王道か冒険か

何度こんな朝を迎えただろう。映画でいったら六本分。小説だったら二冊くらいは読めただろう。昨晩の七時から今朝の七時まで男六人家で酒を呑んでいた。もちろん妻と子供たちはもう眠っている。というより、そろそろ起きる時間だ。私たちが過ごした時間で二日分の睡眠がとれたともいえるだろう。時間をこうして例えたくなるのは、長いこと話していたはずなのにあまりに内容がないからだ。何というか、為になる話がひとつもないのだ。大の大人が六人集まってだ。さすがにそれはないだろうと振り返ってみるのだが、やはり何もない。不思議なくらい何もない。

思い出せるのは「朝は納豆しか食べない」とか「いなり寿司に具はいらない」とか「俺はわかめラーメンしか頼まない」とかそんな話ばかり。王道を極めるという男の主張に誰も異論を唱えなければ話は移り変わるのだろうが、そこに本気で食らいつく男がいるのだ。「朝は食う時間ねえだろ」とか「いなり寿司は何でもうまいだろ」とか「ラーメンは全部のせだろ」とか。互いの主張は平行線のまま一向に終わる気配がない。決着しないままさらに新たな意見が飛び交う。「ガリガリ君は冒険しなくていい」と発言するものなら「あいつら色んな味を開発して俺たちを楽しませてくれてるんだぜ。非常に偉いと思うよ」「全然偉くない。あいつら赤字だから」「赤字でもあいつら面白ければいいんだよ。俺はどんな味でも冒険するぜ」と討論が始まる。「あいつら」とはいったい誰を指しているのだろう。開発者だろうか、まさかガリガリ君本人だろうか。彼らならガリガリ君が実在すると思っていてもおかしくない。

くだらない。くだらな過ぎる。いつもそう思うが、何度もこんな夜を繰り返してきた。映画六本観ても、小説二冊読んでもすぐに忘れてしまうが、こんなくだらない夜のことは何故かよく憶えている。どんなに酔っていても彼らの発言は頭の奥底に残っている。それもどういう訳か、くだらないことから順に記憶している。

くだらない中にも哲学がある。王道を極めるも、冒険するもどちらの気持ちも分かる。洋服も音楽も映画も小説もただひとつのものを好きなのと、幾度も遠回りをして自分の好きなものをひとつ見つけるのとでは訳が違う。無駄な経験を重ねてこそ、ひとつのものにこだわる信念が生まれる。まさにこういう夜の討論こそ無駄なのだが、生きている上で無駄なことはひとつもないという信念を私は持っている。

そんな男たちと迎える夜明けは、眩しい光が心地よく空気までも美味しく感じられる。騒々しい夜から一転して朝の静寂。何か成し遂げたようなこの感覚は何だろう。もう誰も酔っていない。それどころか皆いつもより男前に見える。これが信念を持った男の顔なのだろうか。いや、そんなはずはない。私は酔っているのだろうか。二階へ上がり横になると同時に子供たちが目を覚まして、またくだらない一日が始まろうとしている。

photo by : kentaro shibuya

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クマ

ぼくはクマ。木のクズで作られた。たぶんクマ。作った人はもういない。どこかへ飛んでいつしか消えた。

ぼくはクマ。錆びたネジを打たれてる。目玉のかわりに打たれてる。見えてはないけど見えている。心の目玉がうごいてる。

ぼくはクマ。緑のリボンをつけている。針金なんて言わせない。緑のリボンは宝物。あの人がぼくにくれたんだ。生まれた時のプレゼント。

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「好きだったら持っていっていいよ。きっとクマも喜ぶよ」それを手にとる度に古道具屋の友人はそう言った。けれど、そう簡単にはもらえなかった。あの人はもういないから。あの人にしか作れないものだから。

たまにそのクマのことを思い出していた。机に散らばった材料で作っている姿を思い浮かべていた。なんの迷いもない。手が勝手にうごいてる。

日曜日、クマをもらうことにした。クマと目が合い、そう決めた。「もらってくれて嬉しいよ。きっとあの人も喜ぶよ」クマを見ながら友人はそう言った。

今、手元にクマがある。あの人はいないが、クマがいる。首を傾げたクマがいる。

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楽園

「納品いつにしますか?」「いつでもいいよ。楽弥と希舟の都合がいい時に」黒けだもの展で選んでもらった品物を届けに車を走らせる。あくまでも私は運転手。お呼ばれされたふたりは後ろですやすや眠っている。

黄土色、茶色、薄茶色、継ぎ接ぎの建造物が見えたところで楽弥が目を覚ます。第六感なのか、それとも眠ったふりをしていただけなのか、彼はいつもちょうどいいところで目を覚ます。「きっきぃ起きて。ひーくん家だよ!」頼んでもないのに彼は希舟を起こす。まだ寝かせておきたいが仕方がない。ふたりにとってここは楽園なのだから。

車を降りると同時に私は煙草に火をつける。高鳴る鼓動を抑えるためなのか、ただひと息つきたいだけなのか、ここに来ると何故か無性に煙草を吸いたくなる。ちょうどいい場所に、ちょうどいい椅子が置かれ、ちょうどいい灰皿がある。そのすべてが調和しているからかもしれない。モロッコで拾ったというオイルサーディンの缶に灰を落とす。

楽弥が慣れた手つきでフランスで拾ったという大きな扉を開け中へと入っていく。希舟は挨拶がわりに前川さんの肩によじ登り頭の上で笑っている。初めてここを訪れた妻は愛犬のニハルと新しく仲間入りしたスマリの可愛さに釘付けになっている。人間も動物も自由な空間は心地いい。

キッチンでは千恵さんが生クリームを泡立てている。シフォンケーキを焼いてくれたらしい。「あんこいる人〜?」「は〜い。最高の組み合わせじゃない!」これは子供の声じゃない。誰よりも前川さんがあんこに反応する。それも満面の笑みで。希舟はちゃっかりキッチンに立っているし、楽弥はニハルとスマリのもふもふの毛に挟まれている。幸せな時間が流れている。千恵さんが淹れてくれるコーヒーも生クリームとあんこの添えられたシフォンケーキも最高に美味しい。私たちにとってもここは楽園なのだ。

私が勝手に博物館と呼んでいる離れに移る。楽弥と希舟は前川さんにもらった魚眼レンズをひとつずつ握りしめている。この空間に入るなり、さっきまで少年だった前川さんは館長になる。まず目に飛び込んでくるのは頭蓋骨。「これは何の骨でしょう?」「キツネ」「違うな〜」「シカ」「違うな〜」「ヒントは?」「イから始まってシで終わる動物」「イノシシ」「正解!」自然とこんな授業が始まる。宝石のような昆虫の標本を眺めている間にも授業は続く。「この虫は何を食べるでしょう?」「葉っぱ」「違うな〜」「木の実」「違うな〜」「正解はうんち。シカのうんちを食べるんだよ」ふたりから歓声があがる。魚眼レンズと虫眼鏡を手に標本箱に噛りついている楽弥と希舟の目は輝いている。感動するということは学ぶことでもあるんだなと感じる。きっとここで感じたことはそう簡単には忘れない。次から次へと標本箱を引き出すふたりの隣で、妻はひとり咀嚼しきれずに目を回していた。

アトリエにはY字の形をした枝がいくつもあった。庭に生えていたねむの木から切ったという。「ここから好きな枝を選んで」今度は急にワークショップが始まる。枝の先にゴムを通して中央に革をはめる。パチンコだ。「じゃあ球を拾いに行こう」もはや館長でもない。隊長に楽弥と希舟がついて行く。林でどんぐりを拾い、それを球にして的にぶつける。球が無くなっては拾いに行き、またどんぐりを飛ばす。いつの間にか隊長も少年に戻り、負けじとどんぐりを飛ばしている。日が傾き始めた頃には楽弥と希舟の球も勢いよくぶつかるようになっていた。「パン」「パン」「パン」どんぐりがはじけ飛ぶ度に少年時代の情景が色濃く浮かぶ。

気になるのは前川さんのパチンコだ。明らかにひとつだけクオリティが違う。持ち手に無骨な彫りの装飾が施されており、アフリカの民芸品のような風格なのだ。「ひーくんのいいなぁ」楽弥と希舟がそれを欲しがる。「これはあかん。ひーくんのや」「自分で色塗るといいよ」前川さんはふたりにそれぞれパチンコを持たせてくれた。「色塗ったらひーくん欲しがるかな?」楽弥は楽しい宿題ができて喜んでいる。もしひーくんが欲しがってもきっと彼はこう言うだろう。「これはあかん。がっくんのや」

photo by : chie maekawa

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ぼくたちのオリンピック

黒けだもの展が終わった。そして今、私は抜け殻のようになっている。まだまだ力不足だが、今の自分にできる精一杯の表現ができたと思っている。”黒けだもの”という物語にすべてを注ぎ込んだつもりだ。

前回の展示から二年の歳月をかけて制作に打ち込み、作品が揃ったのは展示の十日前。それを津留くんがたった数日で撮影し構成して本に仕上げてくれた。それも私が思い描いていた通りに。いや、それ以上に。

彼がルーマニアで買い付けてきた花模様のフックに私の刺繍のバッグが掛かっている。木彫りのクローゼットを開けるとそこにも刺繍のバッグが掛かっている。使い込まれたテーブルには刷り上がったばかりの黒けだものの本が並んでいる。トランシルヴァニア地方にある村の民家で目にしていた美しい家具と自分の作品が調和する。「この景色が見たかったんです」彼は顔に似合わぬ格好いい言葉を吐いた。私も口にはしなかったが同じ気持ちだった。私が刺繍を始めたきっかけはこの景色と共にある。それを津留くんがルーマニアから遠く離れたこの場所で実現してくれたのだ。感動しないはずがない。

朝は典美さんとコーヒーを飲み、夜は津留くんとビールを飲んだ。十日間も一緒にいてずっと楽しく過ごせるギャラリーなんてきっと他にはない。一日中くだらない話に付き合ってくれた典美さんも、毎日未明に起こされた津留くんも疲れたに違いない。けれどこんなに素晴らしいギャラリーで展示できるのだから、寝る間も惜しんで楽しまないともったいない。

ゆっくり眠ることなく十日が過ぎていった。それでも毎日が充実していた。しかし街に活気はなく、不安な報道も耳に入ってきた。予定通り東京オリンピックが開催できるかどうか話している時に津留くんが突然口を開いた。「それよりもこの展示がぼくたちのオリンピックなので」彼は至って真面目な顔をしている。「二年に一度のオリンピックなので」低い声で彼はもう一度繰り返す。

去年の今頃はルーマニアを放浪していて、展示が終わったら家族でまたどこかへ旅することを勝手に思い描いていた。それがすぐには叶わないような状況にみんなで打ち上げをする気にもなれず、ひとりあてもなく夜道を歩いた。物語三部作の最終章を終えて、ここから先どこへ進むかを想像していた。行き先を決めていない旅のように。

ギャラリーに戻ると猫のキンタが庭でじっとしていた。二階では典美さんとチコちゃんと津留くんが食卓を囲んでいた。何だか私は自分の家に帰ってきたような不思議な気分のまま席に着いた。「もう浮かれたり落ち込んだり忙しいわね」ドキンちゃんが放った一言は私がルーマニア人に感じるそれと一緒だった。



photo by : yoshimi doki

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茶けだもの



”黒けもの”は四才。”黒ばけもの”は五才。”黒けだもの”は六才。物語を制作していた時の楽弥の年齢だ。そこに描かれている生と死の世界は子供には理解し難いかもしれないが、ほんの少しでも彼の心に残るようなものを作りたかった。

人間が大事なことを覚えるのは六才頃までのような気がする。そこまでは心の感覚で頭に吸収していくが、そこから先は教えられたものを頭で記憶していく。それで頭がいっぱいになると知らず知らずのうちに心の感覚は鈍っていき、本当に大事なことを忘れてしまう。だから物語が思い浮かぶとまず子供たちに聞いてもらう。子供の心に響くものが本物だと信じている。

小さい頃は夜遅くまで遊んでいた楽弥も、よほど疲れているのか小学校から帰るとすぐに眠ってしまうようになった。「がっくん起きて。ご飯だよ。冷めちゃうよ」夕飯ができるとふたつ下の妹が起こす。「うるさい!こっちは学校に行ってるんだよ。きっきぃ分かる?保育園じゃないんだよ」優しく声をかけた希舟が何故か怒られる。ねぼけまなこで夕飯を食べると楽弥はまた眠ってしまう。「がっくん起きて。お風呂だよ。冷めちゃうよ」懲りずに希舟が起こす。「うるさい!こっちは勉強してるんだよ。きっきぃは遊んでるだけでしょ?まったく」兄の凄まじい勢いに希舟が凍りつく。

彼の頭は小学校のことでいっぱいになっている。これまでは車で送っていたが、展示会で私が不在になるからと最近は三十分かけて歩いて行くようになった。六時半に目を覚まして七時ちょうどに家を出る。それも十分前にランドセルを背負い、炊飯器の時計とにらめっこをしている。これは自覚が出てきた証拠なのだろうか。ついこの前まで遅刻ぎりぎりで校門に車を横付けしてくれと頼んでいた彼が、小学校の鍵が開くのを一番に待っているというのだから人間が変わってしまったかのようで恐ろしくもある。

朝早く楽弥は誰もいない図書室へ行き図鑑を読んでいるらしい。あれだけ自由奔放だった息子が遠い存在に感じるのは何故だろう。今の彼は私の作る物語に興味を持ってくれるのだろうか。そう思っていた矢先にプレゼントをくれた。「これパパにあげる。茶色く塗っちゃったけど」それは赤いりんごを手にした茶けだもののキーホルダーだった。これをポケットの中に入れ展示会へと向かう。

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黒けだもの



数年前から黒けだものの物語を思い浮かべていたが
その結末だけが頭に浮かんでは消えてを繰り返し
自分の中に迷いが生じていた。
けれどルーマニアで獣の肉を食べた夜に
想像と現実が重なり黒けだものの物語は完成した。
子供にも大人にも色々な人に読んでもらえたら嬉しい。

”黒けだもの”まえがきより。

ルーマニアの小さな村で暮らしていた頃
毎晩のように家に遊びに来る愛すべき友人がいた。
会った途端に蒸留酒を勧めてくる彼の名はマールトン。

この日もいつものように井戸で水を汲み薪をくべ
納屋にぶら下がる野菜でスープを作ることにした。
マールトンが鍋を覗き込んで驚いている。
「肉がない。何てことだ。神様!」
彼は頭を抱えると慌てて家を飛び出した。

しばらくすると骨付き肉の塊を手に戻って来た。
「何の肉?」そう訊くよりも先にそれは鍋に投入された。
「たぶん...豚」彼はそう答えるがたぶん豚ではない。
鶏でも牛でも羊でもない強烈な獣の匂い。
空腹だった私とマールトンは夢中になってそれを頬張る。
最高に臭いが最高に美味い。

翌朝になり原因不明の激しい頭痛に襲われた。
その日からひと月もの間布団の中から出られずにいたが
朦朧とする頭の中では黒けだものの物語が生まれていた。

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黒けだもの展



展示会まであとひと月。ルーマニアにいる友人から送ってもらった大量の黒い糸も、そのほとんどを使い果たした。長らく刺繍に没頭していたが、あとひとつ作品を仕上げれば物語ができあがる。数年前に頭の中で描いた人間と黒けだものの物語。

ちょうど二年前の冬、黒ばけもの展の最中にDEE'S HALLの土器さんに次はこの物語を作りたいと構想を話した。またこの場所で展示することを夢見て、まだ展示が終わってもいないのに黒けだものの絵を地面に広げていた。それからずっと黒い糸を手放さずにいる。ルーマニアを旅している時もポケットの中にはいつも黒い糸が入っていた。

思い返してみれば、二十代の頃は大量の生地や資材に囲まれて子供服のデザインをしていた。生地の色や素材を選ぶだけでも随分と頭を悩ませた。自分が好きなものと売れるものに差があると感じていたから流行も気にした。デザイン画を描き型紙を引いても思い通りに仕上がらず、縫製工場と揉めることもあった。その度に理想のものを作るには自分の手で作るしかないと感じていた。だから店を開けていた四年半は自問自答の日々でもあった。その時は自分でも理解していなかったが、店を閉めてルーマニアで暮らそうと思ったのは一度すべてをリセットしたかったのだと思う。そこから抜け出したかったのだと思う。

帰国してからは、店を再開するでも子供服を作るでもなく、自分の手で刺繍をするようになった。ルーマニアの村で自給自足の生活を見てきた影響だろうか。大きな利益は生まないが、店を維持するために売れるものを作るよりも制作に夢中になれた。それから刺繍を続けているうちに糸の色も種類も減っていき、最後に残ったのがルーマニアの黒い糸だった。黒い糸さえあれば自分の好きな世界を描くことができる。これからどう変化していくのか分からないが、今は黒い糸で表現することが面白くてたまらない。

前回に続き今回の展示会もPicnikaの津留くんがルーマニアの家具や古道具を並べてくれる。私も負けじとルーマニアで買い付け展示のために温めておいた古物をいくつか並べる。愛に満ち溢れた土器典美さんのDEE'S HALLで展示できること、そして冷酷で毒舌でほんのちょっぴり愛のある相棒の津留慎太郎と過ごす夜を楽しみにしている。

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キッ・クン・ジ

「今日ね、キックンジやったんだよ」「キックンジ?」「そう、キックンジやったんだよ」「キックンジ?」いくら考えても分からない。「きっきぃ、もう一回言ってみて」「キックンジだってば」「金閣寺?」「違うって。キックンジだってば」何度聞いても分からない。一緒に保育園に希舟を迎えに来た楽弥に通訳を頼む。「きっきぃ、ゆっくり言ってごらん」兄貴ぶった口調で楽弥が訊く。「キッ・クン・ジ」ゆっくり言っても変わらない。楽弥は首を傾げる。希舟は自分の言葉が思うように伝わらず不機嫌になっていく。保育園のお迎えに来た親とその子供が何人も目の前を通り過ぎて行く。

日が暮れていく園庭でただ時間だけが流れた。「クッキング!」突然、楽弥が夕空に響き渡るような声を張り上げた。「クッキングじゃない。キックンジでいいの」今さらそれが正解とは言えずに希舟が騒ぐ。「がっくん、さすが」私は息子を讃えて、ようやくすっきりした気持ちで駐車場へと歩き出す。希舟は恥ずかしさからか顔を赤くして泣いている。

帰り道、機嫌を取り直した希舟がクッキングの話を始める。「スポンジの上にクリームをぬって、クリームの上にバナナをのせて、その上にまたスポンジをのせて、クリームをぬって、イチゴをのせるの。それで最後にドンピングして二階建てのケーキを作ったんだよ」「ドンピング?」「そう、最後にね、チョコをドンピングするんだよ」きっとトッピングのことだろう。でも、それを直す気にはなれない。逆にふざけたくなってしまい、希舟の言葉を自分なりに再構築して訊いてみる。「まずポンスジの上にクリームをぬるでしょ。その上にまたポンスジをのせてバナナをドンピングするの?」「違うよパパ。スポンジだって」慌てる希舟に楽弥までふざけ始める。「きっきぃ、ポンスジの上にリームクをぬって、そのリームクの上にバナナをドンピングするんでしょ?」「違う。リームクなんて言ってない。がっくん大嫌い」怒る希舟にさらに楽弥が追い打ちをかける。「ポンスジ、リームク、バナナ、バナナ、バーナーナー」覚醒した楽弥が歌いながら踊っている。「もうやめて」目に涙を浮かべながらも可笑しくて笑っている希舟に最後に確認する。「きっきぃ、キックンジ楽しかった?」「キックンジなんて言ってない。パパも大嫌い」

家に着くなり私は刺繍を始める。最近は大きな布を床に広げて家で制作をしている。展示会まであと二カ月。今は遊ぶ時間もない。十二月生まれのふたりをどこか楽しい所へ連れて行きたいが、そんな余裕もない。それでもふたりと過ごす馬鹿げた時間は最高に楽しくて、それだけで心が潤う。楽弥と猫のねずみは白い布に黒い糸が刺されていく様を仲良く隣で見つめている。希舟は黒い糸の切れ端が出る度に走ってキッチンへ捨てに行ってくれる。ついでにフライパンで何をキックンジ、いや、クッキングしているか覗いて来る。どうやら妻はチキンを焼いてるらしい。そうか、今夜はクリスマス・イブ。真夜中に忘れてはいけない大事な仕事がひとつある。

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白衣を着た猫



「この家に猫がきてくれて嬉しいよ」キャットフードをぽいっと口に放り込んで友人が言う。「楽弥も希舟ちゃんも大きくなってきたこのタイミングで猫がきてくれて本当に嬉しいよ」キャットフードを噛み砕きながら友人が繰り返す。「猫がいると家族がひとつになるんだよ。喧嘩した時も猫がクッションになってくれるんだよ」無類の猫好きの彼はそう熱く語るとキャットフードを呑み込んだ。

確かに猫を飼ってからというもの「ずー!ねず!ねずみ!」という子供たちの浮かれた声が家中に響いている。ややこしいが、ねずみという名の猫である。ふたりは暇さえあれば猫を膝の上に乗せてどれほど自分になついているかを自慢し合っている。猫を飼うことに難色を示していた妻もねずみがどうした、こうした、そんな話ばかりしている。佐原に越してきて三度の冬を古びたストーブひとつで乗り切ったというのに、ねずみが寒いだろうとあっさりこたつを用意した。これまで耐えてきたあの寒さは何だったのだろうと思うほどこたつのある、いや、猫のいる冬は幸せなものだ。

猫のノミが気になり、動物病院に連れて行くことになった。帰ってくるなりふたりが寄ってきた。「ねずの病院どうだった?」と楽弥。「病院の先生ってねずのお話し分かるの?」と希舟。「先生なんだからちょっとくらい分かるんじゃない?」と楽弥。「でも先生って人間でしょ?」と希舟。いたずら心が働いた私は「人間に猫の言葉が分かるはずないよ。がっくんもきっきぃも分からないでしょ?動物病院っていうのは猫には猫の先生。犬には犬の先生がいるんだよ」「まじか。すげー」楽弥は目を丸くする。きりん組の希舟は驚いた様子で訊いてくる。「きりんは?」「もちろんきりんの先生。きりんの病院は教会みたいに屋根が高いんだよ」来年らいおん組になる希舟が続ける。「らいおんは?」「もちろんらいおんの先生。らいおんの病院は結構大変でさ。おとなしくしてないと先生に食べられちゃうんだよ」「こわー」楽弥は興奮している。純粋なふたりとの会話に私まで楽しくなってしまい、もう後戻りできないところまできてしまった。

猫に詳しい友人いわく、ねずみは毛がふさふさだから寒い国の猫らしい。ちょうど同じ頃、楽弥が小学校の図書室で借りてきた犬猫図鑑を広げて「ねずがのってたよ。ねずはロシアの猫なんだよ」と教えてくれた。そこにはサイベリアンと記されたそっくりの猫が写っていた。「ロシアって雪が降ってたところだよね」モスクワの空港で飛行機を乗り継いだことのある楽弥はロシアという響きがたいそう気に入ったらしく「家にロシアの猫がいるんだよ」と小学校で言いふらし、子供たちが猫をあやす道具を持って家に遊びに来るようになった。

これまで気にしたこともなかったが、私の周りは不思議なくらい猫好きが揃っている。人間と話すよりも先に回廊に横になり猫と遊んでいる友人もいる。私も幼い頃から犬や猫を飼っていたが、なんとなく犬は可愛がるもの、猫は放っておくもの、そういうものだと思っていた。だから家にいた二匹の猫はどちらも遠い存在だった。だが、ねずみは犬のように甘えてくる。肉球をぺたぺた押しつけてきたり、顔をすりすりしてくる。楽弥と希舟は猫の真似をしてねずみと遊んでいる。友人が家に来る度にふたりとねずみがそっくりだと言う。言われてみるとまん丸な目とすぐに人の膝の上に乗ってくるところはよく似ている。素直に喜んでいいのか分からないが、ねずみが三人目の子供のようにも思えてくる。

猫のムシが気になり、また動物病院に連れて行くことになった。ねずみを抱いた希舟が訊いてくる。「猫の先生って白いお洋服着てるの?」「もちろん着てるよ。先生だからね」その情景を思い浮かべながら私は答える。「ミャー」白衣を着た猫がねずみに何やら訊いている。「ミャー」それにねずみが何やら答えている。もちろん人間の私に猫の問診など分かるはずもない。そうなってくると診察料はキャットフードになるのか。診察が終わるとねずみは先生にキャットフードを支払う。先生は手渡されたキャットフードをぽいっと口に放り込んだ。そんな想像が膨らむ。「ミャー」猫というよりはたぬきのような佇まいで、ねずみが首を傾げて鳴いている。



photo by : kentaro shibuya

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嵐と猫

台風の夜は家が吹き飛ばされるのではないかと心配で眠れなかった。轟々と音を立てて雨風が容赦無く窓ガラスを打ち付ける。もう割れるかもしれないと覚悟していると、顔に冷たい水滴が垂れてきた。天井からの雨漏りに家中の鍋を総動員させて水滴を受けるが、明かり取りの窓が木枠ごと外れて一気に雨が吹き込んでくる。吹き付ける雨風で窓をはめ直すこともできず、回廊は一瞬にして水浸しになる。運悪く回廊に立て掛けてあったレイモン・ペイネのリトグラフもびしょ濡れになっている。風に吹き飛ばされて大木に引っ掛かった家のバルコニーに佇む男と女の姿。こんな嵐の日に濡れるなんて”恋の嵐のあと”という名にぴったりだと雨水を吸い込んだ作品を呆然と眺めていた。

夜が明けてアトリエに行くと、こちらも床が水浸しになっている。拭くどころの騒ぎではない。壁一面に掛けた刺繍の作品と妻のぬいぐるみが心配だったが、幸いなことに雨は壁の内側を伝って床に流れ込んだようで無事だった。ほっと胸を撫で下ろす。踏板の濡れたミシンの電源が入らなくて壊れたかと思ったが、それは停電のせいだった。それからしばらく停電が続いた。

「動物園に行きたい」と子供たちの声がする。保育園も小学校も停電で休みになったのだ。今日は特別な休みだからとふたりの希望通り動物園に行く。楽弥は動物を見る度に「あぁ家で飼いたいなぁ」と呟く。希舟もその気になり「きっきぃこれにしようかな」とキャンディーを選ぶかのようにワタボウシパンシェやコモンマーモセットという子猿のような動物を選んでいる。「これは飼えないよ」と説明するもふたりは納得しない。「じゃあクチャみたいな犬だったらいいの?」と訊いてくる。ルーマニアでいつも楽弥にくっ付いて歩いていた犬のことだ。クチャとはハンガリー語で犬という意味でそのままなのだが「クッチャン、クッチャン」と呼んで可愛がり、朝から晩までずっと一緒に過ごしていた。その時の楽しさが忘れられないようだ。返事に困ってしまった。

翌日もその翌日も停電が続き子供たちと一緒に過ごした。最初はふたりが行きたいところへ遠出していたものの、休みが一週間も続くと疲れてきて近くの公園で遊ぶようになる。「パパー。来てー」遠くから楽弥の声がする。「早く、早く」慌てる楽弥の方に走り寄ると、茂みの陰から目のまんまるなふわふわの子猫が顔を出した。生まれて間もないようで「ミャー」とか細い声で鳴いている。母猫とはぐれてしまったのだろうか、お腹が空いた様子で楽弥の指をぺろぺろ舐めている。それからずっと足下にくっ付いてきて離れなかった。「ねぇ飼ってもいいでしょ?」と訊く楽弥に「お母さん猫が探しているかもしれないから駄目だよ」と答える。一緒に遊びにきていた愛莉ちゃんが「お母さん来るのかな?来なかったら死んじゃうのかな?がっくんの家に連れて行きたいね」と言うと「俺もそう思ってるんだけどね」と子猫を抱きながら楽弥は捨て台詞を吐いた。

結局、日が暮れても母猫は現れなかった。そして今、子猫は家にいる。名はねずみ。希舟が「ねぇねずみ色だからねずみにしない?」と提案した。猫を他の動物の色で例えるなんてどうかと思ったが異論もなく決定した。「ねずみ元気かな?」と出先で希舟が口にする度に「えっ。ねずみ?」と訊かれるのは難点だが、私もねずみという名を気に入っている。ねずみみたいに部屋の隅っこをちょろちょろ走り回るからだ。そういえば、レイモン・ペイネの”恋の嵐のあと”にも風に吹き飛ばされている猫が描かれている。嵐と猫。偶然とはいえ、こうして嵐のあとにやってきたねずみとの生活が始まった。

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