空に浮いた修道院メテオラ

カランバカの村に着いたのは霧がかった夜だった。
宿を求めて急な坂道を上っていたら突然真っ黒く巨大な岩が
霧をたたえて坂道のその先に聳え立っていた。
あまりの大きさと暗さに不気味な印象を覚えた。

この村のさらに奥地メテオラには奇石や岩山がいくつもある。
伝説では怒ったゼウスが天界から岩を投げつけたといわれているが、
実際どうしてこのような自然現象が起こったのか解明されていない。
これらの奇石の上には修道院が建っている。
トルコのカッパドキアにも似ているけれど、違うのは
カッパドキアが奇石をくり抜いてその内部を使用していたのに対して
こちらは地上に建てるものと同じような造りの修道院を奇石の上に建てた。
理由はやはり同じく、人里離れた山奥でひたむきに信仰生活を送るためだ。
カストラキ村の民家の間には巨石が鎮座している。

雨音で目を覚まし、あいにくの天気に落胆したが、
歩いて修道院をまわることにした。
その前に、商店のないメテオラでは手に入れることのできない
食料を買いにパン屋へ立ち寄った。
カランバカは大きな町というわけでもないのにたくさんのパン屋がある。
というよりも、ギリシャにはパン屋がとても多い気がする。
路地にあったかわいらしいパン屋に入ると
小さな店に置ききれないほどに次々とパンが焼き上がっていた。
輪っかのパンはその名もクルーリと呼ばれる。

ひとつ気になるパンを見つけた。判子が押されたパンだ。
これは聖パンと呼ばれる、正教会のミサに使われる特別なパン。
以前マケドニアの市場でこの判子が売られているのを見かけた。
家庭でも手作りされるし、修道院でも作られる。
教会ではパンはキリストの体、ワインはキリストの血といわれ
特別なミサや宗教行事の際にふるまわれる。
美味しそうだったけれど、何だか神々しい感じがして買えなかった。
模様の美しいプロスフォラと呼ばれる聖パン。

雨具を着込んで雨に打たれながらメテオラへと歩き出した。
カランバカの村はずれに出ると、何もない道を歩き進む。
しばらくすると隣村のカストラキに入っていた。
人気のない静かな村に教会の鐘の音が響いていた。
村をまた過ぎて、再び何もない、誰もいない道を歩く。
唯一世の中と繋がっていると思えるのは『メテオラ』と書かれた標識だけ。

やっとのことでひとつ目の修道院の姿が見えたのは1時間半ほど歩いた後だった。
霧がかった空にぼんやりと佇んでいたのは、アギオス・ニコラオス修道院。
細長い岩の頂上に、建っているというよりも生えてきたような佇まい。
こんなに細い岩にどうやってこの大きさの修道院が建てられたのか
不思議でならない。当時の修道士の建築技術、いやそれ以前に
修行に懸ける想いは相当なものであったのだろうと思う。
こじんまりとしたアギオス・ニコラオス修道院。

まだまだ先の長い修道院巡りに再び士気を高めて歩き始めると
すぐに、小さな木の看板に『ヴァルラーム』という文字を見つけた。
見落としかねないヴァルラーム修道院への近道を見つけて喜んで進んだが
そこはとてつもなく険しい山道だった。
木の枝をかき分け、岩の上によじ登り、小川を飛び越えて
急な山道を息を切らしながら登った。
すぐ目前にある修道院になかなか辿り着けない。
まったく人気がないうえに、鬱蒼と茂った木々が心細さを募らせる。
本当にこの獣道が修道院に続く道なのだろうか。
不安が最高潮に達する直前にようやく入り口が見えてきた。
近道と思い込んでいたけれど、結局1時間以上も山登りをしていた。
穴が空き苔むした岩山に建つヴァルラーム修道院。

100年前までは修道院に続く道もなく、もちろん階段もなかった。
こうして険しい山道を登って下界との生活を断ち、
厳しい極限の共同生活を送っていたのだから驚愕する。
生活に必要な物資は紐でくくられた網袋で調達していたという。
いくつかの修道院で今も物資調達に使われた滑車が見られる。

ヴァルラーム修道院で次の目的地までの所要時間を聞くと
「15分で着くよ」と言われたので、その言葉を信じて
ひときわ高い山上に建つ修道院を目指し重い足を一歩ずつ進ませていた。
後ろからは大型バスが何台も列を成して追い越して行く。
遠い山の頂に見えた修道院へは本当に15分で着いた。
山道と幹線道路ではどうも距離と時間の均衡が違うようだ。
メテオラで最も大きいとされるメガロ・メテオロン修道院は、
たくさんの観光客で溢れていた。
入り口へと続く階段には人の列が続いていて先程の山道での静けさが嘘のよう。
一派が去るのを待って、ゆっくりと中を見学した。
メテオラで最初に建設されたメガロ・メテオロン修道院。
(棟のてっぺんに物資調達に使われた滑車が見られる)

ここは一部が博物館になっていた。
面白かったのは『OLD KITCHEN』という案内表示の掲げられた
古い調理器具や食器、水瓶や保存庫などが展示されている部屋。
中央には大きな釜があった。
当時はここで修道士たちの食事をまかなっていたのだろう。
今では見ることのない昔日本で使われていたものと
同じような調理道具が見られて感慨深かった。
ちゃぶ台や炊飯釜、漬け物壷に似たものがある。

修道士たちの遺骨が整然と積み上げられた部屋もあった。
これまでこれだけの数の骸骨を見る機会はそうそうなかったが、
ここまで整然としていると、案外気味が悪いと思わなかった。
修道士たちはこの俗世間と離れた安住の地で眠りにつけて幸せなのだろう。
それとも、ひょっとするとこうして大勢の人々が訪れることに
違和感を感じているかもしれない。

これまで嫌というほど登ってきた山道を今度は下っていく。
次に目指すのは下方に見えるルサヌー修道院だ。
下り道は足取りも軽く、ここを曲がればついに到着だ
というところで一台の車が止まった。
運転席から声を掛けられたので車内を覗くと、知った顔が見えた。
一番最初の修道院で出会ったアテネからの旅行者だ。
もう少し修道院巡りを続けたかったけれど、
復路は往路の数倍も歩かなければならないので気がかりだったし、
雨もひどくなっていたので、車に乗せてもらうことにした。

来た道を一気に下ってあっという間にカランバカの村に着いた。
あまりの呆気なさに少し寂しさを感じたけれど、
きっとあのペースで歩いていたら夜になってしまっただろう。
それでも、修道院巡りは車でまわるのではなくて
歩くことに面白みがあるような気がする。
修道士たちが希望または絶望を持って登って来たであろう山道に
ロマンが詰まっていると思う。
修道院に掛けてあった古いマントと帽子と鍵と杖。

朝寄ったパン屋はもうすでにほとんどのパンが売り切れていた。
店主のおじさんは店じまいで忙しそうだ。
結局カランバカの町は一日中霧に包まれていた。

text by : yuki
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おもちゃの衛兵のいる町アテネ

8時間の航海の後にアテネのピレウス港に到着した。
ヒオス島までの永遠に続くかと思われる長い航海を経験したからか、
その乗船時間はほんのひとときのように感じた。

白みはじめた港町はたくさんの船、車、人で溢れかえっていた。
ゆったりとした時間が流れていた島の空気をまだ纏っていたせいか、
この混沌ぶりにすぐには馴染めない。
大都会に身を紛れ込ませる気にはなれなくて、すぐに発とうと思ったが
その前にひとつだけ寄りたいところがあった。
ギリシャの民族衣装に身を包んだ兵が守衛する無名戦士の墓だ。
白いタイツに大きなボンボンのついた靴を履く衛兵の姿を見てみたかった。

誰も立ち止まることなく颯爽と通り過ぎて行く殺風景な白い一角。
そこが無名戦士の墓だった。
小さな衛兵小屋の脇に配置された二人の若い衛兵は
左手に堅く拳を握り、右手に銃を携えていた。
そして目線よりやや上の虚空をじっと睨みつけるように静止していた。

しばらくその様子を見ていたら、
後方から ザッ ザッ ザッ と足音が聞こえてきた。
足並みを揃えた3人の衛兵がこちらへやってくる。
慌てて道をあけると彼らは一直線に衛兵小屋へ向かった。
まるでゼンマイ仕掛けのブリキのおもちゃみたい。

先程までカチカチに固まって動かなかった衛兵たちは
魔法が解けたように同時に動き出して
新しくやってきた衛兵と交代の儀式を始めた。
腕を上げぴたりと止まり、足を上げぴたりと止まりながら
まるでスローモーションを見ているような動きで
一歩一歩とてつもなくゆっくりと歩き、持ち場を交代する。
左右にいる衛兵がお互いを見合っている訳でもないのに
全く同じ動きができるというのには驚かされる。
そして最後には靴のつま先、つまりボンボンを付け合わせていた。
堅物そうな衛兵がボンボンに意識を集中させている様は面白かった。

任務を終えた衛兵は再び足並みを揃えてどこかへ消えていった。
誰もいない広場での儀式。
人々は相変わらず忙しそうに往来していて、
衛兵の姿なんて全く見えていないようだ。
まるで真夜中におもちゃ箱をこっそり覗いてしまったようだった。
誰も見ていない真夜中にはきっとこの衛兵みたいに
おもちゃがひとりでに動き出しているに違いない。

text by : yuki
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遺跡の村カルダマール

早朝のバスで小さな村へ向かった。
目的地は定まっていなかったが、なんとなく北へと気が向いた。
どこか気になる村があれば途中下車してみようと思っていたが、
バスに揺られるがまま終点まで来てしまった。

降り立ったのは、マルマラという港町。
この日はあいにくの天気で重く黒い雨雲から小雨が降っていた。
少しでも港に近づこうものなら海から吹き付ける強風で雨が肌を刺し痛い。
逃げるようにして町を後にし、隣村まで歩くことにした。

カルダマール村に着く頃には雨も止み、雨雲がすごい早さで去ろうとしていた。
丘の上に広がる村を目指して上へ上へと登ると、昔の居住跡に迷い込んだ。
いや、もしかしたら城跡なのかもしれない。
丘のてっぺんに大きな石を積み上げて作られた廃墟がいくつもあり、
そのほとんどは半壊していて屋根がない。
でも、とても美しい光景。
大きな石を積み上げて出来た古い家。

赤茶色の屋根を乗せた石造りの家々を見下ろして
長い間その廃墟の瓦礫に腰掛けていた。
なだらかな丘の間に広がる風情ある村の風景は見飽きることがない。
雨空から晴天へ刻一刻と変化していく空模様もまた見飽きることがなかった。
ふと、鈴の音が聞こえて我に返ると、ヤギの群れが斜面を駆けていて
白と黒の体が草むらからぴょんぴょんと跳ねているのが見える。
その後ろにはごつごつとした岩山が聳えている。
起伏に富んだ立体的な村だ。
古民家の建ち並ぶカルダマール村の古い地区。

お腹を空かせて村の中心へとやってきたけれど、
数件しかない食堂はどこも閉まっていた。
この時間はシエスタを取っているようだ。
仕方なく村にひとつしかない商店へと向かった。
商店にあった、ビール瓶を花器にした無造作な生け花。

その時、向こうからひょこひょこと見慣れないシルエットが近づいてきた。
片方はおじさん、もう片方は背中にカゴを背負ったロバだった。
ギリシャの島ではロバは最も身近な動物として飼われている。
狭い路地や起伏の激しい山道のなか人を乗せて、荷物を乗せて、
荷車を引いてと小さな体で働き者のロバは村人の大切な相棒だ。
この日出会ったロバはオレンジとレモンをカゴいっぱいに入れて
おじさんと共に行商をしていた。
カゴをいくつも背負っておじさんの後をとぼとぼとついて行くロバ。

ヒオス島は、ギリシャの他の島々、特にキクラデス諸島のように
白い漆喰の家々が建ち並ぶ風景は見られない。
白亜の世界を求めて来ると落胆するかもしれないが、
変わりに石の世界に迷い込むことができる。
大小様々な石を見事に積み重ねて出来た建物がたくさんある。
今では苔むした石造りの家や城跡や風車は島の魅力を語るのに必要な要素だ。
ひとつひとつの石がこの村の来歴を物語っている。
複雑に入り組んだ石造りの村に迷い込むのが面白い。

カルダマール村を後にして乗ったバスは、海岸通りを南下する。
行きは薄暗くて気付かなかったけれど、このバスは何とも恐ろしい乗り物だった。
道が狭いうえに急斜面が多く、バスの運転手は何度もハンドルを切り返している。
その度に体が大きく左右に揺れたり、つんのめったりしていた。
時には坂道を後退していて、このまま落下するのではないかという場面もあった。
しかも、典型的な島の住宅は2階建てで、2階部分のベランダが張り出している。
バスの上部すれすれの高さになっていて、いつぶつかるかハラハラさせられる。
手に汗握ってようやく広い道に出ると、
慣れているはずの運転手の口からもため息が漏れた。
家から飛び出す人で頻繁に急ブレーキがかかる。

いつもの港町に戻る前に宿のおじさんに教えてもらった
風車を見に行くことにした。
町のはずれにある動かない4台の風車。
これが回っていた頃は村人はどんな暮らしをしていたのだろう。
灌漑や製粉に風力が使われていたのだろうか。
瑞々しい畑で小麦を作り、それを挽いて、手作りのパンをこしらえる。
それには風車が不可欠だったであろう。
隣人の声も聞き取れないほどの強風が吹くなか、
微動だにしない風車は寂しそうに佇んでいた。
波止場に建つ古い風車。

町へと歩いて帰る途中で一軒の家の前を通り過ぎて、思わず戻った。
家の前の小さな畑にじっと立っていたおじいさんの帽子が何だか妙だ。
柵越しに眺めていると、それに気付いたおじさんは
こちらにやってきて「日本人かい?」と聞いてきた。
そうだと答えると、同世代のおじさんたちと同じく、
船乗りをしていた若い頃、日本に行ったことがあると話しはじめた。

話を聞きながらも、気になるのは帽子。
「それは何で出来ているんですか?」と尋ねると
「段ボールさ」と言って脱ぎ、コツコツと軽く叩いて見せてくれた。
分厚い段ボールに灰色のペンキが塗ってある。
これはおじさんの手作りだそうだ。
なるほど、頭の形にぴったりと合っている。
お手製の段ボール帽子をかぶったおじさん。

町にはたくさんの衣料品店があり、帽子はいくらでもあるのに
この段ボール帽子を被り続けているところに信念を感じる。
とても格好良いおじさんだ。

島で出会ったおじさんたちは皆若々しく、さっぱりとした人柄だった。
いつも陽気で楽天的でくどいくらいに濃厚な人柄の
ルーマニアのおじさんたちと触れ合っているからだろうか、
その上品さが際立ち、勝手だが少し物足りなさも感じる。
それでも、忘れかけた片言の日本語で声を掛けてくれる皆の表情は
島国で育った私たちをほっとさせてくれるものがあった。

text by : yuki
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石造りの要塞村メスタ

ピルギー村の午後、太陽は空高く昇り暖かくなってきた。
同じクシスタ模様の家の前を何度も通り過ぎ
小さな村を何周もしていることに気付く。

昼過ぎに、ここからさらに西にあるメスタ村行きのバスに乗り込む。
若々しい緑の揺れる山道をバスが蛇行し、あっという間に村に到着した。
ピルギー村の不思議な模様の家々とは打って変わって
こちらはごつごつとした石造りの家々が連なっていた。
かつては強固な要塞村として機能していたのだろう。
村へと一歩足を踏み入れるとまるで迷路のようだ。
家と塀と階段と道とが一体化していてその区切りがない。
屋根の上にも道が続いていて、昔は逃げ道にもなっていたとか。
メスタ村は鄙びた古都の風情がある。

村の要所に水汲み場があって、
おばあちゃんが腰を曲げて大きな容器に水を汲んでいる。
よく見ると普通の蛇口ではなくて、
犬の顔をかたどった石像からちょろちょろと水が出ている。
これはそのまま飲めるのか聞くと「もちろんよ」と返事が返ってくる。
島の水は新鮮なのだろう。
日本の喫茶店みたいに、カフェニオンではコーヒーと共に水が出てくる。
これは他のヨーロッパ諸国ではあまりみられない。
おばあちゃんが狭い路地をゆっくりと歩く姿がいい。

村の端には、桜のような花が満開に咲いていた。
見慣れた薄桃色の花が咲き乱れているのを見て日本の春を感じていた。
思えば、実家でも、通学路でも、新しく居を構えた自宅でも
春になれば桜が目の前に堂々と咲き誇っていた。
わざわざどこかに出掛けなくても毎年自然と目にしていた。
桜の花に取分け思い入れを持っていないと思っていたけれど、
ここへ来て愛郷心のようなものが心底にあるのだと気付いた。

花に近づいてみると、茶色い小さな実がたくさんついていた。
見覚えのあるその堅い実を割ってみると、中からアーモンドが飛び出した。
これはアーモンドの木だったのだ。
ギリシャに売っているチョコレートの包み紙に
なぜ桜の絵が描かれているのだろうと不思議に思っていた。
あれはアーモンド入りのチョコレートだったのだ。
後で知ったのは、アーモンドは桜属の木だということ。
可憐な花と美味しいナッツを実らせるアーモンドの木。

花を眺めていると、初老のおじさんに声を掛けられた。
こちらが日本人だと分かると嬉しそうな、懐かしそうな表情をして
「こんにちは!こんばんは!さようなら!」
と日本語で立て続けに挨拶をした。
そして、堰を切ったように日本に船乗りとして行った話が続く。
40年くらい前に、横浜や神戸や佐世保の港町に、
東京や大阪へも行ったと昔を回顧して話し始める。
「あれから随分経つからもう日本語は忘れてしまったよ」
と笑うおじさんは、久しぶりに口にする日本語に嬉々としていた。
その後、この島で出会うおじさんの口からはよく同じ話が聞かれた。
ギリシャには日本に渡った船乗りが多かったようだ。
小柄で小麦色の肌をしたおじさんたちは、日本にとても好意的で、
それぞれに素敵な思い出を持っているようだ。

村を抜けるとその奥には山があり、
鮮やかな黄色い花の咲き乱れる美しい斜面にロバが佇んでいた。
一心不乱に草を食んでいたが、見慣れない顔を見つけ、じっとこちらを見ている。
長いロープにつながれたロバの寂しげな表情が、寒村の雰囲気を高めている。
ギリシャの島はロバのいる風景がよく似合う。

オリーブの木が生い茂る丘の麓にはヤギの親子もいた。
あどけない表情の2匹の子ヤギは、何をするにも一緒で、
寝ていたと思えば同時に立ち上がり、母親の元へとすり寄る。
垂れた耳と尖った小さな角が愛らしい。
ギリシャではヤギの乳から作るフェタチーズが有名だ。
塩味の強いこのチーズはギリシャ料理には欠かせない食材。
市場にもオリーブと並んでたくさんの種類が売られている。
子ヤギは放し飼いにされていてぴょんぴょんと跳ね回っていた。

村の真ん中にはきらびやかな装飾のなされた島で最も大きな教会があるけれど、
それよりも村のはずれにあった古びた教会に惹かれた。
石造りのこの教会は、所々にヒビが入り、欠落していたので
もしかしたら今は使われていないのかもしれない。
でも、この鄙びた感じがこの村には似合う。
面白いのは屋根の上に十字架が取り付けられているのではなくて
側面にうっすらと三つ葉の十字が描かれていたこと。
違う角度から見ると民家と見紛う素朴な教会。
村のはずれにある石造りの古い教会。

村の入り口に戻るとちょうど最終のバスが到着した。
島の唯一の公共交通手段のバスは便数が少ないうえに
早朝始発、夕方終発なのであまりぼんやりしていられない。
それでも、のんびりとゆったりとした島の時間に身を委ねていると
時間の流れがとてつもなくゆっくりに感じる。
時計を見ると、まだこれだけしか経っていないのかと驚くほどだ。

バスに乗り込むと、ピルギー村で出会った人の顔が見えた。
彼女たちは、数時間かけて歩いてひと山越えてこの村に来たという。
手には途中森で摘んだハーブを握っていて、それをお裾分けしてくれた。
葉をちぎってお湯に煎じてハーブティーとして飲むといいらしい。
これは鼻づまりや喉の痛み、不快感を解消してくれるという。
この島ではマスティハやハーブなど天然の産物で事足りるようだ。
医者や薬に頼らない生活はなんて自然で清らかなのだろうと思った。
ピルギー村とメスタ村の間に広がる大自然。

帰宅してからハーブを煮出してみるとうっすらと黄緑に色づいた。
すぅーっとする清涼感と爽やかな森の香りは、
ヒオス島の清々しい風を思い出す。

text by : yuki
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不思議な模様の村ピルギー

ギリシャ行きを決めたのは、以前見た東エーゲ海の島、
ヒオス島の写真が強く印象に残っていたから。
石壁を削って模様を浮かび上がらせた家々の前で
木の椅子に持たれかけた喪服を着たおばあちゃんの写真。
不思議な家と島の人々の表情に惹かれてギリシャ本土よりも
トルコに近いその島に興味を抱いていた。
ギリシャでは夫が亡くなると生涯喪服で過ごす女性が多い。

昨年末にトルコを旅した時、西の港町に寄ってヒオス島に渡ろうと思っていた。
が、船の運行がなく、目と鼻の先のこの島へ行くことができなかった。
そして今回、テッサロニキからその何倍もの時間をかけて行くことにした。

しかし、船は週に1回しか運行されていないという。
無事に乗船できるのか不安を抱えたまま駅から港へまっしぐらに向かった。
波止場は人気がなく真っ暗で、巨大な大型船がたくさん停泊していた。
その一角にあった管理室に駆け寄ると、こちらがまだ何も尋ねていないのに
「ヒオス島 行きは 4時発 です」
と管理人が英語のメモを見てつっかえながらも教えてくれた。
まさかすぐに乗れるとは思っていなかったのでその幸運にいたく感激した。
でも、その乗船時間は24時間。まる一日船の上だ。

ヒオス島に着いたのは午前3時だった。
暗闇の中に見えた島の明かりがなんて心強く喜ばしいものなのか。
船乗りはこの光にさぞ大きな安堵感を抱くのだろうとふと思った。
永遠に続くかのような夜と、どんよりと曇った昼を経てまた夜になり、
揺れる船内では何もやる気が起こらず、倦怠感に包まれる。
長時間外界との接触が絶たれ、しぼんだ気持ちが再び膨らんだ。

静かな未明の港をあてもなく歩いていると、”バス”という表示が見えた。
不思議な模様の家々のあるピルギー村へ港からどうやって行くのか分からず
尋ねると、ちょうどここから数時間後に始発が出るという。
今回は、船にしてもバスにしても運良く目的地に辿り着くことができる。
そんな時はその土地に導かれているような気がしてならない。
伝統的な白いスカーフを頭に巻いた早起きの奥さんたち。

バスは私たち二人だけを乗せて薄闇の中を走り出した。
長時間の乗船の疲れからかいつの間にか寝てしまい、
運転手に「ピルギーに着いたよ」と言われるまで気が付かなかった。
ぼんやりした頭で見たのは、白と黒の模様の世界。
薄暗い朝靄の中で怪しい世界に迷い込んでしまったようだ。
家々のほとんどがこの幾何学模様で覆われている。

村の中心と思しき所に着くと、1軒の小さなカフェニオンが開いていた。
まだ早朝にもかかわらず、一番乗りのお客さんがいた。
私たちが注文を熟考している間にも何人かのおじさんが入店してきた。
カフェニオンとはギリシャの伝統的な喫茶店。
女性はめったに来ない、おじさんたちの社交場だ。

ギリシャでは、煮詰めて作るグリークコーヒーが有名だけれど、
おじさんたちは、フラッペというコーヒーを飲んでいた。
同じ物を頼むと、砂糖の量、ミルクの有無を聞かれる。
ミキサーの音が響き、出てきたのは大きなマグカップなみなみに注がれた
温かいミルクコーヒー。その甘くて優しい味をゆっくりと味わった。

いつの間にか満席になっていたこの店での人間模様は面白かった。
おじさんたちの不和や仲の良さが見て取れて
初めて会う彼らの日常が筒抜けだった。
おじさんたちは飽きもせず毎日こうして常連同士で会い、
早朝のひと時を楽しんでいるのだろう。
カフェニオンに集まるハンチングを被ったおじさんたち。

店を出ると、太陽が高く昇りはじめ、外が明るくなっていた。
よりくっきりと見える家々の模様。
家ばかりでなく、店や教会までもこの模様で埋め尽くされている。
これはクシスタと呼ばれる伝統模様が施された外壁で、
黒や灰色の海砂利の上に白い石灰を塗り、乾ききらないうちに
釘などで幾何学模様を描いたもの。
花の模様とツバメの模様。
首が逆さまになった白鳥の模様も見かけた。

模様はどれも似ているようだけれど、まったく同じものはひとつとしてない。
幾何学模様だけでなく、なかにはユーモラスな動物や植物の模様も見られる。
石灰が乾かぬうちにと手早く模様を描き上げるのだろう。
勢いのある描写が単調な幾何学模様の真ん中を飾っている。
森の中を跳ねる鹿と豹のような模様。

クシスタ模様の家々を見上げて歩いていると、赤い玉の連なりをよく見かけた。
それは、真っ赤に熟したトマトだった。
きっとドライトマトにしているのだろう。
どこの家庭でも、水切りをしているお手製のチーズと共に
物干竿などに大量に吊り下げられていた。
真っ赤なトマトが白と黒の世界に彩りを添えていた。

おじさんたちがカフェニオンでたむろしている傍ら、おばさんたちはよく働く。
重い肥料袋を肩に背負って畑へ出掛けたり、針仕事をしている。
村のはずれで出会ったおばあちゃんは、軒先で何をしているのかと思ったら、
白濁した半透明の粒を熱心に選別していた。
これは何かと尋ねると「マスティハ」と答えてくれた。
夏に採取されたマスティハを選別している。

マスティハはヒオス島だけに生育する樹木の樹液で、
様々な病気に効くとされいろいろな食品や薬品に使用されている。
その効能と樹液の透明な雫から”神の涙”とも呼ばれているらしい。
味はというと、マスティハ入りのジュースを飲んだけれど、
どうもすんなり美味しいとは言えない……。
強い薬草の香りのする、とてもくせのある味。

マスティハはヒオス島にとって大切な収入源であるため
村人のほとんどがマスティハの生産に従事している。
古代ギリシャ時代から薬品や香料として珍重されてきたマスティハは
貿易商人として訪れたコロンブスをも虜にしたらしい。
そしてコロンブスの末裔がこの村にはいるというから驚きだ。
肌つやが良く視力も良いのは、マスティハの効果だろうか。

不思議な模様で埋め尽くされたこの小さな村では、
こうして穏やかに毎日が過ぎてゆくのだろう。
素晴らしい模様の家々を特別なものとも思わずに、
外から人がやってきても別段気にしない。
そんな、ゆったりとした村人の心持ちがいい。

薄暗い早朝から段々と日が昇り、家々の模様があらわになる
あの時間がとても神秘的だった。
もう一度この村を訪れる機会があれば、また未明のバスで向かいたい。

text by : yuki
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