アンデルセン公園

久しぶりに涼しい風が吹き抜けるお盆の朝、
なかなか息子を連れて行けなかった遠方のお墓参りに行く道すがら
以前から気になっていたアンデルセン公園に立ち寄った。

ルーマニアから帰国した数年前、新たに住む家が見つからないまま
ひと月が過ぎようとしていた。
向こうで暮らしていた古いお屋敷の一部屋が住み心地良く、
その家と同様の住まいを心のどこかで求めていたからか
狭苦しい東京では理想とする物件に巡り会えなかった。


お互いの実家や友人の家を行き来して新居を探しまわる毎日に疲弊し始めた頃、
書店で見かけた本の片隅に「アンデルセン公園」が紹介されていた。
園内には、デンマークの可愛らしい木組みの家や風車が草原の中に建っていて、
息苦しかった日々に久しぶりに心のときめきを感じた。

その後、すぐに新居が見つかった。
都内に拘らずに関東全域で家を探し始めると、北欧建築の一軒家が目に留まった。
デンマークハウスさながらの素朴な木造の家は私たちにとって最高の新居だった。
本を見て「こんな家に住めたらいいね」という会話がすぐに実現するなんて
とても信じられなかったけれど、そこに引き寄せられる何かがあったのだろう。


アンデルセン公園に着くなり、息子は駆け出した。
小高い丘を登り、風車を抜けて、大きな橋を渡ってもなお走り続けている。
もはや歩くことを忘れたかのように駆け抜ける息子を追いかけるのに夫は必死だ。
ボートに乗るとようやく大人しくなったけれど、広大な公園に興奮している様子。
辺りを見回して、ボートから身を乗り出し四方八方を指差している。


園内にはアンデルセンの童話を思わせる切り絵が所々にあって、
長旅の一番最初に訪れたデンマークのオーデンセを思い出す。

オーデンセはアンデルセンが生まれた土地で
それもそのはず、とてもメルヘンチックな町だった。
石畳が敷かれた旧市街には、淡い色の可愛らしい家々が建ち並び、
白鳥が住む湖の上にアンデルセン博物館がある。
アンデルセンの生い立ちから作品、手紙や日記まで
彼の半生をじっくりと知ることができる素敵な博物館。
そこで最も感銘を受けたのが、趣味である切り絵だった。
今まで見たことのない驚くほど繊細な細工の切り絵には目を見張った。
童話の世界そのままの、のびのびとした切り絵の原画を見れただけで
とてつもなく大きな感動があった。


水色の屋根に桃色の扉が可愛らしい飼育小屋が見えると
向かいの柵の中で動物たちがうごめいていた。
息子は、恐る恐るヤギに近づいてちょこんと突ついては
逃げるを繰り返し、妙な照れ笑いを浮かべている。
引き馬ができたり、小動物と触れ合えるのもこの公園の魅力だろう。

地元の酪農家が作る新鮮なミルクのアイスやプリンを頬張っていると、
真っ白だった曇り空がどんよりと暗くなり、突然の大雨に見舞われた。
自然豊かな散策路や季節の花が愛でられる庭をもっとゆっくり
散歩したかったけれど、急いで車に戻ることになった。


すっかり日が傾き、日没前の弱い明かりが辺りを包む中、
祖父母が眠るお墓に花を手向け、親を真似て手を合わせ
お辞儀をする息子を見て、少しずつ成長しているのだなぁと感じる。
そんな姿を天国で見守る祖父母にようやく見せることができてよかった。
雨は一段と勢いを増してずぶ濡れになってしまったけれど
心温まるお盆休みとなった。


text by : yuki
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高鍋大師

急勾配の雑木林をゆっくりと車が登っていくと
うっそうと茂った草むらの中にこんもりとした古墳が見えた。
古墳群を過ぎると急に視界は明るくなって
広い青空と日向灘が望める拓けた場所に出る。
そこには見上げるほど大きな石像が独特の出立ちで佇んでいた。


真夏の日差しが照りつける正午、聖子さんに連れて来てもらった高鍋大師。
面白い石仏群があるというのは以前から聞いていたけれど
どんなところなのか想像もつかなかった。
突然、異空間に出くわして呆然と辺りを見回していると
案内をお願いしていた観光協会の黒木さんがお見えになった。


黒木さんの丁寧な解説でひとつひとつの石像をじっくり眺めていく。
最初に案内してもらったのは、3人の彫師の姿が刻まれたもの。
中央には”岩岡保吉 四十五才”とあり、石仏を熱心に彫る横顔。
その両隣には、この地に招いた仏師とそのお弟子さんの姿。
”小丸川原於テ 八十八カ所 彫刻人”とある。
小丸川の川原を作業場にして一心不乱に彫る様子が見てとれる。

岩岡保吉氏は幼い頃に高鍋に越してきて、
やがて米穀の商売を成功させこの地を購入し
四国巡礼で感銘を受けた88カ所の霊場を造ることを決意する。
そこで、彫刻に関して素人だった岩岡氏は大分より仏師を招き、
彼に石仏造りを学びながら、お弟子さんとたった3人で
翌年に88体もの石像を完成させた。
それが、台地の麓から高台までずらりと並んでいる。


岩岡氏は、最初こそ教わった通りの普通の石仏を彫っていたらしいが
経年につれて彼の個性が出てきて生き生きとした表情の石像が生まれていった。
神も仏も人間も織り交ぜた不思議な世界に佇むのは、
穏やかなお地蔵様に目をひんむいた鬼、泣きべそをかく子供に歯を見せて笑う女性、
いくつもの顔や腕を持つ観音様に水戸黄門まで実に様々な石像が共存している。

雑木林の先には賽の河原があり、幼い子供の石像が愛らしい姿で林立している。
子供の前には積み石があり、奥では鬼が怖い顔をして睨み、菩薩が微笑んでいる。
そんな”あの世”である賽の河原を息子は楽しそうに駆け回り、
積み石を手伝ったり泣いている石像の頭を撫でてなぐさめたりしている。
それを優しい眼差しで見つめ「岩岡さんが喜ぶでしょうなぁ」と黒木さんが呟いた。


一方で岩岡氏は、相次いだ持田古墳の盗堀に心を痛め、
古墳の霊を鎮めるために87才で亡くなるまで石仏造りに励んだ。
驚くべきことに晩年の作に巨像が多く、なかには7メートルを超えるものもある。
「老齢になって細かい彫刻ができなくなったのか
 年を重ねて増々創作意欲が湧き出てきたのか…」と黒木さんは像を見上げて微笑む。
”火よけ みまもり”と書かれた剣を持った百体不動の目には電球が埋め込まれていた。


岩岡氏の造る石像は特徴的で、どれも文字が彫られている。
漢字、平仮名、片仮名が混じった独特の言葉がまた石像の魅力を広げている。
どういう意味だか分からず立ち止まって考えるのも楽しみのひとつだろう。
めかしこんだ男女が手と手を取り合っている像には
”エんをぬすんで よいひとと しらがなるまで くらすよに”とある。
”縁を結んで良い人と白髪になるまで暮らすように”という意味だろう。
他人同士が添い遂げるには困難もあるけれど、岩岡翁に優しく諭されている気がする。


決まりきった説明ではなく、自身の解釈を交えて案内をしてくれる
黒木さんの話は私たちを引き付ける。
「私も石像に刻まれた文字の意味がさっぱり分からないことがあるけれど
 何度も通っているうちに岩岡さんの啓示がふと伝わってくることがある。
 その時は嬉しいもんだよ。」
観光協会からの依頼がなくても、時間があればここを訪れ
訪問者に案内をしているという。
誰も来ない日も飽きずに石像を眺め、新しい発見に喜びを感じるという黒木さん。
高鍋大師への深い愛情を感じずにはいられない。


石像に囲まれて建つ簡素な造りのお堂には誰でも自由に入ることができる。
そこには無数の千羽鶴が吊り下げられ、奇妙な形の巨大な木魚があり
「笑顔のこころ十ヵ条」なるものが掲げられている。
古い畳と張り替えられたばかりの新しい畳がつぎはぎの小さなお堂には
たくさんの白黒写真が飾られていて、袈裟姿にノミを持つ岩岡氏の姿や
地元の人々が石像を囲んで微笑む姿が写っている。
他にも誰かが持ち寄ったであろう古びたマッサージチェアやちゃぶ台や
やさしい筆使いの水彩画が無造作に置かれている。
ここに一歩踏み入れただけで、高鍋大師がどんなに人々に愛されているかが分かる。
こんなに雑然とした、でもあたたかいお堂はこれまで見たことがない。


お堂の端には岩岡氏が実際に使っていた道具が残されていた。
ちびたノミや金槌、滑車など最低限の道具で
これほどまでの大作を造ったのかとあらためて感心する。
朝歌ちゃんと楽弥が競って大きな木魚をぼんぼんと叩く音を聞きながら
道具類や写真を見て回ると、想いを自らの手で形にすることの偉大さを感じる。
19才で米穀販売を成功させたのも、四国巡礼を成し遂げたのも、
高野山で得度をしたのも、もちろん高鍋大師を造ったのも
強い想いと実行力があったから成せたのだろう。
人生を懸けて何かに突き進む姿は神々しいものがある。


「いやぁ今日はいい1日だった」と黒木さんがぽつりと言った。
団体客が大型バスでとんぼ返りをしてしまうことも多く、
その魅力を十分に伝えきれないこともあるそうだ。
宮崎でここが一番訪れたかった場所だと伝えると
「物好きだねぇ」と、とても嬉しそうな表情で笑った。
私たちにとっても忘れられない素晴らしい一日となった。


text by : yuki
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青島神社

福岡での仕事を終え、翌日の朝早くに宮崎へ向かった。
幸運にも定休日だからと、picnikaの津留さんと奥様の陽子さんが
車で片道四時間もの長旅を快く引き受けてくれた。

陽気な管楽器のジプシー音楽が流れるなか
旅の話をしながらいくつものトンネルを抜けて宮崎に入ると、
沿道にはヤシ科のフェニックスが林立していて急に南国気分になる。
冬の寒さが厳しいルーマニアのトランシルヴァニア地方に住む
聖子さんのことを思うと、なんだか不思議な気がした。
南方に生まれ、今は森の彼方の寒地で暮らしている。


聖子さんは、小学生の長男の長い夏休みを利用して宮崎に帰郷していた。
そして、偶然にも同じ時期に福岡に行くことになった私たちは
限られた日数を惜しみながらも、聖子さんたちに会いに行くことに決めた。

待ち合わせをしたのは、南東の海岸に浮かぶ青島。
海岸とは橋でつながった1.5kmほどしかない貝殻で出来た小さな島で
民話「浦島太郎」のもととなった「海幸山幸神話」が生まれた神秘的なところ。
そのほとんどが亜熱帯の植物に覆われ、島内には唯一青島神社が建っている。


車を停めて参道を目指して歩いていると、ひんやりとした雑木林に囲まれた。
しばらくすると寂れたガラス張りの建物に突き当たる。
曇ったガラス窓から中を覗くと、どうやら温室のようで植物が乱立していた。
このじっとりとしたうら淋しい空気感が心地良い。
根が絡まったアコウの木や樹上で綿の成るパンヤの木、そして突如埴輪が並ぶ
独特の雰囲気を持つ緑道を抜けて、目下に広がったのは見渡す限りの奇岩。
その名の通り洗濯板のように波打った「鬼の洗濯板岩」が青島を取り囲んでいた。


海岸で貝を拾い集めていると、ぐんと背の高くなった大樹くんが駆け寄ってきた。
初めて会った時から比べると、もう倍近くの身長になっただろうか。
その後ろで手を振るのは、聖子さんと背中におぶられた朝歌ちゃん。
生まれて数ヶ月頃の乳児の表情が頭に残っていたが、すっかり大きくなっていた。
聖子さんは、ルーマニアで会っても日本で会ってもいつも変わらず
明るい笑顔と温かい言葉で、無音していた時間を一瞬で埋めてくれる。


久しぶりの再会を喜び、皆で昼食を共にして青島神社へと向かった。
大人の足で行けばたった数分のところを、子供連れでは橋を渡るのがやっと。
ようやく島内に足を踏み入れたかと思ったら、息子がぐずりだした。
仕方なく、津留さんご夫妻と夫だけが参拝に行くことになった。

朝歌ちゃんと息子の楽弥が海水に足を浸して遊んでいるのを見ながら
青白い空と真っ赤な鳥居と「鬼の洗濯板岩」をじっくり眺めて
なんて神々しい島なのだろうとあらためて思う。
昔はこの橋もなく、干潮の時にだけ渡っていたという。
しかも、古くは島全体が霊域とされていて一般人の入島は禁じられていたらしい。
遠くでは大樹くんが蟹を捕ったと喜ぶ声が聞こえる。
福岡では毎日が充実しつつも慌ただしく時間が過ぎていったが
ここではそれが嘘のように、ゆったりとした空気が流れている。


三人が参詣を終えて戻ってくるなり、夫が「絶対に行った方がいい」と言うので
日暮れが差し迫ったなか、聖子さんたちと行くことにした。
今度は楽弥も乗り気のようで、すたすたと裸足で歩いて行った。

鳥居を過ぎるとすぐに境内が現れ、夏越しの大祓えの茅の輪くぐりがあって
皆で八の字を描くようにぐるぐると回った。これで半年間の罪穢れを祓えるそう。
色とりどりの短冊がなびく七夕の笹を抜けて、本殿にお参りをすると
さらにその先に細い御成道が続いていた。


亜熱帯植物のビロウ樹がうっそうと生い茂るジャングルのような暗い道を進むと
小さくも存在感のある元宮が姿を現した。
その裏には天の平瓮投げという投瓮所があり、素焼きの小さなお皿で占いができる。
神様が祀られている岩が積み上げられた磐境に小声で願い事を唱え
平瓮と呼ばれる小皿を勢い良く投げ入れるというもの。
見事に磐境に入れば心願成就、平瓮が割れれば開運厄祓となる。
私たちの投げた平瓮は大きく左に反れたが、ぱりんと音を立てて割れた。


本殿に戻るとその明るさに目がまだ慣れない。
帰り際、短冊に見慣れた大きな字を見つけた。
夫が願い事を書いたと言っていたが、すぐにそれが目についた。
楽弥の健康と、新しく増える家族の無事の誕生。
そして、裏には家族の似顔絵が描かれていた。
青島神社は縁結びや安産の神様であるから
きっと叶えてくれることだろうと思う。


帰路もゆっくりと橋を渡り、その間に朝歌ちゃんと楽弥はようやく
手をつなげるようになった。間にBOOを挟んで…。
その小さな手はすぐにほどけてしまうが、照れて駆け出すふたりの姿が微笑ましい。


一日中付き合ってもらった津留さんご夫妻にお礼と別れを告げて、
今は空き家となっている聖子さんのお祖父様のお宅へ向かう。
宮崎の地鶏を食べながら旧家でのんびりとくつろいでいると
幼い頃に毎夏行っていた田舎の祖父母の家を思い出す。
机の上にはたくさんのご馳走が、その周りでは子供たちが走り回っている。
この風景はいつの時代も変わらないだろう。
かつては私も走り回っていた子供のひとりだったが
いつの間にか子供たちを見守る親になっていた。

子供たちはご馳走があるにも関わらず、レーズンパンに夢中になっている。
朝歌ちゃんと楽弥はパンから落ちたレーズンを奪い合い、
大樹くんと夫が「レーズン泥棒!」と指を差して叫ぶと
ふたりは嬉しそうにはしゃいで、ますます泥棒合戦になっていった。
潰れたレーズンがそこら中に散らばり、皆の笑い声が部屋中に響き渡る。
もう十数年も経験していない夏休みが再び訪れたようなひとときだった。


text by : yuki
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たかし

福岡での仕事を終えた後に、熊本の友人の家にお邪魔しようと思っていた。
しかし、宮崎にも寄ることになり「行けなくなっちゃったからこっちに来てよ」
と冗談半分で電話をすると「分かったよ!車で行くよ」という思わぬ軽い返事。
さすがたかし...相変わらずだなと思いつつ、日曜の朝を迎えた。

たかしは、年はひとつ上だが服飾の専門学校の同級生。
お世辞にもセンスが良いとは言い難く、
未だに何故ファッションの道を志したのか分からない。
そんな彼の作る洋服は想像を絶していて、
作品を見るなりいつも私は笑い転げていた。
デザインもひどかったが、彼の引くパターンは異常だった。
最低にして最高のパンツは思い出すだけで笑いが込み上げる。
誰が見ても足が入るはずのない超極細スリムパンツが誕生したのだ。
何をどう間違えたのか裾巾が通常の半分しかなく、鉛筆みたいに尖ったパンツを
「少し小さいかな...?」と呟きながら履こうとするのだが、少しどころではない。
パンツの裾からは指先しか見えない...が、彼はそこで諦めようとはしない。
なんと脇線が裂けるのも気にせず、強引に足を通そうとするのである。
膝までスリットが入った奇妙なパンツにさすがの彼も顔を赤らめている。
その革命ともいうべきパンツに、腹がよじれるほど笑っているのは私だけで
周りにいた講師や他の生徒たちからは冷やかな視線が注がれていた。

当時、私は裸電球ひとつぶら下がった、風呂どころかお湯すら出ない部屋で
暮らしていたが、たかしが住んでいたアパートもなかなかのものだった。
小学生くらいの子供たちにドアポストから部屋を覗かれて
「こんなところに人が住んでいる!」と驚かれたらしい。

もちろん食生活も荒んでいた。
学校のすぐ近くにある恵比寿ガーデンプレイスでランチをする生徒もいる中、
私は家で炊いた米を釜ごとリュックサックで持っていき、白飯を食べていた。
たかしはその隣で米どころかピンク色の魚肉ソーセージを頬張っていた。
そんなものを食べながら得意気に言うのだ。
「いいこと教えようか...もやしカレーを作るといいよ」
肉なんて入れなくても、もやしだけで十分美味いと熱く語る
彼の言葉を信じて作ったカレーは、包丁すら家になかった私の
初めての手料理となると同時に彼の味覚を疑う結果となった。

めずらしく「今日はおごるよ」と兄貴ぶるたかしに甘えて
居酒屋を何軒かはしごしたこともあった。
格好よく見えたのも束の間、帰りの電車賃が足りなくなり、
切符売り場で何ともいえない目で私を見つめていた。
人付き合いはいいが、あれほど計画性のない人間はいない。
東京から地元の岩手に帰ったはずが、何故か今は熊本に住んでいる。
本人も「俺が熊本に住むなんてな」と目を丸くしていた。

私たちの結婚披露宴の両家顔合わせの時にも、たかしはなぜかそこにいた。
はるばる岩手から茨城へやってきて違和感なく私の家族に紛れていた彼は
妻の親族から見たら一体何者に映っていたのだろう。
その日の夜、彼は真面目な顔で訊いてきた。
「明日の結婚式どれくらい包んだらいいかな?」
言葉に詰まりながらも「気持ちでいいよ」と答えたのだが
当日、彼は誰よりも分厚い祝儀袋を持ってきた。
しわくちゃの夏目漱石を束にして…。

さらに後日談があって、たかしにとってこの時出席した結婚披露宴が
人生で初めてだったらしく「あの時の披露宴が今までで一番楽しかった」
と六年後になぜか二度目の祝儀袋を手渡されたのだ。
我が家に泊まった後、岩手に帰る別れ際の祐天寺駅の改札で。
何のことだか理解できないままそれを受け取ったのだが、
お礼を言う前に彼の後ろ姿は消えていた。
しわひとつない福澤諭吉がきっちりと揃えてあった。

他にも私の親父の還暦祝いに同席していたり、
炎天下のなか遠くから寿司を手土産に持ってきたり、
金がないからと始めたバイト先でねずみ講に引っかかったりと
彼の馬鹿話は本当に尽きない。

朝九時にホテルに着いたと連絡をもらってロビーへ向かうと
いつもと変わらないたかしの姿がそこにはあった。
この日は、妻と息子と四人で糸島へ向かおうと思っていたのだが
「誰に訊いても塩浜なんて知らないってさ」と言う彼に朝から言葉を失う。
伝えてあった”糸島”という地名を”塩浜”に変換してしまっていたらしい。
糸島では目当てのレストランに入れず、とんぼ帰りになってしまったけれど
彼はそんなことをまったく気にせず「牛丼でも食べるか」と言っている。
わざわざ福岡に来て牛丼を食べる気が知れなかったけれど、
相変わらずの無頓着ぶりが懐かしかった。

福岡での仕事を終え、皆で打ち上げをする時にも
何をした訳でもないたかしが一番張り切って注文を取り仕切っていた。
ホテルまで送ってもらう帰り道で美味そうな屋台を見つけ
「ラーメン食べない?」と言うと「そうする?」と返ってきた。
いつも半疑問形で返事をして、断ることを知らない。
そんなに乗り気じゃなかったはずなのに、彼はすでに替え玉を頼んでいる...。

出会った時からちっとも変わらないたかしと過ごしていると
大袈裟だけれど、時空を超えているような気がする。
十年以上も前のことが昨日のことのようだし、
数年ぶりに会っても毎日顔を合わせていたような気になる。
どうしようもない学校生活を送っていた私にとって
妻と出会えたことも大きかったが、たかしとの出会いはまさに衝撃だった。
その馬鹿さ加減にいつも呆れているはずなのに、たまに無性に会いたくなる。
そして、彼と会うなりたちまち青春の時分に戻ってしまう。

text by : tetsuya
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ふくや

飛行機が高度を下げると、息子は耳に異変を感じたらしく、
それまでおとなしく食べていたタマゴボーロを耳に一粒ずつ詰め込んだ。
ボーロの耳栓では気圧の変化に耐えられず、泣きじゃくる姿は可哀想だったけれど
着いてしまえばすぐに機嫌を取り戻し、預けていたベビーカーが回る
ベルトコンベアーを追いかけてぐるぐると走り出した。

こうして始まった九州の旅は、様々な人に会うことができて毎日が新鮮だった。
刺繍教室はお陰様で定員に達し、たくさんの方々とイーラーショシュ刺繍を
楽しむことができて有意義な時間が過ごせた。
トークショーには遠方からもお客さんが来てくれて本当に嬉しかった。
今回、声を掛けてくれたpicnikaの津留さんと
子ども服展に訪れてくれたすべての方に心からお礼を言いたい。

福岡に着いてまず向かったのは、骨董屋のふくやだった。
ずいぶん前、恵比寿にPretzelの店舗があった頃に遊びに来てくれたことがあり、
その時にもらった簡素なDMをいつか行こうとずっと持っていた。
迷いながらもようやく辿り着き、眠っている息子を順番で見ることにして
先に私が店に入ると「気にせず皆で入りなよ」と気さくに声を掛けてくれ、
さらに奥から布団まで持ってきてくれて「ここで寝かせたらいいよ」と言う。
外で待っていた妻と息子を呼びに行くと、焙じ茶とお茶菓子を用意してくれ
続けて古いミルで挽いた、最高に美味しいコーヒーとメレンゲが並んだ。
あまりの持て成しに驚いていると、お腹を空かせた息子が目覚めてぐずりだした。
すると「もうすぐパンが蒸し上がるから待っててな」と息子に話し掛け
甘夏のジュースやミルクと共にくるみパンや蒸しパンを出してくれた。
息子は思わぬところでご馳走にありつけて幸せそうに頬張っている。

店主の江口さんはいたずらな息子と一緒に古い積み木で無邪気に遊んでいる。
息子が投げた積み木が骨董品にぶつかりそうになっても
「大丈夫」と笑い、遊びはさらに熱を増していく。
なおみさんは「どうぞ」とおおらかな笑顔で気遣ってくれる。
ふたりの雰囲気が店内にゆったりとやさしい空気を漂わせていて
梅雨に濡れた家屋がなんだか周りとは別世界のような気がした。
たくさん持て成してもらったというのもあるけれど
ふくやの店のあり方すべてに感動してしまった。

二十歳の頃に偶然入った目白の古道具屋で、坂田さんに一枚のカルタについて
お茶を啜りながら画集を片手に二時間近くも話を聞かせてもらったことや、
tamiserが麻布十番にあった頃に、吉田さんが傷だらけの白い皿の時代背景を
写真集と照らし合わせて教えてくれたことは、今でも強く心に残っている。

ふくやにいると、その時の感動が蘇ってくる。
もし、時間に余裕さえあれば毎日でも通いたかった...
というよりもあの空間でもっとゆっくりしたかった。
福岡に着いてすぐ、この地に来てよかったと満足感でいっぱいになっていた。

text by : tetsuya
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ムーミントロール

春の心地よい日和、私たちはムーミントロールになった。
長い冬の眠りから覚めたムーミンとスナフキンが橋の手すりに腰掛けて
足をぶらんぶらんさせてしまうような、そんな清々しい気分の昼下がり。

ムーミンが気になり始めたのは、冬の大雪のなか
ムーミンの故郷、フィンランドを旅した時のこと。
寒さを忘れるほど、石畳も外灯も家も店もすべてがきらきらと輝いて見えた。
そして、初めて自分のために買ったアラビアのマグカップは
ムーミンとミイとトゥーティッキがストーブの前でちぢこまっているものだった。
マグカップはいつの間にか割れてなくなってしまったけれど
十四才の時に初めて行った海外旅行は、ムーミンの存在と共に深く心に刻まれた。


それからも、寂れた古書店でトーベ・ヤンソンの童話や
ムーミンコミックスを見つけては、ムーミンの世界に浸っていた。
色とりどりのアニメーションには馴染みがないけれど、トーベやラルスが描く
単色の漫画や挿絵はそれ以上に頭の中で様々な色をもたらしてくれる。
読んでいるうちに、どうもムーミンの世界は”子供のためのもの”
だけではないような気がしてくる。何か別の次元の世界が広がっているような感じ。
それはきっと、トーベが執筆するために訪れるフィンランド湾に浮かぶ小さな島で
本当に妖精たちと共に過ごしているからなのだろう。


そんな、ムーミンの世界をモチーフにしている公園がある。
「あけぼの子どもの森公園」という自然に囲まれた市営公園。
おさびし山を思わせる森やムーミン屋敷、水浴び小屋やたきぎ小屋など
童話に出てくるムーミン谷の景色が、ここに広がっている。
とは言っても、ムーミンの格好をした人がいるような遊園地ではなくて
もっと独創的で子供が自然のなかで思いっきり楽しめる工夫が施してある。

息子は川で水遊びをしたり、丘を登ったり、ムーミン屋敷を探検したり、
ありとあらゆる場所へ目を輝かせて走り回っていた。
この公園では、子供も大人も誰しもがムーミントロールになれる。


眠気をこらえて遊びまわる息子は、足がもつれてよく転ぶ。
急斜面を転がりそうになって慌てて駆け寄ると
たんこぶができていたが、泣かずに起き上がって懲りずにまた走り出した。
そんな姿を見ていると、童話に出てくる”あらゆる小さい生き物を守る神様”が
息子のようなわんぱくな子供たちを守ってくれているような気がしてならない。

次に行く時は、ムーミンママがいつも作っているパンケーキとすぐりのジャムと
木苺のジュースをたくさんこしらえてピクニックをしたい。
そして、またムーミントロールになりたい。


text by : yuki
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ルーマニアからのお客様
お店を閉めても、なかなか穏やかには暮らせない。
制作や来客や片付けに追われて忙しい毎日を送っています。
日にちの感覚も、曜日の感覚もないまま、いつの間にか4月が終わっていました。
ゆっくりパソコンに向かう時間もなく、私が日記を書くのは本当に久しぶりです。


先月のはじめ、ちょうど桜が見頃を迎えた頃、
ルーマニアでお世話になった聖子さんと息子さんの大樹くんと
東京・下町散策に出掛けました。
お二人は初春から日本に帰省されていて、約一年ぶりの再会となりました。
この日を指折り数えてとても心待ちにしていました。

たまたま4月1日にお互いの都合があったのですが、
店を閉めて、明け渡して、全てから解放された清々しい区切りの日に
お二人にお会いできたのは素晴らしい巡り合わせのように思いました。
また、満開の桜が高揚感を引き立たせました。

この日は、大樹くんが一緒ということもあって上野動物園に行くことにしました。
真夏のようによく晴れた空の下、太陽の光をたっぷり浴びて
広い園内を散歩しながら動物を見ておしゃべりをして、、、と、
素晴らしく健全な1日を過ごしていることにささやかな喜びを感じていました。
大人になるにつれて屋外で過ごす時間が少なくなったように思います。
食事や映画や買い物と、どうしても屋内で過ごすことが多くなってしまう。
こんなふうに歩きながらのんびりと会話ができるのは何よりも楽しい。
 
ゾウは草よりもパンが好き。 大樹くんは木登りに挑戦していた。
 シロクマはお昼寝中。

動物園を出て、見事な桜並木を抜けて浅草へ。
春休み真只中で動物園も込んでいましたが、浅草もかなり活気に溢れていました。
雷門をくぐった先にある仲見世は人で埋め尽くされていました。
人形焼きの実演を見たり、手焼きせんべい屋を覗いたりして下町情緒に浸る。

仲見世から細道に入って、遅い昼食に選んだのはお好み焼き屋の”染太郎”。
ここは風情があって、田舎の祖父母の家のように居心地の良いお店です。
鉄板から昇る煙や油を長年吸い込んだようなこっくりとした柱の色や
もう壁と一体化して取れなくなったシールが年季を感じさせます。
そして、店内には文豪や俳優など著名人の色紙がたくさん飾られています。
そこには店への想いが綴られていて、どれも色褪せています。
 
年季の入った趣きのある店内。 昔懐かしい雰囲気が漂っている。

靴を脱いでゴザの上に歩き疲れた足を伸ばし、
ちゃぶ台に鉄板が乗ったようなちいさな机の上でお品書きを見る。
聖子さんと大樹くんは初めてのもんじゃを頼んだ。
 ソースなどが入った調味料入れの桶。

お願いすれば定員さんが手際良く焼いてくれる。
野菜たっぷりの土手に流し込んだ生地はすぐにふつふつと美味しそうな
気泡をはじいて香ばしい匂いを漂わせる。
最初はとろっと、最後はパリっとしたもんじゃを楽しめる。
 
お好みの具を加えていろんな味が楽しめるもんじゃ焼き。
 
麺の入ったお染め焼き。聖子さんが上手に返してくれました。

いつの間にか歩き疲れた大樹くんはゴザに横になって眠ってしまった。
その隣で大人3人もんじゃをつつきながらルーマニアの話に夢中になった。
現地の生活水準、日本人が暮らすということ、住みやすい都市など
思いつく限りの質問を投げかけると聖子さんがひとつひとつ丁寧に話してくれて、
これまで漠然としか思い描けなかった現地での暮らしが一気に現実味を帯びてきた。
様々なことを知りたくても知り得なかった、掴めなかったことが
ぐっと近くに寄ったような気がしました。

気が付けば長い時間話し込んでしまったけれど、
大樹くんは気持ち良さそうに寝入っている。
こんな風に子供を安心して寝かせられるお店なんてそうそうないと思う。

お店を出て、再び雷門を横切って電車に乗り込んだ。
車内でも話は止まらない。
続きはルーマニアで、とまだまだ話足りないけれどしばしのお別れ。
 夜の雷門。

聖子さんとのお話しで印象的だったのが、
「いかにお金を使わないで生活をするかが大事だと思う。
そこに本当の豊かさがあると思う」
その言葉は常々自分の中でも感じていたことだった。
都心に住んでいると、何よりも先にお金を得ることを考えなくては生活できない。
そして楽しむことにお金も不可欠だ。
でも、聖子さんの日々の暮らしを覗かせてもらうと、
自然の中での楽しみ方、村での人との交流、興味のあることへの探究と、
そこにお金はほどんど意味を持たない。人間らしい生き方をしている。
そういう暮らしが魅力的でルーマニアに惹かれるのだと思う。

夏にまた再会するのが今から楽しみ。

text by : yuki
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鎌倉の終着点
私は雨が嫌いだ。
雨が降ると出掛けるのも嫌になって
家で丸1日、映画を観て過ごす事も少なくない。
しかし、鎌倉に出掛ける時だけは何故だか雨でも足が進む。
きっと雨が似合う土地なのだと思う。

今回の鎌倉も雨。今年1番の寒さ。
傘も持たずに出掛けた私はずぶ濡れで
靴の中は水たまり。帽子のつばにも水たまり。
こんな時、寒さに凍えながら飲むイワタ珈琲店の
”木蓮”という名のブランデーの香る珈琲は至福の味である。
もちろんホットケーキも忘れてはいけない。


イワタ珈琲店から鎌倉の1日は始まり、
いつも同じルートで同じものを食べてしまう。
そして鎌倉の終着点は、テロワールという小さなフランス料理店。
天然酵母のパン屋の2階にあり、
パン屋の奥の急な階段を登っていくと
”秘密の屋根裏部屋”といった趣きの店が現れる。


ここでは決まって鎌倉野菜の温野菜を注文する。
鮮やかな鎌倉野菜が大きめにカットされ、
世にも上品な味のソースがかかっている。
じゃがいも、にんじん、ブロッコリーに
皮付きのごぼう、里芋、かぶ、、、と色々。
この綺麗な色と優しい味にほっとさせられる。


フランス料理店というと構えてしまうところがあるけれど、
こじんまりとした気取らない店内は居心地よく、
料理も食べごたえがあってどれも本当に美味しい。
お酒も良質なものが揃っていて料理に合わせて選ぶのが楽しい。
出てくる料理やお酒にいちいち感動して、ひと口ごとに感心する。
乾かぬままの靴を気にしつつも鎌倉に来て良かったと実感した。

食事を済ませて表へ出ると辺り一面、真っ白になっていた。
いつの間にか雨から雪に変わっていて、
いつも見慣れている景色とは全く別の世界が広がっていた。
とても幻想的な夜だった。
この日は妻の誕生日。
いいプレゼントが出来たと勝手に満足している。

text by : tetsuya
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ポーリーヌの庭
    

「ポーリーヌ」というベルギー映画を観ました。
4人の老姉妹のはなし。これがとてもよかった!
知的障害を抱える次女のポーリーヌは、花が大好きで、
庭の花に水をやるのが何よりの楽しみ。
他のことはうまく出来ないけれど、花を愛でる気持ち、
美しいもの、綺麗なものに惹かれる純真無垢な心、
少女のような老女ポーリーヌに心を打たれます。

その映画を観た後日、駒込にある旧古河庭園に行きました。
バラが見事な花盛りでした。
庭園の上に建つ立派な洋館との組み合わせが素晴らしい。
可愛らしい洋館と、可憐なバラを一目見た瞬間に、
これは「ポーリーヌ」の世界だ!と思いました。
 バラと洋館。

バラ園の隅で、ポーリーヌがじょうろを持ち上機嫌に散水していそうです。
洋館も、こんなに立派ではないけれど、長女のマルタとポーリーヌが
住んでいた田舎町の素朴な家にどことなく似ていて、
キッチンやダイニングの端々に、柄の可愛いポットやラベルの洒落たジャムなど
愛嬌のある日用品がひそんでいそうな雰囲気があります。
(使っている本人たちは、その可愛さに気付いていなかったりする。)
窓からのぞく壁紙やシャンデリア、廊下にある背の高い赤い傘のライトなど、
重厚さや上品さがありつつ、可愛らしい。乙女心をくすぐる洋館です。
洋館に立ち入るには申し込みが必要だそうで、その日は入れなかったのですが、
帰ってすぐさま申し込まなくては、、、と思うくらい興味をそそられました。
  
どの角度から見ても絵になる洋館。 窓からじっくり部屋を覗きたくなる。

 
様々な種類のバラが咲き乱れる。 スロープにもバラのレリーフが!感激!

映画では、朝食の風景が印象的に挿入されています。
長女マルタとのいつもの朝食、三女の派手好きなポーレットとの朝食、
都会に住む四女セシールとその彼との朝食。
自分で朝食を用意できないポーリーヌは、パンを皿に取ってもらい、
バターを塗ってもらった後、姉妹たちに必ず聞かれます。
「ジャムにする?チョコにする?」
ポーリーヌは大きな声で「ジャム!」「・・・やっぱりチョコ!」
と、その日の気分で気ままに答え、パンに塗ってもらいます。
こんな素敵な洋館で食べる朝食は美味しいだろうなぁと思う。
 
園内の売店には、バラの花びら入りアイスが売っています。

まだバラは見頃だと思いますので、
「ポーリーヌ」を見てから旧古河庭園に行ってほしいです。
忙しくて花を愛でる気持ちを忘れかけている方に是非!
とても幸せな気持ちになれると思います。

text by : yuki

    
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夢の国
ずいぶん前のこと。
舞浜に用事があったので、めずらしくディズニーランドに行きました。
子供のころはいつだって行きたいと思っていたのに、大人になると迷うものです。
迷った末に、夕方からのチケットを買って、入園しました。

子供のころから変わらずに好きなのは、イッツ・ア・スモールワールド。
各国の衣装を着た人形が首をふりふり♪ちいさな世界♪を合唱している中を
ボートで回ります。このちいさなボートで世界一周旅行ができるのです。
ボート乗り場の壁画と、民族衣装がとても可愛いので、昔から大好きで、
小さい頃はこればっかり繰り返し乗っていたような記憶があります。
 
メルヘンチックな壁画。 ボートに乗って♪ちいさな世界♪を口ずさむ。

すぐに暗くなって、いつの間にかパレードが始まっていました。
夜のパレードは、子供の時でも大人になった今でも、やっぱり幻想的です。
ここは夢の国なんだな〜と思わずにはいられない。
パレードの中で、きらきらと輝くチェシャ猫の上に、
ちょこんとアリスが座っているのがとても可愛くて
釘付けになっている子供たちと一緒に見とれてしまいました。
 チェシャ猫とアリス。

たった半日の夜の出来事ですが、
写真を見ると、お馴染みのパレードの音楽がすぐに頭の中に流れます。
もう行かないだろうな〜と思うけれど、また数年後に
ふと行きたくなるんだろうなとも思います。

text by : yuki
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