青島神社

福岡での仕事を終え、翌日の朝早くに宮崎へ向かった。
幸運にも定休日だからと、picnikaの津留さんと奥様の陽子さんが
車で片道四時間もの長旅を快く引き受けてくれた。

陽気な管楽器のジプシー音楽が流れるなか
旅の話をしながらいくつものトンネルを抜けて宮崎に入ると、
沿道にはヤシ科のフェニックスが林立していて急に南国気分になる。
冬の寒さが厳しいルーマニアのトランシルヴァニア地方に住む
聖子さんのことを思うと、なんだか不思議な気がした。
南方に生まれ、今は森の彼方の寒地で暮らしている。


聖子さんは、小学生の長男の長い夏休みを利用して宮崎に帰郷していた。
そして、偶然にも同じ時期に福岡に行くことになった私たちは
限られた日数を惜しみながらも、聖子さんたちに会いに行くことに決めた。

待ち合わせをしたのは、南東の海岸に浮かぶ青島。
海岸とは橋でつながった1.5kmほどしかない貝殻で出来た小さな島で
民話「浦島太郎」のもととなった「海幸山幸神話」が生まれた神秘的なところ。
そのほとんどが亜熱帯の植物に覆われ、島内には唯一青島神社が建っている。


車を停めて参道を目指して歩いていると、ひんやりとした雑木林に囲まれた。
しばらくすると寂れたガラス張りの建物に突き当たる。
曇ったガラス窓から中を覗くと、どうやら温室のようで植物が乱立していた。
このじっとりとしたうら淋しい空気感が心地良い。
根が絡まったアコウの木や樹上で綿の成るパンヤの木、そして突如埴輪が並ぶ
独特の雰囲気を持つ緑道を抜けて、目下に広がったのは見渡す限りの奇岩。
その名の通り洗濯板のように波打った「鬼の洗濯板岩」が青島を取り囲んでいた。


海岸で貝を拾い集めていると、ぐんと背の高くなった大樹くんが駆け寄ってきた。
初めて会った時から比べると、もう倍近くの身長になっただろうか。
その後ろで手を振るのは、聖子さんと背中におぶられた朝歌ちゃん。
生まれて数ヶ月頃の乳児の表情が頭に残っていたが、すっかり大きくなっていた。
聖子さんは、ルーマニアで会っても日本で会ってもいつも変わらず
明るい笑顔と温かい言葉で、無音していた時間を一瞬で埋めてくれる。


久しぶりの再会を喜び、皆で昼食を共にして青島神社へと向かった。
大人の足で行けばたった数分のところを、子供連れでは橋を渡るのがやっと。
ようやく島内に足を踏み入れたかと思ったら、息子がぐずりだした。
仕方なく、津留さんご夫妻と夫だけが参拝に行くことになった。

朝歌ちゃんと息子の楽弥が海水に足を浸して遊んでいるのを見ながら
青白い空と真っ赤な鳥居と「鬼の洗濯板岩」をじっくり眺めて
なんて神々しい島なのだろうとあらためて思う。
昔はこの橋もなく、干潮の時にだけ渡っていたという。
しかも、古くは島全体が霊域とされていて一般人の入島は禁じられていたらしい。
遠くでは大樹くんが蟹を捕ったと喜ぶ声が聞こえる。
福岡では毎日が充実しつつも慌ただしく時間が過ぎていったが
ここではそれが嘘のように、ゆったりとした空気が流れている。


三人が参詣を終えて戻ってくるなり、夫が「絶対に行った方がいい」と言うので
日暮れが差し迫ったなか、聖子さんたちと行くことにした。
今度は楽弥も乗り気のようで、すたすたと裸足で歩いて行った。

鳥居を過ぎるとすぐに境内が現れ、夏越しの大祓えの茅の輪くぐりがあって
皆で八の字を描くようにぐるぐると回った。これで半年間の罪穢れを祓えるそう。
色とりどりの短冊がなびく七夕の笹を抜けて、本殿にお参りをすると
さらにその先に細い御成道が続いていた。


亜熱帯植物のビロウ樹がうっそうと生い茂るジャングルのような暗い道を進むと
小さくも存在感のある元宮が姿を現した。
その裏には天の平瓮投げという投瓮所があり、素焼きの小さなお皿で占いができる。
神様が祀られている岩が積み上げられた磐境に小声で願い事を唱え
平瓮と呼ばれる小皿を勢い良く投げ入れるというもの。
見事に磐境に入れば心願成就、平瓮が割れれば開運厄祓となる。
私たちの投げた平瓮は大きく左に反れたが、ぱりんと音を立てて割れた。


本殿に戻るとその明るさに目がまだ慣れない。
帰り際、短冊に見慣れた大きな字を見つけた。
夫が願い事を書いたと言っていたが、すぐにそれが目についた。
楽弥の健康と、新しく増える家族の無事の誕生。
そして、裏には家族の似顔絵が描かれていた。
青島神社は縁結びや安産の神様であるから
きっと叶えてくれることだろうと思う。


帰路もゆっくりと橋を渡り、その間に朝歌ちゃんと楽弥はようやく
手をつなげるようになった。間にBOOを挟んで…。
その小さな手はすぐにほどけてしまうが、照れて駆け出すふたりの姿が微笑ましい。


一日中付き合ってもらった津留さんご夫妻にお礼と別れを告げて、
今は空き家となっている聖子さんのお祖父様のお宅へ向かう。
宮崎の地鶏を食べながら旧家でのんびりとくつろいでいると
幼い頃に毎夏行っていた田舎の祖父母の家を思い出す。
机の上にはたくさんのご馳走が、その周りでは子供たちが走り回っている。
この風景はいつの時代も変わらないだろう。
かつては私も走り回っていた子供のひとりだったが
いつの間にか子供たちを見守る親になっていた。

子供たちはご馳走があるにも関わらず、レーズンパンに夢中になっている。
朝歌ちゃんと楽弥はパンから落ちたレーズンを奪い合い、
大樹くんと夫が「レーズン泥棒!」と指を差して叫ぶと
ふたりは嬉しそうにはしゃいで、ますます泥棒合戦になっていった。
潰れたレーズンがそこら中に散らばり、皆の笑い声が部屋中に響き渡る。
もう十数年も経験していない夏休みが再び訪れたようなひとときだった。


text by : yuki
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