サラエヴォのバラ

モスタルからの列車が運休となり、代替のバスに乗ってサラエヴォへ戻ってきた。
旧市街へ向かおうと歩いていたら背後から爆発音が聞こえた。
復興の進んだサラエヴォだが、市内には地雷や爆発物がまだ残っていて
依然注意が必要な状態なので、一瞬身を縮めたが、
背後の夜空には花火が打ち上がっていた。

サラエヴォを翌早朝には発つ予定だったので、宿に泊まるか迷っていた。
この時すでに深夜0時をまわっていた。
安宿があればと思い旧市街周辺を探し歩いていると、
ある宿で従業員2人が酒を呑み交わしていた。
「今日はチトーの誕生日だから祝杯をあげているんだ。
 さっきの花火を見ただろう?」と言い、
壁に貼られた大きなチトーのポスターを指差した。
ようやくそこで花火があがっていた理由が分かった。
国民が今でもチトーを尊敬し、崇拝していることが伺える。

その後も宿探しを続けたが、適当なところが見つからず、
先程のチトーのポスターが貼ってあった宿に戻ったが既に閉まっていた。
それならば、滞在時間も少ないので駅構内で待つのが得策かと思い
駅に向かったが、鍵が閉まっていて扉はぴくりとも動かない。
仕方なく駅に隣接する、とっくに営業の終わっている
カフェの椅子に座り夜が明けるのを待った。

日中あんなに暑かったのに、夜は冷たい風が容赦なく身体を冷やす。
寒さに耐えながら仮眠をとると、やがて空が白んできた。
ようやく駅の鍵が開けられると窓口へと駆け込んだ。
しかし、早朝の便は目的地へは行かないという。
仕方がないので昼の便を手配し、再び旧市街へと繰り出した。

夜の旧市街は静まり返り、チャルシャと呼ばれる古くからある職人街の
木の扉が見事に閉まっていて、それはそれで情緒があった。
この時間になると、どの店も揃って軒先に商品を並べ開店準備をしている。
チャルシャは、赤煉瓦の屋根を乗せた黒光りする古い木造の店が
碁盤の目のように何十軒と連なっている。
そのほとんどがオスマン朝文化の影響を受けた銅製品の店なのだが、
なかには喫茶店や食堂、骨董屋もあってそぞろ歩きが楽しい。
ここは400年続いたオスマン朝のオリエンタルな雰囲気が感じられる。
旧市街の中心にある職人街バシチャルシャ。

チャルシャの近くには青空市場がある。
ここは紛争時に迫撃砲が打ち込まれたところ。
軍事施設や政府関連施設が狙われるならまだ分かるけれど、
一般市民の生活の象徴である市場が打ち込まれたことに惨さを覚える。
市場の近くには赤いペンキが流し込まれた着弾痕が残っている。
これらは、紛争の悲惨さを人々に訴えるもので、
”サラエヴォのバラ”と呼ばれている。
この赤いペンキが視界に入るだけで、胸が詰まる。
市場近くだけでなく、町の至る所に”サラエヴォのバラ”がある。

悲しい過去をもつ市場は、そんなことを感じさせないほど
綺麗に整備され、活気に満ちている。
この時期はイチゴとチェリーがたくさん並ぶ。
味見を薦められて一粒口に含むと、甘酸っぱい瑞々しさが広がる。
そして、よく熟れた深紅の果物を見ていると
この市場が一瞬にしてこのような色に染められたのかと想像してしまった。
旅先では市場に行くのが楽しみのひとつになっているが、
こんなにも切ない気持ちになることはかつてなかった。
うずたかく積まれたモスタル産の真っ赤なイチゴ。

昼の列車に乗り、クロアチア、セルビアを通ってルーマニアへと帰る。
田舎町はどこも美しく牧歌的だけれど、よく見ると
砲弾の痕が生々しく残っている民家もある。
親しい隣人がある日突然”敵”になってしまうのだからいたたまれない。

かつては、異なる民族同士の結婚が普通であったため、
何代にもわたって様々な民族が混血している人も多いという。
チトーの時代にはユーゴスラヴィア人と名乗っていた人々は、
自分がどの民族に属しているのか改めて考えさせられただろう。
考える余裕もなく戦禍に巻き込まれた人も大勢いたはず。

多民族が入り交じった旧ユーゴスラヴィアを訪れると
アイデンティティーとは何かを問われている気がする。
そして、民族に境界線を引くことの難しさを考えさせられる。

text by : yuki
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橋を守る町モスタル

セルビアからボスニア・ヘルツェゴヴィナへの入国は
案外あっさりしたものだった。
国境の警備が厳しくなっているとの話を聞き、
何か問われたりするのだろうと構えていたので拍子抜けした。
にこやかな入国管理員が私たちを珍しがって喜び、
入国スタンプの押されたパスポートがすぐに返ってきた。

バスがサラエヴォに到着すると、
列車に乗り換えてモスタルという南部の町に向かった。
段々と濃い藍色に染まる空に包まれてのんびりと走る列車は
大きな湖の湖畔を走り、1時間遅れで町に到着した。
旧ユーゴスラヴィアの列車はよく遅れる。
乗客は気にする様子もなく、1時間遅れなんていい方だと言う。
確かに、私たちも列車の遅れなど気にしなくなってきている。

清々しく晴れた翌朝、その川の色に驚いた。
昨晩は暗くて分からなかったが、透き通った青緑色をしている。
切り立った岩場の間を流れる川はゆるやかに湾曲して町の真ん中を縫っている。
空や森を描いた水彩筆を洗った後の水のようだ。

このネレトヴァ川を境に、ムスリム人の住む区域と
クロアチア人の住む区域とに別れている。
今でもあまり互いの往来はないそうだが、
町はそんな緊張感を感じさせない明るい雰囲気に包まれている。
ほんの十数年前まで戦渦にまみれていたなんて今では想像できない。
こんなにも美しい町に暗い影が落ちていたなんて。
町にはモスクの尖塔が目立ち、オスマン朝の雰囲気が色濃く残っている。

この町のシンボルはアーチ状の橋。
紛争中は無惨にも破壊された橋だが、今は綺麗に修復されて
たくさんの旅行者がこの小さな橋を行き交っている。
冷たい川に足を浸して美しい半円を描くこの橋を見上げると、
その先に見える旧市街の古い建物が額にぴたりと収まっているかのようだ。
ちなみに、モスタルという地名は、”橋を守る人”という意味らしい。
一度は壊された橋だが、今では町の人々に守られている。
当時の建築技術の高さがうかがえる橋、スターリ・モスト。

橋の両岸はチャルシャと呼ばれる職人街のようになっていて、
様々な店が軒を連ねている。
織物屋や金物屋からは小気味良い職人の作業音が聞こえてくる。
専門店もたくさんあるが、なかでも多いのはやはりお土産屋だ。
川岸にオリエンタルな品々が並ぶ。

なかでも異彩を放っていたのは、白い服に身を包んだ白髪に白髭のおじいさん。
小さな店を持っているのだけれど、全く接客をする気がない。
お客が近づいてもギターをぽろんと鳴らすだけ。
おじいさんの店は他の土産物屋とは一線を画した変わった品がたくさんあった。
片方しかない革靴や描きかけの絵画、どこかで拾ってきたのでは……
と思うようなものもちらほら見える。

そんなめちゃくちゃに押し込んだ得体の知れない品が案外どれも素敵なのだ。
引っ張りだすと美しい模様の織り物や精巧な民芸品だったりする。
ここにはすごいお宝が眠っているんじゃないかとの思いも浮かんだが、
ひとつを取り出そうとすると全てがなだれ落ちてきそうで怖い。
でも、この店は眺めているだけで十分満足できてしまう不思議な店だ。
ギターを片手に小さく口ずさむ味わいのあるおじいさん。

こんなふうに臆せず自分の世界をさらけ出す店に憧れる。
自分の店を持っていても、緊張したり遠慮したりすることがある。
本当はどんなことをやってもいいはずなのに。
でも、それは白髪のおじいさんだから出来るのかもしれない。
店の棚から落ちてきた1枚の写真には、商品が綺麗に陳列された店と、
その前で微笑む若かりし頃の正装したおじいさんの姿があった。

様々な歴史を見てきたおじいさんが口ずさむ歌は哀愁がある。
町の様子が変わっても、何かを貫く、そんな年の重ね方をしたい。

text by : yuki
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