ひと夏の約束


いつも聖子さんとの再会はすんなりといかない。
かつてのルーマニアでの待ち合わせも連絡が取れなくて
慌ててバス停や駅を息を切らせて探し回ったことがあった。
どこにもいなくて、仕方なく諦めて帰ろうとしたところに
町の中央広場でにこにこと佇んでいる聖子さんを見つけた。
「ここにいればいつかお会いできると思って」
焦りや不安のないその爽やかで優しい笑顔を見た途端に
力が抜けてこちらもすっかり微笑んでしまう。

去年は駅までお迎えに行く途中で公衆電話から着信があった。
「素敵なお家ですね」と明るい声が響いて驚き、すっとんで家に帰った。
住所を頼りに家を探したようで1本の傘に4人で寄り添って待っていた。
「電話ボックスに忘れ物の傘があったんです。とってもラッキーでした」
濡れた足下も気にせず、聖子さんは心から再会を喜んでくれた。

今年こそお迎えに行こうと駅に向かうが、構内のどこにも見当たらない。
長いこと付近を探し回って、結局思いもしないところで出会えた。
やっぱり聖子さんは涼しい顔をして「たこ焼き食べますか?」と
これまた思いもしない問いかけをして、近くのたこ焼き屋に走っていく。

携帯電話がなくても人はいつか出会えるんだなと思う。
旅先で夫と仲違いして別の道を行っても不思議とどこかで会うことができるし
電車で会っただけの名前しか知らないイオアンとだって再び会うことができた。
今は機械に頼り過ぎて、人間らしい感覚が錆びついてしまったような気がする。

1年ぶりの再会。私の背をすっかり追い越した大樹くんの長身に驚いた。
初めて会った時は今の楽弥と同じ4才だったのに早いものでもう13才。
もの静かで聡明な青年に成長している。その大人びた大樹くんに楽弥が
「たいきにーちゃん!」と後を追ってどこまでもついて行き、離れない。

朝歌ちゃんも可愛いお姉さんになっていて、お喋りが楽しくて仕方ない希舟が
ひとりでぺらぺらと話し、時に変な踊りをするのを笑って相手をしてくれる。
赤ちゃんだった瑞生くんも表情豊かになり、澄んだ瞳で多くのことを語る。
「みーちゃん」の独特の間は、いつもみんなの笑い声に包まれる。
1才から13才までそれぞれの年齢の魅力があって愛おしい。

日が暮れるまで遊び、食事を作り、食卓を囲み、みんなで眠る。
束の間の大家族で、何でもない普段の生活がうんと賑やかになるのが嬉しい。
そしてルーマニアの生活のことや村のこと、友人の話を聞くと心が踊り出す。

聖子さんたちに会うとぼんやりと霞んでしまったルーマニアの感覚が思い起こされる。
素朴な話に心が温まるのと同時に彼の地の凍てつくような冷たい風のことも思い出す。
なんて生温い生活に身を置いているのだろうとはっとさせられる瞬間がいくつもある。
水がなければ汲み、車がなければ歩き、暑ければ川で泳ぎ、寒ければ火を焚く。
自然に寄り添った生活をしてきたはずなのに、それをすっかり置き去りにして
いつの間にか暮らすことに別段必要のないものが増えている。
必要なものは思っているよりも少ないと実感したはずなのに
いつからかその悟りが頭の隅に追いやられてしまっている。
このままでいいのだろうかとどこかで違和感がくすぶる。

楽しいひとときも束の間、早起きをして帰り支度をするみんなの姿に
淋しさを隠しきれない子供たち。子供たちだけでない、私も同じだ。
生温い空気が漂っていたところに、清々しい風が吹き込まれて
私の気持ちはルーマニアに飛んでいってしまっていた。

空港までお見送りをする車内、大きな飛行機を見てはしゃぐ子供たちの隣で
胸が締め付けられるような思いでいっぱいになっていた。
みんなが帰国してしまう淋しさと別のもどかしさがあった。
数年ぶりに訪れた空港の雑多で活気に満ちた雰囲気に触れて
すぐにでもルーマニアへと飛び立ちたいという衝動に駆られた。
「今、ルーマニア行きのチケットがあったら俺は何もかも捨てて飛行機に乗る」
同じ気持ちなのだろう、夫が放った言葉が胸に刺さる。聖子さんも続けた。
「みんなで一緒に旅立てたらどんなにいいでしょうね」

別れの淋しさからバイバイが言えなくなってしまった息子が足にまとわりつく。
楽弥の分まで固く握手をして「今度はルーマニアに会いに行くね」と伝える。
静かになった帰路の車内で心がきゅっとしぼんだが、やがてほどけていく。
先程の約束を反芻するうちに、子供たちが緑鮮やかなルーマニアの丘を
転がりながら駆け回る姿を思い描くと少しずつ心が軽くなっていった。
ひと夏の約束をきっと果たしたい。

text by : yuki

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折り紙の天の川


「ねぇ、折り紙ちょうだい」
「ねぇ、はさみちょうだい」
息子に言われるままに棚の上にあった折り紙とはさみを手渡した。
四才になり、少しずつはさみの使い方が上手になってきたものの
やはり見守っていないと手を切りそうで心配だ。
これでもかというほどに折り重ねて、分厚くなった紙の一番端を
ぎじきじ、ぎじぎじ、じょっきん。
切れた先端が部屋の隅に飛んでいった。
息子は笑って喜ぶが、私は指が飛んでいったのではとひやっとする。

ゆっくり折り紙を広げると、そこにはいびつな星が輝いていた。
保育園で七夕飾りを作ったようで、家でもやりたくなったらしい。
「がっくんにーに、すごーい、かっこいー」
妹に褒められて気を良くした息子は、次々と星を作っていく。
切る箇所や角度を間違えても、それはそれで素敵な模様ができる。
広げる度に小さな感動があり、あっという間に折り紙の山ができた。

子供たちが「さ〜さ〜のは〜さ〜らさら〜」と歌っていたので
私も一緒になって「まきばにゆれる〜」と歌うと
「えっ、ちがうよ、のきばだよ」と息子に訂正された。軒端なんだ。
彦星が牛飼いだからか、幼い頃から牧場だと思い込んでいた。
子供に教わることは多い。

ささのはさ〜らさら〜 のきばにゆれる〜
おほしさまき〜らきら〜 きんぎんすなご〜
ごしきのた〜んざく〜 わたしがかいた〜
おほしさまき〜らきら〜 そらからみてる〜

続きを歌う子供たちの隣で手が止まった。
幼い頃に耳にしていたはずなのに、初めて聞いたような気がした。
金銀砂子という歌詞もそうだけれど、風流な童謡の美しさに
子供といるとふと気付かされる。そして、そういう時は
なんだか心にじんと熱いものが広がっていく感覚がある。

そういえば、息子が短冊に願い事を書いて
「お星様に選んでもらえるかなぁ」
と呟きながら、部屋の片付けをここ数日頑張っていた。
どうやら、お星様が願い事を叶えてくれるかどうかは
自分の行い次第だと思い込んでいるらしい。
お星様に悪事が見つからないように慌てている姿もまた愛おしい。

折り紙の山を一枚ずつ繋げて壁に飾ると
まるで色とりどりの天の川のよう。
「わ〜きれい〜」「わ〜ちれい〜」
と子供たちは声を合わせて拍手している。
こうした日々の小さな喜びが星の瞬きのようだと
子供たちが大きくなったら感じるのかもしれない。
素敵な七夕の夜になりますように。

text by : yuki

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絵本とカレーライス

いつか人形劇をやりたいと思って書いていた台本が出てきた。
台本といっても一枚の画用紙に色々な動物が登場して
吹き出しの言葉で話が進んでいく漫画のようなもの。
十年ほど前に店の机で暇つぶしに描いたのだけれど
時を経て読み返してみると我ながら面白く感じた。
それを元に子供たちに絵本を作ろうと思い立った。

刺繍を仕上げるのには何日もかかるけれど
絵ならものの数分で描き上げることができる。
そんな簡単な気持ちで作り始めたのが、そもそも間違いだった。
制作途中で子供たちの感想を訊こうと思い、読み聞かせてみるが
その反応は正直で「面白かった」と言うものの顔が笑っていない。
子は親の作品を否定しないのか、その優しさが余計に胸に刺さる。
絵と文で子供の心を掴むのは、なんて難しいことなんだろう。

それから幾度となく描き直し、子供たちが笑った場面を残しつつ
また夜通しかけて描き直す。翌朝にもう一度読み聞かせてみると
昨夜ふたり揃って笑い転げていたはずの場面にさえ
まったく反応しなくなっていたりする。
子供の感情は変わりやすい。
面白かったものが面白くなくなったり
面白くなかったものが面白くなったり。
そんな時には空しくもなるが、何度読んでも面白いものを作るには
何度も子供を前にして読んでみるしか方法はない。

制作に煮詰まっていた夜、眠っていた息子が急に目を開けて
「キツネが逆立ちして鯉のぼりを眺めるっていうのはどう?」
「ウサギが疲れちゃってゴールで一眠りっていうのはどう?」
「ゾウが遊んだ水をカバが飲んじゃったっていうのはどう?」
「カルタを取ろうとしたらネコが食べたっていうのはどう?」
と溜まっていた言葉が溢れ出るかのように、投げかけてきた。
そのまま静かになったので、眠ったのかなと思ったら
目をつむりながらも、ずっと考えてくれていたようで
「あっ!思いついた」とまた斬新な文が放たれる。

いつしかそれは川柳のようなカルタの句のような歌へと形を変えて
その奇想天外な言葉に感動して讃えると、いきいきとした瞳で喜ぶ。
ストーリーは分からなくとも、彼の言葉の力はすごいと素直に思う。
いつも息子が描く自由な絵に心を動かされているように
私も彼の心を動かすようなものを作らないといけない。

ふたりの子供が気に入った場面を軸にして、絵を描き直し
推敲を重ね、ようやく一冊の絵本が描き上がった。
しかし読み直してみると、子供の反応ばかりに気を取られて
自分を見失っていたことに気が付き、深く落胆した。
何も考えずに書いたあの台本の自由さが失われている。
夢中になって数分で描き上げた勢いがそこにはなかった。
しかも無反応だったから泣く泣く却下した文を後になってから
気に入った息子は、今は無き原文を暗記して読んでいるという始末。

結局ひと月もの間、絵本の制作に取り憑かれていた。
子供も楽しめる自分らしい絵本を作るということが
こんなにも大変なことだとは思わなかったが
子供たちと真剣に向き合えた良い時間だった。

これならもっと喜んでもらえるんじゃないかという物語が
刺繍の合間に浮かんでくると、今でも書き留めてしまう。
針と筆を交互に持つことで、刺繍も絵もさらに楽しくなる。
いつか子供にも大人にも喜んでもらえる絵本を作れたらなと思う。

手伝ってくれた息子に感謝を込めて、夕食の買い物の時に
「今日は楽弥の好きなものを作るよ。何が食べたい?」と訊くと
「カレーライス 今はそれしか 食べたくない」と返ってきた。
彼の頭は絵本のことよりも川柳のことでいっぱいになっている。

text by : tetsuya

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芸術家の少年

連休前に思い立って、あの男に連絡をした。
これまで電話を取ったためしがないのに
やけにあっさりと繋がった。
「明日から遊びに行ってもいい?」
「ええけど寝るとこ作るからゆっくり来てな」
相変わらずだったが、生きていたことにまず安心した。

最後に会ったのは東京に住んでいた頃、もう七年も前になる。
ちょうどルーマニアへ旅立つ前の慌ただしい時期にやって来て
毎日、パンとビールと公園を求めて自転車で走り回ることになった。
朝起きると姿はなく、大きな紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら
帰ってくるものだから、冷蔵庫はコーヒー牛乳で埋め尽くされた。
それも一口飲んだものを横に積み重ねていくから溢れ出ている。
彼と一緒にいると信じられないことが度々起こる。

保育園帰りの子供たちに急遽決まった連休の予定を伝える。
「今夜からみんなで遠くに行くことになったんだよ」
「行きたい。行きたい。どこに行くの?」
「芸術家に会いに行くんだよ」

不思議そうな顔をしたままの子供たちを乗せて出発する。
いつもなら寝ている時間なのにふたりは眠ろうとしない。
「なんか真夜中の冒険みたい」
息子が窓に張り付いて夜景を見ながらそう呟いていたが
目的地も分からないまま布団に寝て暗闇を走るということは
子供にとっては夢と現実の間を旅しているような感覚なのかもしれない。

寄り道をしながら丸一日かけて姫路に辿り着いた。
「寝るとこ作るからくれぐれもゆっくり来てな」
と道中に念押しされていたので、まさかとは思ったが
通されたアトリエにはその言葉通り、寝るとこが作ってあった。
「ぎりぎりやったで。さっき整ったところや」
木材を調達してベッドを作っただけではない。
シーツも布団も枕もすべて彼の手で作り上げられていた。
「このリネンはイタリアの七十年前のデッドストックやねん。
 素材にはこだわらなあかんからな。一番ええのを使うんや」
いつも会った瞬間だけは随分と格好良いことを言うのだ。
「この部屋には入らへんから好きなだけ泊まっていき」
兄貴風を吹かせて彼は颯爽と階段を下りて行く。

広いアトリエにある照明は作りかけのランプふたつだけ。
薄明かりのなか見渡すと、イーゼルに掛けられたいくつもの絵画に
無造作に置かれた画集に写真集、夜空に向けられた天体望遠鏡があり
以前と変わっていない彼の世界観がひときわ輝いて見えた。

朝は庭でゆっくりコーヒーを飲み、昼は公園でサンドウィッチを食べて
夜は家で映画を観て酒を呑む。子供たちも映画に釘付けになっている。
こうした日常が心地良いのは全てが彼の手によるものだからだろう。
コーヒーやサンドウィッチや映画や酒にこだわりがあるように
表札も照明も家具も台所も風呂もこだわりぬいて作ってある。

アトリエには立ち入らないと兄貴風を吹かせていたはずの彼は
誰もいない隙に入っているようだった。荷物が増えているのだ。
額装された版画や童謡集や積み木が旅行鞄に次々と詰められていく。
旅行鞄がいっぱいになると、深緑色をした継ぎ接ぎの鞄が隣で口を開き
そこに古着や指輪や貴重なレコードが次々と詰め込まれていく。
こっそり荷物に細工をしている彼にばったり会ったりすると
「ばれてもうた」と恥ずかしそうに階段を下りて行くのだ。
「何度も言うてるけどここ禁煙やからな」と言葉を添えて。

ことあるごとに子どもたちにもプレゼントを持ってくる。
古い木箱の中に詰められたアクセサリーや小説の一説だったりと
決して子供向けとは言えないものを。彼には子供と大人の境がないのだ。
子供にも本物を持たせようとしている。自分の宝物を譲ろうとしている。
木箱からボヘミアングラスを取り出して子供たちに一生懸命に説明する。
「これはすごい技術なんやぞ。プラハという町が遠くの国にあってな。
 プラハ城というお城があるねん。おっちゃんはその町が好きやねん。
 そこで作ってるんや。すごいやろ。チェコはビールもうまいんやぞ」
こんな話が延々と続いて、子供たちが飽きて騒ぎ始めると
「それでええんや。大人になったらみんな丸くなってまうからな。
 子供は尖っててええんや。丸くなるなよ。尖っててええんやぞ」
丸くなっていない大人がそんな言葉を本気で投げかける。
少年のように純粋な瞳で自分に語りかけているかのように。

なぜか帰る日の晩になって
「寿司屋に行くで」と彼はやけに張り切り
「時間稼ぎや」と寿司屋を四件はしごすることになった。
「すし!すし!すし!またすしかよ!」と子供たちは笑い転げる。
白いシャツに黒いハットを被り、彼は幸せそうに寿司を頬張る。
その姿は、遥々海を越えてやって来たユダヤ人を連想させた。
「なんか寿司に感動しているユダヤ人に見えてきた」と伝えると
「俺な嘆きの壁に行っとるからな。一応巡礼済みやで」と返ってきた。

そういえば、旅の醍醐味を教えてくれたのも彼だ。
「二週間野宿したとしても一日は五つ星に泊まらなあかん」
その言葉は私の教訓になっている。
旅だけではなく、生き方そのものに影響している。
「自分を粗末にしたらあかんねん」
酒に呑まれながら彼はそんな言葉を吐き出すのだ。

アトリエに気になる絵本があったので
「これもらってもいい?」と声を掛けると
「欲しいものは黙って持っていき。もう全部頭に入っとるからな」
と気取っていたが、私がくまのプーさんの話をした時には
「それ一度も読んだことないねん」と笑っていた。
イギリスで暮らし、アトリエにコブタのぬいぐるみもあったのに
彼の頭の中には何も入っていない。彼のメッキは実に剥がれやすいのだ。

別れ際にお手製のポンポン付きの毛布とドミニカ産の葉巻を手渡された。
「ぽっかりしてもうたからすぐ遊びに行くかもしれへん」
彼はそんなことを呟いた。確か七年前もそうだった。
姫路に遊びに行ったすぐ後に東京に飛んで来たのだ。
「心に穴が空いてもうた」とその穴を埋めるために。
冷蔵庫にコーヒー牛乳が並ぶ日はそう遠くない気がする。

text by : tetsuya

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ウッドストックの鉄のお面

嘘と想像の境界線はどこにあるのだろうと時々考える。
「嘘をついちゃいけない」と大人がそう教えたことを
”本当のことしか話しちゃいけない”と呑み込んでしまったら
子供の果てしない想像力が欠けてしまうのではないだろうか。
とはいえ、息子の話には耳を疑うようなことが多過ぎる気もする。

息子が保育園の年中になり、体育指導というものが始まった。
初日は珍しく早起きをして、自ら体操服に着替えて意気込んでいた。
いつも古いオーバーオールに赤いパーカーを羽織り格好つけているけれど
背中に動物を乗せた機関車が描かれた体操服を着ていると
生意気でも可愛い保育園児に見えてくる。

体育指導というものが何なのか検討もつかないので
その日の夜、お風呂で息子に訊いた。
「体育指導は何をやったの?」
「スヌーピーの黄色いやつになったんだよ」
「えっ。ウッドストックに?」
「うん。そう」
「どうやって?」
「お面を付けるんだよ」
「みんなでお面を作ったの?」
「ううん。あるんだよ」
「そうなんだ。それを付けて何をやるの?」
「スヌーピーを探すんだよ」
「ウッドストックがスヌーピーを探すの?」
「そう。スヌーピーが迷子になっちゃってさ」

この辺りまで私は本当にこうした遊びがあると疑わなかったが
あまりにも奇天烈なその遊びを徐々に信じられなくなっていく。

「お面は紙でできてるの?」
「鉄だよ。鉄。鉄のお面」
彼は得意気な顔で断言する。
「鉄?鉄でできてるの?」
「うん。そう」
「それがたくさんあるの?」
「こうだよ」
彼は両手を広げて十本の指を立てている。
「十個もあるの?」
「そう。十個ずつ」
「えっ。スヌーピーも鉄?」
「そうだよ。鉄のお面」
「お面のない人はどうするの?」
彼の同級生は確か三十三人だったはずである。
ウッドストック役が十人。スヌーピー役が十人。残り十三人もいる。

彼はお湯で濡れた髪をオールバックにして続けた。
「あとはこう。男の子」
「もしかしてチャーリー・ブラウン?」
「うん。そう」
「鉄?鉄のお面?」
「男の子は何もないんだよ。こうするの」
彼は湯船に手を浸けてから、再び髪をなでつけた。
「髪をこうするの?」
私も彼の髪を真似してオールバックで訊いてみる。
「そう。髪切り屋さんでね」
この役だけは体育指導の前に保育園の近くにある
美容室に行き、髪を整えなければいけないらしい。

私は息子の話に夢中になっていた。
「チャーリー・ブラウンは何をやるの?」
「黄色いのを捕まえるんだよ」
「ウッドストックが逃げるってこと?」
「そう。スヌーピーを探しながらね」

話をまとめるとこうなる。
十人のウッドストックは迷子になってしまった十人のスヌーピーを探す。
ここまではかくれんぼとさほど変わりないが、スヌーピーを探している
心優しき十人のウッドストックを、オールバックに髪を整えたばかりの
十三人のチャーリー・ブラウンが理由もなしに追っているというのだ。
私は感心していた。こんな遊びがあるなら本気で参加したいと思った。
一度でいいからウッドストックの鉄のお面を付けてみたいと思った。

翌朝、美容室で働く友人に十三人のチャーリー・ブラウンのことを
知っているかどうか訊こうと思ったが、やっぱりやめておくことにした。
不思議なことは不思議なまま胸にしまっておいた方がいいと思ったからだ。
もちろん彼の想像の世界の遊びとは限らないが、この話を思い出す度に
私の頭の中で”ピーナッツごっこ”が盛大に繰り広げられ
現実味を帯びてきている。

きっと息子にとって嘘と想像と現実は紙一重なのだろう。
体育指導によって奇しくも彼の想像力が養われている。

text by : tetsuya

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偽物の白い羽

小さな女の子が運転するおんぼろバイクの後ろに乗っている。
「おじいちゃんのお店に行きたいの」と女の子は振り返る。
渋谷に向かうはずが駅を通り越してしまい、戻りたいが
線路沿いに一方通行が続いていて、前にしか進めない。
緑色の電車がゆっくりと私たちを追い越していく。
その電車には数えきれない人々が乗っているのに
不思議なことに道路には誰ひとり歩いていない。

赤煉瓦の広場が見えてきて、恵比寿まで来てしまったことに気付く。
ようやく分かれ道にさしかかったので、そこを右手に入っていく。
すると急な下り坂になっていてブレーキが利かなくなってしまい
そのまま真っ暗なトンネルに入ると辺りは何も見えなくなった。
吹き飛ばされないように小さな背中にしがみつき目をつぶると
宙を浮いているように気持ち良くて、うとうとしてしまう。

眩しさを感じた時、そこはシギショアラというルーマニアの古都で
仕掛け時計のある教会と赤煉瓦の家々が見渡す限りに広がっていた。
バイクから降りて、その美しい風景の中をふたりで歩きたいと思うが
下り坂はさらに急になり、赤茶色の景色はすごい速さで過ぎ去っていく。
見上げた空が海のように真っ青な色をして流れていくので
「あれはきっと雲じゃなくて泡だよね」
と呟くが、女の子は振り返らない。

鋏でちょん切ったかのように道路は突然なくなり、下に落ちていく。
底に落ちるまでに長い時間があったので楽しくおしゃべりをする。
なんて素晴らしい一日だったのだろうと笑い合っていると
このままずっと飛んでいられるのではないかと錯覚する。
背中に目をやると白い鳥の羽が生えていて驚くが
すぐにそれが残布で仕立てた偽物だと分かると
「夢のようにはならないんだね」
と女の子はしんみりと言った。
「これは本物の夢なんだよ」
と返すと同時に底に落ちた。

そこは、底ではなくベッドの下だった。
もう一度眠れば、またシギショアラへと戻れそうな気がしたが
その音で目を覚ました子供たちに馬乗りになられて夢は終わった。
あれは昔、東京を走り回っていたおんぼろバイクによく似ていた。
いつか本当にルーマニアを走り回れる日が来たらどんなにいいだろう。

text by : tetsuya

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本物のサンタクロース

「岩井さんからはお金もらわなくていいよね」
頼まれものを届けに行く車中、後ろの妻に話しかけたら
「それは当たり前。当たり前の話でしょうよ」
と息子の口からもっともらしい答えが返ってきた。
その真剣な眼差しに、思わず笑ってしまった。

岩井さんは私の友人というよりも
楽弥の友人という方が正しいのかもしれない。
いつも彼の古道具屋に行くと、挨拶もそこそこに
「ちょっと楽弥と出掛けてくるね。店番よろしく」
とふたりはバイクに跨がり、轟音と共に颯爽と姿を消す。
仲良く両手に袋を提げて、浮かれた表情で戻ってくると
アイスクリームやジュースやスナックをテーブルに広げる。
きっと楽弥が欲しがったものをすべて買ってくれたのだろう。
お礼を言おうとすると彼はさえぎるように言う。
「俺が食べたいだけだから」

誰かにこの古道具屋に連れて行ってと頼まれると複雑な気持ちになる。
教えたくないとか、そんな訳ではないのだけれど、考えてしまう。
あそこで過ごしている時間は夢でも見ているかのように心地良くて
そのせいか、跡形もなく消えてなくなってしまいそうな気がする。
訪れる度に感動させられるのに、何に感動したのかは憶えていない。
この言葉にできない魅力を感じてくれる人は果たしているのだろうか。
そんなことをぐるぐると、考えてしまう。

友人にどうしてもと言われて向かったことがある。
「行っても開いているかどうか分からないよ」と言うと
「電話したら」と当然のように返されるが、連絡はしない。
彼も私の家に来る時に連絡なんてしてこない。突然に現れる。
すべてはタイミングで、店が開いていたら会うべき時だし
開いていなければ、おそらく会うべき時ではないのだと思う。
不思議なことに誰かと行った時に開いていたためしがない。
友人には申し訳ないが、その度に妙にほっとする自分がいる。

年末に岩井さんが楽弥と希舟に内緒でクリスマスプレゼントをくれた。
日本製のブリキのロボットとぼろぼろのピノキオのぬいぐるみ。
どちらも枕元に置くのをためらうほどに年季が入っている。
楽弥は起きてすぐにロボットを見て大喜びしたが
何かを思い出したかのように急に表情が変わった。
「これずっと前から岩井さんの店にあったよ。あっ。分かった。
 サンタクロースが岩井さんの店で買ってきたんだよ。きっと」

岩井さんの膝の上でアイスクリームを頬張りながら高い所を指差して
「あのさ。サンタクロースがあそこにあったロボットをくれたんだよ」
楽弥が自慢げにそう言うと、彼は真顔で返した。
「違うよ。楽弥。俺がサンタクロースなんだよ」
彼がそう言うと本当にサンタクロースなのではないかと思ってしまう。
ここには値札のない数えきれないほどのおもちゃが転がっているし
クリスマスツリーは一年中色とりどりの明かりを放っている。
それに、あの顔、あの体、あの優しさ、あの雰囲気。
アイスクリームを持つ楽弥の手が止まった。

家に帰るなり、ピノキオのぬいぐるみを抱えて楽弥が飛んで来た。
「パパ。鼻が伸びてないから岩井さんは本物。
 本物のサンタクロースってことでしょうよ」
当のピノキオは自信なさげに首を傾げ
希舟はその細い鼻を握って笑っている。

text by : tetsuya

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ボーと一緒

みんな自慢げにボーを抱えてやってくる。
こんなに可愛くなりましたという感じで抱えてやってくる。
きっと誰もが自分のボーが一番可愛いと思っているのだろう。

私だって心の中ではアトリエにあるボーが一番だと思っている。
Fredericのぬいぐるみの中でも一番最初に出来上がったもので
人間でいうところの15歳になる。

当時はデザイン画を描く毎日だった。
生意気に一刻も早く独立したいと思い学校を辞めて
開店資金を貯めるために子供服の会社で働いていた。
そんな向こう見ずな私に感化されて学校を辞めた妻は
就職する気配もなく毎日ぬいぐるみを作り続けていた。
時間ばかりかかってお金にならないぬいぐるみを
いったいどれだけの間、作り続けていたのだろう...。

ある日、仕事から帰ると毛の舞う部屋にくまがいた。
重たそうな瞼とつぶらな瞳で私を見上げていた。
興味のないふりをしたが、感動していた。
心の底から感動していた。

それから、ボーは暮らしの一部となった。
小さな家も小さな店も買い付けの旅も放浪の旅も
子供たちが生まれる瞬間も思い出すと必ずそこにはボーがいる。

長い旅の途中、荷物が重過ぎて嫌になることが度々あった。
私のリュックサックには食料や古物がぎっしり詰まっているのに
妻のリュックサックにはボーしか入っていない。
パリで暮らす友人は私のリュックサックを背負おうとしたが
あまりの重さに立ち上がることすらできなかった。
続いて妻のリュックサックを背負うとあまりの軽さに驚いて
「ポケットティッシュみたい」と腹を抱えて笑った。
こんなものを旅に持ってくるなんてと不満に思うこともあったが
夜になって星空の下、ボーを枕にして眠ると幸せな気持ちになり
やっぱり一緒に旅して良かったと思える。

そんないくつもの旅を共にしてきたボーの毛は黒ずんで束になり
「本当に同じ生地ですか」と訊かれるくらい別物になっている。
こんなくたびれたボーはどこにもいないだろうと思っていたが
友人の子供、いろはのボーはもっともっとくたびれていて
「本当にボーですか」と訊きたくなるくらい変貌していた。
幾度となく直されたつぎはぎの体とストーブで溶けた目のボーには
これまでいろはが注いできたであろう愛情がぎゅっと詰まっていた。

しかし、いろはが生まれた時から肌身離さず可愛がっていたボーは
都会の真ん中で行方不明になり、そのまま戻って来ることはなかった。
いろはの誕生日プレゼントにと再びボーを注文してくれたのが数年前。
妻も私も以前のくたくたになったボーの存在をよく知っていたので
新しいボーの姿にかえってがっかりしないかと心配していたが
いろははじっと見つめてから黙ってぎゅっと抱きしめた。

次に会った時にいろはのボーを見て驚いた。
以前のボーにそっくりなのだ。ほんの少し見ないうちに...。
ただ汚れているのではない。
いろはが毎日抱きしめているということを
よれよれになったボーの体が物語っていた。
やっぱり、いろはのボーは、いろはのボーになるんだな...。
ぬいぐるみは誰かの手に届いたその瞬間から育っていく。
育てていくのではなくて勝手に育っていくのだと思う。
楽しい時も悲しい時もずっと一緒にいることで
お互いが成長していくような気がする。

2月18日(土)の昼12時〜13時の1時間のみ
2017年のFredericのぬいぐるみのご注文を承ります。
短い時間ですがどうぞよろしくお願い致します。
詳しくはNewsをご覧ください。

text by : tetsuya

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お菓子とお仕事

「お菓子が欲しい」と騒ぐ子供たちふたりを連れて
保育園からの帰り、スーパーに寄り道をする。

夕食前に家で袋を広げるのは気が引けるので
アトリエに寄り、子供と一緒にお菓子を食べていると
「パパの黒けもの格好良い」と私の刺繍を褒めてから
「お菓子はママに内緒だよね」と息子が確認してきた。
なんてずる賢い奴なんだと思わず笑ってしまう。
「きっきーもママに内緒にできるよね」と妹に念を押し
娘も娘でうんうんと何度も頷いてお菓子を頬張っている。

家に帰るなり、口元に菓子くずをつけた息子は妻に駆け寄る。
「ママのぬいぐるみ可愛い。ボーちゃんとかさ。チェズとかさ」
これでアトリエに寄って何かを食べたことはすぐにばれるが
息子はそんなことには気が付かずにさらに調子にのっている。
「ネコもさ。カバもさ。ゾウさんもさ。ぜーんぶ可愛い」
褒めちぎられた妻は問いただすのをやめて
「ありがとね」と笑って返事をした。

お菓子で膨れたお腹に子供たちを乗せて遊んでいると
ふと、息子が飾ってくれた黒けものの本が目に入った。
もう4才になって色々な物事が分かるようになった息子は
私たちふたりの仕事をどういう風に捉えているのだろうか。

会社に出勤するわけでもなく、通うのは近くにある古い洋館で
そこには刺繍の作品やぬいぐるみが並び、古物が転がっている。
時には上映会や音楽会が催されて、おおよそ仕事場とは思えない。
平日は保育園なので作業をしている姿を見ることは滅多にないし
週末に子供たちを連れて打ち合わせや納品に行っても
食事や酒に囲まれて子供そっちのけで楽しんでいる。
果たして息子は仕事をどう解釈しているのだろうか。
遊びと仕事が一緒くたになってはいないだろうか。

でもそれはそれでいいような気がする。
一緒くたになっていてもいいような気がする。
遊ぶように仕事をやれることほど幸せなことはない。
楽しみながら仕事をやれることほど幸せなことはない。
山あり谷あり、いや、谷ばかりで一向に山には辿り着かないが
好きな仕事をやって好きなように暮らしていくことを
幸せに感じてくれたらそれだけでいい。

2月にFredericのぬいぐるみの受注を再開します。
詳しくはNewsをご覧ください。

text by : tetsuya

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黒けもの音楽会

各地を巡った黒けもの展は昨年末で幕を閉じ
今はアトリエの壁一面に黒けものが戻って来た。
これからそれぞれの場所へ旅立つことを知ってか
黒けものは少しばかりか緊張しているように見える。

最終日の音楽会は黒けもののお別れ会だったのかもしれない。
黒い糸でつながれた縁で大勢の人が佐原に遊びに来てくれた。
二十四脚の椅子では足りず自宅からもあるだけの椅子を運ぶ。
演奏が始まる前に興奮している子供たちを昼寝させようと
車に乗せて走るが、楽しみが勝って一向に眠ろうとしない。
むしろ眠るものかと意地になって目を開けている...。

momo椿*のmauさんとannieさんの黒いアコーディオンから
奏でられる美しい音色と歌声に子供の声が混ざる。
大勢いた子供の中で騒いでいるのは息子と娘だけ...。
子供を見るつもりで一番前に座ったのに息子は走り回り
娘は二階へ駆け上がり、気付いたらひとりで座っていた。
最前列で楽しんでいる場合じゃないのは分かっていたが
聴き惚れてしまい、なかなかその場を離れられなかった。

休憩には菜々さんがとびきり可愛いお菓子を用意してくれた。
この瞬間までその姿を目にしていなかったので
誰よりも歓喜の声を上げてしまった。
「黒けものクッキーを作って欲しい」
そんな漠然としたお願いに、刺繍詩集から感じた
黒けものへの想いを込めて彼女はクッキーを焼いてくれた。
刺繍とそっくりにかたどられた、ほろ苦いココアクッキーに
カルヴァドスに浸けたラズベリーとチョコレートが挟んであり
黒けもののうわべだけでなく、心の内までもを表現してくれた。

テーブルの上に並んだ黒けものクッキーを夢中になって選ぶ。
子供も大人も顔をほころばせながら幸せそうに選ぶ。
これほど黒けものへの愛が詰まったクッキーは
きっと菜々さんにしか作れないだろう。

日が沈むとともにまた静かな熱気に包まれた。
momo椿*のおふたりの澄んだ歌声がアトリエに響く。
黒けものもアコーディオンの旋律に聴き入っているようだった。

「どうするのこの椅子...」
佐原に越して来る前日に買った二十四脚の椅子の山を前にして
妻は途方に暮れていたが、その時に思い描いていた夢が
目の前で実現したことに私はひとり喜びを感じていた。



text by : tetsuya

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