2011.05.07 Saturday
空に浮いた修道院メテオラ
宿を求めて急な坂道を上っていたら突然真っ黒く巨大な岩が
霧をたたえて坂道のその先に聳え立っていた。
あまりの大きさと暗さに不気味な印象を覚えた。
この村のさらに奥地メテオラには奇石や岩山がいくつもある。
伝説では怒ったゼウスが天界から岩を投げつけたといわれているが、
実際どうしてこのような自然現象が起こったのか解明されていない。
これらの奇石の上には修道院が建っている。
トルコのカッパドキアにも似ているけれど、違うのは
カッパドキアが奇石をくり抜いてその内部を使用していたのに対して
こちらは地上に建てるものと同じような造りの修道院を奇石の上に建てた。
理由はやはり同じく、人里離れた山奥でひたむきに信仰生活を送るためだ。
カストラキ村の民家の間には巨石が鎮座している。
雨音で目を覚まし、あいにくの天気に落胆したが、
歩いて修道院をまわることにした。
その前に、商店のないメテオラでは手に入れることのできない
食料を買いにパン屋へ立ち寄った。
カランバカは大きな町というわけでもないのにたくさんのパン屋がある。
というよりも、ギリシャにはパン屋がとても多い気がする。
路地にあったかわいらしいパン屋に入ると
小さな店に置ききれないほどに次々とパンが焼き上がっていた。
輪っかのパンはその名もクルーリと呼ばれる。
ひとつ気になるパンを見つけた。判子が押されたパンだ。
これは聖パンと呼ばれる、正教会のミサに使われる特別なパン。
以前マケドニアの市場でこの判子が売られているのを見かけた。
家庭でも手作りされるし、修道院でも作られる。
教会ではパンはキリストの体、ワインはキリストの血といわれ
特別なミサや宗教行事の際にふるまわれる。
美味しそうだったけれど、何だか神々しい感じがして買えなかった。
模様の美しいプロスフォラと呼ばれる聖パン。
雨具を着込んで雨に打たれながらメテオラへと歩き出した。
カランバカの村はずれに出ると、何もない道を歩き進む。
しばらくすると隣村のカストラキに入っていた。
人気のない静かな村に教会の鐘の音が響いていた。
村をまた過ぎて、再び何もない、誰もいない道を歩く。
唯一世の中と繋がっていると思えるのは『メテオラ』と書かれた標識だけ。
やっとのことでひとつ目の修道院の姿が見えたのは1時間半ほど歩いた後だった。
霧がかった空にぼんやりと佇んでいたのは、アギオス・ニコラオス修道院。
細長い岩の頂上に、建っているというよりも生えてきたような佇まい。
こんなに細い岩にどうやってこの大きさの修道院が建てられたのか
不思議でならない。当時の修道士の建築技術、いやそれ以前に
修行に懸ける想いは相当なものであったのだろうと思う。
こじんまりとしたアギオス・ニコラオス修道院。
まだまだ先の長い修道院巡りに再び士気を高めて歩き始めると
すぐに、小さな木の看板に『ヴァルラーム』という文字を見つけた。
見落としかねないヴァルラーム修道院への近道を見つけて喜んで進んだが
そこはとてつもなく険しい山道だった。
木の枝をかき分け、岩の上によじ登り、小川を飛び越えて
急な山道を息を切らしながら登った。
すぐ目前にある修道院になかなか辿り着けない。
まったく人気がないうえに、鬱蒼と茂った木々が心細さを募らせる。
本当にこの獣道が修道院に続く道なのだろうか。
不安が最高潮に達する直前にようやく入り口が見えてきた。
近道と思い込んでいたけれど、結局1時間以上も山登りをしていた。
穴が空き苔むした岩山に建つヴァルラーム修道院。
100年前までは修道院に続く道もなく、もちろん階段もなかった。
こうして険しい山道を登って下界との生活を断ち、
厳しい極限の共同生活を送っていたのだから驚愕する。
生活に必要な物資は紐でくくられた網袋で調達していたという。
いくつかの修道院で今も物資調達に使われた滑車が見られる。
ヴァルラーム修道院で次の目的地までの所要時間を聞くと
「15分で着くよ」と言われたので、その言葉を信じて
ひときわ高い山上に建つ修道院を目指し重い足を一歩ずつ進ませていた。
後ろからは大型バスが何台も列を成して追い越して行く。
遠い山の頂に見えた修道院へは本当に15分で着いた。
山道と幹線道路ではどうも距離と時間の均衡が違うようだ。
メテオラで最も大きいとされるメガロ・メテオロン修道院は、
たくさんの観光客で溢れていた。
入り口へと続く階段には人の列が続いていて先程の山道での静けさが嘘のよう。
一派が去るのを待って、ゆっくりと中を見学した。
メテオラで最初に建設されたメガロ・メテオロン修道院。
(棟のてっぺんに物資調達に使われた滑車が見られる)
ここは一部が博物館になっていた。
面白かったのは『OLD KITCHEN』という案内表示の掲げられた
古い調理器具や食器、水瓶や保存庫などが展示されている部屋。
中央には大きな釜があった。
当時はここで修道士たちの食事をまかなっていたのだろう。
今では見ることのない昔日本で使われていたものと
同じような調理道具が見られて感慨深かった。
ちゃぶ台や炊飯釜、漬け物壷に似たものがある。
修道士たちの遺骨が整然と積み上げられた部屋もあった。
これまでこれだけの数の骸骨を見る機会はそうそうなかったが、
ここまで整然としていると、案外気味が悪いと思わなかった。
修道士たちはこの俗世間と離れた安住の地で眠りにつけて幸せなのだろう。
それとも、ひょっとするとこうして大勢の人々が訪れることに
違和感を感じているかもしれない。
これまで嫌というほど登ってきた山道を今度は下っていく。
次に目指すのは下方に見えるルサヌー修道院だ。
下り道は足取りも軽く、ここを曲がればついに到着だ
というところで一台の車が止まった。
運転席から声を掛けられたので車内を覗くと、知った顔が見えた。
一番最初の修道院で出会ったアテネからの旅行者だ。
もう少し修道院巡りを続けたかったけれど、
復路は往路の数倍も歩かなければならないので気がかりだったし、
雨もひどくなっていたので、車に乗せてもらうことにした。
来た道を一気に下ってあっという間にカランバカの村に着いた。
あまりの呆気なさに少し寂しさを感じたけれど、
きっとあのペースで歩いていたら夜になってしまっただろう。
それでも、修道院巡りは車でまわるのではなくて
歩くことに面白みがあるような気がする。
修道士たちが希望または絶望を持って登って来たであろう山道に
ロマンが詰まっていると思う。
修道院に掛けてあった古いマントと帽子と鍵と杖。
朝寄ったパン屋はもうすでにほとんどのパンが売り切れていた。
店主のおじさんは店じまいで忙しそうだ。
結局カランバカの町は一日中霧に包まれていた。
text by : yuki
| ギリシャ旅日記 | comments(2) |