NAKATA

生まれて初めて絵を買った。それも一番お金のない時に。旅でお金を使い果たし、風呂の湯を沸かす灯油も買えない状況なのに一体何を考えているのだろう。自分でもそう思うが、出会ってしまったのだから仕方がない。翌週の蚤の市で買い付けてきたものを売れば何とかなるだろうと高を括る。ギャラリーのオーナーはそんな私を見兼ねて翌朝にと食パンを一斤持たせてくれた。

昨年、そのオーナーの家に泊まらせてもらっていた時に初めてNAKATAの作品集を目にした。アートとは何かなんてとても語れないけど、それを見て何となくこれがアートというものなのかもしれないと素直に感じた。自分の溢れた感情を余すことなく作品に投影しているようで、見ていて単純に気持ちが良かった。作品と向き合うというよりも目の前に気の合う人が現れたような感覚。出会った瞬間に心を開いて自分の世界へと連れて行ってくれる。毎朝起きると同時にそれを捲るのが滞在中の日課となった。

そして一緒に泊まっていた友人との間では「おはよう」「おつかれ」「乾杯」「最低」「最高」ありとあらゆる言葉が「NAKATA」になった。何故そうなったのか自分でもよく分からないがNAKATAの作品から喜怒哀楽すべての感情を抱いたように、自然と言葉も「NAKATA」ひとつで意思疎通ができるような気になっていた。

それから数ヶ月後に初めてお会いした仲田さんは、きっとこんな人だろうなと想像していた通りの気持ちの良い人だった。「話は聞いてますよ。NAKATAで挨拶している人がいるって」それにはうまく答えられなかったが、笑っていてくれて安心した。

そんなNAKATAの絵が届いた。何かを意図して描いた訳ではないだろうけど、男の顔のように見える。というよりも鬼の顔。インパクトが強くてとてもじゃないがアトリエには飾れない。考えに考えて、自宅の席からちらっと見える壁に掛けてみる。ここに座るのは夕食時の三十分程度。絵を横目にグラスを傾ける。きっとそれくらいがちょうどいい。一日中この緑色の鬼と向き合っていたら頭がおかしくなりそうだ。

子供たちが帰ってくるなり、届いたばかりの絵に走り寄って「NAKATA」「NAKATA」と喜んでいる。ギャラリーで一緒に見たのを憶えていたのだろう。「めちゃくちゃなのにかっこいいよね」と楽弥が生意気に評すると、希舟もアートを知ったかのような口ぶりで「めちゃくちゃでもいいんだよ」と続く。そんなふたりを緑色の鬼が黙って睨みつけている。

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