ポルトの生ハム

時計塔の風見鶏がやわらかく照らされ始めた頃、宿を発った。
誰もいない静かな村を散歩してから、7時に出発するバスに乗る。
丘の上からくねくねと蛇のように曲がった坂道を下り
村が背後に遠のいていった。

2時間ほどでカステロ・ブランコに着いた。
バスターミナルに記された時刻表とにらめっこをして、
次の行き先を決める。
北西へ200km、ポルトという町へ行くことにした。
バスの時間までまだ余裕があったので市場へ行き、
併設された小さなカフェでガラオンを飲み、
温かいミートパイを食べる。


町の高台には城跡が残っている。
急斜面の坂道を弱音を吐きながら上ると、
街並を一望できる素晴らしい景色が広がっていた。
城壁のぽっかり空いた窓枠に腰を掛け、ビールを飲みながら
水色の空と赤茶色の屋根の綺麗なコントラストを眺める。


急いでバスターミナルに戻り、5時間バスに揺られてポルトに着いた。
町はかなり大きく、すごい人で活気づいている。
目の前をノスタルジックな古い車体のトラムが通り過ぎる。
町全体にもノスタルジーな雰囲気が漂っている。


繁華街を歩いていると、天井から豚の足が無数に吊り下げられている
小さなスタンドバーの前を通りかかった。
豚の足というのは乾燥させたもので、つまり生ハムの原形である。
中を覗いていると、カウンターで飲んでいた膨よかなおじさんに
手招きされて「一緒に飲もう」と声をかけられた。


誘われるがままに隣に立ったが、メニューがない。
店主に値段を訊いてみると、すかさず隣のおじさんが
「俺のおごりだから気にするなよ」と言って、
私に代わってワインやハムを注文してくれた。

すぐに陶器の茶碗に注がれたポートワインと
薄くスライスされた生ハムとパンが並んだ。
おじさんと乾杯してワインを一口含むと、その濃厚さに驚いた。
スライスしたての生ハムは旨味がぎゅっと凝縮されていて、
一見パンに見えない茶色のコーンパンもしっとりしていて美味い。
この3品のバランスが最高に良かった。


茶碗が空く度におじさんが勝手に注文してくれて
赤ワインも白ワインも様々な種類を堪能した。
とても優雅な時間を過ごしていたのだが、
終盤になっておじさんが財布を見て顔色を変えた。
どうやらお金が足りない様子だったので、
私のポケットに入っていたコインを出したら、
それで何とか事足りたようで一安心した。
こんなに贅沢に本場の美味しいものを食したのに
お会計は驚くほど安かった。

おじさんが別れ際に「面白いものを見せてあげるよ」と言って、
ジャケットの内ポケットから何かを取り出した。
それは警察手帳で「これから仕事なんだよ」と耳打ちされた。
こんな赤ら顔で仕事に行けるんだからすごい。


ポルトは大都会だけれど、なんだか下町のような
懐かしさや安らぎを感じさせる。
細い路地や古いアパート、川に浮かぶ小さな船、
どこを眺めても心を掴まれる。


たった数時間でポルトに魅了され、ここに留まろうかとも思ったが
先程のバーで心が満たされ、発つことにした。
夜のバスで再びスペインへ入国する。

text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

モンサントの太陽

宿に泊まっている時くらいはゆっくり休めばいいものだが、
いつも私は日の出と共に目を覚ましてしまう。
特に初めて訪れた村での朝は少しでも早く外に出たくて
のんびり眠ってなどいられない。


この日も朝の静けさのなかを2人で歩き始めた。
小さな村の朝の風景はとても清々しい。
おばあちゃんが花に水をやったり、洗濯物を干したり、
おじいちゃんが朝食のパンを買いに行ったりしていて
都会の朝の時間の流れとはどこか違う長閑さがある。


まだ開いたばかりのカフェを見つけて迷わずガラオンを頼む。
ガラオンとはエスプレッソにホットミルクを半分混ぜたものなのだが、
カップではなく、グラスに注がれて出てくる。
ポルトガルのコーヒーは種類がたくさんあって面白い。
コーヒー豆やミルクのほんの少しの量の違いで名前が異なる。
私はガラオンが気に入ってこれをよく飲んでいた。

店には続々とおじさんが入っては出て行く。
みんな毎朝決まってそうしているようにマスターに一言二言声を掛け、
カウンターで注文したコーヒーをその場で立ったまま一気に飲み干す。
そんな村人の日常を見ながら心地良い時間を過ごす。


村のシンボルとなっている風見鶏のついた塔へ向かう。
この雄鶏は70年以上も前に”最もポルトガルらしい村”
に選ばれた証なのだそう。
今もその雰囲気は損なわれていない。
岩がちな地形に工夫を凝らした家々が建ち並ぶ美しい村だ。


昨日の豚のところへ行ってみるが、
まだ小屋で寝ていたので、その先を進む。
畑仕事から帰ってきたおじさんたちとすれ違うと、
「城塞には行ったのかい?」と訊かれた。
この村の城塞はかなり高いところにあるので、その姿がよく見えない。
「まだなら行きなさい。この坂をまっすぐだよ」と教えてくれた。
特別な景色が見れそうな気がして、足取り軽く坂を登った。


丘の上を目指して気軽に歩き始めたが、
巨石の間をくぐり抜けたり、枯れ草をかき分けて進み、
やっとのことで城塞に辿り着いた。
振り返ると、村の家々は遠く下方に小さく見えた。

大きな石をきっちりと積み重ねて造られた強固な城塞は、
朽ちてこそいるが、その巨大で立派な全貌が容易に想像できる。
村ひとつ分くらいすっぽり収まりそうな壮大さ。


寝返りを打ったら遥か下に転げ落ちてしまいそうな
城塞のてっぺんの積み石の上に横になる。
空には眩しすぎるほどに光を放つ太陽と、
綿飴のような白い雲が気持ち良さそうに浮かんでいる。
余計なものは何ひとつ無く、空を独り占めしている気分だ。

人けのない広大な城塞は、”天空の城”という言葉が
浮かぶほどに神秘的な空間だった。
おじさんが勧めるのも頷ける。


結局、一日中空を眺めていて日が暮れてしまった。
この村の空は特別な魅力があるような気がする。
そのうえ、朝陽と夕陽がとてつもなく美しいのだ。
燃えるような濃い茜色をいつまでも見ていたいと思った。

やっと小屋から出てきた豚と夕陽を見ていると、
すぐに村を離れる気にはなれなかった。
あれほど眩しかった太陽がゆっくりと姿を消した。


text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

モンサントの夕陽

トマールから列車に揺られてカステロ・ブランコという町に着いた。
そしてタイミングよくバスが来て、モンサントという小さな村へ向かった。
バスは1日2便しかないので、もしこのバスに乗り遅れていたら
翌朝の便まで待たなければならない。
村から町へ行くのであれば、まだヒッチハイクできる可能性があるけれど、
町から村へ行くのは、夕方ともなると車がつかまる確立はほとんどない。

村へ着いたのは7時過ぎだったが、まだ太陽は穏やかに照っていた。
村は丘の上にあり、遥か向こうの地平線が遮るものなく綺麗に見渡せる。
丘の上というよりは、岩の上といった方が正しいかもしれない。
石畳の道に建ち並ぶ石造りの家々はとても個性的で、
巨石をそのまま壁に用いた家や巨石と巨石の隙間に造られた家もある。


村を歩き始めてすぐに売店のおばちゃんに声を掛けられた。
「今夜泊まるところはあるの?」
私たちは野宿するつもりだったのでそう返事をすると、
夜は寒くなるからと心配してくれて、
「私についてきて」と言って颯爽と歩き始めた。


扉が4つ並んだ変わった造りの家の前に着いた。
まるで不思議の国の入り口のようだった。
その中のひとつの扉を開けると、
気の良さそうなおばあちゃんが2人出てきた。
どことなく似ているので、姉妹なのだと思う。
優しい笑顔を向けてくれる上品なおばあちゃんたちは
全ての部屋を隅々まで案内してくれた。
年季が入っているけれど、よく手入れのされた小綺麗な部屋はどれも清潔で、
整えられた寝具やどっしりとした調度品からは良家の雰囲気が漂っている。


部屋を見せてもらって、とても泊まることができなさそうな気がしたが、
一応、宿代を尋ねてみた。おばあちゃんたちは小さな声で相談をしている。
思っていたよりも良心的な値段が聞こえたので、泊まることにした。
けれど、財布を開くと宿代には足りなかった。
「やっぱり今夜は外で寝ます」と言うと、
財布を開いた手を握り、部屋の鍵を渡してくれた。
申し訳なくて、慌ててありったけの持ち金を払うと、
「これは食事に使いなさい」と微笑んで返されてしまった。

おばあちゃんたちは別の家で生活しているようで、
この素敵な一軒家は貸し切りとなった。
村の住人になったような心持ちで、いくつもの窓を大きく開いた。


日が傾き始めた頃、宿を出て丘の上へと登って行く。
大きな丘のてっぺんにあるこの村には坂道しかない。
平坦な道がないので、歩くごとに村の表情が変わって見える。

ごつごつとした岩の先を進んで行くと妙な物音がした。
崩れかけた石の塀のなかを覗くと、そこには1匹の豚が佇んでいた。
牛のような黒い模様をもつ豚は、人懐こく近寄ってきてこっちを見ている。
人けのないところでたった1匹でいるので、
魔女の呪いで豚に姿を変えられた人間のようだった。


豚と一緒に地平線に日が沈むのをじっと眺めていた。
きっとこの豚は、自分の小屋に満足しているに違いない。
それほどに、村を真っ赤に染めながら落ちていく夕陽は美しかった。


text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

トマールの朝

誰かに肩を軽くたたかれて起きた。
昨夜の強いお酒がまだ少し体に残っているような、けだるい朝。
起こしてくれた人物は、昨夜一緒に飲み歩いたカルロスの友人。
はっとして辺りを見回すと、やはり例の豪邸のリビングにいて
隣では夫がまだ寝息をたてていた。

彼が町の中心まで車で送ってくれるというので、
重い体を起こし、急いで車に乗り込んだ。
よく晴れた眩しい朝の風景に、ようやくぱっちりと目が覚めた。
カルロスの家と中心街までは思ったよりも離れていた。

町は4年に1度の祭りのために隅々までおめかしをしている。
通りという通りは薄紙で出来た色とりどりの花で彩られて、
家も店も教会もどこもかしこも美しく飾り立てられている。



そのセンスの良さといったら1歩進むごとにため息が漏れるほど。
造花といっても単調なものではなくて、実に様々な花が作られている。
小花や大輪、なかには人間の背丈以上もある巨大な花もあった。
薄紙で出来た動物や人物なども工夫を凝らした作りでとても面白い。
色のバランスも美しくてうっとりと見とれてしまう。
じっくり見て進むと細く短い路地を通り終えるのに優に1時間はかかる。
いつまでも続いてほしい夢のような通り。



この町にはポルトガル最大規模の修道院が丘の上に聳えている。
町のどこにいてもその姿が視界に入り、気になっていた。
次の町へ行く手段がようやく決まったので、
列車に乗るまでの短い時間でその修道院へ行くことにした。

時間が無いなか、急いでいくつもの階段と急な坂道を登る。
夫は昨夜カルロスに連れられて散々お酒を飲んだので
息を切らしふらふらになっていた。
自分はここで休んでいるから先を急いでと言うので
一人で修道院を目指すことになった。


辿り着いたのは、独特な建築様式が美しい迫力のある修道院。
300年に渡り増改築が繰り返されたので、棟ごとに雰囲気が異なる。
特に入り口の複雑な装飾が目を引く。
新たに修復された真新しい象牙色のレリーフの上には、
年季の入った苔むして角が丸くなっている彫刻が残っていた。
教会によく見られる魔除けの石像ガーゴイルが身を乗り出した姿で
町を見下ろしていたのが印象的だった。


急いで坂道を下ると夫は坂の中腹で地面に横になっていた。
顔を帽子で覆って手を胸の上で組んでいる。
揺すり起こすと、ぐったりしてまだ気分が悪そうだった。
「ここで寝ていたら、さっき遠足に来ていた子供たちに
どこかで摘んだ枯れ草で顔をつつかれたよ。
起き上がると『生きてるー!』って走って逃げていった」
困ったように笑ってそう話した。

町の中心に戻ると教会前がやけに賑やかだった。
今日も何か催し物があるらしい。
正装した人々が、昨日ほどではないが小さな列を成していた。
花飾りをつけた牛を先頭に鼓笛隊の音楽で行進が始まった。
ちょうど駅へ行く方向だったので、
一緒に並んで最後のパレードを満喫した。


2両しかない小さな列車に乗って、
華やかな町が遠のいていくのを、名残惜しさと満ち足りた気持ちが
混ざり合ったような心地良い心情で見つめていた。
4年後か8年後か…いつかまたこの夢のような祭りに出掛けたい。


text by : yuki
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

トマールの夜

冷めることのない祭りの感動を抱きつつ
町の中心に戻り食事のできるところを探すが、どこも満員。
皆祭りの余韻に酔いしれて賑やかだ。
もう閉店の時間らしく店員には断られたが、
奥でビール瓶を上げ、手招きしている人の姿が見えた。
両手を大きく広げ、必死に私たちのことを呼んでいる。
彼らは席を空けてくれ、「さ、ここに座って!」と強引に引き寄せた。
この町に住む中国人とブラジル人とその友達のインド人だった。
小さなレストランは一気に多国籍な雰囲気になった。

中国人のシュウは日本人のおばあさんをもつ。
日本語はほとんど話せないが、名古屋生まれだそう。
数年前から仕事のためこの地に移り住んでいるらしい。
そのビジネスパートナーがブラジル人のカルロスだ。
二人は仲が良く、お揃いの帽子を被っている。
ビールをご馳走になってすぐに「次の店に行こう!」と誘われた。
「本物のファドを聴かせるよ」と意気込んで私たちの手を引いた。


すぐ近くの広いテラスのあるバーで
「いいものを飲ませるよ」とカルロスは全員分の飲み物を頼んだ。
ずいぶん時間がかかって運ばれてきたのはカイピリーニャだった。
スピリッツとライムを合わせたカクテルで、度数は強いが爽やかな美味しさ。
カルロスは「俺の故郷の酒だよ」と自慢げだ。
ほどなくして同じくブラジル人の青年がギターを抱えてやってきた。
「あのファドを皆に聴かせてやってくれ」とカルロスがリクエストすると、
ギターを持つ青年の手はしなやかに動き、のびやかで若々しい歌声が響いた。
陽気な歌、哀愁のある歌、様々な歌を披露してくれた。
久しぶりに聴く人の歌声は心に響くものがあった。


空腹にカイピリーニャの酔いがまわり、ふらふらになっていると、
「ところでどこに泊まるの?」と聞かれた。
「外で」と答えると冗談だと思われ、「道で」と答えるとすごく心配された。
テントも寝袋も持たない私たちの野宿は、たしかに信じられない行為だろう。
「心配しなくていい、家に来たらいいよ」とカルロスは温かな目で言ってくれた。
それからの記憶は途切れ途切れで、もはやまっすぐに歩けない状態だった。
それでも印象に残っているのは、プール付きの大豪邸の広いリビングにある
ベッドのように大きなソファと、そっとブランケットを掛けてくれた手。

たった数時間前に知り合った人々と親密な時間を過ごせるのは
旅をしているからこそできることだと思う。
相手を間違えたら危険にさらされることもあるだろうけれど、
それよりも人との出会いを大切にしたいと思う気持ちが強い。
警戒心で素晴らしい出会いを無駄にしてしまうのはもったいないとさえ思う。
一年間旅を続けていて全く危険な目に遭わなかったのは
「奇跡に近い」と後に安宿で出会った青年に言われたが、
振り返ってみると確かにそう感じる。

text by : yuki
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

トマールの祭り

バスの時刻になり、ようやくトマールへと出発することができた。
直線距離ではさほど遠くないのに、思った以上に時間がかかって
祭りに間に合うかヒヤヒヤしっぱなしだった。
ほとんど車の往来がない道にも関わらず、対向からの大きなバスとすれ違う度に
もう祭りは終わってしまったんじゃないかと落胆し、
それでもまだ希望を持って期待し、緊張は最高潮に達していた。
この時すでに夜の8時。手のひらには変な汗がにじんでいた。
いつもならのんびりと景色を見て移動しているのに、
こんなに気忙しく焦ってバスに乗っていたのは後にも先にもこの時だけだ。

山道を抜け、急斜面を下ると渋滞のためバスが止まった。
今にも身悶えしそうに、早く進んでほしいと願っていると、
大きなフロントガラスに人だかりが映っていた。
その先にはたくさんの花のようなものがゆらゆら揺れていた。
思わずバスの扉を開けてもらって飛び出し、人だかりへと走った。


そこには白い清楚なワンピースに身を包んだ女性たちが
タキシードを着たパートナーを携えて、
頭に大きなお盆を乗せ、その上に本物の丸パンや
紙で出来た色とりどりの花を乗せ目の前を横切っていった。
これが焦がれていたタブレイロス祭りだ。


祭りは終盤のようで、最後尾の女性が進むと
大きな拍手と共に人だかりは泡の様に消えた。
私たちは行列を追ってパレードの最終地点まで見守った。
そこで彼女たちはようやく30キロもある重たいお盆を頭から下し、
パレードにずっと付き添っていたパートナーと抱き合い、微笑み合った。
小さな空き地には驚くほどたくさんの人がいて、
皆満足そうなやりきった表情をしていた。


祭りの興奮が覚めやらない私を尻目に、撤収は手早く行われていた。
あっという間にお盆はトラックに乗せられ、人々も次々に乗り込み
人で溢れかえっていた空き地は閑散とした。
トラックはクラクションを鳴らし、人々は誰にともなく手を振った。
その満たされた表情はとても清々しかった。


祭りの一端を見ることができて本当に良かった。
もともと祭り事は好きだけれど、こんなにも気持ちが昂るのには訳があった。
この祭りは4年に1度しかない、とても貴重な祭りだから。
それも、町の女性が総動員して、一同白い衣装を身につけて
頭にレースで飾られたお盆を乗せて町を練り歩くという
奇妙な内容にずっと心を惹かれていたのだ。
そのお盆の上には、私の大好きなパンと花が飾られるというのだから、
これを見逃す訳にはいかないと以前から意気込んでいた。
なんとかそれが叶えられてとても幸福感に満たされた。
きっと一日がかりの祭りを終えて、大きな安堵と心地よい疲労をたたえた
主役の女性たちと、同じような気持ちだったと思う。


text by : yuki
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

ナザレの風景

トマールという町まで行こうと早起きをして
バスターミナルへ行くが、夕方の便しかないと言われる。
ポルトガルでは親切な人が多く、ここまで助けられてきたので、
この日もヒッチハイクがうまくつかまると過信していた。

しかし、炎天下のもと何時間粘っても車は一向に止まってくれない。
目的地のトマールでは祭りがあるというのに、
焦る気持ちとは裏腹に車はスピードを上げて走り去って行く。
落胆している時に、対向車線からクラクションが聞こえた。
開いた窓からは見覚えのある顔と立てられた親指。
そう、ナザレまで乗せてくれたあの二組の家族だった。
窓から身を乗り出して「Good luck!」と叫び、
手を振る皆の笑顔が一瞬見えただけで嬉しかった。
元気をもらってヒッチハイクを続けたが、結局つかまらなかった。

気持ちを切り替えて、町を散策することにした。
バスターミナルからほど近い市場は、お昼の買い物客で賑わっていた。
ミニスカートの民族衣装を着たおばあちゃんたちが
買い物をしている姿は微笑ましい。
広い屋内市場には青果やパンや伝統菓子の店はもちろんのこと、
港町らしく魚市場もあった。どれも新鮮で美味しそうだ。


日曜日は博物館が無料なので足を伸ばしてみることにした。
ナザレの民俗博物館はとても小さな博物館だけれど、
庭に無造作に置かれていたボロボロの古い船が素敵だった。
二人座るのがやっとの小さな船。いかにも手作りという感じ。
昔はこれに乗って漁に出ていたのだろう。
こんなに小さな船で荒波を乗り切っていたのだろうか。


一番惹かれたのは太鼓のような形をした漁師の道具箱。
側面には魚の絵、蓋には”聖母マリアの奇跡”が描かれている。
ナザレの町に巡礼者が訪れるようになったのは、こんな伝説があるからだ。
濃霧の朝、狩りをしていた城主が鹿を追いかけて岬の端まで行くと、
鹿は海に転落してしまい、馬も前足を深海に踏み入れようとしていたが、
聖母マリアが現れて馬は奇跡的に後戻りをして城主は助かったというもの。
後に彼が感謝の意を表してその場所に礼拝堂を建てた。
この町ではその伝説の絵を様々なところで目にする。


博物館を見終えてすぐに向かったのは、先述の奇跡が起こった場所だ。
城主が断崖絶壁に建てた小さな小さな礼拝堂。
祭壇の脇には階段があり、さらに下へと降りることができる。
一畳もないほどの空間に、マリア像が祭られ、小窓が設けられていた。
巡礼者は体を擦り合わせながらその狭い空間で祈りを捧げていた。
天井に伝説が描かれた、アズレージョで覆われた青く小さな空間には
何か強い厳かなものが宿っているような気がする。
奇跡が信じられるような、そんな教会。


ヒッチハイクがつかまらなかったおかげで
ナザレの町をじっくり見てまわることができた。
バカンス客で賑わう海岸から一歩離れると、
細い路地には洗濯物が連なり、市場には魚の干物が売られていて、
カゴを下げたエプロン姿のおばあちゃんが買い物をしている。
馴染みのある風景にほっと心が和んだ。


text by : yuki
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

ナザレのエプロン

ナザレの明るい夕方。
日が傾き始めても人々は海と戯れている。
私もつられて勢いよく海に飛び込んだが、
思ったよりも水温が低くて固まってしまった。
よく見ると、海水浴をしている人はごくわずかで、
ほとんどの人は浜辺に寝そべり日光浴をしている。
白い砂浜に寝そべると柔らかくて温かかった。
そのまま長い間、波の音を聞いて過ごした。


高台から日暮れを見ようと、崖上のシティオ地区までの長い階段を登る。
最後の一段を登りきると、目の前にミニスカートを履いた
体格の良いおばちゃんが腰に手を当てて仁王立ちしていた。
おばちゃんは様々な種類のナッツやドライフルーツを売っている。
小さな露店の大きなパラソルの下でおばちゃんは
突然腰を振って歌いだし、片手でナッツを勧めてきた。
おばちゃんの風貌とミニスカートがミスマッチで心くすぐられた。
しかも、ミニスカートの上に付けたエプロンのは自作とのこと。
色とりどりにペイントされた花模様が可愛らしかった。


広場に出るとナッツ売りのおばちゃんがあちこちにいた。
エプロンが気になって近づき、ついついナッツを買ってしまうと、
向かいのおばちゃんからも声を掛けられてまたナッツを勧められる
というのが一通り続いた。なかなか先へ進めない。

興味を引かれたエプロン、これはナザレの伝統衣装なのだ。
かつて既婚の女性は7枚重ねのスカートを履くのがしきたりで、
さらに昔ながらの着こなしのケープやスカーフを身に付けて
サンダルを履いているおばあちゃんも多い。
なぜ7枚なのかというと、1週間の漁に出た夫の帰りを待つ妻が
無事を願って7枚のスカートを身に付けて、日ごとに脱いでいくという。
スカートが最後の1枚になった時、夫が漁から戻ることを信じて。
そのスカートの上に必ず付けるのがこの短いエプロン。


いつの間にか海岸から人々が去っていた。
無数に立てられた縞模様のテントの背後に夕陽が最後の力を振り絞っていた。
ペスカドーレス地区に戻ると、魚を焼くいい匂いが立ち込めていた。
庶民的な小さな食堂に入り、久しぶりに魚を食べた。
こんがり香ばしい炭焼きイワシとブイヤベースは涙が出るほど美味しかった。
今夜は宿もあるし、浮かれて白ワインを2本も開けて幸せな夜だった。


text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

ナザレまでの道程

オビドスの旧市街を後にし、港町のナザレに向かおうと
バスターミナルへ行くが、次のバスは数時間後だった。
ヒッチハイクを試そうと町中から幹線道路に出て
車の砂埃に参りながらとぼとぼ歩いていた。

しばらくして、2台のジープの前で談笑している2組の家族の姿が見えた。
「ナザレはこっちの方向ですか?」と尋ねると、
「そうだよ」と愛想の良い返事が返ってきた。
「まさか歩いていくんじゃないよね?」と聞かれたので、
「ヒッチハイクで行こうと思って」と答えて歩き出した。


見通しの良いところでヒッチハイクを始めてすぐにクラクションが聞こえた。
音の主は先程のジープで、皆が手招きをしている。
「これから僕たちもナザレに行く事にしたよ」
と軽快に言うと、旦那さんは親指を立てた。
驚いている私たちを見て明るい奥さんは陽気に笑い、
目のくりくりした可愛い娘さんを紹介してくれた。
もう1組の家族とも握手を交わし、挨拶をした。

荷物を入れるのにトランクを開けると、
思い出したように「お腹空いてない?」と聞かれた。
朝からたいしたものを食べていなかったので
お腹を押さえて「空いてる!」と即答した。
トランクの中に入っていた大きな箱にはサンドイッチに
ポルトガルの伝統菓子、ナタというエッグタルトや
カップケーキが溢れんばかりに詰まっていた。
両手を広げ「好きなだけどうぞ」と言われたけれど
少し遠慮して、それでも両手いっぱいに貰う。
夫婦は「もっともっと」と言ってさらにその上に乗せてくれた。
ふさがった両手で不器用に車に乗り込み、ジープはナザレへと走り出した。


2組の夫婦は仕事中だそうで、とてもそんな風には見えなかったが
助手席に座る奥さんが、たまに標識や悪路を熱心に紙に書き込んでいた。
どうやらジープに乗って道路状況を確認するチームのようだ。
仕事先を自由に変えられるなんて羨ましい。

2台のジープはことあるごとに無線のやりとりをしていて、
「2人の出身は?どうぞ」   「日本です。どうぞ」
「年はいくつ?どうぞ」    「29才です。どうぞ」
「ポルトガルは好き?どうぞ」 「好きだそうです。どうぞ」
などと私たちに無線で質問がきて、それを笑いながら伝言している。
美味しいサンドイッチとお菓子を頬張りながら、
質問に答えているうちに、あっという間にナザレ市内に入っていた。


近道なのか、絶景を見せてくれるためか、泥が乾いて凹凸の激しい道を
ジープが大揺れに揺れながらぐんぐん登っていくと
突如、緑がかった青色の海が崖の下に現れた。
目の前に海が広がったところで車は止まった。
降りると久しぶりに潮の香りがした。
海岸の町で育った私は、潮の香りがするだけで妙に落ち着く。


夫婦に心ばかりのお礼を差し出したが、頑なに受け取らず、
それどころか、さらにサンドイッチやお菓子を袋に詰めてくれた。
良くしてもらい過ぎて返って決まりが悪く、
コーヒーをご馳走すると意気込んでカフェに入り皆で一服した。
程なくして2台のジープは走り去り、温かい気持ちが残った。
親切さも陽気さも持ち合わせた仲睦まじい家族との交流は、
単に移動するだけの1時間とは全く違ったものになった。


海岸沿いで熱心に宿の客引きをしている
おばちゃんたちには少し辟易してしまい、
消極的に佇むおばあちゃんに頼むことにした。
おばあちゃんはゆっくり立ち上がって、
ペスカドーレスと呼ばれる昔の漁師の住居地区に入り、
ロープに掛かった洗濯物がはためく細い路地で立ち止まって鍵を開けた。
海から徒歩2分の好立地だった。
室内も青いタイルで彩られていて美しく、申し分ない宿。
身軽になった私たちはナザレの漁師の気分で海へ出かけた。

text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |

オビドスの城壁

夜のバスでリスボンからオビドスへ向かった。
オビドスに着くと、旧市街の細い道に出店が並びとても賑わっていた。
どうやら祭りの期間だったらしく、遅くまで演劇をやっていたようだ。
ビロードのドレスや騎士の衣装に身を包んでいる人があちこちにいる。

小雨が降ってきたので、数日ぶりに宿を探す。
扉に小さく貼られた”プライベートルーム”
の文字を見つけては値段を聞いてまわった。
祭りの時期だからか、通常なのか、どこも高い。
結局、最初に尋ねた客室が1室だけの小さな宿に決めた。
宿主のおばあちゃんにお金を払おうとしたら、
払いきる前に「これで大丈夫よ」とまけてくれた。
きっと無銭旅行を悟ってくれたのだろう。


考えてみれば、野宿続きだったので、
ここが西ヨーロッパでの初めての宿だった。
ルーマニアの民家に泊めてもらっていると、
食事をして酒を飲んで延々と話をして、少しだけ寝る
というのが普通になってしまったので、
ただ眠るだけの部屋を提供されると、どうも物足りない感じがする。
部屋でゆっくりするよりも家主やその家族と交流を持つ方が性に合う。


翌朝は、どんよりとした曇り空だった。
高い城壁に囲まれた趣のある旧市街を散歩する。
昨夜はあんなに賑わっていたのに、町はしんと静まり返っている。
どこの家にも植物が植えられていて、花だけが美しく咲き誇っていた。


ふと後ろを振り返ると、いつの間にか妻の姿が消えていた。
私はいつも気の向くままに足早に歩いてしまうので、
突然足を止めて撮影に夢中になる妻とよくはぐれる。
連絡の手段は無いが、お互い慌てることはない。
きっとどこかで会えるだろうと思っている。

町の入り口にカフェがあったので、
ここで待っていればいつか前を通るだろうと思いコーヒーを頼む。
それが1時間待っても2時間待っても一向に姿が見えない。
私は待ちくたびれた挙げ句、隣のおじさんにつられてビールを飲み始める。


気分が良くなったところで店を出て、
大きな石の階段を登り城壁の上を歩いた。
空が近くに感じる。
日本で空を見上げることは少なかったが、
ルーマニアに住んでからは随分と空が好きになった。
いい場所を見つけるとそこに寝転がり何時間も過ごす。
ただじっと空を見上げるだけの贅沢な時間。


城壁から町を見下ろすと妻が歩いているのが見えた。
はぐれてからもう5時間が経っていた。
ようやく会って早々に「何か食べた?」と聞かれた私は
自分の顔が赤くないか気にしながら「少しだけ」と答えた。
妻はひどく空腹だったらしく急いで商店へ駆け込んだ。
ほとんどお金を持たずに別れてしまったので、水すら買えなかったらしい。
朝から1滴も口にしていなかった妻はようやく息を吹き返したようだった。
その時、重たい雨雲が去って急に晴天になった。


昼を過ぎてから町は再び活気を取り戻した。
剣と盾を持ち鎖帷子を着て馬に跨がった騎士や
ドレスを引きずる貴婦人たちの姿が目立つようになり、
鼓笛隊も登場して、やがて町中を練り歩くパレードが始まった。
旧市街の入り口から押し寄せて来る人たちに逆らうように私たちは町を出た。
行進曲が少しずつ遠ざかっていった。

text by : tetsuya
| ポルトガル旅日記 | comments(0) |
| 1/2PAGES | >>