ピカソとビュフェ

「これ置いてくで」きっかけは十五年前に友人が家に置いていったフランソワーズ・サガンの『毒』という一冊の本だった。今から五十年ほど前にフランスで印刷されたその本は、モルヒネ中毒に苦しむサガンの九日間の記録に、ビュフェのイラストレーションとカリグラフィーが添えてある。すぐに心惹かれていつかビュフェの絵を見たいと思うようになっていた。ずっと心の片隅にそんな想いを抱きながらも時が経ち、今かもしれないと思い立ってベルナール・ビュフェ美術館へ足を運ぶことにした。

寄り道をしているうちに日は暮れて美術館は明日にすることになった。夜の海岸沿いを走っていると無性に花火がやりたくなり、目に付く店に手当たり次第に寄ってみるが、どこにも売っていない。毎週のように海に出掛けていたからまだ夏の気分だったが、もう夏は終わったのか。今年は打ち上げ花火を見ていない。これまで打ち上げ花火を見なかった夏なんて一度もない。だから夏が終わった気がしないのか。それにしても花火が見つからない。仕方がないから海だけでも見ようということになった。

しかしバイパス道路が邪魔をして海岸に出られない。地元の人に尋ねると来た道を少し戻ると道路をくぐれると言う。進行方向にも海岸に出られるところがあるか尋ねると苦い顔をした。「向こうはやめた方がいいかもしれません。ヤクザの事務所があるので」

ヤクザという言葉を聞いて楽弥と希舟が神妙な面持ちになっている。楽弥が不安そうに訊いてくる。「ヤクザって怖い?」「怖い人ばかりじゃないよ。優しい人もいるんじゃない」「でも鉄砲は持ってるでしょ?」「鉄砲くらいは持ってるかもね」「撃ってくるかな?」「悪いことしなければ撃たれないよ」その言葉を聞いて何故か希舟が兄を心配し始める。「がっくん撃たれちゃうかも」「きっきぃ黙ってて」楽弥が慌てて妹の口を抑える。騒がしかった車内が一気に静まり返る。

子供たちがあまりにも心配するので事務所のない海へ繰り出す。嬉しさ余って階段を駆け下りた楽弥が振り返る。「なんか怖いね」そう呟いて暗闇を指差す。「ほら海と空がつながってるよ。このままブラックホールに吸い込まれちゃいそう」確かに灯りひとつなく海も空も真っ黒で水平線が見えない。どうにか足下の砂浜は見えるが、その砂浜が海に向かって斜面になっていて本当に吸い込まれてしまいそうな雰囲気だ。そこに幻想のように白く浮かび上がっては消える波が砂嵐のような音を立てている。「もう帰ろうよ」希舟が足にしがみついて後ずさりしている。

「あっ。びっくりした」楽弥が声を上げる。「なんだ。しゃてきか」海を諦めて車を走らせていると射的の鉄砲がクロスにふたつ飾られていた。それをヤクザの鉄砲だと勘違いしたらしい。希舟はヤクザという言葉が出る度に両手で耳を塞いでいる。「何これ。湯婆婆が出てきそう」妻がそう言うように千と千尋の神隠しに出てくるような温泉郷に辿り着いた。深夜だからか水浴びをするカモはいるが人間は誰ひとりとして歩いていない。下水溝からもくもくと上がる白い湯気が不思議な夢の中に入り込んでしまったような気分にさせる。そのまま石畳を流れる小川のせせらぎを聞きながら眠ることにした。

せっかくなので早朝に温泉に入り、近くにある彫刻の森美術館へ行くことにした。目的はひとつ。ピカソの絵皿。何よりもそれが見たかった。入館するなり一直線にそこへと急ぐ。ピカソの陶芸から感じることは山ほどあるが頭を使わない。難しいことは考えずに純粋に心で感じる。六十五歳から始めた陶芸はきっとピカソ自身も楽しくて夢中だったに違いない。見ているだけでこんなにも幸せな気持ちにさせてくれるのだから。「子供らしい絵を描くのに一生かかった」そう語るピカソの言葉と愉快な顔が描かれた絵皿は頭の中に蓄積された余計なものを洗い流してくれる。少し寄るつもりが、子供たちと緑の中を駆け回っているうちにいつの間にか閉館の時間になっていた。

明日こそはビュフェを見に行こう。ビュフェの待つ町へと車を走らせる。山道を左右に揺れながら下山して湖に佇む海賊船を眺めて三十キロほど走っただろうか。「あれ?」妻がそんな声を出した。何かやらかした時の声。「荷物忘れた」彫刻の森美術館に入館する前に車内は熱くなるからとコインロッカーに荷物を預けたらしい。中にはお土産に買った地ビールや温泉まんじゅうが詰まっている。ベルナール・ビュフェ美術館はもう目と鼻の先だというのに来た道を戻るしかない。妻はコインロッカーの鍵を握りしめてうつむいている。うつむくのも無理はない。早朝にも温泉で同じことをしているのだ。

誰もいない真っ暗な美術館で荷物を取り、湖沿いに走っているとネオンサインの光るレストランを見つけた。閉店時間をまわっていたが、快く通してくれた。東欧にある場末の食堂のような外観もうらぶれた殺風景な内装も蝶ネクタイを締めた年配のウェイターもそれらを覆す本格的な味も最高だった。日本で一番好きなレストランができた。店を出て道を進むと夜景が綺麗な高台を見つけた。路肩に車を停めて町を見下ろしたその時だった。「パーン」打ち上げ花火が上がった。「パーン」「パーン」色とりどりの花火が次から次へと上がる。思わぬ光景に二度も荷物を忘れてくれた妻に心から感謝した。

翌日は本来の目的であるベルナール・ビュフェ美術館を堪能した。独特な黒の線描と限られた色彩で描かれた華奢な自画像やどこか淋しさが漂う静物画。戦後の混乱が残るパリで描かれた初期の作品に胸を打たれる。貧しさや孤独や不安による虚無感に苛まれていたであろう当時の人々の感情が思い起こされる。「絵を描くことしか知らない」そう語るビュフェが五十年余り描き続けた絵は時代と共に変化していくが、ビュフェの描く線はいつの時代もビュフェの線に変わりない。希舟が美術館の端っこで模写している。十字架の教会を直線で描いている。楽弥はピカソの絵皿に影響を受けたのか、丸の中に口髭を生やした男の顔を描いている。模写するのもいい。影響を受けるのもいい。その線が自分の線であればそれでいい。描きたくなければ描かなくてもいい。ビュフェでもピカソでも誰でもいい。ひとつでも心に響くものがあればそれでいい。

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三日月を抱えた男

真っ白な空間に立っている。そこには私の作品と彼の古物が並んでいる。「なんか夢みたい」お客様が入ってきて褒めてくれるが、私は目をつぶっている。「ありがとうございます」目を開いてそう言いたいが、目が開かない。決してふざけている訳ではない。開こうと思っても眩しくて開けないのだ。代わりに古物商の彼が返事をしてくれるのを待っているが、彼もどういう訳か返事をしない。相変わらず愛想がない奴だ。そう思いながら目を閉じたまま私は口を開く。「すみません...眩しくて目が開かないんです」

「いってきます」庭から楽弥の声がする。もうそんな時間か。寝室に射し込む太陽の光が眩しくて私はまだ目を開けないでいる。「いってらっしゃい」下の回廊から希舟の声がする。さっき起きたことはすべて夢だったんだ。その夢を頭に留めておくために起き抜けに妻に事細かに説明するが、ぽかんとしている。

そういうことか。アトリエで三日月を抱えた男の刺繍を見てひとり納得する。三日月を抱えた男がコーヒーを飲みに喫茶店に入るが店主に迷惑がられて入店を断られる。昨夜三日月を見ながらそんな場面を制作していたからきっとおかしな夢を見たのだろう。

私は喫茶店の店主。するとあのお客様は三日月を抱えていたことになる。それであんなにも眩しかったのか。どうりで目を開けない訳だ。古物商の彼も愛想がないのではなくただ眩しかっただけなのか。やっぱり可愛い奴だ。頭を現実から夢の世界へ移すと店主の言葉が自然と浮かんでくる。「お客様...すみませんがお月様は入れません」こうして夢と現実とが混ざり合いながら物語が紡がれていく。

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馬とシャガール

「シャガールは観ておいた方がええで」彼はそう言い残して家を出て行った。テーブルにはお土産のりんごジュースが残されていたが、きっとそんな物はどうでもよくて、その言葉を伝えるために家に寄ったのだろう。出て行ったのではない、私が彼を追い出したのだ。夢を諦めた彼に嫌気が差して。私のアトリエには彼が画集から切り抜いたシャガールの馬の絵が今も壁に貼られている。

四連休の二日目、馬に乗りたいという子供たちを車に乗せて那須にある牧場へ向かう。出発するのが遅かったので時間ばかり気にしていたが、到着するよりも先に雨が降ってきた。雨宿りするより仕方がない。そのままコーヒーを飲んでいるうちに牧場は閉まってしまった。ここに来るまで三時間、このままコーヒーを飲んで帰る訳にもいかない。地図とにらめっこをする。決めた。

「シャガールを観に行こう」北へ五百キロ、高速道路を飛ばせばそう遠くはない。「何も予定も立てていないのにもったいない」妻はそんなことを言うが、行こうと思ったこの衝動を抑えることの方がもったいない。子供たちは遠くに行ける、ただそれだけで喜んでいる。何もかも予定通りではつまらない。その日、その日、思いつきで旅をする。天気や気分で行き先はすぐに変わり、変わることで旅はどんどん楽しくなっていく。牧場からシャガールへと変わるように、旅は無限に広がっていく。

真夜中、高速道路を走っている途中に見覚えのある地名を見つける。”矢巾”。専門学校の時に仲の良かった友人の地元だ。思い立って連絡をする。「あの頃は明日のことを考えないで生きていたな」友人がそんなことを言う。確かにそうだった。学校へ行く電車賃がなくて川崎から恵比寿まで自転車を二人乗りしたことも、居酒屋をはしごして帰りの電車賃がなくなったことも忘れられない。あの頃のまま何ひとつ変わっていない。行き当たりばったりの旅をして、スケボーを枕にして眠っている。

シャガールの絵に囲まれて目が覚めた。素晴らしい。それしかない。ずっとここにいたい。さっきまで走り回っていた楽弥と希舟も不思議とここを離れようとしない。バレエの舞台背景として描かれた一辺十四メートルを超える四点の作品。原作はプーシキンの詩”ジプシー”。自由を求める貴族の青年と、本当の意味で自由なジプシーの娘。恋に落ちた喜びや、やがて訪れる悲しみが背景画から伝わってくる。ジプシーの魅力に満ち溢れた人間性や、しかし常識の通用しない考え方はルーマニアで暮らしているとよく分かる。そんな捉え所のないジプシーの精神性までもをシャガールは描いている。「どれだけ人が集まってもひとりの天才には敵わん」二年前、彼が呟いた言葉が脳裏をよぎる。彼は天才には敵わないと思い作品を生み出せなくなった。それだけ人を圧倒する力がシャガールの絵には込められていた。

車中泊をして旅は続き、最後はりんごジュースで乾杯をした。くたくたになり家に帰ると、大量の馬肉が届いた。道中、久し振りに連絡をした専門学校の友人からだ。吉野家の牛丼が何よりも贅沢だった二十年前には考えられないことだ。奥さんからの丁寧な手紙には小さな息子のことが書かれている。家庭を持つことになるなんて当時の友人からはとても想像できなかったが、幸せになることだけは確信していた。どうしようもない生活をしていたあの頃でさえ幸せそうにしていたのだから。

アトリエの壁に貼られた馬の絵、雨で乗れなかった牧場の馬、背景画に描かれた白馬、友人から届いた馬肉。行き当たりばったりのようで人生はすべて繋がっている。馬肉の塊を手にひとりそんなことを考えていた。

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どうなつやさん

「そろそろ行く?」二十二時、息子に誘われてアスファルトの上を滑り出す。この時間になるとこの町はほとんど車が通らない。どこへ向かうでもなく薄暗い外灯に照らされた道路をひた走る。板から伝わる振動が懐かしい。中学生の頃に滑ったのが最後だろうか。歩くのとも走るのとも違うスピードで見慣れた景色が過ぎ去っていく。

コロナウイルスの影響で小学校や保育園が休みになり、私の生活は一変した。それまでは毎週のように友人たちと家で酒を呑んで過ごしていたが、今は青い空の下、釣りか、野球か、スケボーか、頭の中はその三つでいっぱいになっている。休みの日はその全部を順番にやっていく。楽弥も希舟もスケボーで転んで傷だらけ。それでも希舟は日が暮れるまで夢中で滑っている。楽弥は日が暮れてもお構いなしで滑っている。

そんな日々を過ごしていると子供に戻っていくような感覚になる。そもそも大人になったような記憶もないが、釣りも、野球も、スケボーも、すぐにあの頃の感覚に戻してくれる。子供と大人に境界線なんてないのかもしれない。子供が生まれると自動的に親にはなるが、大人になれる訳ではない。子供のままでいい。ずっと楽しいことをやっていたい。その延長線上に今の仕事もあるような気がする。

「スケボーなんていらないって」そんなに乗り気じゃなかった妻も一緒になってスケボーに乗っている。疲れたらみんなで円になり板を眺める。それぞれ好きな板を選んだから愛着が湧いている。私は犬、妻は猫、楽弥は車、希舟は女。しばらく板を眺めていると楽弥が決まってこう叫ぶ。「パンツ見えてるくせに」希舟の板にある女の写真をからかっているのだ。「パンツ好きなくせに」希舟も負けていない。「好きだよ。悪い?」よく分からない彼の一言で休憩が終わる。さぁ滑ろう。自分のスピードで。

「どうなつやさんになれますように」娘が七夕の短冊を書いている。なぜか余白にはドーナツとスケボーの絵を描いている。「なんでスケボーを描いてるの?」「どうなつをつくってスケボーでくばるんだよ」「そうなんだ。注文しようかな」「パパはタダでいいよ。だってパンツのスケボーかってくれたから」ドーナツを抱えた彼女がスケボーで滑っている姿を想像する。転んで落としたドーナツが転がって泣いている。

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NEZUMI

山をふたつ描いてぐるっと筆を走らせる。猫のねずみを描いているのだろう。そこから上下にずれた目玉がふたつ。正月の福笑いのように鼻と口もずれていく。楽弥もそれを分かっているようで、どんどん筆が荒くなっていく。いつも描いている画用紙に比べてTシャツが大き過ぎるのだろう。棒状の前足が二本、体の輪郭まで崩れていく。

「これに描いていいよ」「えっほんとに?」「いいよ」「失敗してもいいの?」「絵に失敗はないよ」「じゃあ描いてみる」アトリエで画用紙がなくなった彼に白いTシャツを渡したのは私だ。それが目の前で失敗しようとしている。変に口を挟むと余計に変な絵になる。緊張しているのか、それとも恐縮しているのか、絵に勢いがない。さらに追い討ちをかけるかのように突拍子もないところに黒い絵の具が飛び散っている。

「ねずみって英語でどう書くの?」「英語を書くの?」「だってこれアメリカのTシャツなんでしょ?」彼は諦めていない。飛び散った絵の具に英語を被せるらしい。私が書いた英語を一文字ずつ見ては真似していく。稲妻のようにTシャツを斜めに横切るNEZUMIの六文字。飛び散った絵の具はうまいこと隠れたが、どうも気になる。私の手本が悪かったのか、どうしてもYAZAWAに見えてくる。もちろん矢沢は嫌いじゃないが、着ることを考えるとYAZAWAの字体はくせが強過ぎる。

「そのNEZUMIの文字がYAZAWAに見えてくるんだよね」黙っていられず口を挟む。「何それ?」「永ちゃんだよ。要するにロックンロール過ぎるんだよ」「ロックンロールって何?」「口ではうまく説明できないな」「気に入らないなら消すよ」彼は迷わずNEZUMIの文字を黒く塗り潰した。「それがロックンロールだよ」「えっどうゆうこと?」「その目。黒く塗り潰してる時のその目だよ。でもそれどうするの?」「帽子にするんだよ」塗り潰した文字をつばにして勢いよく帽子を描いていく。

ロックンロールに筆を走らせたせいで、またも突拍子もないところに線を描いてしまった。「もうちょっと考えてから描いたら?」「さっきから考えてるよ」助言するも一触即発の雰囲気だ。筆を置き無言の時が流れる。「いいこと思いついた」彼はそう言うと再び筆を走らせた。はみ出した一本の線が小さなねずみのしっぽになっていく。

「絵に失敗はない」自分の言った言葉がブーメランのように返ってくる。YAZAWAになった時は絶望的だったが、うまく転がりひとつの絵になった。帽子のつばにうっすらと浮かぶYAZAWA、いや、NEZUMIの文字も悪くない。

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木っ端ソリ太郎

「こういって...こういって...こういって...」黒い糸を指でなぞるようにして作品と向き合っている。まるで難しい数式でも解いているかのような表情で作品の前にじっと立っている。それは今までにない反応だった。刺繍の刺し方や図案ではなく、構造そのものを考えている。「これさ最初に刺繍していく方向を考えるの?」彼はそれだけを訊いてきた。例えば人間の図案を刺す時に、身体の筋肉や洋服の地の目を意識して刺していく。すべて黒い糸だから糸の流れが陰影となり表情となる。それは当然のようにやっていたことで、訊かれて初めて刺しながら考えているのだと自覚した。そこで知った訳だから、私は的外れな返答をした。「まず輪郭を刺してから...」「いや。そういうことじゃなくてさ」すぐに突っ込まれる。「刺しながら自然に...」「あぁそう。でも計算されてるよね」「そうですかね...」黒けだもの展初日の出来事だ。

彼のお店を訪れたのは去年の暮れのことだ。すでに閉店時間で片付けている最中だったが小さな扉を開けてくれた。それは不思議な世界の入り口だった。そもそもお店という表現が間違っているのかもしれない。用途を変えた道具や装飾を消した道具が静かに並んでいて発明家のアトリエのようだった。取っ手が外された寸胴鍋の蓋や水平に切られた薬缶が、皿や片口へと姿を変えている。漆を落とされて地肌を現したお椀やお盆。四角い木箱から鳩が顔を出して鳴いている。無駄がない。すべて計算し尽くされている。

お店の外から楽弥と希舟の声が聞こえる。道路に面した作業場には仕事道具が並んでいて、足下に転がっている木っ端を積み木にして遊んでいる。外に出ると店主は旅の話をしてくれた。それもすごく楽しそうに。トルコからの旅の途中にルーマニアを訪れたらしい。「ブナズィワだっけ?」驚いた。何年も前のことなのに即座にルーマニアの挨拶が出てくる。頭の中もアトリエもごちゃごちゃの私とは違い、こういう空間を作れる人は頭の中まで整理整頓されているのだろう。「こんなの本当にいるの?」帰り際にそう笑いながら店主は木っ端を袋に入れてふたりに持たせてくれた。

小学校が休みの間に宿題があるらしいが楽弥は何ひとつやらない。それをやれと言ったこともない。自分もそうだった。宿題なんてやらなかった。ただ小さい頃からお小遣いをもらって買い物に行っていたからか算数だけは一番だった。勉強しなくてもお金で学べるという実感があった。さてリンゴをいくつ買ったでしょうか?というような問題ではなく実体験で頭を使った。だから楽弥にも小さい頃からお遣いを頼んでいる。「これで好きなものを買ってきて」そう言うと色々考えるのだ。パンなら四個入りとか、アイスなら八本入りを四人で二本ずつとか、お小遣いで家族が楽しめるものを考えて買ってきてくれる。お菓子で迷った時は内容量を見るらしい。ルーマニアでは気を利かせてビールを買ってきてくれたこともあった。日本でも同じようにビールを買おうとしたが、売ってもらえなかったらしい。まさか彼が飲むとでも思ったのだろうか。世知辛い世の中だ。最後に残ったお金で妹のおやつを選ぶ。買い物が好きな彼は毎日のようにお遣いはないかと訊いてくる。最近は兄の小さな背中に希舟がくっ付いて行くようになった。

「パパ見て。木っ端ソリ太郎!」発明家にもらった木っ端がひとつの塊になっている。立派なソリに乗った帽子の男。「こうして...こうして...こうして...」朝から楽弥はアトリエの二階でひとり木っ端と向き合っていた。それが夜にひとつひとつボンドでくっ付けてあった。驚いた。ネーミングではなく、その構造に。三十個はあった木っ端をひとつ残らず使っているのだ。最後のふたつは前後のナンバープレートにしたらしい。彼はぴったり使い切ることに美学を感じている。お遣いに行っても残りは数円。その代わり財布にはレシートが何枚も詰まっている。要するにお金がなくなるまで買い物をするのだ。そうした日々の計算が木っ端ソリ太郎の構造に活かされているのかもしれない。

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目玉焼きのお墓

ずるりと目玉焼きが落ちる。ついさっきまではしゃいでいた楽弥の表情が一気に曇る。「がっくんのもうないからね」さらに希舟が追い打ちをかける。「うるさい。いらないからいい」涙目の楽弥のパンにはレタスとトマトしかのっていない。しかし誰も自分の目玉焼きを分けようとしない。落としたら食べられない。それは楽弥が一番分かっているようで、分けて欲しいとは決して言わない。

どこかで見た光景だ。ブラショフのホットドッグだ。希舟が大きな口を開けて食べようとした瞬間に丸ごと落としてしまったのだ。早朝から吹雪の中を歩き、お腹を空かせていた希舟は失意のあまり大泣きした。分けて欲しいと頼まれた楽弥はひとりで丸ごと食べたいと大騒ぎした。落としたら食べられない。それは希舟の胸にも深く刻まれたようで、今はその小さな手でオープンサンドをしっかりと押さえながら必死に食べている。

楽弥の小学校と希舟の保育園が休みになってもうふた月になる。コロナウイルスで世界が混乱しているという情報ばかり耳に入るが、不思議なほど実感がない。ドラッグストアに並ぶマスクをした人の行列を目にするくらいだ。どこへ行ってもマスク。マスクで表情が見えなくなるだけで随分と世の中が暗く感じる。緊急事態宣言の一言で世の中がこうも一変してしまうことを不気味に感じる。

これまで当たり前のように子供を小学校や保育園に預けていたが、それが当たり前ではなくなった。「あと何日休み?」希舟は保育園が始まるのを楽しみにしている。「小屋作ろうよ」楽弥は小学校が休みになって喜んでいる。「小屋?」「シク村で作ったじゃん」確かに雪解けの地面で泥んこになりながら作っていた。時間は山ほどある。中途半端に仕事しても仕方がない。その日から三人で庭に小屋を作ることにした。拾ってきた廃材で少しずつ骨組みや椅子や机を拵えていく。そこに妻が食事を運んできてくれる。

地面に落ちた目玉焼きを見て思いついた。「金ちゃんのお墓にしようか?」「いいね。目玉焼きのお墓」楽弥の表情が一気に晴れる。金ちゃんとは金魚のことだ。去年の夏に金魚すくいでとってきた金魚が今朝死んだのだ。ナイフで黄身に真っ直ぐに切れ目を入れる。とろりとした黄身の中に金ちゃんを入れる。「目玉焼きのベッドじゃん」希舟が金ちゃんを見つめて呟く。黄金の布団で眠る金ちゃんを純白のベッドから落ちないように穴に入れて、ゆっくりと土を振りかける。「金ちゃんに手を合わせよう」妻が言う。

手を合わせながら考えていた。こんな日常も悪くない。何ひとつ予定はない。何時に起きようが何時に眠ろうが関係ない。時間を忘れて夢中になって遊ぶ。不穏な空気には流されない。こんな時は思いきり楽しむしかない。家族と過ごすこんな日常も悪くない。

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きつねかたぬきか

手から手へと天ぷらが回っている。ひと口かじってまた回る。パスは許されない。ひと口かじってまた回る。

酒も呑んだし、妻の料理も腹いっぱい食った。「散歩しようぜ」そんな声が上がり外へ出る。真夜中の散歩は気持ちがいい。星空の下、静まり返った町に男たちの足音が響き渡る。皆が眠っている時間に動いていると得した気になるのは私だけだろうか。動いてるだけで何かを吸収した気になっている。何も吸収していないのに。むしろ睡眠時間を無駄にしているのに。

目的地のない散歩のはずが、セブンイレブンが見えるなり自然と吸い込まれていく男がいる。彼はいち早くカゴを手にしてキュウリやらビールやらシュークリームやらを数も気にせず入れていく。そして最後に王道を極める男が緑のたぬきを追加する。負けてたまるものかともうひとりの男が一平ちゃんを追加する。帰り道は有無を言わさず、それが回ってくる。夜中のそばはうまい。しかし夜店の焼きそばはきつい。けれどここで食わなきゃ男が廃ると思い必要以上に頬張る。

問題は家に帰ってからだ。王道を極める男がポケットから出したのだ。緑のたぬきの天ぷらを。すぐにあの光景が脳裏をよぎった。キャンプでのことだ。その時も真夜中に男がセブンイレブンに吸い込まれた。そもそもキャンプとセブンイレブンは遠い存在のような気がするが、どういう訳か散歩をするとセブンイレブンが終着点となってしまう。そこで彼は赤いきつねを手にした。そして火を囲みうどんを食ってから、赤いきつねの油揚げをポケットから出してかじったのだ。「シンプルが一番」そう彼は男気を振りかざして油揚げを入れない。その油揚げが回ってくるのだ。手から手へと。甘い。二周した。やはり甘い。でも火を囲む非日常のなかではうまく感じられないこともなかった。

それが目の前で繰り返されようとしている。それも日常の家の中で。油揚げはかじってみたいと思わせてくれたが、天ぷらは好奇心すら湧かない。あの時と同じように彼がまずひと口かじってみせる。そして黙って隣へ回す。またひと口かじって隣へ回す。誰ひとり反応がない。それもそのはず。味がない。二周した。やはり味がない。王道を極めるためにシンプルにするのは分かる。けれど後から天ぷらをかじったら腹の中は一緒じゃないか。そんな疑問を抱きながらかじる。

それはつい数日前のことだ。イタリアはコロナウイルスで大変な状況だった。自由に外に出らなくなっていた。ルーマニアで暮らす友人は軍隊が出動して戦時中のような雰囲気だと言っていた。日本も同じような状況になりつつあると思っていた。感染が広がるのも時間の問題だと思っていた。それなのにその夜にコロナウイルスという言葉はひとつも出なかった。そんな話はしたくなかった。皆で酒を呑みながら笑っていた。手から手へと天ぷらを回していた。朝まで呑んで人混みも気にせず香取神宮へと出掛けた。息子が満開のコブシに向かって飛び跳ねた。それがずっと昔のことのように感じられる。

日常が日常ではなくなった。人と人が会えなくなった。手と手がつなげなくなった。きつねもたぬきも回せない。パスはしない。きつねかたぬきかひと口かじって回したい。

photo by : kentaro shibuya

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王道か冒険か

何度こんな朝を迎えただろう。映画でいったら六本分。小説だったら二冊くらいは読めただろう。昨晩の七時から今朝の七時まで男六人家で酒を呑んでいた。もちろん妻と子供たちはもう眠っている。というより、そろそろ起きる時間だ。私たちが過ごした時間で二日分の睡眠がとれたともいえるだろう。時間をこうして例えたくなるのは、長いこと話していたはずなのにあまりに内容がないからだ。何というか、為になる話がひとつもないのだ。大の大人が六人集まってだ。さすがにそれはないだろうと振り返ってみるのだが、やはり何もない。不思議なくらい何もない。

思い出せるのは「朝は納豆しか食べない」とか「いなり寿司に具はいらない」とか「俺はわかめラーメンしか頼まない」とかそんな話ばかり。王道を極めるという男の主張に誰も異論を唱えなければ話は移り変わるのだろうが、そこに本気で食らいつく男がいるのだ。「朝は食う時間ねえだろ」とか「いなり寿司は何でもうまいだろ」とか「ラーメンは全部のせだろ」とか。互いの主張は平行線のまま一向に終わる気配がない。決着しないままさらに新たな意見が飛び交う。「ガリガリ君は冒険しなくていい」と発言するものなら「あいつら色んな味を開発して俺たちを楽しませてくれてるんだぜ。非常に偉いと思うよ」「全然偉くない。あいつら赤字だから」「赤字でもあいつら面白ければいいんだよ。俺はどんな味でも冒険するぜ」と討論が始まる。「あいつら」とはいったい誰を指しているのだろう。開発者だろうか、まさかガリガリ君本人だろうか。彼らならガリガリ君が実在すると思っていてもおかしくない。

くだらない。くだらな過ぎる。いつもそう思うが、何度もこんな夜を繰り返してきた。映画六本観ても、小説二冊読んでもすぐに忘れてしまうが、こんなくだらない夜のことは何故かよく憶えている。どんなに酔っていても彼らの発言は頭の奥底に残っている。それもどういう訳か、くだらないことから順に記憶している。

くだらない中にも哲学がある。王道を極めるも、冒険するもどちらの気持ちも分かる。洋服も音楽も映画も小説もただひとつのものを好きなのと、幾度も遠回りをして自分の好きなものをひとつ見つけるのとでは訳が違う。無駄な経験を重ねてこそ、ひとつのものにこだわる信念が生まれる。まさにこういう夜の討論こそ無駄なのだが、生きている上で無駄なことはひとつもないという信念を私は持っている。

そんな男たちと迎える夜明けは、眩しい光が心地よく空気までも美味しく感じられる。騒々しい夜から一転して朝の静寂。何か成し遂げたようなこの感覚は何だろう。もう誰も酔っていない。それどころか皆いつもより男前に見える。これが信念を持った男の顔なのだろうか。いや、そんなはずはない。私は酔っているのだろうか。二階へ上がり横になると同時に子供たちが目を覚まして、またくだらない一日が始まろうとしている。

photo by : kentaro shibuya

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クマ

ぼくはクマ。木のクズで作られた。たぶんクマ。作った人はもういない。どこかへ飛んでいつしか消えた。

ぼくはクマ。錆びたネジを打たれてる。目玉のかわりに打たれてる。見えてはないけど見えている。心の目玉がうごいてる。

ぼくはクマ。緑のリボンをつけている。針金なんて言わせない。緑のリボンは宝物。あの人がぼくにくれたんだ。生まれた時のプレゼント。

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「好きだったら持っていっていいよ。きっとクマも喜ぶよ」それを手にとる度に古道具屋の友人はそう言った。けれど、そう簡単にはもらえなかった。あの人はもういないから。あの人にしか作れないものだから。

たまにそのクマのことを思い出していた。机に散らばった材料で作っている姿を思い浮かべていた。なんの迷いもない。手が勝手にうごいてる。

日曜日、クマをもらうことにした。クマと目が合い、そう決めた。「もらってくれて嬉しいよ。きっとあの人も喜ぶよ」クマを見ながら友人はそう言った。

今、手元にクマがある。あの人はいないが、クマがいる。首を傾げたクマがいる。

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