ジェラヴナのロバ

カザンラクから東へ古いおんぼろ列車とバスを乗り継いで
辿り着いたのは、コテルという小さな町。
日はとっぷり暮れて、外灯のない町外れで暗闇のなか途方に暮れていると
唯一の同乗客だったおばさんが心配して声をかけてくれた。
「宿を探しているのね。心当たりがあるから一緒に行きましょう。」

車が止まったのは、普通の民家の前だった。
出てきたおばあちゃんに相談してもらうと、二階の部屋へ通された。
そこは、綺麗に整えられた客室になっていた。
「ここなら心配ないわ。良い夜をね!」
そう言って親切なおばさんは肩をそっと叩いて去っていった。


翌朝、窓の外は活気づいていた。
昨夜の暗闇と静けさが嘘のように町は目覚めていた。
小さなパン屋に出来た列に並んで朝食を買い、バスに乗り込む。
ここからさらにバルカン山脈に入った村、ジェラヴナを目指した。


バスは蛇行して山道をぐんぐんと登り鄙びた寒村に到着した。
起伏に富んだ緑豊かな村に降り立つと、家畜と草の素朴な匂いが立ち込めた。
村が一望できる高台まで駆け上がり、その香りを胸いっぱいに吸い込むと
体の中が清々しい空気で満たされた。


ジェラヴナ村には伝統的な様式の家屋が数多く残っている。
そのいくつかは開放されていて中に入ることができた。
大きく屋根の張り出した木造のお屋敷に足を踏み入れると
独特の色合いの幾何学模様の絨毯に小さな丸机、
部屋を取り囲むように置かれたクッションと
オスマンの影響を受けたブルガリアらしい雰囲気に惹かれる。


苔むした石畳の道を小気味良い足音でやってくるのは、
ブルガリアの山岳地帯で重宝されているロバ。
荷車や主人を乗せて足場の悪い細い道をゆっくりと進んでいる。
木造の伝統家屋の間にロバの佇む風景は、この上なく素朴で
町から来た者をすっかり和ませてくれる。


便の少ないバスに乗り遅れないようコテルに戻ると
バス停近くの食堂のおじちゃんに呼び止められた。
「何か食べていきなよ!何でもあるよ。」
夫婦で営んでいる小さな食堂には、まだ日も暮れていないのに
早々と仕事を終えた吞んべえたちが集っている。

おすすめを頼むと、この地方の郷土料理を出してくれた。
スープや煮込み料理など濃厚で複雑な味わいが美味しい。
「最後にはこれさ!」と言ってライスプリンも出てきた。
ピンク色の壁面に長靴を履いた猫の絵が描かれた妙な店構えだが
陽気なおじちゃんのいるこの店が早くから賑わうのも頷ける。


食後に町の外れまで散歩をしていると
だだっ広い草原に豚が1頭草を食んでいる風景に出くわした。
その少し先には不思議なほどに豚と全く同じ色合いの
ピンク色のトレーラーがぽつんと止まっていた。
何か物語が生まれそうな情景を夕陽に照らされるまで眺めていた。


ルーマニアから思い立って出掛けたブルガリアへの旅。
いつでも隣国へ行ける気軽さが懐かしい。
今年もカザンラクにはバラが咲き誇り、
ジェラヴナではロバがのんびり石畳を歩いていることだろう。


text by : yuki
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カザンラクのバラ祭り

家の台所の脇にはちいさな坪庭がある。
そこには小石が丸く敷き詰めてあり、真ん中に二本のバラが植わっている。
冬には葉が落ち、頼りない細い枝だけになるが
春と秋には元気を取り戻したように蕾をつけて赤い可憐な花を咲かせる。
料理の合間に視界に入るそのバラは、心地良い季節の到来を感じさせてくれる。

初夏の風に気持ち良さそうにそよいでいるバラを見ると、
ふとブルガリアでのバラ祭りを思い出す。

バラ祭りの舞台となるカザンラクは山間にある町。
ちいさなバスに乗って、同じ景色がひたすら続く森の中を走り
ようやく見えてきた谷は文字通りバラ色だった。
香料用のピンクのバラの淡く美しい色が一面に広がっていた。


カザンラクに着くと、町はお祭り一色に染まっていた。
浮き足立つ人々に混ざって、この時ばかりと賑わう店々を
眺めているうちにすっかり日が暮れていた。
公園の片隅で寝ようと思っていた矢先、ふたりの男性が近づいてきた。
「ここで眠るくらいなら家に泊まりなよ」
隣村に住むダコとその友達のエンコーだった。
早速車に乗り込み、浮かれた町を離れて静まり返った村に着いた。

ダコが暮らしているのは、両親の住む母屋の離れにある
山小屋のような造りの家だった。
広く殺風景な部屋にはベッドとソファとテーブルしかない。
やがて、ダコの友達がやってきてソファは満席になり
テーブルにはたくさんの軽食やお酒で埋め尽くされた。
アートの学校で同級だった彼らは日本の文化に興味を持っていた。
深夜まで他愛もない話で盛り上がり、楽しい夜となった。

朝、目を覚ますと昨夜は真っ暗で見えなかった広々とした庭に
白い大きなバラが満開に咲いていた。
この時季はどこも立派なバラが咲いていてとても綺麗だ。
昨夜、皆が用意してくれた朝食をのんびり摂っていると
寝起きのダコに急かされた。「早くバラ畑に行かないと!」
お祭りの見所であるバラ摘みが始まってしまうと言う。
慌ててバスに飛び乗ってカザンラクへと戻る。


行きに見えたほのかなピンク色のバラ畑に着いたが
想像していた民族衣装を身に纏った人々はどこにもいなかった。
色鮮やかな衣装をなびかせて収穫を祝う歌と踊りを披露していると思ったのに
そこにはただ美しいバラだけが芳しい香りを放っていた。
バラ摘みの儀式を楽しみにしていただけに落胆してしまったが
遠くの畑でお祭りとは関係なくバラを収穫している人々が見えた。
黙々とピンクの花弁をもぎ取りカゴに入れている。
その朝日に照らされた光景は、お祭りの催しとは違い
あまりにも日常的で、かえってそれが神秘的に見えた。


町の中心ではパレードが始まった。
実に様々な民族衣装を着た人々がそれぞれの出し物を披露しながら
大通りを練り歩いている。
ブルガリアの民族衣装は、バラを中心に花が配されていることが多く
色鮮やかでとても可愛らしい。
冬にブルガリア各地で見た奇妙なお面を被ったクケリもいる。
彼らは、時にバラや香水を振りまいて観客を楽しませてくれる。


まだ祭りの賑やかなお囃子が聞こえるなか次の町を目指すことにした。
手提げいっぱいに摘んだバラと帽子を飾るたくさんのバラ。
バラの谷に訪れた証を持って列車に乗り込むと
コンパートメントはむせかえるほどのバラの香りに包まれた。


text by : yuki
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クケリが潜む村シロカ・ラカ

ブルガリアの郊外でクケリという奇妙な祭りを見てから
冬の伝統行事であるクケリが気になって仕方がなかった。
季節が春へ移り変わろうとしているこの時期は、
各地で行われるクケリも終わりを迎えようとしていた。

ギリシャからほど近いブルガリア南部のシロカ・ラカ村でも
クケリが開催されると聞き、ギリシャからの帰り道に寄ろうと思っていた。
けれども、ブルガリアに入国できる国境通過点は限られていて、
また、交通の便が悪い片田舎のシロカ・ラカ村に行くには
遠く離れた首都を経由した方が早いと言われた。
ギリシャ北部とブルガリア南部、直線距離ではとても近いのに
とんでもなく遠回りをしなければならないという。

なんとか祭りの始まる午前中に着きたいと思いつつも、その道のりは遠い。
夜行バスでソフィアまで行き、列車とバスを乗り継いで、ヒッチハイクをしてと
焦る気持ちとは裏腹に思うように先へ進まない。
地図上ではほんの少しの距離なのに、ギリシャを発って15時間以上も経過していた。
村はシロカ・ラカ川の両岸に開けている。

村に着いたのは昼をとっくに過ぎた頃だった。
たくさんの車と人が引き返して行くなかを、不安混じりで進んで行くと、
まだかろうじて祭りの余韻が残っていた。
けれど、クケリの主役である奇妙なマスクや被り物や衣装を着た人々は
散り散りになってしまっていた。
彼らが村中を練り歩く姿が見たかったのに……とても残念だ。
代わりに、村の文化会館に貼ってあった子供たちの作品を眺めていた。
学校で作ったのだろうか、クケリの切り絵が並んでいた。
子供たちが思い描くクケリの姿には心が和む。
いつかこのクケリたちが村に現れるのが楽しみだ。
村の子供たちが作ったクケリの切り絵。さすがセンスが良い。

クケリたちはいなくなってしまったけれど、
即興で出来た踊りの輪が村の中心をくるくると回っていた。
人々が手をつないで楽士の奏でる民族音楽に合わせステップを踏んでいる。
どうやら村人だけではなさそうだ。
どこからかやってきた旅人がその輪に加わって見よう見まねで踊っている。
その輪はだんだんと大きくなっていた。
片田舎の小さな村で様々な人種の人々がこうして手と手を取り合って
笑顔で踊る様は微笑ましい光景だった。
山岳地方らしい質実剛健な民族衣装を身につけた村人。

踊りの輪を通り過ぎて先へ進むと出店が軒を連ねていた。
出店の先には地べたに民芸品を並べて売っているジプシーがたくさんいる。
木々にロープを張って手織りの絨毯をずらりと掛けている者もいた。
ブルガリアの民芸品は独特の色づかいがとても美しい。
さらに、名産である薔薇の模様が絨毯や靴下や手提げに
誇らしげに散りばめられていて、このうえなく可愛い。
この羊毛の絨毯を、床に、ソファに、ベッドに掛けて部屋中を飾り、温める。

祭りのお囃子が聞こえるなか村を散歩した。
この村は伝統家屋が驚くほどたくさん残っている。
どうやら伝統的な街並みを保存することに取り組んでいるようだ。
それもそのはず、この村には民族音楽や民俗舞踊を学ぶ学校があるそうで、
貴重な伝統を継承していこうという動きがあるらしい。

家々はロドピ地方の独特な建築様式からなる。
一説によるとオスマン帝国の猛威から身を守るために
秘密の部屋や通路が巡らされていたとか。
一見素朴そうに見える村にそんな秘密があるなんて。
家々は山の傾斜に面して建っている。

村はロドピ山脈の麓にあり、四方を樅の木が生い茂る山々に囲まれている。
山には教会があるというので登ってみることにした。
古い民家の間の細い道を抜けて山を目指す。

高台に来て見下ろすと、目につくのは家々の屋根。
薄い石板を無造作に並べただけの石葺き屋根だ。
何かの拍子に崩れ落ちてしまいそうだけれど、うまい具合に重なっている。
この瓦屋根が村の素朴な雰囲気に一役買っている。
石葺き屋根に木造または漆喰の小さな家々が山間に集まっている。
民家の軒先には、この地方の民族衣装の色に似た靴下が並ぶ。

軒先で薪割りをしているおばあちゃんに出会った。
若々しく可愛らしい笑顔のおばあちゃん。
日本人ということを知ると大きな目を見開いて驚き、歓迎してくれた。
おばあちゃんは強靭な足腰で手際よく薪を割っている。
振り下ろした斧がスコーンと薪を真っ二つに割く様は見ていて気持ちがいいものだ。
まだまだ冷え込む山間部では、薪割りはとても重要な仕事である。
健やかで明るいおばあちゃんは理想的な年の重ね方をしている。

家々が姿を現さなくなり、小さな矢印だけを頼りに獣道を進む。
時たま木々の開けたところからお囃子と人々の陽気な笑い声が聞こえてくる。
下方では踊りの輪の片鱗が木々の間から見え隠れしている。
道という道がなくなったところで、木でできたアーチが現れた。
ここが教会の入り口らしい。
開けた場所に、炊飯場と東屋とこじんまりとした教会があった。
残念なことに教会の鍵は閉まっていたけれど、東屋でゆっくりすることができた。
小さな吹き抜けの空間に、いかにも手作りといった机や椅子が並べられていて
少年たちの秘密基地のようだ。
ふとスタンドバイミーの木の上にある秘密基地を思い出した。
木のアーチの先に小さな教会と秘密基地がある。

この山には他にもいくつかの山上教会があるようだ。
興味があったけれど、日暮れが迫っていたので急いで山を降りた。
村の中心に戻ると、ちょうど最後の曲が終わり、
人々が満足げな表情で帰路につこうとしているところだった。
それからは瞬く間に出店が店じまいをし、民芸品を広げていたジプシーたちは
あっという間に商品を丸めて車に詰め込み去って行った。
薄暗くなった村には祭りの後の寂しさがどっと押し寄せていた。

夜になり、閑散とした中心部を歩くと民族音楽が漏れ聞こえてきた。
まだ騒ぎ足りない人々がレストランで小さな輪をつくって踊っていた。
静かな村にかすかに響くバグパイプの音色は、
再びこの地に足を向かせるきっかけになるだろう。

text by : yuki
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クケリという生き物

クケリという祭りの日程を知ったその日の夜に
私たちは手製のマスクを持って慌てて家を飛び出した。

住んでいる町からブルガリアのソフィアまで約20時間。
暗闇の中を古い列車にガタガタと揺られながら走る。
隣のコンパートメントからはジプシーの歌声が聞こえてくる。
眠りを邪魔されるが、そんな歌声も妙に心地良い。
ルーマニアの列車には他国では感じられない哀愁が漂っている。

ソフィアで1泊した翌朝、祭りのあるペルニックという町へ向かった。
クケリというのはブルガリアの冬の伝統行事で、
毛皮や鳥の羽などで作られたマスクを被って踊ったり、
体中にくくり付けた大きなベルを飛び跳ねて鳴らし、
春の訪れを祝ったり、幸福と健康を願ったりするもの。
さらに豊作や厄払いの意味も込められている。
また、祭りに登場する獣や妖精自体もクケリと呼ばれる。


町の中央にある広場に着くと、そこはもう人で溢れかえっていた。
それもそのはず。この祭りにはマケドニア、セルビア、ウクライナ、
パレスチナ、パキスタン、イタリア、スペインからの参加者がいて
マスク祭りの中ではバルカン半島で最も大きいという。


様々なベルの複雑な音が鳴り響くその先には幻想的な行列ができている。
マスクや民族衣装に身を包んだ人々が
中央の舞台で繰り広げられるパフォーマンスの順番を待っているのだ。
その光景は獣に扮した人間というよりも
魔法をかけられて獣と化した人間という感じだ。


本来ならば悪霊を追い払う為の恐ろしいマスクであるはずなのに
可愛らしい親子の熊や奇妙なマスクの姿がちらほら伺える。
熊と熊使いに扮した人が多いのは、何か謂れがあるのだろう。


祭りの中で1番印象に残ったのはふくらんだパンのような2人組。
ガニ股で歩幅が小さく、ひょこひょこと登場した。
その出で立ちだけでも衝撃的だったけれど、
洒落たベレー帽に、顔を覆う花柄のレース。
羨ましいほどにセンスが良い。
この姿は一目見たら忘れられない。
どうやらこの”パンマン”はスペインから参加したようだ。
それを知って無性にスペインに行きたくなってしまった。


祭りも終盤に差し掛かった頃、手製のマスクを被ってクケリたちに紛れ込んだ。
すると、相手も変なマスクを被っているにも関わらず、
後ずさりして私たちのマスク姿におののいた。
小さく空いたマスクの口から大笑いした。

text by : tetsuya
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お屋敷の村コプリフシティッツァ
バルカン山脈を貫くトンネルをいくつも通過して
列車で辿り着いたコプリフシティッツァという小さな村。
列車から降りたのは、私たちとジプシーの夫婦だけ。
寂れた駅の周辺には商店もなくただただ森林が広がっている。

タクシーもバスもないので、駅でじっと待つのみ。
一緒に降りた夫婦もただじっと座り込んでいる。
暗くなりはじめたところで、ついに車が砂埃を舞って現れた。
ジプシーの夫婦が立ち上がり手招きをしてくれて一緒に乗車したが、
この車が来なかったらどうなっていたことか。
蛇行する山道を走り、ようやく村に着いた。
日が暮れていく中、村中を歩き回り小さな民宿に泊まることになった。
大きな門と大きな家が多い。家々はどれも風情がある。

やわらかな日差しが降り注ぐ朝、気持ちの良い目覚め。
外に出るとまだ肌寒いが、村の散策に出掛ける。
小川に沿って散歩をしていると、遠くにピスタチオ色の車が見えた。
近づくと、車からは派手な絨毯がはみ出ている。
絨毯を興味深く見ていたらジプシーのおばさんが出てきて早速商売が始まった。
絨毯、バッグ、靴下、スリッパ、クロスと様々なものが
車の後部座席とトランクから手品のようにするすると出てくる。
色合いが独特でどれも素敵なものばかり。
迷った末に使い古した毛織りのバッグをひとつ買った。
可愛いピスタチオ色の車から原色が飛び出した。

車の先には小さな市場が立っていた。
野菜に果物、お花にスパイス、鶏やウサギまで売られている。
なかでもドーナツ屋が人気だ。
とろっとした生地を油に注ぐとすぐにじゅわっとドーナツが浮かんでくる。
それに粉砂糖をふりかけただけのシンプルなもの。
揚げたての熱々ですごく美味しい。
ふんわりとした口当たりのドーナツ。いくつでも食べられる。

1つ20円くらいなので、お客は4つも5つもまとめて買っていく。
私たちも小さな市場を往復する度に買っていたので、たくさん食べた。
買う度にドーナツ屋のおじちゃんは、粉砂糖をたくさんふりかけてくれる。
そして最後に「俺はトルコからこの村に来たんだよ」と耳打ちした。
笑顔の絶えない陽気なおじちゃんの表情が一瞬真顔になった。
なんだか聞いてはいけない秘密を打ち明けられたようなそんな気分。
明るくて優しいドーナツ屋のおじちゃん。

そういえば、日本ではブルガリアは”ヨーグルトの国”でお馴染みだが、
この国でそんなにヨーグルトが常食されている印象はない。
商店にもあまり売っていないし、レストランでも目立っている訳ではない。
話によると、日本人観光客のためにヨーグルトを置いている店もあるとか。
ちなみに、たまに見かける甘くないヨーグルトドリンクのアイリャンは
全く口に合わない。薄めたサワークリームのような味がする。
ブルガリアは、どちらかというと”白チーズの国”だと思う。
パンに入っていたり、サラダにかかっていたりとよく口にする。
白チーズはさっぱりしていて、適度な塩味がとても美味しい。
スパイスの種類の豊富さもブルガリア料理の魅力。

空には鱗雲が出て、清々しい1日になりそうな正午。
いよいよこの村のメインであるハウスミュージアムをまわることにした。
当時のコプリフシティッツァは、アルバナシと同様に商業が盛んで、
また租税の免除により経済的に潤った商人が多かったそうだ。
そのため、競って豪華なお屋敷を建てたらしい。
村のあちこちに立派な古いお屋敷があり、見とれてしまう。
今でも民族復興様式の美しい家々に村人が住んでいる。

そんなお屋敷のいくつかは開放され、現在は博物館となっている。
起伏のある石畳の道を散歩しながら、村に点在する
ハウスミュージアムを探してまわるのはとても楽しい時間だった。
夕方には一斉に閉館してしまうので、なかなか見つからないお屋敷もあり
少し慌てたが、入り組んだ細い道を何度も行き来して
全部で6つあるミュージアムを探し当て見ることができた。
まるで幼い頃にやったスタンプラリーのようだった。
外壁画が美しいオスレコフ・ハウス。
年季の入った木製の窓枠も素敵。
7人の子供のために建て増したカラヴェロフ・ハウス。
あまり豊かでなかった商人のデベリャノフ・ハウス。
天井の低いこのお屋敷は可愛らしいもので溢れていた。
無名の大工が建てたというベンコフスキ・ハウス。
座卓で食事をするのは、中近東の生活様式に近い。

6つある中でも特に気に入ったのが
デベリャノフ・ハウスとベンコフスキ・ハウス。
天井の低さや家の小ささが可愛らしく、気に入る要因は
自分のサイズに合っているからかもしれない。
誰しも「こんな家に住みたい!」と思える1軒が見つかるはず。

ハウスミュージアムを見終えて高台に登り
もうすぐ沈みそうな夕日を眺めていた。
民家は森の中にかたまって建っていて、まるで羊の群れように見える。
村はふたつの小高い丘と小川の流れる谷から成っていて、
一方の丘に登れば対岸がよく見えるので、
そこから次に目指す場所を決めるのがいい。
対岸の丘に教会が見えたので、それを見に行くことにした。

対岸を散歩していると、ロバに出会った。
旅先でロバを見たのは初めて。
ルーマニアでも馬や羊や豚はよく見かけるけれど、ロバはいない。
石畳にロバ。とてもバルカン半島らしい風景である。
ずんぐりとした出で立ちが可愛いロバ。

いつの間にか谷の草原に出ると、牛の群れや羊の群れに出くわした。
動物たちも家に帰る時間のようだ。
夕暮れ時の少し淋しい時間。
村の中心には広大な草原が広がっている。

私たちも宿に帰ると、民宿の家族から差し入れがあった。
部屋の前の机の上に、手作りヨーグルトと手作りケーキ
そして嬉しいメッセージが。
民宿で食事ができるかと聞いた時に、用意ができないと言われたので、
優しい主人が悪く思っていたに違いない。
可哀想に思い、気を利かせて持ってきてくれたのだろう。
あたたかい心遣いに胸が熱くなる。
あまりにも美味しかったヨーグルトとケーキ。

出発前に、ブルガリアへ行くと言うといろんな人から
「気をつけて!」としきりに注意された。
情報を集めている間もトラブルの事例がたくさんあり
気を引き締めてこの地へ向かったが、
ブルガリアの様々な場所で出会う人々は拍子抜けするくらいに
皆とても優しかった。

大きな瓶にたっぷり入った手作りヨーグルトは
酸味がほとんどなく、これまで味わったことがないほど濃厚。
舌にその濃さがずっと残り、幸福感に満たされる。
先述でブルガリアは”ヨーグルトの国”ではないと書いたが、
違った意味で私たちにとって”ヨーグルトの国”になった。
濃厚で甘くて優しい国。

text by : yuki
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中世の職人街エタル博物館
人里離れた場所に素敵な博物館がありました。
博物館と言っても、展示品の並べられた退屈なものではなくて、
川のほとりにある小さな野外博物館。
シベク川に沿って博物館が広がっている。

ガブロヴォという大きな町からバスに乗り、
だんだんと森深くなってきたころ、エタルという小さな町に着く。
昨日の雨のせいか、木や草や土の濃い匂いがする。
この先はブルガリアの中央を横断するバルカン山脈だ。

中世以来、手工芸が盛んだったガブロヴォの町にも
だんだんと近代工業の波が押し寄せてきた。
そこで、伝統工芸の衰退を懸念した美術蒐集家が
この場所に50年前に造ったのがエタル野外博物館。
野外博物館というと、広大な敷地に伝統的な古民家を移築している
だけのものが多いけれど、ここでは職人街を再現している。
2階が張り出した古民家が全て工房になっている。

小川を渡り、すぐに現れた民家へ誤って入ってしまう。
おばあちゃんが出てきて「博物館はあっちよ」と笑って教えてくれた。
博物館の看板も入り口もとても控えめで町に溶け込んでいる。

入ってすぐに年季の入った水車小屋があり、
どこかの村の片隅で使われたいたことが在り在りと思い浮かべられる。
水車の動力は粉引きにも使われるし、大きな桶を設ければ洗濯機にもなる。
毛織物をこの自然の洗濯機に放り込めば、縮絨されて織り目が詰まる。
こうして最後の仕上げを遂げて絨毯が完成する。
敷地内にいくつもある水車。様々な動力に使われる。
シベク川の水を引いて自然の洗濯機が延々と回る。

敷地内には小さな小さな町が出来上がっていた。
ひと回り10分ほどの小さな町に様々な店、家、教会がある。
ふと古民家の中を覗くと、誰もいない部屋にひっそりと
糸紡ぎ場があったり、染色場があったりする。
管理人の目を気にすることなくじっくりと当時の工房を見ることができる。
今では使われていない複雑な機械は静かに佇んでいるけれど、
当時の職人の姿や機械が潤滑に動く音が聞こえてくるようだ。
ボビンに巻かれた糸が集まり布地になる。

小さな石橋を渡ると中世の職人街が広がっている。
お菓子屋さんにパン屋さん、カウベル(牛の首鈴)屋さんに
鍛冶屋、彫金屋、陶器屋、楽器屋と実に様々な店が軒を連ねている。
古民家を利用した小さな一軒家の工房におじさんが一人ずつ腰掛けて
伝統的な機具を使って丹念に仕事をしていた。
それぞれ昔ながらの製法でもの作りをしている。
極力機械を使わずに手作業で作るのが信念なのだろう、
鍛冶屋からは金物を叩く音、楽器屋からは木を削る音が響く。
お菓子屋さんには昔のレシピで作る伝統的なお菓子が並ぶ。
焼き菓子や砂糖菓子など可愛いうえに日持ちのするものが多い。

1階の工房をひと通り覗き、職人の素晴らしい腕を見せてもらった後、
ふと2階へ上がる階段が見えたので、黒光りするきしむ階段を登った。
すると、2階にも工房や喫茶室があり、今度は女性が立ち回っていた。
織物屋の小さなベランダからは独特な配色の綺麗な絨毯が
いくつも干されていて、古民家の漆喰の白壁に際立っていた。
パン屋では大きな釜が絶えず火を抱えている。

職人街の端には教会もある。
薄明かりの中で黄金と濃厚な色彩に目が眩む。
ブルガリアの多くの教会は、イコンで埋め尽くされている。
イコンがあるだけで神々しい緊張感が室内にもたらされる。

たくさんの鍵を持ったおじさんが、教会の上にも案内してくれた。
外階段を登ると、2階部分は昔の学校が再現されていた。
小さな教室には黒板と教員の机、生徒が座る長椅子と長机が並んでいた。
手前の机の上には砂の入った木箱。真ん中の机の上には小さな黒板。
奥の机の上には陶器のインク壷に羽根つき万年筆が突き刺さっていた。
これはどれも生徒が使っていた筆記用具だ。
昔はならした砂に指で文字を書いていたらしい。
時代の移り変わりを感じさせられる。
鍵を開けてくれたおじさんが先生役をやってくれた。

教会を出ると、鐘の音が響き渡っていた。
ひときわ高い塔は時計台だ。
時計台のもとへ行くと大きな絨毯が干してあった。
あの水力の洗濯機で洗ったのかもしれない。
水のしたたり落ちる鮮明な彩色の絨毯はいずれ
織物屋で誰かの手に渡るのだろう。
ブルガリアらしい美しい配色の縞模様の絨毯。

このように見る者を楽しませながら、伝統手工芸が衰退することなく
いつまでも受け継がれていくことは本当に素晴らしいと思う。
今まで手でひとつひとつ丹念に作っていたものが、
今では機械に任せっきりになってしまっている。
画一的な物でなければ商品としての価値がないのはとても残念だ。

ずれや歪みや滲みという”隙”に本来の魅力があるのではないかと思う。
筆を誤ってしまった絵付けのお皿に愛しさを感じたり、
同色の糸がなくなり継ぎ足した変な色の刺繍に心がひかれたり。
こういう気持ちを大切にしていきたいし、
こういう”隙”のある手工芸を大切にしていきたい。
ひとつとして同じ音のないカウベル。

text by : yuki
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石の村アルバナシ
ヴェリコ・タルノヴォの市場の前から小さなバスが出ている。
行き先はアルバナシという名の一風変わった村。
赤ピーマンばかりが目立つ市場をぐるりと廻って戻ると
ちょうどバスが止まっていたので飛び乗った。
赤ピーマンを買い求めるお客が多い。みんな好きなようだ。

小さな村のはずだけれど、車内は満席。
切符を配り終えないうちに発車した。
町を過ぎると車が大きく揺れる。
揺れを感じたのもつかの間、20分ほどで村に着いた。
乗客はあっという間に方々へ散っていった。
塀や屋根の上にただ重ねて積むだけの半円形の瓦。

バス停の向かいにはアンティークショップがあった。
可愛らしいおばあちゃんの営む店で、
ペイントの美しい古い家具や昔使われていた日用品、
民族衣装やバラ模様の手編みのソックスなどが置かれていた。
道行く人々からは感じられない伝統的なスタイルが垣間見れた。
この店へ来て、ここはブルガリアなんだと妙に感じ入った。
革靴のオピンチや手織りのバッグのトライスタ、
刺繍の入ったスモックブラウスやワンピースなど
ルーマニアと似ているものも多いが、やはり少し異なる。
オスマン帝国の文化が混在しているからだろうか、
色使いや刺繍のモチーフにどこか中近東の香りが漂う。
ブルガリアといえばバラ模様の手編みのソックス。

思えばこの日が最後の夏日だった。
冷え込んだ朝に着込んだ上着が荷物になり、
1日中重荷に感じた。
それほどの良い天気に恵まれた。
そのため光と陰の濃淡の強い村という印象が残った。
家の外壁に土産物のクロスやレースがなびいている。

この町はどこを歩いても黄土色の石だらけ。
道も石なら塀も石、もちろん家も石造り。
どこを見ても変わり映えのしない景色が広がっている。
その中でも古いお屋敷を開放しているところがある。
見所といえばそのお屋敷と古い教会くらいだろうか。
あとはのんびりとした空気に身をおくだけ。
石の積み上げられた1階と、汚れひとつない漆喰の2階、
そしてたくさんの窓が設けられた家がほとんど。

村はどの通りも同じような風景なので目的地に行くのに迷う。
ここコンスタンツァリエフ・ハウスへ行くのもそうだった。
散々人に聞いて往来していた場所がまさにそのお屋敷の入り口だった。

ここは由緒ある家柄の邸宅。
きしむ木の階段を登り2階に上がると、すぐに大きな客間が現れた。
等間隔に配置された窓から日の光が降り注いでいた。
木組みの立体的な天井が目を引く。
ベッドを兼ねている大きなトルコ風ソファも特徴的だ。
ここで来客をもてなしていたそう。
広々とした客間の半分は伝統的な織物が掛けられたソファ。

またキッチンも変わった造りで、廊下のような場所に竃が設置してある。
壷が並べられた貯蔵庫も廊下の突き当たり。
ちなみに、この家には暖房器具が充実していて、
二間にまたがって陶器の暖炉が備え付けられている。
避暑地なだけに、冬は寒さの厳しいところだと伺い知れる。
模様の美しい壷には何を貯蔵していたのだろう。

面白いのはトイレ。木張りの床に三角に穴が開けられているだけ。
ブルガリアにはトルコ式トイレが多いのでこのような造りなのだろう。
今でもルーマニアの村々ではこの原始的な造りのトイレが多いけれど
三角の穴というのは見たことがない。ほとんどが丸である。
しかも母屋から離れた屋外にぽつんと設置してある。
しかし、このトイレは室内の2階にあるので構造が気になるところ。
至極簡単な造りのトイレ。
屋外から見える木造の張り出した部分、ここがトイレに当たる。

一見すると、真四角の何の変哲もないような外観なのだが、
中に入ると思った以上に入り組んだ部屋割りになっている。
居間、寝室、台所、子供部屋、客間とどの部屋も広く、
そのほとんどが大きなソファの置かれた贅沢な空間だった。
伝統的な旧家の優雅な生活が垣間見れた。

小さな村にしては観光客がとても多い。
このハウスミュージアムにも、がやがやと部屋を覗いては
足早に去って行く団体客が何組かいた。
こんな静かで穏やかな村ではのんびりと過ごすのが
一番良い過ごし方だと思うけれど、、、。
ふと、映画『めがね』で出てくる”黄昏れる”という台詞を思い出す。
”黄昏れる”ことができない人は結構多いのではないかと思う。
日々の生活に疲れていても、どんなに自然が美しくても、
いざ何もないところへ放り出されたら困惑してしまう人は多いはず。
村へ訪れるときには”黄昏れる才能”を持ち合わせたいものだ。
民家の間に変わった建物があった。
こういう古い建物にふとした所で出会えるのが興味深い。
上部にはキリル文字のようなものと四つ角に天使の顔が彫られている。

中心部から坂を上ると村が見渡せる。
黄土一色の景色かと思っていたが、
高台から望む村はまた違った表情だった。
家々の屋根と張り出した2階部分が際立って見える。
屋根の赤茶色と漆喰の白、そして木々の深緑との調和がとれている。
建物はほどんど2階建てなので高さの均等が取れていて
空がやけに広々としている。
木々の間から家々がぽつりぽつりと覗いている。

反対方向に目を見やると、遠くの方にヴェリコ・タルノヴォの町が見えた。
延々と続きそうな丘陵とそこに広がる町を眺めているだけで
爽やかな気持ちになる。
ここに住む人々は下方に見える変わりゆく大きな町を見下ろしては
変わらないこの村に安堵しているのかもしれない。
一時の旅人にとっても村の風景は損なわれてほしくないもの。
またここへ来て同じように黄昏れたいから。

text by : yuki
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丘の町ヴェリコ・タルノヴォ
まだ太陽が目覚めない暗がりから出発して
バスや列車を乗り継いで夕方に到着したのはブルガリアの
ヴェリコ・タルノヴォという呪文のような名前の古都。

町に降り立った瞬間、歩き出そうとした足が止まり上を見上げる。
急斜面の丘にびっしりと家がへばりついている。
建っているというより”へばりつく”という表現がしっくりくる。
この町はいくつかの丘から成り立っているため、
谷からの眺めは実に不思議。
こんな町並みはこれまで見た事がない。
家の上にさらに家が積み重なっているように見える。

宿を求めて丘の上へ上へとまるで迷路みたいに蛇行した坂道と
気が遠くなるような急で長い階段をいくつも登った。
石でごつごつした足場の悪い道を照らす日の光はだんだんと弱まり
少し心細い気持ちになる。
慣れないと難儀な石の道。整った石畳とは訳が違う。

翌朝、日の出とともに目覚めた。
太陽は連なる丘の間から顔を出し段々と強い橙色に町を染め上げる。
丘のてっぺんで迎える朝はいつもとひと味違った。

まだ慣れない石の坂道に足をつまずかせながら
坂を下るとパン屋が開いていた。
洒落たパンこそないものの、こんがりと美味しそうに焼けた
ふっくらした大きなパンが並んでいた。
どれも焼きたてで、美味しくて思わず顔がほころぶ。
もっちりと弾力のある生地は小麦の素朴な味がする。
つやつやと光るジャムパン。店の半分がロールパンだった。
ゴマの風味が香ばしいゴマパン。ゴマパンは大人気。

このパン屋の建物はとても古く、趣がある。
直線的で簡素な造りなのだけれど、味わい深い建物だ。
黒光りした古材に縁取られるように漆喰が塗られていて、
最上階部分だけ煉瓦がはめ込まれている。
そして、上にいくにしたがって段々と張り出す形になっている。
おばあちゃんがひょいと顔を出すととても絵になる建物だった。
煙突からもくもくと香ばしい匂いを漂わせていたパン屋の建物。
ショーケースの前にどっかりと席を取る看板猫。

パン屋の辺りはどうやらサモヴォドスカタ・チャルシャという
古い職人街らしい。
よく見ると小さな工房で職人が木彫りの作品を作っていたり、
織物を織っていたり、イコンを描いていたりする。
それぞれの職人の適当な営業時間により開いていたり
そうでなかったりするので、何度も通っていたのに
ここがチャルシャ(市場)とは気が付かなかった。
丘の上から細い坂道を下るとチャルシャの一帯に辿り着く。
チャルシャ周辺の古い建物の屋根には変わった煙突が出ている。

工房の間には骨董屋やお土産屋もあり、
あちこち覗きながら歩くのが楽しい。
お土産屋にはブルガリア名産のバラ製品も売っていて
芳しい匂いが充満していた。
土産物屋の前にも呑気な猫がいた。
大あくびをひとつ。

急斜面を下りて谷を歩き、霧に包まれたツァレヴェッツの丘へ向かう。
丘の上にぽつんと建つ教会は現実とはかけ離れた存在のようだ。
道がどこかで途切れてあの教会まで辿り着けないような気さえする。
空を背景に小さく2塔見えるのが丘の上の教会。

丘の入り口まで来ると、万里の長城を短縮したかのような石の道が続く。
人気のない強固な石畳を歩いていると、妙にこわばった気持ちになる。
なんだか後ろから騎士たちの蹄の音が聞こえてくるようだ。
オスマン朝の攻撃以前はこの丘全体が宮殿だったらしい。

息を切らしながら目指した丘の上の大主教区教会は
現代絵画の巨匠の手によって修復されていたため
伝統的な古い教会が見られると思って行くと拍子抜けする。
見るものに何か訴えかける迫力はあるけれど、
やはり郷土色の強い素朴な教会の方が心落ち着く。
とはいえ、丘の上からの眺めは素晴らしく、登った甲斐があった。
丘に密集する家々が見渡せる。まるで模型のようだ。

この町は道に迷うのが楽しい。
こっちに行ったらどうなるのかと自ら迷子になろうと思っても
ちゃんと元の場所に戻ったり、目的地に着いたりする。
とても複雑な地形の不思議な町だ。
呪文のような名前というのもこの町にぴったり。
古い家々を縫うように曲がりくねった小道からは
ひょっこりと魔女が現れそうな気配がする。
猫が多いのも、もしかしたらそのためかもしれない。

text by : yuki
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