サンティリャーナ・デル・マルのシードラ

まだ早い時間に起きだして旧市街へと向かった。
この町は貴族の屋敷や教会が中世のままの姿を留めているため、
小さな町なのに朝から多くの人で賑わっていた。


かつて市場が立っていた名残なのか、
旧市街には、昔ながらの木靴を売る靴屋や
陶磁器などの民芸品屋が軒を連ねている。
バルの店頭にはどの店もサーバーが設置されていて、
何かと気になっていたら、名産のシードラ(林檎酒)
が飲めるようになっていた。


どこかバルに入ろうかと覗いていたが、すんなりと決まらず、
売店に並んでいたシードラを手に取り、宿の庭で飲むことにした。
それとケサーダというこれもまた名産のチーズケーキを買った。

宿に戻ると、自分たちの洗濯物が風になびいていた。
朝、洗濯した衣類をどうしようかとうろうろしていたら
「ここに干しておけばすぐに乾くわよ」と言って、
宿主のおばちゃんが大木に干してくれたのだ。
その洗濯物を見て、束の間の家があるようで嬉しかった。


緑に囲まれた庭で、石の机にシードラとケサーダを広げ、
石の椅子に座って小さな宴を催した。
シードラは甘みがほとんどなく、
果汁の発酵した酸味が後味に残る変わった味だった。
しかし、それがとてもくせになる。
ケサーダも甘さが控えめでなめらかな口当たりの
美味しいチーズケーキだった。
このふたつの組み合わせが至福の昼下がりを与えてくれた。


宴を終え、宿のおばちゃんに挨拶をして次の町へ向かうことにした。
行き先は決まっていなかったが、東へ向かおうとヒッチハイクを始める。
そしてすぐに車が止まってくれた。
ドイツからバカンスに来た家族だった。
頭の片隅にあったドイツ語で挨拶をすると、とても喜んでくれた。
後部座席に座っていた照れ屋の男の子は、
ぺったんこの犬のぬいぐるみを大切そうに抱えていて
「ぬいぐるみの名前を教えて」と訊くと
「名前はないよ」と恥ずかしそうに答えた。


サンタンデールという港町の駅で降ろしてもらう。
ここからイルンというフランスの国境近くまで行くバスが
あるというので、それに乗ることにした。
終点まで乗っていたのは私たち2人だけで、
人懐こそうな運転手に「どこに行くんだい?」と訊かれた。
明日、フランスに入ろうと思っていると答えると、
運転手は、終点を越えて、国境を越えて、
フランスのエンダイヤという駅まで親切に乗せてくれた。

深夜の1時、そこからまたヒッチハイクでプロヴァンス地方を
目指そうと思ったが、大雨に見舞われて身動きがとれず、
民家の軒下でなんとか雨をしのいで一夜を過ごした。
旅中に妻が記した「野宿、極寒」という4文字を見ただけで
あの夜を思い出しては身震いしてしまう。
フランスに入国した喜びとつらい寒さが入り交じった夜だった。

text by : tetsuya
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オビエドで消えた荷物

まだ暗いバスターミナルのベンチで目を覚まし、
ターミナル内に併設されているカフェが開くのを待つ。
ガラス張りの店内に明かりが灯り、扉が開くと、
表で寝ていたことを感じさせないような澄ました顔で入っていく。
コーヒーをふたつ頼み、先程まで寝ていたベンチの見える席に着いた。
ガラスの内側と外側でこうも世界が違うものかと思うとなんだか面白い。
さっきまで薄汚れた浮浪者みたいだったのに、
今は暖かい店内で優雅にコーヒーをすすっている。

駅に行き、サンティリャーナ・デル・マルという町までの切符を買う。
朝9時の列車まで時間があったのでオビエドの町を散歩することにした。
重くて大きな荷物を持ち歩くのは骨が折れるので、いつも駅で預かってもらう。
しかし、この駅では荷物の預かり所がないというので、
待合室の椅子の下にこっそり並べて置いておいた。

町には16世紀に建てられた立派な大聖堂があり、
まだ人の足もまばらな朝の静かな時間をそこでゆったりと過ごす。
大きな教会をじっと見ていると、その前を歩いている人間がとても小さく見える。
そして、その小さな人間の手によってこんなにも大きな教会を
つくりあげたのだと思うと、なんだか気が遠くなってくる。
教会を一周しているうちに、いつのまにか列車の時刻が迫っていた。


慌てて駅に戻って、荷物をとって列車に飛び乗ろうと思ったが、
荷物を置いていたはずの場所には若者が座っていて、他には何も見当たらない。
私たちの荷物は忽然と姿を消してしまった。
若者に尋ねてみたけれど、もともと何もなかったと言う。

駅の構内を探し回っているうちに列車は私たちを置いて出発してしまった。
先程まで狼狽していたが、列車が行ってしまうと妙に落ち着いてきて、
荷物が無くなったという事実をようやく受け入れて、落胆した。
旅の途中、いつも鍵もかけずにそこかしこに荷物を置き放しにしてきた。
毎回、たいしたものは入っていないから大丈夫と思って放っておいたが、
いざ無くなってみると、とてつもない喪失感があった。
無くては困るからこんなにも重い思いをしてここまで持ち歩いていたんだと
失って改めて感じたが、何とかなると言って落ち込んでいる心をごまかした。

駅員に、荷物を無くして列車に乗り遅れたと告げると
構内を巡回している警備員に問い合わせてくれた。
すると、危険物と見なされて保管所に収容された荷物があるという。
警備員の後について行くと、厳重に鍵のかけられた薄暗い部屋に
いくつか荷物が置いてあり、そのなかに見覚えのある大きな塊が見えた。
埃まみれになった私たちの荷物は無事に手元に戻ってきた。
きっと重くて持ち上がらず引き摺られてきたのだろう。
どうであれ、ほっと胸を撫で下ろした。


諦めかけていた荷物が出てきて、嬉しさのあまり駅近くのスーパーで
ワインとイベリコ豚の生ハム、じゃがいもの入ったスペインオムレツなどを
買い込んで、噴水のある広場で豪華な昼食を摂った。
祝杯をあげたと言ってもいいかもしれない。
もう冷や汗を流したことなど忘れて、
予期せぬことが起こるから旅は楽しいと陽気に笑い合っていた。

昼の3時半にもう1本列車があるというので、それに乗る。
ゆっくり走る列車に揺られ5時間、トーレラベガという町に着くなり、
急いでサンティリャーナ・デル・マル行きの最終バスに乗り換えた。

もう夜の9時過ぎだったがまだ太陽は落ちていなかった。
町をひと周りしていたら、店仕舞いをしていた靴屋のおばちゃんが
安宿を紹介してくれた。その宿主にさらに安宿を紹介してもらい、
久しぶりに宿に泊まることになった。
安宿といっても雰囲気が良く、洒落たお宅の一室でとても満足していた。
荷を解くなり、紛失を免れた衣服を丹念に洗って部屋中に干してから
気を失ったように眠った。

text by : tetsuya
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オビエドのベンチ

真夜中にスペインのビーゴという町に着いた。
重たい荷物を背負いふらふらと歩いていると
暗闇のなか丘の上にそびえる城が浮かび上がっていた。
しんと静まり返った町には道路掃除夫の姿しかない。
彼に道を尋ね、城に導かれるように急な坂道を登った。

カストロ城に辿り着き、辺りを見回すと
小さな無数の光がゆらゆらと揺れている。
ようやくそれが船の灯りだと分かると、
すぐ目の前が大西洋だということに気付く。
立っている地面と海と空の境目がよく分からないほどの暗闇だ。

城に隣接している公園の貯水庫の上で寝る。
冷たい風が容赦なく吹き付けて体は震えるが、
この真夜中にどこへ行くこともできない。
朝を待つほかない。

あまりよく眠れず、日の出る前に公園で顔を洗いバス停へ向かう。
朝一番のバスでルーゴという町まで行き、
バスを乗り換えて小さなバス停で降ろされた。
下車した乗客のほとんどが巡礼の旅をしている様子で
大きなバックパックには巡礼の証の貝殻がぶら下がっていた。


バス停からヒッチハイクでセブレイロという村を目指す。
たまたま先程挨拶を交わした家族の車が止まってくれて
すんなりと目的地に着くことができた。
小さなセブレイロ村は、緑豊かな山々に囲まれた
とても見晴らしの良いところにぽつんと現れた。


目を引くのは、石壁と茅葺きで造られた民家。
とても変わった形をしている。
かつて居住していたケルト文化の名残らしい。
こんな建築を見るといつか自分の手で家を建ててみたいと思う。
どこも似たり寄ったりの便利で快適とされる現代の家よりも
こんな素朴な家の方がよっぽど豊かに暮らせそうな気がする。


ヒッチハイクでまた次の村を目指す。
なかなか車がつかまらなかったので、夕方のバスに乗って
とりあえず途中の町、オビエドまで行くことにした。
オビエドの繁華街、バルの連なる通りはとても賑わっていたが
どこも高くて入る気がしなかった。
ポルトガルと比べるとスペインの町は物価が高い。

もちろんホテルも高くて泊まる気がせず、
バスターミナルのベンチに横になった。
旅の最中に妻がつけていた日記には
「わりとよく眠れた」と書かれている。
確かにこの日寝たベンチは座面が長くて平らで寝心地が良かった。
こうも野宿を続けていると、寒さをしのげる場所と
ベンチの質を見極めるようになってくる。
そして、気ままに旅しているというだけで毎日が最高に楽しくて、
宿がなくても大して気にならなくなっていた。

text by : tetsuya
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西ヨーロッパ、旅の始まり

7月6日、私たちは住み慣れたルーマニアの家を引き払いスペインへ飛んだ。

ルーマニアに住み始めてからは、何処の国へ行くにも列車かバスで
寄り道をしながら数日かけて目的地へ向かっていたので、
あっという間に外国へ移動できる飛行機は、早くて便利だけれど
なんだか旅情が感じられなくて現地に着いてもあっけらかんとしてしまった。

夜更け前、大都市のマドリッドから
夜行バスでポルトガルへ向かうつもりだったが、
バス停に着いた時には、既にバスは出てしまっていた。
仕方がないので、一息つこうと老舗のバルが並ぶ通りに行ってみると、
深夜だというのに大勢の人で賑わっていた。

バルというのは喫茶店でもあり、酒場でもある、
スペイン人の生活になくてはならないもの。
朝はコーヒーを飲みに立ち寄り、夜はお酒を飲みに仲間と集まる、
町の人々が日に何度も足を運ぶ場所。
私たちも常連客に混ざって、旅の無事を願って乾杯したのだが、
やはりルーマニアから来るとスペインの物価はかなり高い。
空腹だったけれど、何かを頼む気になれなかった。

この物価だとホテルに泊まるのは難しいかなと思いながらも
「どこかに泊まる?」と妻に聞くと、
「その辺で寝ようよ」と公園を指差した。
ルーマニアに暮らす以前だったら、
きっとこんな言葉は返ってこなかっただろう。
随分とたくましくなった妻に感心してしまった。

そして、この日から西ヨーロッパ、野宿の旅が始まった。

text by : tetsuya
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