クサスカのサンドウィッチ
「これからターンツハーズに行かない?」
ルーマニアに住んでいた当時、町から遠く離れた村で催された
お祭りからの帰り道、列車の中で男に声を掛けられた。
大荷物を抱えていたので迷ったが、ターンツハーズという
楽しそうな響きにつられて、知らない村に向かうことにした。
彼は「荷物を家に置いてくる」と言って、幾つか前の駅で降りた。
日没の早い初冬の夕方、道行く人に尋ねながらターンツハーズへと急ぐ。

ターンツハーズとはハンガリー語で”踊りの家”という意味。
とっぷりと日が暮れた村に、煌々と明かりの漏れる建物が見えた。
そこは廃墟と化した殺風景なホールで、あどけない少女が数人、
民族衣装のプリーツスカートをなびかせて、くるくると踊っていた。

隅に設けられた長椅子に座って、勧められるがままに
ツイカを飲んでいると、村人が続々と集まってきた。
列車で会った男とも合流し、哀愁漂うジプシー楽団の演奏が始まると
子供から年配の人まで男女が手を取り合って踊り始めた。
老朽して壊れた屋根からは冷たい風が容赦なく吹き付けていたが
人々の熱気でホールが温まっていくのが感じられる。

踊り慣れていない私はビールを飲みながら民族舞踊を眺めていたが
新しい相手探しに熱心な人から強引に手を引かれては
ホールの中心へと連れてこられ、見よう見まねで踊ることになった。

「そろそろ帰ろうか?」という話になったのは深夜の3時過ぎだった。
町へ戻る電車は日が昇るまで来ないし、歩いて帰るには遠過ぎる。
酒と踊りの疲れで目眩のするなか頭が回らずにいると
彼は「よかったら家に泊まりなよ」と声を掛けてくれた。

彼の友人の車で隣村まで送ってもらうことになった。
外灯すらない真っ暗な道を走っている途中「お腹は空いてない?」と訊かれ、
そういえば酒ばかり飲んでいて、何も食べていないことに気が付いた。
だが、こんな時間に開いている店などあるはずがない。
「ビールでお腹いっぱいだよ」と遠慮して答えたのだが
彼は何か察したようで、どこかに電話をかけ始めた。

民家の前で車が止まり「ちょっと待ってて」と言うと
彼は満面の笑みを浮かべてすぐに戻ってきた。
小脇には1斤のパンを抱えている。
真夜中にパンを貰いに友人の家を訪ねることに驚く。

家に到着するなり、彼はツイカを振る舞ってくれた。
そして、赤い液体の入った瓶を持ってきてパンに塗り始めた。
これはザクスカといってトマトやパプリカなど様々な野菜を煮込んで作る
保存食で、大量に拵えて瓶詰めにして、収穫の少ない冬に備えておくもの。
そのザクスカをたっぷりとのせたパンを「どうぞ」と手渡されたのだが
蓋がちゃんと閉まっていなかったのか、空気に触れていた表面の部分が
明らかに白くカビていて、異臭を放っている。
しかし、これだけ親切にしてもらって食べられないなんて言えるはずもなく
パンをもう1枚もらい、腹を壊す覚悟でザクスカを挟んで飲み込んだ。
その後にパンを手渡された妻は、空気に触れていない中の部分だったので
私の葛藤に気付くはずもなく、隣で美味しそうに食べている。
堪え難い後味をツイカでごまかして、そのまま眠りについた。

翌朝、案の定腹を壊した。
「何か飲む?」と訊かれたので「水をもらえるかな」と言うと、
彼は首を振って「ビールにしよう」と真面目な顔で返してきた。
どうやら「ツイカにする?ビールにする?」という質問だったらしい。
昨夜あれだけ飲んだのによくビールなんて......と思いつつも
陽気な彼に連れられて、村唯一のバーへと繰り出した。

帰り際、彼はお土産にといってザクスカをひと瓶持たせてくれた。
列車に乗り込み、ようやく妻に昨夜のサンドウィッチの話ができると思い
「ザクスカがカビていて臭くてさ」と言おうとしたら、つい
「クサスカがカビていてさ......」と言ってしまい、笑うしかなかった。

帰宅するなり、瓶から表面のクサスカを取り除き、改めてザクスカを味わった。
野菜の甘みが口いっぱいに広がり、昨夜の悪夢を忘れさせてくれた。

text  by : tetsuya
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サンタクロースのカプチーノ
玄関を開けた途端、冷凍庫から流れ出る冷気のような風が一気に身を包む。
ルーマニアで迎えた冬、氷点下20度という肺まで染み渡る寒さのなか
意を決して町の外れにあるデパートへ出掛けることにした。
道すがらにある湖は分厚い氷のスケート場と化している。

家のすぐ近くにある市場で野菜や果物など必要な食材は揃うのだけれど
並ぶのは旬の収穫物ばかりで、冬になると店も品物も激減してしまい
根菜がほんの数種類だけ転がっているという寂しい状況になる。
だから、冬の間は1時間ほど散歩して最新のデパートへ行き
外資系の大型スーパーで買い物をしていた。

町の中心に住んでいながら、普段の生活はとても都会的とは言えなかった。
市場で量り売りの野菜を買い、庭に成った果物を好きなだけ穫って食べ、
牛乳やチーズは小さな村の酪農家のおばちゃんたちから直接買っていた。
ワインは地下にある薄暗いバーで持参した瓶に樽から注いでもらっていた。
それが、大型スーパーに行くと輸入食品が山のように積み上げられている。

そのデパートの入り口にはスターバックスコーヒーがあった。
ルーマニアでは滅多に見かけることがないので懐かしく思い
ちらりと覗いてみるとコーヒーが10LEI(300円)と書かれていた。
日本では驚かない金額だが、当時スタンドで飲んでいたコーヒーは
1LEU(30円)だったので、思わず後ずさりしてしまった。
物価の安い国ではファストフードのチェーン店でさえ高級に感じられる。

温かいコーヒーを美味しそうに啜っている人たちを横目に
通り過ぎようとした時、白い髭を蓄えたおじちゃんが席を立った。
テーブルには、手をつけていない様子のケーキとコーヒーが残されている。
気になってしばらく立ち止まっていたが、おじちゃんが戻る気配はなく
私たちは吸い寄せられるようにその席に座っていた。
あの濃厚なガトーショコラと甘いカプチーノの味は今でも忘れられない。
しかも、不思議なことに未開封の煙草と緑色のライターまで残されていた。
もしかしたらこれはサンタクロースからのクリスマスプレゼントかもしれないと
両切りの煙草をゆっくりと燻らせながら本気でそんなことを考えていた。
ルーマニアではこのような妙な出来事がたまに...いや頻繁に起こる。

冬にスターバックスの前を通るとあの日の記憶がよみがえり、
その度にルーマニアが恋しくなる。

text by : tetsuya
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ジョボクの信仰告白式

同じ町に住む友人たちを誘って家で食事をしている時、
何かのきっかけで翌日の話になった。
ラーレーシュとキンガ夫妻は「明日は乗馬をしに行くよ」と
意気揚々と教えてくれた。
カロタセグ地方の村で乗馬できるところがあるらしい。
偶然にも、私たちもその隣村まで出掛けようと思っていた。
興奮してそう告げると、途中まで一緒に行こうという話になった。


翌朝、家の前でラーレーシュの車を待っていると、タクシーが止まった。
一歩下がっていると、タクシーから降りてきたのはラーレーシュだった。
それも運転席から。聞くと、お父さんがタクシードライバーとのこと。
今日はお父さんの車を借りてきたらしい。空車マークが外されていた。
突然のタクシーの登場に驚いていると、助手席のキンガが笑った。

シルバーのタクシーは馴染みの道を走り、やがて山道に入った。
草の生い茂った急な斜面にタイヤをとられながらも
エンジンをふかして少しずつ登っていく。
途中で放牧中の羊の大群に道を遮られながら
道なき道を行くとスタナ村に到着した。
車が止まると同時に数匹の犬が林の中から飛び出してきて車を囲んだ。
やがてあきれた顔で飼い主が現れて人なつこい犬たちを咎めた。
彼女が乗馬の先生。ここには可愛い犬や馬がたくさんいる。


二人と別れて私たちは隣村を目指した。
夕立が過ぎ去るのを大木の下で待ち、細い丸太の橋を渡って
丘をひたすら歩き続けようやくジョボク村に辿り着いた。
二時間ほどは歩いただろう。
でも不思議と疲れてはいなかった。
三ヶ月前には雪解け後の茶色い乾いた土がむきだしだった丘も
生き生きとしたやわらかい芝に覆われていた。


村の中心にある教会を横切った時、集まった人々の間に
鮮やかな色を見つけ、釘付けになった。
信仰告白の儀式だろうか。十代の若者が華やかな晴れ着を着て
母親に襟を正してもらっている。
少女たちは袖の大きく膨らんだパフスリーブのブラウスに赤い刺繍のベスト、
花模様のチロリアンテープがあしらわれたエプロンと胸飾りを身に付けて
この上ない高貴な華やかさを放っている。
少年は穂の飾りを付けた帽子に大きなタイ、真っ白な幅広のズボンに
規則正しくぴっちりと折り目のついたプリーツのエプロンを付けて
勇ましく立っている。


ミサの終わった教会を鍵番の少年たちに頼んで少し覗かせてもらった。
白いカットワークで装飾された教会内は若々しく清楚な印象だった。
信仰告白とは、適齢の若者が宗教を受け入れることを誓うもの。
この儀式で彼らは人生の節目を迎えたことになる。
まだあどけない表情の少年少女が、この美しい教会と共に
これからの人生を歩んでいくのだろう。


「この村を訪れる際は彼を捜してみて」と友人に紹介してもらったのは
”レベンテ”という名だけ。住所も連絡先も分からない。
村に行けば彼に会えると安易に考えていたのだが、
道行く人に尋ねると「どこのレベンテ?」と逆に訊かれる。
こちらでは聖人から名を取る人が多く、同じ名前の人が村にはたくさんいる。
「画家の……」と言うと、「町へ買い物に出掛けたよ」との情報を得られた。
町とは私たちが住んでいるところで、行き違いになってしまったようだ。
ようやく行き着いた彼の家に置き手紙と往路に摘んだ花束をそっと置いてきた。


この村には古い家が多く残っている。それも素敵な装飾の家ばかり。
残念ながら素朴な村にも、景観を乱す新築の家が建てられることもある。
でも、ここは自然に馴染む落ち着いた色合いの美しい家が多い。
家々を見て歩いていると、ちょうど立派な門からおじいちゃんが出てきた。
型崩れしていないかっちりとしたハットに細い木のステッキ、
糊の効いたぱりっとしたシャツを着込んだ上品な出で立ち。
ハットを軽く持ち上げて「ごきげんよう」と挨拶をしてくれた。
帽子をこよなく愛する夫は、こんな年の取り方をしたいとつぶやいた。


隣の家では、広い芝生の上を軽快に走り回る鶏を追い掛けるおばあちゃんの姿。
目が合うと頬をほんのりと紅潮させて笑顔でこちらに来てくれた。
エプロンをたくし上げて颯爽と歩み寄る姿は何だかハイジを思わせた。
おばあちゃんは「私、80才よ!」と片手を広げ、そこに3本指を付け足した。
見るからに健康そうで、はきはきとした口調からは
とてもそんなに年配とは思えなかった。
私はこんなに元気で可愛らしい年の取り方をしたい。


丘の斜面には羊の大群が見える。
遠くから見るとまるでさらさらと羊の群れが動くので
ゆっくりと流れる砂時計のように見える。
それはまさに村で流れている時間のようだった。


text by : yuki
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ヴィシュタの茜色

農作業を終えて帰宅する途中の大きなクワを背負ったおばあちゃんに
隣村のマコファルヴァへの行き方を尋ねると、
小高い丘の先を指差して「この丘を越えた先にあるわ」と答えた。
そこには草が生い茂って細くなった頼りない一本道があった。
躊躇していると、後にいたおじいちゃんが
「そっちは近道だけど危ないよ」と助言してくれた。
幹線道路を通れば確実に辿り着けるが、かなり遠回りになる。
できれば地図に載っていない村人だけが通る山道を歩きたいものだが、
最近は行き来が少ないのか、消失しかかっている道が多い。


炎天下のなか道に迷っては大変なので、幹線道路をヒッチハイクすることにした。
止まってくれたのは、年季の入った大型トラック。
見たことのないようなたくさんの目盛りが付いている。
まるで飛行機の操縦席のようだ。
ルーマニアでは古い車を自分で修理しながら大切に乗っている人が多い。
国産車ダチアのおんぼろ車が黒煙を吹いて走る姿は微笑ましい。


幹線道路からは徒歩で村を目指した。
額から吹き出る汗を拭っていると、ようやく一番最初の家が現れた。
爽やかな若草色の外壁に、レースのカーテンがなびく素敵な家。
よく見ると外壁の上部には花模様が描かれている。
近くで見ようと身を乗り出していると、中からおばあちゃんが出てきて
「ようこそ!」と言ってにこやかに手を振ってくれた。
可愛らしい家に似合う陽気なおばあちゃんの声に歩みは早くなった。


突然の夕立に見舞われて教会に駆け込むと鍵が開いていた。
そっと中へ入ると、しんと静まり返っていて埃っぽい古い木の匂いがした。
ここは今でも使われているのだろうか。
カロタセグ地方の教会は決まって村人が拵える刺繍で
美しく飾られているので少し淋しい印象を持った。
鮮やかに色付けされた賽銭箱だけが存在感を放っていた。


雨が上がるとヴィシュタ村へと足を伸ばした。
この村へは、以前夜遅くに訪れたことがあった。
一寸先しか見えない外灯のない暗闇のなかを歩いていると、
向こうから少女たちの話し声が聞こえてきた。
ちょうどすれ違う時に民家の明かりに照らされたその姿は
きらびやかな民族衣装に身をつつんだ三人の若い女の子だった。
彼女たちは腕を組んでまるでスキップでもしているかのように
足並みを揃えてうきうきと家路を急いでいた。
その日はターンツハーズという生演奏に合わせて伝統舞踊を踊る催しがあり、
きっとそれに参加していたのだろう。
その後も暗闇に光る少女たちの姿が頭から離れなかった。


ヴィシュタ村の入口には一風変わった石造りのお屋敷がある。
石塀の可愛らしいレリーフを見ながら歩いていると
真っ赤な門の前でピンク色のTシャツに
ピンク色のエプロンをつけたおばあちゃんに出会った。
おばあちゃんは私たちを呼び止めると、家へ招いてくれた。


通してもらった”清潔の間”に一歩足を踏み入れて立ち止まってしまった。
そこには壁一面にびっしりと絵皿やカップ、水差しや鍋などが掛けられていて
細かな花模様が描かれた飾りベッドには刺繍のクッションが積み上げられていた。
これほどまでに派手な”清潔の間”は見たことがなかったので息を吞んでしまった。
部屋のどこを見ても抜かりなく美しく飾り立てられていて、目が眩むようだった。
おばあちゃんは満足そうな表情で私たちがしきりに感心する姿を眺めていた。


コーヒーをご馳走になっておしゃべりをしていると
「墓地へ行ってごらんなさい」と勧められた。
おばあちゃんは早々と墓石を用意したようで、それを見てほしそうだった。
墓地へ行くと、おばあちゃんの墓石はすぐに分かった。
似顔絵が彫られていたのだ。幸せそうに旦那さんと頬を寄せて。

墓地の隣には教会があった。
鍵を開けてもらおうと牧師さんの家を探していると
一番最初に尋ねたのが、なんと本人だった。
泥だらけの作業着で家の修復をしていた牧師さんが着替えて解錠してくれた。


ほうきの立てられた小さな扉を開けると、薄暗い教会内に明かりが灯された。
その瞬間、文様が描かれた太い柱とその先にある木製の天井画が飛び込んできた。
カセットと呼ばれる動植物が描かれたまるで花札のような天井板の連続と
少し色褪せた赤い刺繍のタペストリーが小さな教会内を穏やかに包み込んでいた。


日が傾きはじめて馬たちが牧草地から帰宅する行列を眺めて
私たちも帰路につくことにした。
少し肌寒くなった空を見上げると、半分が青く清々しい晴天、
もう半分は暗黒の雨雲が迫っていた。この日二度目の夕立がきそうだった。
家の前の長椅子で休んでいた背の高い麦わら帽子を被ったおじいちゃんと
花柄のスカーフを巻いたおばあちゃんは「じきに雨が降るよ」と教えてくれた。
笑顔で答える間もなく雨は一気に降り出してびしょ濡れになるが、
見兼ねたトラックがひろってくれた。


フロントガラスに打ち付けるように強く降った雨は何事もなかったかのように
すぐに上がり、黒い雲の切れ間から美しい夕焼けを覗かせていた。
それはヴィシュタ村で訪れた”清潔の間”や教会の仄暗い茜色に似ていた。

text by : yuki
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イナクテルケの木彫りの門

憂鬱な雨が降り続いている。
ようやく空が明るくなって小雨になったかと思うと
また大粒の雨が降ってきて、なかなか外へ出掛ける気になれない。
日本ではじめじめとした重たい湿気がまとわりつくこの季節、
ルーマニアでは短い春が過ぎ去り、あっという間に夏の日差しが照りつける。


新緑の美しいこの時期にカロタセグ地方の村々を巡ろうと
額に汗をにじませながら草原の一本道を歩いていた。
大きな木の下で火照った身体を休ませていると、目の前に
つばの広い麦わら帽子を被ったおばあちゃんが仁王立ちしていた。
おばあちゃんは手招きをすると、ずんずんと早足で歩き進んで
ぴたりと止まり、こちらを振り返った。
慌てておばあちゃんの後について行くと、鮮やかな緑色の家の前に着いた。


中からは黒服に身を包んだおばあちゃんが出てきて、
しばらく二人でおしゃべりをしたかと思うと、家の中へ招いてくれた。
早足のおばあちゃんは再びすたすたと歩き去ってしまった。
立派な家は新築のように綺麗だけれど、殺風景で生活感がない。
黒服を着ているということはきっと未亡人なのだろう。
家自体がどこか淋しげな印象だ。
リボンで束ねられたバラの壁画がさらに哀愁を誘う。


おばあちゃんはニ階へ上がり”清潔の間”へ案内してくれた。
”清潔の間”は、嫁入り道具として持ち込んだ美しく装飾された調度品や
きらびやかな衣装を飾るその家の富の象徴のような部屋。
普段は出入りしないのだろう、時が止まったかのような静けさが漂っている。
おばあちゃんはそっと箪笥の引き出しを開けると、
いくつかブラウスを広げて見せてくれた。
赤い刺繍の施された大きなパフスリーブのブラウスを広げた瞬間
「素敵!」と歓声をあげると、はにかんだ笑顔を見せて譲ってくれた。
長い間大切にしてきた貴重な民芸品に価値を見いだせない
子供や孫たちが多いとはよく聞くが、この家もそうなのかもしれない。


”清潔の間”を興味深そうに眺めている私たちを見て、
どこか物悲しそうなおばあちゃんの表情が和らいだ。
それがなんだか嬉しかった。

村を散歩していると、手の込んだ木彫りの門が目に留まる。
一輪の花を持つ女性とお酒を片手にした男性の彫刻があったり、
操り人形のように奇妙な恰好の男性と裸の女性の彫刻があったり、
管楽器を吹いている装飾があったりと実に様々な彫り模様が見られる。
ルーマニア各地でその地方独特の凝った木彫りの門を見ることができるが、
この村は面白い彫り模様が多い。
それも100年以上前に彫られたものが残っているから驚きだ。


木彫りだけでなく、古い石造りの家もあちこちで見かけられる。
外壁のブロックひとつひとつに面白い彫刻が施されている家もあった。
うっとりとした表情でバラを持つ男性、嬉しそうにチューリップを持つ女性、
狙いを定めて銃を持つ狩人に羊、馬、兎、鶏などたくさんの動物に植物。
ひとつのブロックが絵本の1ページのように物語性があってとてもユニーク。
こんなおとぎ話のような絵が刻まれた家に住んだらどんなに愉快だろう。


容赦なく照りつける日差しのなか、子供たちは裸になって遊んでいる。
小さなお尻を突き出して笑いながら追いかけっこをしている姿を
近所のおじいちゃんが幸せそうに微笑んで眺めている。
辺鄙な村を訪ねると過疎化のためか静まりかえっていることも多いが
子供のはしゃぎ声が聞こえると村全体に生き生きとした活力が感じられる。


道端で出会ったおばさんが庭で摘んだばかりのクランベリーを
たくさんお裾分けしてくれた。
指先を真っ赤に染めながら甘酸っぱく瑞々しいクランベリーを頬張って
次の村へと歩き出した。

text by : yuki
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チェルナット村の博物館

雪が降ると思い出す、ファルシャングという謝肉祭の時期のセーケイ地方。
仮面を被り、仮装をした人々が冬に別れを告げ、
春を迎え入れる一風変わった伝統行事が行われる季節。
各地で賑やかなお祭りが催されるなか、静かな村へと降り立った。

曇り空に雪の降り積もる、天も地も真っ白な世界を歩いていると
木の看板に”博物館”の文字が見えた。
博物館といっても低い石垣に囲まれているだけで
辺りの民家と変わらない間隔で敷地内に家がぽつりぽつりと建っている。
開けっ放しの入口をくぐってみたが、館主が出てくる気配がないので
ひとけのないしんとしたその家々を見てまわることにした。


粉砂糖のような新雪にきしきしと足を埋めながら
点在している昔ながらの造りの家々を覗いてみると、
土で固められた床に漆喰の白壁のひんやりと薄暗い部屋に
伝統的な調度品や織り機、多種多様な調理道具や農耕具などが展示されていた。


また別の家屋には電話機や蓄音機などが山積みになっていたりと
家ごとに分類された数えきれないほどの古道具を見ることができて面白い。
いくつかの家屋を見てまわっている途中に、人の足跡を見つけた。
その足跡を辿っていくと、立派な髭を蓄えたひとりのおじさんに出会った。

おじさんは、もうずいぶん前から私たちがここに入館したことを
知っていたようで、落ち着いた声で「こちらに来なさい」と促した。
おじさんに案内されて点在する家々のひとつにお邪魔すると、
そこは他とは違って明るく生活感があり、暖炉の熱で暖かかった。
そして、少なく見積もっても10匹以上はいたであろう
様々な模様の猫が部屋のあちこちでくつろいでいた。


おじさんは「ここで待ってなさい」と言い部屋を後にすると
しばらくしてお皿を両手に持ったおばさんが入ってきた。
お皿からは湯気が上がっていて、私たちの目の前に置かれた。
それは美味しそうな温かいスープだった。
「どうぞ召し上がれ」と言っておばさんは次から次へと
パンやチキンやポテトやコーヒーを運んできてくれた。

よく分からないままにその好意に甘えて食事をしていると
寒さで頬を真っ赤にした女の子がやってきた。
彼女は学校で日本語を勉強しているそうで
ハンガリー語と日本語の載ったテキストを片手に自己紹介をしてくれた。
アグタによると、おじさんとおばさんは両親で
この博物館は家族で運営しているそう。


アグタの案内で一番大きな建物へと入った。
そこには貴重な収集物が壁一面に所狭しと展示されていた。
セーケイの民族衣装やそれらを身に纏った人々の膨大な写真、
クロスやレースや刺繍などの布切れまで丁寧に飾られている。

なかでも目を引いたのは、かつて男性が女性に贈っていた
細かい木彫りが施された洗濯板の数々。
日本の波打った擦り洗いをする洗濯板ではなく、
石場などで叩いて汚れを落とす道具である。
いびつで素朴なものから繊細で芸術的なものまで
十人十色の彫り模様があり、それぞれの想いが伝わってくるようだ。


貴重な民芸品を見ることができて、しかも食事までご馳走になり、
幸せな気持ちで博物館を後にした。
雪はさらに降り積もり、先程歩き回った足跡はすっかり埋もれていた。

明るいうちに帰ろうと来た道を引き返していると、
行きに立ち話しをしたおばあちゃんと再び出会った。
大きな樅の木の植わっている家の立派な門構えに見蕩れて
立ち止まって眺めていたところ、声を掛けてくれたのだった。


おばあちゃんは、ぱあっと嬉しそうな表情になり
「さぁ、入りなさい、入りなさい」と家に招いてくれた。
ミントグリーンの壁色に綺麗な織り物が掛けられた部屋には
おじいちゃんと娘さんがいて「ようこそ」と握手をして迎えてくれた。
ここでも、おばあちゃんがてきぱきと食事の準備をしてくれて
いつの間にかテーブルにはご馳走が並んでいた。
ソーセージやサロンナなど、家畜の肉で作る保存食は冬の大切な食料。
それをお皿に山盛りにしてパーリンカまで振る舞ってくれた。


この村のことや町の学校に行っているお子さんのこと、
色々と話し込んでいるうちに外はすっかり真っ暗になっていた。
慌てておいとまして、最終のバスに乗り遅れないように
バス停まで走ったが、しんと静まり返った村外れのバス停には
待てども待てどもバスはやってこなかった。

大吹雪に見舞われながらヒッチハイクを試みるとすぐに車が止まってくれた。
運転手のお兄さんは、荷台に腰を掛けほっとしている私たちの方を振り返り
「こんなところで何やっているの?死んじゃうよ!」と笑いながら車を走らせた。

確かに、心臓まで凍てつくような寒さだったけれど
優しい人々に出会えて心はぽかぽかと温かかった。


text by : yuki
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羊飼いとの食事

野花の生い茂る丘を越えて隣村に辿り着いた。
小さな村のようで、穏やかな空気が流れている。
目的地を目指して旅をするのもいいけれど、
こうしてひたすら歩いて素敵な場所を探す旅もまたいい。


可愛らしい民家と、その前に佇む牛車を眺めていると
「どこから来たの?」と木の門から小柄なおばちゃんが出てきて尋ねた。
そして、返答する間もなく「いらっしゃい!」と自宅に招き入れてくれた。
真っ黒の巻き毛の犬が出迎えてくれて、奥にも大きいのがいるなと思ったら、
それは犬ではなく、ぬいぐるみのような可愛い子羊だった。


羊飼いの旦那は陽気で愛想が良く、珍しい来客がよほど嬉しいのか、
それともかなり酔っ払っているのか、笑顔と冗談が絶えない。
鼻歌を唄いながら注いでもらったツイカで乾杯すると
奥さんはあっという間に食事の用意をしてくれた。
目の前に突如現れたご馳走と隣で飛び跳ねる子羊に犬、
「もっと飲め!」と笑う旦那と「たくさん食べて!」と微笑む奥さん。
まるで楽園に迷い込んだようだ。


空腹だった私たちは遠慮することを忘れ、夢中になって食べた。
あまりにも美味し過ぎて手が止まらない。
窯で焼いたパン、羊の乳で作ったチーズ、庭で穫れたネギやトマト、
この家で育てた豚の塩漬け、それにツイカもすべてが自家製だ。
他で味わうことのできない濃厚で滋味深い味。
すっかり空いた皿を奥さんがまた山盛りにしてくれる。


旦那がどこからか写真の束を引っ張り出してきた。
若い頃から羊飼いをしていたらしく、羊と一緒の写真ばかりだ。
長い放牧に出るたびに撮っていたのだろう。
羊の毛皮のガウンを纏い、自身も羊のようである。
羊飼いに誇りを持っているらしく、当時の写真について熱く語っていた。
自然のなかで羊を連れて過ごす時間、彼は何を思うのだろう。

ふたりで旅をしていて、ひとつ気付いたことがある。
それは、町など都会にいると些細なことで揉めてしまうのに、
丘や森など自然のなかにいると不思議と揉めごとは起らない。
お金や物がないほうが人は穏やかに暮らせるのかもしれない。


親切な夫婦と「また必ず来るよ」と約束して別れた。
気付けば、村に着いて一軒目にあるお宅で数時間も過ごしていた。
膨れたお腹をさすりながら幸福感に満たされて歩いていると、
また「家に寄っていきなさい」とおばちゃんが家に招いてくれた。
お菓子を勧められ「お腹がいっぱいだから」と遠慮しても
「だったらお土産に」と袋に詰めて持たせてくれる。
出会う人みんなが優しく声を掛けてくれるこの村は
もしかしたら本当に楽園なのかもしれない。


一年の旅で出会った人たちに恩返しをするには
一年では到底足りないだろう。

text by : tetsuya
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ラーレーシュのツイカ

私たちが住んでいた町クルージ・ナポカで暮らす友人、
ラーレーシュとキンガ夫妻の家に招待された。
陽気なルーマニア人男性のラーレーシュと聡明なハンガリー人女性のキンガは
性格は正反対のように見えるが、息の合ったとても仲の良い素敵な夫婦だ。

挨拶もそこそこに、ラーレーシュは真っ先にツイカを持ってきて
小さなグラスになみなみと注いでくれた。
去年の冬に地元の村で作ったというこの蒸留酒は
プルーンの芳醇な香りがして驚くほど美味しい。
彼は嬉しそうに、薄暗い納屋で白い蒸気を吐きながら
ツイカを作っている様子を収めた映像を見せてくれた。

キンガのお手製のハンガリー料理でツイカはどんどん進み、
グラスが空く度にラーレーシュは「遠慮しないで」とボトルを傾ける。
ふたりで顔を赤くし、やっとのことで一本空いたと思ったら、
彼は待ってましたとばかりに屋根裏へと登っていった。
梯子の先には大きなガラスの瓶がいくつも並べられていた。
もちろんすべてツイカである。
冬に拵えたものを一年かけて少しずつ飲むらしいが、
それにしてもすごい量である。
いつか一緒に村でツイカを作ろうと約束した。


その夜に見た素朴な村の映像がずっと頭の片隅に残っていて、
ある日、思い立ってトランシルヴァニア地方にある
その村を目指すことにした。
近くの駅で列車を降り、車掌に行き方を尋ねるが、
指差す方向にはなだらかな丘しか見えない。
丘を蛇行する一本道をひたすら歩き続けて2時間、
ようやく遠方に集落が見えてきた。


喉をカラカラにして村に着くと、運良く共同の井戸があったので
水を汲もうとレバーを上下するが、水は一滴も出てこない。
たまたま通りかかったおじちゃんが見かねて、
向かいの民家のおばちゃんに「おーい水をくれ!」と頼んだ。
家庭の水を分けてもらうなんてなんだか悪いなと思っていると、
戻ってきたペットボトルにはほんの少しだけ水が入っていた。
その僅かな水を井戸に流し入れ、同時にレバーを傾けると
勢いよく水が噴射された。
どうやら誘い水が必要だったようだ。
乾ききった喉に冷たい井戸水が心地良く流れていく。


村の中心にある教会を覗いていたら、
隣で畑を耕していた司祭夫婦が自宅へと招いてくれた。
そこは孤児の施設になっているらしく、子供がたくさんいた。
可愛い子供たちと新聞紙で折り紙をして遊んでいたら、
ケシの実の焼き菓子、コゾナックをご馳走してもらい、
お土産にと羊毛で織られたバッグ、トライスタまでいただいた。
さらに「これから車で町へ行くからよかったら家まで送っていくよ」
と提案してくれたが、もう少し村でゆっくりしたかったので遠慮した。
この無償の親切心はどこからくるのだろう。


ラーレーシュの地元はとても静かな村だった。
民家の門に施された綺麗な彫り細工を見ながら
散歩しているだけで幸せな気分になれる。
しかし、これだけ自然が溢れていて美しい村でも
若者はここを離れ、町へと出ていくのだろう。


土地があっても昔のように完全に自給自足の生活を営むのは難しい。
単一の作物を分業で効率よく生産し、安価で流通する時代。
自分の畑を手放し、先進国へ出稼ぎに行く村人も少なくない。
広大な土地で便利な機械を使い、農作業をして得た給料で
食料を買って生活をした方がずっと快適なのだろう。
これは衣食住すべてにまつわる問題だと思う。


村外れの林のなかに、古い木造教会の尖塔が見えた。
静かに聳える木の教会は森の一部のようにひっそりと佇む。
村の中心に新しい教会ができると、こうして古くなった教会は
ほとんど使われなくなり、忘れ去られてしまうのだろう。
朽ちてはいるが、立派な門構えがより哀愁を誘う。


教会の前の長椅子に座り、水色の空を見上げる。
白い鱗雲が浮かんでいるのをぼんやりと眺めて
隣村へと歩き始めた。

text by : tetsuya
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トランシルヴァニアの動物市

トランシルヴァニア地方の村で動物市があると聞き、行くことにした。
はっきりした場所は分からなかったが、道の途中で見かけた
市場に向かっているであろう馬車群に付いていくと、
何処からともなく動物の匂いがしてきた。


草原には馬や牛、豚、それにルーマニアでは珍しいロバもいた。
四方八方から商談の声や動物たちの鳴き声が聞こえ、
さらに麻袋に入れられ鳴き騒ぐ子豚の声が響き渡る。
市場に漂うこの活気が私はたまらなく好きだ。


動物市で売られているのは、家畜だけではない。
衣料品や日用品や食料品、それに馬具など
様々あるが、なかでも必ず足を止めてしまうのは、
似たような形の帽子がいくつも積み上げられた帽子屋だ。
村の男性にとって最も重要なお洒落は帽子なのだ。
衣服は農作業や家畜の世話で汚れていても
帽子だけは自分なりの美学を持っている人が多い。
リボンにさり気なく綺麗な羽根を挿んでいたり、
被り方ひとつとっても美意識が感じられる。

古い帽子の上に新調した帽子を重ねて被っていたおじいちゃんは、
きっと古くても馴染みのある帽子が手放し難いのだろう。
それにしても面白いシルエットを生み出していた。


動物市を後にして、その先の村を目指して歩いていると
後ろから走ってきた馬車が追い抜いて少し先で止まった。
「後ろに乗るかい?」と声を掛けてもらい、有り難く乗せてもらうが、
荷車を引く馬は知らない顔が二人も乗ってきて、さぞ辛い思いだろう。
四人乗りでもゆっくりだった馬車は六人乗りになり、さらにゆっくりと進む。
干し草を積んだ馬車にも丸太を積んだ馬車にも次々と追い越されていく。


歩いているかのようにのんびりと進む馬車からは、
寝そべって馬を操るジプシーの派手な幌馬車が何台も見えた。
ジプシーは、今では各地に定住しつつあり幌馬車生活を送る者は
少ないと聞いていたので、夢でも見ているかのような景色だった。

道の分岐点で降ろしてもらい、遠くに見える小さな村を目指す。
川のせせらぎのする方へと歩いていくと、
橋の上でおじさんと子供たちが釣りをしていた。
こうした何気ない日常の風景がほのぼのとしていて心が和む。


庭に置かれた椅子でうたた寝をするおじいちゃんの後ろ姿や
野花を片手に急ぎ足で教会へ向かうおばあちゃんの笑顔も
素朴ではあるが満たされた暮らしを物語っているようだ。


まるで映画の一場面のような光景が、ここでは日常に溢れている。
トランシルヴァニアでの一日はこうしてのんびりと過ぎていく。

text by : tetsuya
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ルーマニアの日常

私たちの暮らしていたルーマニアの古都、クルージ・ナポカの周辺には
小さな村がいくつも点在していて、毎日のようにどこかへ出掛けていた。
行き先を決めず列車に乗り、車窓から気になる教会や民家が見えたところで
すぐさま降りて、あてもなく村を歩きまわる。

よく村人に「何をしに来たの?」と訊かれるが、うまく答えられない。
私にとっては、目の前に広がる木造教会や古民家、馬車や牛車、
丘や湖のある風景が美しく、ただ歩いているだけで幸せなのだが、
そこで暮らしている村人にそれを伝えるのはなかなか難しい。
彼らにとっては、さほど特別とは思えない日常的な景色なのだから。

村で出会ったジプシーの子供たちと山登りをしたり、
川で泳いだりして遊んでいる時などは最高に楽しい。
腹が減ったら木の実や花を摘み、畑から葱を引っこ抜いて差し出してくれる。
木の実の酸っぱさや花の蜜の甘さ、葱の美味しさは彼らから教わった。
とっぷりと日が暮れるまで遊んでいると、お金や遊び道具がなくても
時間を忘れるほどに夢中になれるのだと気付かされる。

帰国してからも、こうしたルーマニアでの光景をふと思い出す。
そんな、まだ記しきれていない何気ない日常を
これからも少しずつ綴っていきたいと思っている。

text by : tetsuya
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