灰色の町ギロカスタル

「鎖国」という言葉を聞くと徳川幕府の時代を連想するが、
アルバニアはつい二十年前まで鎖国政策をとっていた。
バルカンの秘境と呼ばれるこの国が一体どんなところなのか
大きな興味を抱いて向かった。

鎖国の影響もあり個人の車の所有率が低く、
一般人が車を運転する機会がほとんどなかったというから驚きだ。
道路の不整備が原因か、運転技術に問題があるのか、
アルバニアのバスは信じられないほど揺れる。
特に山岳地帯では、揺れるどころではない。乗客が跳ねる、飛ぶ。
すごいスピードで悪路をすっ飛ばしていくので、
どんなにしがみついていても体が座席から浮いてしまう。

町を離れて山道を走っていると、
崖の下には錆びついた乗用車やバスが転がっている。
ガードレールの無いこの山道でカーブを曲がりきれなかったのだろう。
割れた車の窓からは雑草がしなやかに伸びていた。
そんな光景に凍りついていると、道の各所に石碑が建っていることに気付く。
いくつか通り過ぎた後に、それはお墓だということが分かった。
それを伝えようと隣に座る夫を見ると、黙り込んで青ざめていた。
空気の澄んだ山間の町で何度か休憩し、やっと呼吸が整う。

そんな恐怖の5時間の乗車後に着いたのが
ギリシャにほど近い南部の町、ギロカスタル。
フラフラになった体で新市街から旧市街へと向かうが、
心臓破りの坂が目の前に立ちはだかっていた。
45度くらいありそうな急な坂をとてつもなくゆっくりと登る。
慣れた様子でおじいちゃんはひょいひょいと登って行くが、
私たちの足取りは重く、驚くほど前に進まない。
登る前にため息が漏れる急な坂道。

やっと着いた旧市街は辺り一面灰色に染まっていた。
石畳の道、石葺き屋根の家、石造りの城とどれもが石で出来ている。
旧市街には色がほとんど見受けられないので、少し寒々しさを覚えるが、
石板を積み重ねた屋根を持つ伝統家屋は余計な装飾がなく素朴そのもの。
この家々が並ぶ風景を高台から見下ろすとまるで模型の家を並べたように見える。
どれかひとつをひょいとつまみ上げられそうだ。
旧市街の中心にはオールドバザールと呼ばれる古い商店街が残っている。

町を見守っているのが、丘の上に建つギロカスタル城。
旧市街のどこにいてもその威厳ある姿が見える。
石が積み上げられた堅固な城壁の中には城跡が残っている。
中世には強固で複雑な造りであっただろう巨大な城が
今は時計塔だけを残しその大半は崩れ、苔むしている。

この城にはたくさんの部屋があったようだ。
城塞として、人々がここに立てこもったのだろう。
今にも崩れ落ちそうなかつての部屋の入り口を怖々覗くと
真っ暗で一寸先も見えない部屋の奥から水滴の垂れる音が一定の間隔で
ポツ…ポヮーンと水琴窟のように響いている。雨水の仕業だろうか。
誰もいない殺風景の城跡はもの悲しく、何か物語りを秘めているようだった。
雪山を背景にその輪郭をくっきりと際立たせていた時計塔。

城を出るとどこからか私たちを呼び止める声が聞こえる。
立ち止まって辺りを見回すと、民家の2階にいたおじいさんから
「どこから来たんだい?」と大声で質問が浴びせられていた。
日本人だと答えると「そうか、そうか」と頷いて、
「上がってきなさい」と手を家の方に大きく振り上げている。
伝統的な家屋は、2階建てで窓がたくさん設けられている。

野放しになっている鶏の群れをかき分けて2階へと上がった。
そこには老齢のおじいさんと初老のおじさんがいた。
年齢は離れているが、二人は古い友達なのだという。
おじいさんの家の前で立ち話をしていたおじさんと一緒に
自家製のラキアやワイン、コーヒーをご馳走になった。
諸外国のことをよく知っている初老のおじさんは聡明な人で、
おじいさんと私たちの会話を英語で橋渡ししてくれた。
他愛もない身の上話は言語に支障があっても案外通じるものだけれど、
こうして会話が成り立つとより楽しい。

おじさんはおじいさんのことを尊敬し、強い親愛感を寄せているらしく
「彼はビッグハートの持ち主だ」と何度も言い、
おじいさんの胸元をドンドンと叩いたり、肩を組んで揺すったりしている。
おじいさんはむせながらも満更でもないという様子でにんまりとしていた。
少年のような二人のやりとりは見ていて微笑ましくもあり羨ましくもあった。
この町でよく見られる典型的な伝統家屋。

首都に戻る日の朝、宿の食堂でドイツ人の青年に会った。
話し始めてすぐに彼は、興奮気味に「この国のバスの揺れはひどいよ!」
と言って体を前後左右に揺らす仕草をした。
やはり異国人にとってアルバニアのバスは衝撃的だ。
そして彼は笑いながら続けた「怖いけど……すごく面白いよね」
アルバニアの不思議さと面白さを分かち合った朝。
ポットに入ったたっぷりのコーヒーと紅茶が美味しかった朝食。

下るのにも一苦労する急な坂道を下りてバス停へと向かう。
長い年月を人が歩き面取られたつるつるとした石畳は朝日で光っていた。
これからまた悪路の中をひた走ると思うとうんざりしたが、
その反面、あの尋常じゃない揺れが楽しみでもあった。
朝会ったドイツ人の青年とまったく同意見である。
それに、往路で見た素朴な田舎の村や緑が美しい段々畑、
ロバに乗る人々の姿が印象的で、もう一度見たいと思っていたのだ。
古い町並みが当時のままによく残っている旧市街を急な坂道が縫っている。

今日のバスはもうないとか夜にあるとか様々な情報が飛び交うなか
とりあえず行ったバス停ではティラナ行きのバスが既に待機していた。
バスはすぐに出発し、相変わらずの猛スピードで山道を駆け抜けたが、
その景色の美しさも相変わらずで、復路も遜色のない感動があった。

謎の残るアルバニア、再び危険なバスに乗って
今度は途中の田舎町でふらりと途中下車してみたい。

text by : yuki
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