雑踏の町イスタンブール

出発してから丸一日以上も乗っていた列車から降り立ったイスタンブール。
予定よりも大幅に遅れた列車の小さな寝台室にこもっていたので、
一刻も早くその大地を踏みたくてむずむずしていた。
列車が徐行してようやく到着した時は嬉しかった。

駅を出るとすぐに焼き栗やとうもろこしの屋台、靴磨き屋が待ち構えていた。
その出で立ち、表情は欧州にはない雰囲気が漂っていて、
さらに町の雑多な様子は近東に来たのだと実感させられる。

駅からすぐのところには食堂街があり、
小さな路地にたくさんの飲食店が軒を連ねている。
ちょうどお昼時でどの店も満席。すごい活気に満ちあふれている。

ようやく席を確保し、先客が食べているものと同じ物を注文した。
世界三大料理と言われているトルコ料理だが、家庭的な食堂で充分に満足できる。
料理も然る事ながらパンがものすごく美味しい。
パンというとヨーロッパが本場というような意識がどこかにあったけれど、
トルコのエキメッキと呼ばれるバゲットは世界一美味しいと言われている。
皮はパリっと香ばしくて中はフワフワ、モチモチのパンは
世界一と言われるのも頷ける。
しかも、このパンは政府によって作り方も値段も決められているらしい。
こちらはスィミットと呼ばれるゴマ付きリングパン。

イスタンブールで面白いのは何といってもバザールだ。
一口に屋内市場と呼ぶにはあまりにも広いイスタンブールの名所。
広過ぎて自分がどこにいるのかさっぱり分からなくなるグランドバザールよりも
周りが問屋街に囲まれたエジプシャンバザールの方が庶民的で良かった。
バザールには何でも売っている。
伝統的なお菓子から数十種類もあるスパイスやドライフルーツにナッツ。
食品だけではなくて、チャイ(紅茶)を飲むための小さなチャイグラスや
ジェズヴェと呼ばれるトルココーヒーを淹れる専用の小鍋など、
いかにもトルコらしい不思議なものがたくさん売っている。
チャイを飲みながら店番をする乾物屋のおじさん。
チャイを飲みながらおしゃべりに興じるカゴ屋のおじちゃんたち。

エジプシャンバザール付近を巡っているうちに
問屋街の2階にある小さなモスクに行き着いた。
そこは、地上階の喧噪とは無縁のように信徒だけの静かな時間が流れていた。
リュステム・パシャ・ジャーミィという名のこのモスクは
近くにある大きなモスクのように威厳のあるものではなくて、
町中に自然に溶け込んでいる。

たいていのモスクの外装は立派な石造りで、内装は豪華で荘厳という
印象だったけれど、このモスクはひと味違った。
外壁にトルコ独特のイズニックタイルが使用されていて、
異なった様々な模様のタイルが継ぎ接ぎになっていた。
艶やかなタイルの鮮やかな青色がこのモスクを一層美しく際立たせている。
屋外で祈る姿も他のモスクではあまり見られない。
イズニックタイルが継ぎ接ぎになっているところに魅力を感じる。

その美しい壁面に目を奪われてじっと佇んでいる間に
何人もの信徒が入れ替わり立ち代わりやってくる。
イスラム信徒は1日に5回祈りを捧げるという。
その時間帯は決まっていて、定時になるとモスクの尖塔に取り付けられた
スピーカーからアザーンと呼ばれる礼拝への呼びかけが大音量で流れる。
トルコを旅していると必ずこのアザーンを耳にすることになる。
歌のような朗読のような独特なアラビア語がどこからともなく聞こえてくる。
時には、早朝にアザーンの音で目覚めることもある。

祈りは家でも職場でも出来るが、1日1回はモスクに来るのが望ましいらしい。
信徒はモスクの前に設置されている水場で手足や顔を洗っている。
礼拝の前には外気に触れている部分を清めなければならないという。

そして、靴を脱いで軒下に敷かれたゴザにひざまずき
タイルで埋め尽くされた外壁に向かって何度も頭を床につけたり立ったり
手を耳に当てたりという祈りの一連の所作を繰り返していた。
やがて、モスクの中へと入り、再び祈りを繰り返す。
皆同じ方向を向いて同じように祈りを捧げている。
祈る方向は、メッカ(サウジアラビア)の方角。
敬虔なイスラム教の祈りを目の当たりにした。

イスタンブールの賑やかな町中を外れて寂れた商店に入った時、
ふと『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』という映画を思い出した。
舞台はパリの裏通りだけれど、移民のトルコ商人のおじさんが登場する。
近所に住む天涯孤独なユダヤ人の少年に人生の素晴らしさを説き、
深い愛情を注ぐイブラヒムおじさんの話。
おじさんの営む小さな商店には様々な食材や日用品があり、
生活苦の少年にコーヒーにチコリを混ぜる方法や紅茶を再利用する方法、
パンをあぶって食べる方法などを教えるシーンがあり、印象的だった。
その店は街角の所狭しと商品が積み上げられた商店に似ている。
のんびり構える店主もどこかイブラヒムおじさんのようだ。
こちらはモスクの入り口にいたおじさん。

トルコの旅では各地で出会ったおじさんが印象に残っている。
一見取っ付きにくそうに見えるのだけれど、
すぐに見せる優しい笑顔はこちらを安心させる。
そしてすぐにチャイを薦めてくれる。
おじちゃんたちは小さなチャイグラスに角砂糖を2つも入れる
甘くて濃いチャイが大好き。
暇さえあればチャイを飲んでいて、1日10杯以上は珍しくない。
ことあるごとに「チャイでも飲んで行きなさい」と引き止められた。
何を話し込む訳でもない、ただチャイを一緒に飲むだけ。
そのぼんやりとした時間はトルコの印象的な思い出となっている。

今回は、他にも訪れたい場所があったのに時期が悪く足を伸ばせなかった。
今度トルコに行く時には、また各地で素敵なおじさんに出会いたい。
そして甘くて濃いチャイを一緒に飲みたい。

text by : yuki
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オレンジ畑とロバのいる村シリンジェ

その村に向かう往路はそれはそれは素晴らしい眺めだった。
山のてっぺんにある村を目指し満員の小さな乗り合いバスが蛇行する。
その度に強い日差しを充分に浴びて光るオレンジ畑が見え隠れする。
その濃いオレンジ色は長距離移動で疲れた体を目覚めさせてくれるようだった。

抜けるような青空とオレンジ畑はなんだか南国を思わせる。
これまで見てきたトルコの印象とは違う。
乗り合いバスで親切にしてくれたおじさんは、
この村はかつてギリシャ人が住んでいた村だと教えてくれた。
おじさんは若かりし頃の自分の写真を披露してくれた。

村に着くと、たくさんの飲食店や土産物屋が目に入り驚いた。
観光名所のカッパドキアでもこんなにたくさんの土産物屋はなかった。
古い町並みが残るこの小さな村にはトルコ中から多くの人が訪れるらしい。
とはいってもまだ朝早いので人の気配は少ない。

宿を求めて歩いていると、丘の上にロバがいるのを見つけた。
暖かい日差しのなか気持ち良さそうに草を食んでいる。
ギリシャ風の古い家屋が建ち並ぶ丘にロバが佇んでいると
トルコの混沌とした印象が薄れていく。
丘の斜面に細いロープでつながれていた。

この村の家々はどれも同じように見える。
白く四角い箱に窓がたくさんついた家。
少し離れて見るとまるで模型のように見える。
でも、近づいてじっくり見ると漆喰に入ったヒビやむき出しになった煉瓦、
今にも朽ちそうな木の雨戸......それぞれ年季の入り具合が違い趣がある。
真新しい家や奇抜な色の家がないので、
鄙びた家々の並ぶ路地を歩いていると数十年も前の世界に
徐々に迷い込んでいくような気分になる。
2階部分が張り出した伝統的な建築様式の家々。
特徴的なのは窓。木製の雨戸がついた小さな窓がたくさんついている。

家々は斜面に立っているので丘の上部を歩いていると下の家がよく見える。
洗濯物を干すお母さんや庭仕事をするお父さん、走り回る子供など
この村の日常生活が垣間見れる。
ふと白いこんもりとしたものがいくつも見えたので足を止めた。
よく見るとそれは鉄の型に注がれたパン生地だった。
おばちゃんが庭にある大きな石釜にそのパン生地を入れていた。
手作りのパンはどんなに美味しいことだろうと想像し、しばらく見ていた。
火加減を見ながら手際よくたくさんのパンを焼いている。

中心部へ戻ると村は急に活気づいていた。
木製の骨組みだけが続いていたがらんどうの市場も次々と店が開き、
おばちゃんが台座の上にあぐらをかいて
手作り石鹸や生花で編んだ花輪や果物を売っていた。
近くにたわわに実っているオレンジはもちろんのこと、
ザクロやリンゴやオリーブなども豊富に穫れるようだ。
おばちゃんたちの自慢の手編みの靴下や手袋の店もいくつもある。
市場には野花で編まれた花輪がたくさん売られている。
せっせと花輪をこしらえるおばちゃん。
店準備をするおばちゃん。サルエルパンツがよく似合う。
ようやく開店。ハーブや野苺を売っていた。

あちこちで声をかけられながら露天を覗いていると
朝会ったおばちゃんがいた。パン焼きのおばちゃんだ。
おばちゃんは大きなタライをひとつ持っているだけだった。
何を売っているのか気になっていたら、
そのタライにかけられた布をひらりと取り「ほらこれよ」と見せた。
湯気と共に現れたのは黄金色に焼き上がった手作りパンだった。
なるほど、このためにたくさん焼いていたのだ。
大きなパンは白い紙に包んで渡してくれる。

熱々の焼きたてパンを手にして景色の良い山の上へと登り
ようやく朝食となった。
このパンは不思議な味がする。これまで味わったことのないパン。
天然の酵母なのだろう。ほのかな酸味と、キビの味がする。
ほんの数口食べただけでお腹がいっぱいになる。
でもしばらくするとまた食べたくなる。
おばちゃんの愛情がつまったとても美味しいパン。
忘れられない味。
よく見ると何人ものおばあちゃんが同じように手作りパンを売っていた。

小さな村をもう何周もして、迷路のような複雑な路地も
通っていないところはないかのように思えた。
それが、何かの拍子に行き止まりの道に出くわし、
その行き止まりには半壊した古い建物があった。
立て看板があったので、これから修復予定なのかもしれない。

壊れた扉からそっと中に入ってみると、そこは教会だった。
小さくも隅々まで装飾の凝らされた美しい教会だ。
今は壁の漆喰や天井の梁が床に落ち散乱しているけれど、
きっと現役で使われていた頃は壮麗な教会だったのだろう。
植物模様に沿って繊細にくり抜かれた木のレリーフが美しい。
祭壇を取り囲む木のレリーフはその繊細さに驚く。

崩れた屋根の穴から光が射し、薄暗い教会内がよく見える。
壁画もかろうじて残っていてその優美さがところどころ伺える。
こんなに素敵な教会なのだから早く元通りになってほしい。
もし取り壊してしまうようなことがあれば残念でならない。
でも、こんなふうに朽ちてしまう美しい教会はたくさんあるのだろう。
かつてはたくさんの村人が集まるところだったはずなのに。
剥がれた壁画が物悲しい。

祭壇の中央にある鉄細工の綺麗な窓からは村が見渡せた。
抜けるような青空と生い茂る緑と赤茶色の瓦屋根を乗せた白い家々。
このコントラストはなんだか懐かしさを感じるような
ほっと安堵感をもたらすようなそんな気持ちになる。
それは、この村のおばちゃんたちの手作りパンの味によく似ている。

text by : yuki
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アフメットツアー

「俺のバイクに乗らないか?」
カッパドキアの奇岩の前で声を掛けられた。

カッパドキアはトルコ有数の観光地。
大型バスが次から次へとやって来ては観光客がぞろぞろと降り、
そこかしこで記念撮影を済ませるとあっという間に去って行く。
そんな光景を丘の上からぼんやりと眺めていた時だった。

怪しい奴が近寄ってきた。
それが声を掛けてきた男の第一印象だった。
「ここでゆっくりしたいからやめておくよ」
私が難色を示すと男は慌てて言った。
「金ならいらないよ」
そしてバイクを指差して続けた。
「どこに行きたい?」
それは吹き出してしまうくらい小さなバイクだった。
男はシートの先端に跨がり、これなら3人乗れるだろうと主張している。
その必死な姿が面白くてこの男、アフメットと旅を共にする事に決めた。

小さなシートにアフメット、妻、私の順で跨がる。
そしてなんとか走り出したはいいものの、エンジンはすぐに悲鳴をあげた。
アフメットは「休憩」と言って煙草を勧めるのだが、まだ10分も走っていない。
その後も10分おきにバイクを止めてはエンジンを冷ましながら一服の繰り返し。
やっと走り出しても、大型バスにクラクションを鳴らされては抜かされていく。
窓からは観光客の好奇の目が注がれる。

アフメットはハンドルから手を離して急斜面の長い坂を下り
楽しんでいるのだが、一番後ろに乗っている私は怖くて仕方がない。
シートが足りていないから少しの揺れで後ろに投げ出されそうになるのだ。
アフメットはバックミラーでそんな私を見ながら笑っている。

カッパドキアを回っている間にアフメットは
「ハマム(トルコ風呂)に行かないか」
「チャイ(紅茶)を飲みに行かないか」
と満面の笑顔で道草を提案してくる。
行きたいのは山々だったが、今晩ここを発つ予定だったので断ると
露骨に残念そうな顔をするが、またすぐに元気を取り戻す。
いい年のおじさんなのだが、子供のような人だ。

いくつかの名所をまわって帰路につく時、
広大な奇岩の先に夕日が沈もうとしていた。
近道に選んだ舗装されていない道には3人乗りのバイクの影が揺れていた。
起伏の激しい道ではあれだけ派手な運転をしていたアフメットも
ここではゆっくりと走ってくれた。

別れ際、握手を交わし、それでは足りず顔中にキスをされた。
夕日の奥へと走り去るアフメットの背中は淋しそうだった。
手を振る私たちもまた淋しさが残ったが、
”アフメットツアー”という忘れられない思い出ができた。

(写真はラクダ岩によじ登る私とアフメット)

text by : tetsuya
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猫が住みつく奇石地帯カッパドキア

雪景色のルーマニアを飛び出すように向かったトルコへの旅。
その道のりは長かった。
家を出発してから、合計すると実に40時間以上も移動に費やした。
長旅の末に着いたのは広いトルコの大地の真ん中にあるカッパドキア。

カッパドキアとは広大な奇石地帯を指す。
その中でも観光の中心となる町ギョレメに降り立った。
いわゆる観光名所らしい雑多な雰囲気なのかと思っていたが、
そんなことはなかった。
町は静かで人通りが少なく、チャイ屋だけがおじさんたちで賑わっている。
小学校からはお揃いの制服を着た元気な子供たちの声が聞こえてきて
普通の田舎町と変わらない印象だが、それを取り囲む景色が普通じゃない。
町の中心にある絨毯屋の後ろには大きな岩山が聳えている。

この景色に動じない者は少ないだろう。
数億年前の噴火と浸食によって長い年月をかけてつくりだされた
自然の造形物とそこに広がる町の風景は圧巻だ。
民家の隣にどーんと巨石が座り、
モスクの裏からはにょきりと奇石が顔を出している。
よくぞこんな場所に町がつくられたものだと思うけれど、
外敵から身を守らなければならない時代の住処としては
申し分ない場所なのだろう。
ギョレメには岩の内部が掘られた洞窟住居が数多くある。

この町には猫がたくさんいる。
可愛い猫を追いかけていくと古くて素敵な家に行き着く。
家主が猫を抱き上げて優しく撫でているのを見ると、皆猫が好きなようだ。
猫のほうも居心地良さそうにしている。
ここは登ったり降りたり、日向を探したり日陰を探したりと
変わった地形が猫にとって楽しいのかもしれない。
この町を歩く旅人にとっても同じことだ。
猫屋敷と化した古い家に住むおばあちゃんが出てきた。
「隣に座りなさい」と座布団を出してくれた優しいおばあちゃん。

猫も可愛いけれど、町で出会うおばあちゃんも可愛らしい。
皆イスラム圏特有のたっぷりしたサルエルパンツを履いている。
そして、敬虔なイスラム教徒のおばあちゃんたちは
髪を隠すために必ず綿のスカーフを頭に巻いている。
スカーフの縁飾りにはたいていオヤと呼ばれる
花や果物がモチーフの繊細な縁編みが付けられている。
オヤには様々な手法があり、おばあちゃんたちは
幼い頃からオヤ作りを祖母や母から伝えられたそう。
手の込んだオヤのついたスカーフにはつい目が奪われる。

迷路のような細い道を気の進む方へと歩く。
登り下りが激しいが、まず迷う事はない。
塀には使い古した絨毯がかかっていたり、
道端の至る所でかぼちゃの種が干してあったり。
おばあちゃんが家の前で編み物をやっていたり、
おじちゃんたちがチャイ1杯で何時間もおしゃべりしていたり。
たくさんの人が訪れる観光資源豊かなこの町で
飾らない住人の素朴な暮らしが見れるのが嬉しい。
子犬を抱く少年。子供たちは人懐っこくて可愛い。

腰を据えたギョレメの町から数キロ離れたキノコ岩群へ行く。
ギョレメの奇石とはまた違った色形で、確かにキノコだと納得する。
ちゃんと傘の部分と石突きの部分の色が違うのだ。
大昔の火山灰と溶岩が積み重なって地層を生み出し、
それが風雨の浸食により固い部分だけが残って
このような変わった奇石を生み出したらしい。
パシャバー地区には大きなキノコが辺り一面にぎっしり生えている。
シメジやマッシュルームみないなキノコもある。

しかも驚くべきことに、キノコの内部が教会になっているものがある。
ぐらついて頼りないはしごを怖々登ると
中がきれいにくり抜かれていくつもの部屋に分かれている。
聖人像などのフレスコ画も何となく分かる程度に残っている。
このような奇石の中の教会は珍しくなく、いくつも残っているそう。
また、この地には昔修道士が住んでいたらしく、
ふと見上げたキノコ岩にいくつもの穴が見受けられる。
人との隔たりを保ってひたむきに信仰生活を送っていたのだろう。
中は白亜の世界で、そこに薄れたフレスコ画が見られる。

そしてパシャバー地区で一風変わったおじさんに出会い、
縁あってバイクの3人乗りで行くことになったラクダ岩。
起伏の激しい道に悲鳴をあげるエンジンを騙し騙しゆっくり登って
高台でエンジンを切り急降下する。
そんな走行に絶叫しながらへとへとになってようやく着いた。
ラクダ岩はちゃんとふたこぶあって前を見据えている。
バイクの主のアフメットがラクダのこぶに乗れるというので
足やお尻を持ち上げられながらなんとか這い上がった。
ラクダの背中は見上げている以上に高く一面の奇石が見渡せた。
足場が狭く登るのも降りるのも怖いが、登る価値はある。

バイクを前に怪しく近寄ってきてタダで送ってあげると言ったアフメット。
どうも信用しきれず半信半疑で3人乗りが始まったが、
帰り道には夕日を浴びて妙な連帯感と感動が生まれた。

奇石だけでなく、人との出会いも奇妙で面白いところだった。
アフメットに出会わなければひと味ちがった滞在になっていただろう。
また彼だけでなく、この町で出会った笑顔の素敵な地元の人々の
優しい眼差しと、目尻の深い皺が忘れられない。

text by : yuki
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