるのだろう。そこが気難しくもあり、魅力でもあるのは間違いない。いつからか私は会ったこともない彼に勝手に親近感を抱いていた。そして当然のようにいつか会うことになると思っていた。

旅から帰国して、久しぶりにふたりの友人に会った。そこで彼がひと月前に亡くなったことを聞いた。彼の存在そのものが嘘だったのかもしれない。そう思いたかった。悲しみが心を占めて言葉にならない。「会わせられなかったことが心残りだよ」と友人は言った。しかし彼の器を使い、彼のカセットテープを聴き、彼の話を聞いているうちに、いつしか彼に会ったかのような感覚が心のどこかに生まれていた。

何年も前から何度も彼の話を聞いていたのに、亡くなって初めて彼の写真を見た。暗闇の中に十字が赤く光るシャッターの下りた薬局。その前にひとり佇んでいる。喜びとも悲しみともとれないその表情はどこかひげくまくんに似ていた。

| 日々のこと | comments(0) |