名もない宿



せっかくの連休だというのに何も予定がなかった。
体調が悪くて予定を立てることすらできなかった。
子供たちと一緒にどこか遠くへ出掛けたかったが
いまだに体が痒くて長いこと車を運転することもできない。

連休を目前にして浮かれるふたりを横目に
どうしようかと思っていたが何の心配もなかった。
途切れることなく友人が佐原に遊びに来てくれて
家に居ながら旅をしているような気分で過ごすことになった。
古い日本家屋の客間にいくつもの布団が敷かれていると
まるでどこかの宿に泊まっているような錯覚をおぼえる。

これまでは眠りたくても眠れない日々を送っていたが
連休中はそんなことを忘れるくらい倒れるように眠りに落ちた。
自由に生きる大人のくだらない話は尽きることなく
誰も寝ようとしないから真夜中までずっと笑い声が響いていた。
朝が来る直前にようやく疲れ果てて眠ったはずが
朝日が差すと眠気は一気に吹き飛び、また新しい一日が始まる。
しばらく呑んでいなかった酒も好きなだけ呑んだ。
たとえ余計に体調を崩しても目の前にある今を楽しみたかった。
何もかも我慢していたら心までもおかしくなりそうな気がした。

「なんで病院に行かないんだよ」とか
「この漢方薬を飲むと治まるよ」とか
「せめて原因だけも診てもらえ」とか
皆に怒られたり、心配されたりもしたが
日々を楽しんでいるうちに不思議と体調は良くなった。
酒も睡眠も気にし過ぎて逆に良くなかったのかもしれない。
痒さも忘れるほどに笑っていたことが何よりの治療となった。

楽弥も希舟も興奮してほとんど眠らなかった。
布団に入っては抜け出してを飽きずに何度も繰り返した。
朝になったら誰もいなくなっているんじゃないかと心配して
今にも閉じてしまいそうな目を意地になって見開いていた。
朝は朝で友人の声が聞こえるとすぐさま目を覚ます。
もっとゆっくり眠っていればいいのにと思うけれど
子供も子供で楽しい時間を一時も無駄にしたくないようだった。

せっかく遠くから遊びに来てもらっているのに
家にいるばかりでこれといったことは何もしていない。
したことといえば...朝っぱらから白鳥を見に土手を散歩したり
金網の穴をくぐり抜けて珈琲しかない寂れた喫茶店に入ったり
ジャンケンで負けた友人に大きなケーキを買ってもらったりと
たいしたことはしていないが、子供に戻ったような時間だった。
家に帰ると誰かが縁側の日だまりで寝転んでいて嬉しくなる。
花の咲く庭から希舟の吹くシャボン玉が空高く飛んでいく。

楽弥は大好きな友人の膝に乗ってずっと嬉しそうだった。
大人の笑い声が響く度に一緒になって抜けた前歯を見せて笑う。
泥団子を作る子供と一緒に泥だらけになっている大人もいる。
人生を謳歌している大人が集まることが
この家の唯一の自慢かもしれない。

「ねぇ今日は誰が来るの?」
小さい頃からそれが口癖のふたりは
いったいどんな大人に成長していくのだろう。
親として子供に教えられることなんてないが
大人になることは最高に楽しいことなんだと感じてもらえたら
それ以上の喜びはない。

photo by : kentaro shibuya

text by : tetsuya

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