バルカン山脈を貫くトンネルをいくつも通過して
列車で辿り着いたコプリフシティッツァという小さな村。
列車から降りたのは、私たちとジプシーの夫婦だけ。
寂れた駅の周辺には商店もなくただただ森林が広がっている。
タクシーもバスもないので、駅でじっと待つのみ。
一緒に降りた夫婦もただじっと座り込んでいる。
暗くなりはじめたところで、ついに車が砂埃を舞って現れた。
ジプシーの夫婦が立ち上がり手招きをしてくれて一緒に乗車したが、
この車が来なかったらどうなっていたことか。
蛇行する山道を走り、ようやく村に着いた。
日が暮れていく中、村中を歩き回り小さな民宿に泊まることになった。
大きな門と大きな家が多い。家々はどれも風情がある。
やわらかな日差しが降り注ぐ朝、気持ちの良い目覚め。
外に出るとまだ肌寒いが、村の散策に出掛ける。
小川に沿って散歩をしていると、遠くにピスタチオ色の車が見えた。
近づくと、車からは派手な絨毯がはみ出ている。
絨毯を興味深く見ていたらジプシーのおばさんが出てきて早速商売が始まった。
絨毯、バッグ、靴下、スリッパ、クロスと様々なものが
車の後部座席とトランクから手品のようにするすると出てくる。
色合いが独特でどれも素敵なものばかり。
迷った末に使い古した毛織りのバッグをひとつ買った。
可愛いピスタチオ色の車から原色が飛び出した。
車の先には小さな市場が立っていた。
野菜に果物、お花にスパイス、鶏やウサギまで売られている。
なかでもドーナツ屋が人気だ。
とろっとした生地を油に注ぐとすぐにじゅわっとドーナツが浮かんでくる。
それに粉砂糖をふりかけただけのシンプルなもの。
揚げたての熱々ですごく美味しい。
ふんわりとした口当たりのドーナツ。いくつでも食べられる。
1つ20円くらいなので、お客は4つも5つもまとめて買っていく。
私たちも小さな市場を往復する度に買っていたので、たくさん食べた。
買う度にドーナツ屋のおじちゃんは、粉砂糖をたくさんふりかけてくれる。
そして最後に「俺はトルコからこの村に来たんだよ」と耳打ちした。
笑顔の絶えない陽気なおじちゃんの表情が一瞬真顔になった。
なんだか聞いてはいけない秘密を打ち明けられたようなそんな気分。
明るくて優しいドーナツ屋のおじちゃん。
そういえば、日本ではブルガリアは”ヨーグルトの国”でお馴染みだが、
この国でそんなにヨーグルトが常食されている印象はない。
商店にもあまり売っていないし、レストランでも目立っている訳ではない。
話によると、日本人観光客のためにヨーグルトを置いている店もあるとか。
ちなみに、たまに見かける甘くないヨーグルトドリンクのアイリャンは
全く口に合わない。薄めたサワークリームのような味がする。
ブルガリアは、どちらかというと”白チーズの国”だと思う。
パンに入っていたり、サラダにかかっていたりとよく口にする。
白チーズはさっぱりしていて、適度な塩味がとても美味しい。
空には鱗雲が出て、清々しい1日になりそうな正午。
いよいよこの村のメインであるハウスミュージアムをまわることにした。
当時のコプリフシティッツァは、アルバナシと同様に商業が盛んで、
また租税の免除により経済的に潤った商人が多かったそうだ。
そのため、競って豪華なお屋敷を建てたらしい。
村のあちこちに立派な古いお屋敷があり、見とれてしまう。
今でも民族復興様式の美しい家々に村人が住んでいる。
そんなお屋敷のいくつかは開放され、現在は博物館となっている。
起伏のある石畳の道を散歩しながら、村に点在する
ハウスミュージアムを探してまわるのはとても楽しい時間だった。
夕方には一斉に閉館してしまうので、なかなか見つからないお屋敷もあり
少し慌てたが、入り組んだ細い道を何度も行き来して
全部で6つあるミュージアムを探し当て見ることができた。
まるで幼い頃にやったスタンプラリーのようだった。
外壁画が美しいオスレコフ・ハウス。
年季の入った木製の窓枠も素敵。
7人の子供のために建て増したカラヴェロフ・ハウス。
あまり豊かでなかった商人のデベリャノフ・ハウス。
天井の低いこのお屋敷は可愛らしいもので溢れていた。
無名の大工が建てたというベンコフスキ・ハウス。
座卓で食事をするのは、中近東の生活様式に近い。
6つある中でも特に気に入ったのが
デベリャノフ・ハウスとベンコフスキ・ハウス。
天井の低さや家の小ささが可愛らしく、気に入る要因は
自分のサイズに合っているからかもしれない。
誰しも「こんな家に住みたい!」と思える1軒が見つかるはず。
ハウスミュージアムを見終えて高台に登り
もうすぐ沈みそうな夕日を眺めていた。
民家は森の中にかたまって建っていて、まるで羊の群れように見える。
村はふたつの小高い丘と小川の流れる谷から成っていて、
一方の丘に登れば対岸がよく見えるので、
そこから次に目指す場所を決めるのがいい。
対岸の丘に教会が見えたので、それを見に行くことにした。
対岸を散歩していると、ロバに出会った。
旅先でロバを見たのは初めて。
ルーマニアでも馬や羊や豚はよく見かけるけれど、ロバはいない。
石畳にロバ。とてもバルカン半島らしい風景である。
ずんぐりとした出で立ちが可愛いロバ。
いつの間にか谷の草原に出ると、牛の群れや羊の群れに出くわした。
動物たちも家に帰る時間のようだ。
夕暮れ時の少し淋しい時間。
村の中心には広大な草原が広がっている。
私たちも宿に帰ると、民宿の家族から差し入れがあった。
部屋の前の机の上に、手作りヨーグルトと手作りケーキ
そして嬉しいメッセージが。
民宿で食事ができるかと聞いた時に、用意ができないと言われたので、
優しい主人が悪く思っていたに違いない。
可哀想に思い、気を利かせて持ってきてくれたのだろう。
あたたかい心遣いに胸が熱くなる。
あまりにも美味しかったヨーグルトとケーキ。
出発前に、ブルガリアへ行くと言うといろんな人から
「気をつけて!」としきりに注意された。
情報を集めている間もトラブルの事例がたくさんあり
気を引き締めてこの地へ向かったが、
ブルガリアの様々な場所で出会う人々は拍子抜けするくらいに
皆とても優しかった。
大きな瓶にたっぷり入った手作りヨーグルトは
酸味がほとんどなく、これまで味わったことがないほど濃厚。
舌にその濃さがずっと残り、幸福感に満たされる。
先述でブルガリアは”ヨーグルトの国”ではないと書いたが、
違った意味で私たちにとって”ヨーグルトの国”になった。
濃厚で甘くて優しい国。
text by : yuki