リヴィウの野外博物館

リヴィウでも野外博物館に足が向いた。
野外博物館というと、たいていは郊外の広大な敷地に
設けられていることが多いけれど、リヴィウは町中にある。
旧市街から少し外れた住宅街を縫う急な坂道を上りきると森が見えてくる。
そこが野外博物館のあるシェフチェンコの森。

入口を抜けるとすぐに古民家や教会が現れる。
ここはピロホヴォ村ほど広くない。それがかえって嬉しい。
見るものがたくさん控えていると思うとどうも落ち着かないもので、
急がなくてはとそわそわしてしまうので
これくらいの規模の方が性に合っているのだと思う。
教会は館内にありながら、地元の人々が利用している。

古民家は手入れがされていない家が多く、
傾いたままだったり壊れたままだったりするけれど、
熱心に修復している人々の姿が見受けられる。
薄いへぎ板を数人がかりで釘打ちして、屋根を葺き替えている家もあった。
その様子が何だか自宅を修理しているような感じで、
お茶を飲み、お菓子を食べながらのんびりと作業に当たっていた。

皆、家々に愛着を持っているのだろう。
室内を飾り付ける姿や、畑を耕す姿に愛情が感じられる。
ここは博物館ではなくて、本当の集落のように見えてくる。
掃除の合間に古民家の庭でのんびり日向ぼっこをするおばあさん。

ふと思ったのは、コンクリートで固められた家で暮らすのと、
木造の家で暮らすのとでは、気の持ちようが違うような気がする。
昔に比べて人々のつながりが希薄になっていることは、
家の環境が大きく影響しているのではないかと思う。
ルーマニアの地方を歩いていて、
「寄っていきなさい」「飲んでいきなさい」「食べていきなさい」と
家へ親切に招き入れてくれるのは古い民家の住人が多い。
そんな家々は、門も開けっ放しで、扉の鍵も閉めず、窓が開け放たれている。
家の密閉度と心の密閉度は何か関係があるのかもしれない。
段々に切り揃えられた藁葺き屋根。
立体的な彫刻が美しい回廊の柱。

中に入れる古民家は限られているけれど、
そこに飾られている生活道具は一見の価値がある。
わりと質素な部屋の中で、白地の皿に描かれた鮮やかな花模様の絵皿と
白地の布に施された多色の幾何学模様の飾り布が目を引く。
なかでも民族衣装が飾られている部屋が面白かった。
ウクライナは、刺繍を施したものが思ったよりも少なく、
織りで細かな模様を表現しているものが多かった。
単調ながら細やかで美しい幾何学模様は、ブラウスの袖に、エプロンの裾に、
枕カバーやカーテンの端にと、人の目につきやすい部分を特に美しく飾っている。
壁に花模様が描かれた部屋。これだけで室内がひときわ明るく見える。

一通り見終えて出入口まで戻って来た時、
行きに気付かなかった階段が目に入った。
そこを上ってみると朽ちかけた木造教会が
落ち葉の敷き詰められた高台にひっそりと建っていた。
窓硝子が赤かったので珍しいなと思い入口にまわりこんで驚いた。
教会内部が真っ赤に染まっていたのだ。
誰もいない静かな教会に、赤い窓を通り抜けた自然光が
奇妙な空間をつくり上げていた。
それは、中に入るのがためらわれるような異空間だった。
小さな窓から目一杯の光が降り注ぎ、教会内を赤く染め上げていた。

博物館を後にして向かったのは、通いつめた老舗のパブ。
ここで飽きもせずに毎日ボルシチをすすっていた。
ボルシチというとロシア料理と思われがちだけれど、
実はウクライナ発祥の伝統料理。
たっぷりとビーツを使ったボルシチは鮮やかな赤色をしている。
ふと、野外博物館で見た教会の色が頭をよぎる。
そして、ウクライナといえば濃い赤色の印象が残った。
そういえば、旅の最初に見たアコーディオン弾きも赤いコートを着ていた。

どこかでこの鮮やかでいて深い赤色、そうボルシチ色を見たら、
きっとウクライナの風景を思い出すことだろう。

text by : yuki
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市場の賑わう町リヴィウ

早朝に着いたリヴィウの町はすでに活気づいていた。
この町には市場がたくさんある。
これまで、小さな町には中心にひとつ。
大きな町には中心と町外れにふたつ。
そんな程度だったけれど、リヴィウはこぢんまりとした町なのに
至るところに市場がある。

市場に行けばその町の様子がよく分かる。
商店やスーパーマーケットよりも市場の雑多な雰囲気、
様々なものが入り交じった妙な匂いや売り子の掛け声が好きで
町に着いたら必ず寄るのが習慣になっている。

リヴィウの市場はどこもこぢんまりとしている。
そのぶん市場の周辺に立つ売り手がとても多い。
皆自分の家の庭で穫れた野菜や果物、お手製の焼菓子やピクルスを持って
市場に面した通りにずらりと立って道行く人に声を掛けている。
乾燥させたキノコを紐に吊るして売るおばさん。
魚を干物にして新聞紙の上に乗せて売るおじさん。

市場の場外を見てまわるだけでも結構な時間を費やすけれど、
屋内に入ると、もっと異様な光景が見られてすぐには出る事ができない。
八百屋、果物屋は他の国とさほど変わりはないが、
肉屋が多く、市場の半分を占めている。
その売り方が強烈なので、最初は驚いて後ずさりしてしまった。
足下だけ毛の残るウサギの肉や、頭だけがドンと置かれたブタの肉。
やはり、見慣れないものだけに抵抗があるけれど、
平然と売り買いする人々を見ていると、その方が自然なのだと思えてくる。
市場内でさばいた様々な種類の肉を台の上に並べて売る。
卵は卵だけを扱う卵屋で買う。

食品市だけでなく、古書市も毎日のように開かれていて、
様々な種類の本が石畳の広場に所狭しと並んでいる。
平日にも関わらず、読書家のおじさんたちで賑わっていた。
積まれた本の中からロシア民話の絵本を探し出すのが面白かった。
町の中心にある小さな広場で開催される古書市。

もうひとつ、毎日のように開かれているのが民芸品市。
ウクライナの刺繍、民族衣装、木工品、陶器などの露店が
大きな広場にひしめき合っている。
その中に骨董屋も混ざっていて、ウクライナの古物を手に取りながら
店主のうんちくを聞いて、一軒一軒覗き歩くのが楽しかった。
民芸品屋と骨董屋が軒を連ねている。

溢れ出すような活気のあるキエフとは違って
リヴィウはゆったりとした古都の雰囲気を持っている。
町もほどよい大きさで、いつまでも散歩をしていたい、そんなところだ。
あちこちにある様々な市を覗いて、地元の人と同じような一日を過ごせる町。
それは、良い町の一番大事な条件なのかもしれない。

text by : yuki
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ピロホヴォ村の野外博物館

東欧の国々には至るところに野外博物館がある。
そこには、古い民家や教会や学校が移築され、保存されている。
地方の村々で実際にそういった風景を見ることができたら一番良いのだけれど、
それが叶うところは少ない。
田舎に行っても見ることのできない百年以上も前の民家が
草原のなかに寄り合う姿は桃源郷のようで美しく、
各国の野外博物館に行くのが楽しみとなっている。

多くの人が行き交う大都会のキエフに何ともいえない疲労感を覚えて、
小さなバスに乗り込みピロホヴォ村にある野外博物館へと向かった。
この博物館の特徴は、集落が地域別に分けられていること。
広いウクライナの各地方の伝統を比べ見ることができる。
広大な敷地内に100棟以上もの伝統建築が保存されている。

風車の建ち並ぶ丘を下ると、茅葺き屋根の家や納屋、
家畜小屋や貯蔵庫が素朴な姿で建っていた。
その古民家の前では、立派な髭を蓄えたおじいさんが打弦楽器を弾いていた。
ツィンバロンと呼ばれる琴のような楽器。
張り巡らされた弦を、小さな木のバチで軽く弾くと透き通った音が響く。
それに合わせておじいさんは伸びやかな歌声を披露していた。
東欧各地で見られるツィンバロンは、古くにジプシーが取り入れた楽器らしい。
優れた技術よりも感覚で魅せるような、そんな楽器のように思える。
鉄琴のような広がりのある高い音色が響く。

古民家の中は当時の生活様式が再現されていて、
家具や食器、織物や民族衣装が飾られている。
展示されている生活道具はどれも似たようなものだけれど、
部屋の中の雰囲気は地域によって全く違う。
鮮やかな色彩の織物が隙間無く壁に掛けられた家もあれば、
漆喰の壁に淡い色で独特の模様が描かれている家もある。
それぞれに特徴があって、家々を覗いて回るのが楽しい。
イースターや伝統行事の際に作られる飾りパンが机の上に乗っていた。

家々はどれも窓の周辺に可愛らしい装飾が施されている。
鳥や花や木の実の模様が描かれた窓は家の印象を強めている。
こんなに可愛らしい窓から民族衣装を着たおばあさんが顔を覗かせたら
どんなにか素敵だろうと想像する。
現代の家は、こういった装飾感覚に乏しいと思う。
難しい技術が必要という訳ではないはずなのに、
どうしてこのような素敵な家が少なくなってしまったのだろう。
窓の上に描かれた花模様。ウクライナらしい重たい色の組み合わせが絶妙。

いくつかの家の中に入って気付くのは、
部屋の中にふんだんに植物が飾られていること。
花瓶にというよりは、棚の上や梁の上や壁にたくさんぶら下がっている。
それは生花とは限らず、ドライフラワーであったり、ハーブであったり、
木の実であったり、トウモロコシやひょうたんであったりと様々。
生気を失ったドライフラワーを部屋に飾るのはどうも抵抗があったけれど、
こんなにたくさん飾ってあると、とても魅力的な空間に見える。

ハーブがあれば医者いらずという言葉が通ってしまうほど
薬草や天然の成分で不調や病気を補う暮らしを続ける田舎の人々にとっては、
部屋を飾るものというよりは、とても身近で重宝な薬なのかもしれない。
様々な種類の乾燥した花やハーブなどが部屋中に吊るされていた。

館内にはいくつもの教会があるけれど、
なかでも惹かれたのが一番最後に見た木造教会。
ほとんどが直線的な造りだったのに対して、
この教会は、塔の部分が玉ねぎ型になっていた。
薄いへぎ板を組み合わせてなめらかな丸いふくらみを持たせてある。
てっぺんに掲げられているのは、正教会の十字架。
雪の結晶のような細やかな鉄細工が施された十字架は青空にくっきりと映えていた。
木造のこっくりとした深い色合いの教会。
丸みのある屋根の形と凝った十字架が美しい。

広大な敷地内をくまなく回るのは難しい。
道はいくつもの方向に別れていて、どちらに進もうか迷う。
直感で道を選ぶが、いずれにしても素晴らしい古建築が出迎えてくれる。
こんなに美しい農村が今もどこかにあるのだろうかと気になった。

これまで、チェルノブイリ原子力発電所の事故で
地図上から消えた村があると耳にしても表面的にしか理解できなかった。
でも、この目の前に広がるのどかな風景が失われることを思うと、
重たい寂しさが心を占めた。

text by : yuki
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ウクライナの情景

日本での大地震の後、しばらく旅をする気になれなかった。
心地悪い胸騒ぎがずっと続いているような状態で、
以前のように心から楽しむことができないような気がしていた。

それでも、時間の経過と共に、だんだんと気持ちが落ち着いてきて、
ようやく旅に出る気力が少しずつ沸いてきた。
震災以前から次に行く国は決めていた。ルーマニアの隣国ウクライナだ。
ウクライナといえばすぐに頭に思い浮かぶのはチェルノブイリ。
福島で原子力発電所の問題が起こってから
日本の報道でも再びその名を耳にするようになった。

数年前、同時期に3冊の写真集を買った。
それは、チェルノブイリの原発事故で汚染された村の住人たちが被写体となった
「無限抱擁」「ナージャの村」「アレクセイと泉」である。
写真家であり監督の本橋成一さんの作品で、2作は映画化もされた。

そこには、ある日突然立ち入り禁止区域とされ、避難勧告の出された村から
離れることができず、戸惑い苦悩する村人の姿が映っていた。
それでも、村人はその地でたくましく生活を続け、希望を見いだしている。
実はこの片田舎の小さな村は、ウクライナではない。隣国のベラルーシだ。
国境付近に建つチェルノブイリ原発からおびただしい量の放射能が
風向きの影響でベラルーシの村を汚染していった。
それは、よりによって電力の恩恵をほとんど受けていない
時給自足で必要最低限の生活を送っている村である。

その写真集を見てからウクライナとベラルーシに興味を抱いていた。
ベラルーシはビザが必要なうえ自由旅行が難しいので先送りになり、
ウクライナへ行くことにしたが、田舎の村へ行きたいと思っても
広大な国ゆえ村の目星をつけるのが難かしい。
今回は列車の車窓からの風景をじっくり眺めようと思って旅立った。

大自然のなかにぽつりぽつりと見える集落を眺めていたキエフ行きの列車では、
両手いっぱいに自家製のパンやリンゴやお酒を抱えたその土地の村人が
停車駅ごとに乗り込んで来て、無言で乗客にそれを見せては車内で売り歩く。
こんなふうに列車に売り子が乗り込んで来たことはこれまでなかったので
面白そうな国だと期待が高まった。

キエフの町に着いて、その都会的な繁華街の様子に驚いた。
それまでの牧歌的な風景とは違って、大きな都市が広がっていた。
いつもの感覚で町を端から端まで歩いたら、翌日足が動かなくなった。
町には黄金の屋根を持つ大聖堂や修道院がいくつもあったが、
歩いても歩いても心惹かれるものは少なかった。

そういったきらびやかな建物よりも、その隙間に佇む人々が気になった。
駅前でアコーディオンを弾く仏頂面のおばさん。
たくさんの犬と共に座り込み道行く人に無心するおばあさん。
若者たちの華やかさとは対象に哀愁を感じさせる人々に目がいく。

チェルノブイリから100キロ以上離れたこの町を行き交う人々は
25年前の出来事をどのように感じているのだろう。

text by : yuki
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