てんとう虫のサンバ

二月二十九日で結婚して二十年になる。なんて早い。二十年前の私は閏日なんて気にすることなく生きていたが、今となっては四年に一度の結婚記念日となった。

十代から一緒に過ごし、お互いが二十二才になった年の閏日が休日でなおかつ大安だったので、このタイミングだと思って入籍した。日曜日は受理できる時間が決まっているからと職員に急かされて、半分電気の消えた町役場の誰かのデスクの上で慌てて婚姻届を書いた。住所や本籍や印鑑の種類をことごとく間違え、こんなにも訂正印だらけの婚姻届は初めてだと職員に笑われたが、薄暗い町役場で拍手をしてもらった。

それまでも一緒に暮らしていたので、生活が一変することはなかったが、彼女からひとつだけ頼まれていたことがあった。「結婚式は動物園で挙げたい」動物が好きな彼女は『てんとう虫のサンバ』で歌われているような、森の中の小さな教会で動物に囲まれて結婚式を挙げたいと言う。「なんて馬鹿馬鹿しい夢なんだ」そう言いながらも心の中では最高に面白そうだなと思っていた。

今ならインターネットですぐに調べられるが、当時はそんなことを知る術もなかったので、近所にあった小さな旅行代理店の扉を開いた。「結婚式ができる動物園はありますか?」「面白そうですね!」あるか、ないかではなく、私が感じたままの答えが返ってきた。その旅行代理店は、赤いペイズリー柄のバンダナを頭に巻いた小柄なおじいちゃんがひとりで経営していた。まん丸としたほっぺたはジャムおじさんを思わせる。正直なところ、ここでそんな式場を探すのは難しいかなという印象だった。

数日後、電話が鳴った。携帯の画面にジャムおじさんと表示されている。「オーストラリアにありましたよ!コアラを抱っこして結婚式を挙げられる動物園が!」ジャムおじさんはまるで自分のことのように盛り上がっている。「出発はいつにしましょう?せっかくなのでジューンブライドでいきますか!」ジャムおじさんのテンションは旅行代理店のそれではなく、もはや身内のそれなのである。もう後戻りなどできるはずもない。「そうしましょう!」その返答しか、私に残された選択肢はなかった。

六月の予定を妻に伝えると、飛んで喜んだ。大袈裟ではなく、子供のように飛んで喜んだ。すぐにアンティークショップにウェディングドレスを探しに行った。派手で豪華なものではなく、素朴でクラシックなものを探し回った。ちょうどフランスで買い付けたばかりだというドレスの山から、繊細な手編みのレースがあしらわれた百年前のドレスが見つかった。驚くほどぴったりのサイズだった。胸には偶然にもユキの“キ”のような刺繍が施されている。自分の名前が刺繍されていると、また飛んで喜んでいる。“キ”のドレスと金色のヴィンテージのスーツを持って、オーストラリアへ飛んだ。

それにしても袖から覗く腕時計がどうしても気になる。そんなものを身に付ける習慣などなかったのだが、ジャムおじさんが出発前日に結婚祝いとしてお揃いの腕時計をくれたのだ。鹿のキャラクターが二本の人差し指で時刻を表しているのだが、すでにずれている。電車や飛行機に乗り遅れそうになって、走りながら喧嘩が始まる。炊飯ジャーではこの時間だったとか、腕時計ではこの時間だったとか、どうしようもないことで…。婚姻届を出す時も、結婚式に向かう時も、大事な時はいつだって走っている気がする。センチメンタルとか、ロマンチックとか、そんなかけらもなく走っている。

ジャムおじさんが勝手に手配してくれていたリムジンで教会に向かう途中、神父の質問に英語で答えるようにと伝えられる。「イエス アイ ドゥ」何度その言葉を口にしただろう。「あなたはいかなる時も新婦を愛することを誓いますか?」日本語でいうところのそれを質問されていると思い込み繰り返す。「イエス アイ ドゥ」神父の誓いの言葉を復唱するように言われているのに「イエス アイ ドゥ」妻が笑いを堪えて肩を震わせている。それでも抱っこしているコアラはずっと眠っている。コアラは夜行性だったのだ。現地のカメラマンがコアラの肩を叩いて起こそうとするが、迷惑そうに一瞬目を開けるものの、またすぐにまどろんでしまう。繊細なレースなどお構いなしに、コアラの大きな黒い爪がウェディングドレスに食い込み“キ”が裂けていく。最後に友人が拵えてくれた木と金糸の指輪が二本の薬指に収まり、私たちは夫婦になった。

滅茶苦茶な結婚式だったけれど、思い出深い新婚旅行になった。島に渡って珊瑚礁の美しい海を泳いだり、気球に乗って上空からサバンナを飛び回るカンガルーを眺めたり、顔を白く塗ってアボリジニとブーメランを投げ合って遊んだり。その様子を二十年ぶりに観てみようと録画したビデオテープを引っ張り出してきた。埃を被ったビデオデッキを掃除してビデオテープを入れる。ビデオの映像を楽しみにじっと待つ子供たち。「ガシャガシャ」デッキの中を覗くと、くしゃくしゃになったテープが絡まっている。ふたりはがっかりしていたが、頭の中に楽しい思い出があればそれでいい。

「結婚おめでとう!」子供たちはまるで新婚のように乾杯してくれる。「パパとママが二十年も一緒にいるなんて奇跡だよ」とふたりは続ける。確かにわがままで自由奔放な私たちが二十年以上もひとつ屋根の下で暮らしているなんて奇跡なのかもしれない。今も十代の頃と何も変わらない。どれだけ喧嘩をしてもいつも最後には笑っている。今は子供たちも一緒になって笑っている。

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むしくん

「石畳の橋を渡っているんだけど…近い?」夜中に彼女に電話をした。当時、私は恵比寿にある服飾の専門学校に通っていて、この日は縫製工場の見学に来ていた。その帰り道、馴染みのない町をふらふら散歩しているうちに最終の電車を逃してしまった。タクシーで帰る余裕などもちろんなく、途方に暮れていた時に思い出したのだ。付き合い始めて間もない同級生の彼女の家が確かこの近くだっていうことを。

彼女は銀色の自転車に乗ってやって来た。夜中に呼び出されて困り顔の彼女を後ろに乗せて、ひと気のない夜の東京をひたすら走る。音楽の話や映画の話、学校の話や将来の話…。十代だった私たちの話が尽きることはなかった。くまのプーさんがどれだけ素晴らしい物語かということも一から十まで丁寧に教えてもらった。ちぎれてしまったイーヨーの尻尾が釘で打たれているのは私にとって一番の衝撃だった。

深く考えずに電話をしたが、彼女は実家暮らしだった。柵を外して部屋の窓から入ったはいいものの、金髪のドレッドに向こう側が覗けるほど大きな穴のピアスを空けた私と家族が顔を合わせるのは気まずいから絶対に部屋から出ないようにと宣告される。何て言うのだろう、子供が親にバレないように拾ってきた野良犬の気持ちを味わっていた。部屋を見渡すとぬいぐるみがいくつも転がっている。それまでぬいぐるみに興味なんてなかったが、その中のひとつとたまたま目が合った。まん丸のふたつの目玉、それに緑色の細長い体に桃色の腫れぼったい唇の不思議なぬいぐるみ。私はほんの悪戯心で得体の知れないそいつをポケットに入れて、彼女の家を後にして始発の電車に飛び乗った。

数日後、彼女が私のアパートにやって来た。玄関を開けて部屋に入ろうとした瞬間、彼女は叫んだ。「むしくん!」何のことかさっぱり分からなかった。膝から崩れ落ちて叫んだ。「むしくん!」気が触れてしまったのかと思った。彼女の視線の先を追うと緑色のあいつと目が合った。私は彼女の家から持ち帰ったぬいぐるみを神聖なものとして、部屋の鴨居に釘を打ち、神棚に祀るような気持ちで飾っていた。「むしくん…」彼女は背中に刺さった安全ピンを外し、空いてしまった穴を指で馴染ませながら泣いていた。

むしくんという名のそのぬいぐるみは、彼女が十三才の時にフィンランドの市場で出会った大切な友達だったらしい。青虫色なのでむしくんと呼んでいるが、本当は虫ではなくてトロールのような妖精だという。そんな大切な友達が突然いなくなったので、散々探し回ったらしい。私はぬいぐるみひとつで狼狽している彼女を見て、初めて人間とぬいぐるみが友達になれることを知った。うわべだけではないその感覚に本当に驚いた。

むしくんはそのまま私のアパートで暮らすことになった。ダウンジャケットを布団代わりに、雑誌を枕代わりにして眠っていた殺風景な部屋が少しだけ温かくなった。むしくんはいつも私のポケットから桃色の腫れぼったい唇を出していた。バイクに乗る時は、むしくんが落ちていないかどうか何度もポケットに手を入れて確認をした。私はむしくんと友達になれたような気がした。しばらくして彼女も一緒に暮らすことになり、あの部屋にあったぬいぐるみもすべて引っ越してきた。さらに学校を辞めた彼女はぬいぐるみを作るようになり、六畳一間の部屋はあっという間にぬいぐるみで埋め尽くされた。

そして、鴨居の釘には友人が作ってくれたどんぐりの指輪がふたつ重ねて掛けられた。

2月11日(日)昼12時〜13時の1時間のみ2024年のFredericのぬいぐるみのご注文を承ります。詳しくはNewsまたはInstagramをご覧ください。短い時間ですがどうぞよろしくお願い致します。

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エイの帽子

私の記憶が正しければ、幼い頃に保育園にやって来たサンタクロースは父親だった。どういった役回りでそんなことになったのかは知らないが、赤い衣装に白い髭を付けて、大きな布袋をぶら下げてお昼寝前にお遊戯室にやって来た。「サンタさんだ!」そう無邪気に飛び跳ねている子供たちを見て、クリスマスとは大人が変装をしてプレゼントを配る行事なのだということを悟った。

息子が生まれてからの十一年間、私はサンタクロースを続けている。私の勘が正しければ、去年あたりから息子はプレゼントを貰うためにサンタクロースを信じている、ふりをしている。いつも夜更かしをしているくせにクリスマス・イヴだけは、親が困らないように早めに布団に入る。娘は本当に信じているので、間違ってもサンタクロースを見てしまわないように慌てて布団に潜り込む。

十二月十四日からの十日間、娘の誕生日、息子の誕生日、マラソン大会の祝勝会、クリスマスとふたりはそれぞれに欲しいものをリクエストしてくる。その中で一番買ってもらえなさそうな携帯電話やゲーム機をサンタクロースに託すのだ。「サンタさんなら持って来てくれるでしょ!」そう付け加えて。

今年も子供たちが寝静まった頃に私は隠してあったダンボール箱を車から運び出した。キャッチャーミットと一輪車。それを二階の寝室まで音を立てないように慎重に運び、サンタクロースからの手紙を添える。

「プレゼント届いてる!」目を覚ましたふたりが枕もとに置いてある箱をじっと見つめている。夢と現実を往復しているのだろう、ゆっくりと起き上がりガムテープを剥がしていく。歓声が上がる。良かった。喜んでくれている。知らないふりをして、一緒になって驚いていると楽弥が私に声を掛けてきた。「パパにもプレゼント届いてるよ!」寝室の柱に一枚の紙切れが貼ってある。

てっちゃんへ

メリークリスマス

今年も仕事がんばってるね。

これからもがんばって。

おうえんしてるよ!!

SANTA

手紙の添えられたダンボール箱を開けると手作りのエイの帽子が入っていた。夏にエイに刺されてから、私がエイの物語を制作しているのを見ていたのだろう。私の頭のサイズぴったりの画用紙で作られた帽子である。ここ数日、やけに子供部屋にこもっているなと思っていたら、彼は作るところを一切見せることなくエイの帽子を用意してくれたようだ。それともこれこそ本当にサンタクロースからのプレゼントなのかもしれない。あの保育園以来だろうか、私のもとにサンタクロースがやって来たのは。まさか大人になってからこんなにも幸せなクリスマスの朝を迎えられるなんて思ってもみなかった。

そしておそらくだが、希舟が妻に作ろうとしていたであろう深緑色のフェルトで作られた三角形の物体がひとつ、なみ縫いの途中で子供部屋に残されていた。スナフキンの帽子だろうか、茶色い羽根が付いている。サンタクロースだって忙しいのだから遅刻のひとつくらいするだろう。私は見て見ぬ振りをして階段を降りて来た彼女を抱き上げる。「メリークリスマス!」

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「アイラービュー!」

「ねぇねぇ、押して!」そう言って、怜は私の前にやって来る。私は彼のおでこを人差し指でぽんと押す。「プッ」見事におならが出た怜は、拳をひと振りして嬉しそうに言うのである。「どうだい!」何度このやりとりを繰り返しただろう。年上の楽弥も負けじと競うが、自由自在におならを操る彼には到底敵わない。

前の日の夕暮れ時、私たちは友人に連れられて蓼科湖に来ていた。わずかに残る橙色の夕陽が映る美しい湖をぐるっと回って車が止まる。「ここで上映会をやるみたいなので楽しんでください」友人は手首に巻く入場券にビールとワイン、さらに夜は冷えるからとブランケットまで持たせてくれた。「終わった頃に迎えに来ます」と彼は客人と子供たちに手を振って、動物の世話をしに颯爽と帰っていった。

木々の間に張られたスクリーンを映写機の光が照らしている。いつの間にか夕陽は落ちて辺りは暗くなっていた。シートを広げてコルクを抜く。軽快な音楽と共に始まったのは「お早よう」。小津安二郎監督の晩年の作品で、ここ蓼科で脚本を執筆したという。高度経済成長期のごく平凡な家庭をユーモアに描いた物語で、新興住宅地の近所付き合いの煩わしさや世に出始めたばかりのテレビを欲しがる子供と父親の親子喧嘩など、それぞれの家庭の問題やいざこざが軽快に描かれている。そんな長閑な日常で子供たちに流行っているのが、おでこを押してもらっておならを出す遊び。「おい、ちょいと押してみな!」「プッ」「どうだい!」登校中に行われるこのシーンが映し出される度に、一緒に来ていた四人の子供たちから一斉に笑い声が溢れる。

より映画を魅力的にしているのが、お揃いの洋服を着た可愛い兄弟だろう。「アイラービュー!」と事あるごとに覚えたての英語を発したり、テレビ欲しさにだんまりを決め込んだり、兄の手下として立ち回る弟の姿が微笑ましい。何でも兄の真似ばかりして、いつも兄の言う事を健気に聞く希舟とゆり子の顔を覗き込むと、ふたりとも自分が同じようなことをしているとは気が付かずに呑気に笑っている。

星空の下、子供たちが仲良く肩を寄せ合い、三角座りをした小さな膝に掛けた一枚のブランケットを引っ張り合って、スクリーンを見上げている。映画の中の子供たちはテレビにかじりついているのだが、目の前でも同じような光景が広がっている。まるで映画の世界に溶け込んでしまったかのようだ。映写機の光が消えて、後ろを振り返ると、迎えに来てくれた友人が手を振っていた。

ほのぼのとした気持ちで友人の車に揺られていると、暗闇でブレーキがかかった。野生の鹿が森から顔を覗かせていたのだ。鹿の親子が潤んだ瞳でこちらを見ている。しばらくの間、目と目が合う。友人の家に戻ると、庭にいる山羊が出迎えてくれ、玄関先では犬が飛び付き、階段を登ると猫が擦り寄ってきた。朝になれば鶏が鳴き、ひよこが走り回るだろう。八ヶ岳の麓にある友人の家で過ごす時間はかけがえのないものだ。何というか人間としての生き方や仕事の意味や子供の育て方を考えさせられる。それは自然と自分自身を問うことになる。実際はただビールを飲んで他愛もない話をしているだけなのだが、色んなものが詰まっている家であり、家族なのだ。

川で泳いで、滝に打たれて、雨に降られて、びしょ濡れになって、道すがら偶然に見つけた老舗旅館の温泉に浸かっている。誰ひとりいない露天風呂でゆっくりしていると、楽弥と怜が慌てて走って来る。「ねぇねぇ、押して!」「プッ」「どうだい!」そして嬉しそうに笑い合っている。映画の兄弟のようにいつもペアルックで歩いていたふたりは、雨に打たれながら裸で岩の上に座り、滝を眺めている。人間は動物である。ふと、そんなことを思う。難しいことを考えるよりも、本能的に気持ちのいいことが好きなのである。雨で冷えた体を温泉に投げ入れて、温まったと思ったら、今度は川に向かって立ち小便をしている。最高ではないか。

帰り際に友人は旅を題材にしたという絵を持たせてくれた。彼女の旅の記録や想像までもがコラージュされた、自由に生きていることが伝わってくるような美しい絵だ。その作品が今、寝室にある。いい夢が見れるようにと飾ったつもりが、この台詞ばかり思い浮かんでしまう。「アイラービュー!」それはきっと映画の影響だけではなく、彼女の作品が愛に満ち溢れているからだろう。

「ねぇねぇ、録音してもいい?」そう言って、突然に始まった友人のひがしちかちゃんのラジオに参加させてもらいました。いつものようにくだらないことばかり話していますが、よかったら聴いてみてください。

ART DE VIVRE

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少年時代

「飯行こうぜ!」美術館で展示していた作品が半年ぶりにアトリエに戻ってきた時だった。白い手袋をはめたキュレーターが刺繍作品をひとつひとつ丁重に確認している最中に突然、アトリエの扉が荒々しく開いた。こんな大事な時に誰が来たのかと思ったら、どこか見憶えのある男が真っ直ぐに私を見て立っていた。一瞬誰か分からなかったが、ギラギラしたその目を見て保育園からの幼馴染みだと確信した。もう何年も会っていなかった友人が急に目の前に現れたのである。今の状況とあまりにもかけ離れた男の来訪に驚きながらも、急いで借用書と刺繍作品を照らし合わせていく。

キュレーターを見送ってから、私は慌てて誘われた食堂に向かった。ランチ終わりの誰もいない店内の一番奥で男が飯を食っている。目が合うなり、彼は厨房に声を掛ける。「すみません!ビール一本!」そして、ビールをグラス目一杯に注ぎ乾杯をした。

幼馴染みのこの男はいつ会っても変わらない。ある意味、大人びた子供だったのかもしれない。昔から良いことも悪いことも自分の物差しで測って行動する奴だった。何というか、悪いことをしても必ずそこには彼なりの正義があった。気性は荒いが、一緒に酒を飲めば誰よりも相手のグラスを気にするし、私に子供が生まれたと知れば真っ先に出産祝いを持って来るような心優しい奴なのだ。「楽弥もでかくなっただろう?」「あっという間に五年生だよ!」そんな他愛もない話から私はつい先日起きたある話をした。

先週の土曜日、多摩川で希舟の撮影があるからと朝から出掛ける準備をしていた。それは、彼女が五年前に撮影してもらった写真家に同じシチュエーションで撮影してもらうという面白い試みだった。今から家を出ようというタイミングで電話が鳴った。楽弥の同級生の母親がこれから家に来るというのだ。もちろんそんな余裕はなかったのだが、電話をとった妻から言わせると、切羽詰まっていて断れる雰囲気ではなかったらしい。

その母親は家に来るなり、緊迫した面持ちで楽弥に向かって問い続けた。火曜日、誰がどこで何をしていたとか、その時にあの子はどこにいたとか、その後にあの子はどうしたとか。子供たち数人で遊んでいる時に、自分の子供のお金がなくなったというのだ。

楽弥は何も知らない様子だったが、まるで誘導尋問のように話は一方的に進んでいく。ひとつ頷くだけで、仲間を売るようなことになりかねない。重苦しい空気に耐えられなくなったのか、息子は徐々に涙を浮かべていく。その母親は最後になってこう訊くのである。「お金がなくなった後にあの子がお菓子をたくさん買ってきたんだよね?」彼女はすでに犯人を特定していて、証拠を集めているという訳だ。その場にいた子供たちから話を聞いて、どうにか真実を知りたかったのだろう。そもそもお金を盗られたという本人から話を聞かないことには真相は分からないが、子供たちの関係が壊れることを私は何よりも心配していた。随分と回り道をしたあげく、何も得られるものがないまま、気が付くと昼になっていた。結局、この日の予定はすべて消えてなくなった。

「そんなの親の出る幕じゃねぇだろ。ていうか…そいついい奴じゃん。金盗ったのは確かに悪いけどさ…自分のためだけに使わないで菓子買ってみんなに分けたんだろ?絶対に根はいい奴だよ」男の返答に私はどこか安心していた。私も心の底では同感だった。金持ちから盗みを働くジプシーもいるが、貧しい村人にその金を分け与えるのもジプシーなのだ。それも全財産を盗むようなことはせず、困らないくらいの額をこっそり盗むのである。この話とよく似ている。「俺たちがガキの頃なんてしょっちゅうそんなことあったよな。血を流して帰るなんて当たり前だったもんな。金があればみんなで山分けしたり…金がなければ誰かが奢ってくれたり…それが普通だったよな」

「すみません!ビールもう一本!」男は私のグラスを空けさせない。ものの数分でテーブルの上にビール瓶が並んでいく。「懐かしいよな。お前らスカジャン着て小学校に行ってたもんな」記憶が鮮明に蘇る。私たちが龍や虎や風神雷神のスカジャンに夢中になっている中で、この男だけは自分の美学をしっかりと持っていた。チェックのボタンダウンシャツに赤いダウンベストを羽織って登校していた幼き男の姿を思い出していた。

「あの赤いダウンベスト似合ってたよな」私がそう言うと「バック・トゥ・ザ・フューチャーのマイケル・J・フォックスが好きだったからさ。俺らガキの頃から洋服だけはこだわってたよな。運動会なんて体操服にブーツ履いてさ」彼はそう言って笑った。真似することは御法度という子供なりのルールがあり、誰とも被らないようにとエンジニアブーツやリングブーツやウエスタンブーツをそれぞれ探し回った。色んなことがあったが、とにかく毎日が楽しかった。決して大人が入ることのできない子供だけの世界がそこにはあって、私たちはその中で自由に生きていた。もし目の前にドクの作ったデロリアンがあるならば、私は迷わずこの時代を選ぶだろう。そして、みんなで赤耳のジーンズを馬鹿みたいにロールアップして、廃バスの中でカップヌードルを食べるだろう。

少年時代にどんなことがあろうとも、きっといつかそれを笑い合える日が来るだろう。

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王城から王城へ

九時十二分発の電車に揺られて上野まで来た。こうしてひとりで電車に乗るなんて何年振りだろう。昨日まで家に泊まっていたルーマニアの友人ボギが、帰国する際に余った青春十八切符をくれたのだ。残る判子はひとつ。それも昨夜もらって使用期限は今日までとある。そういう訳で、私は何の予定もなく東京に繰り出したのである。

王城という喫茶店でカレーを食べて、コーヒーを飲んで予定を立てるが、これといって行きたい所が見つからない。何かひとつでも買いたいものがあれば簡単なのだが、欲しいものが見つからない。誰かに会いに行こうかとも考えたが、そういうことではない。せっかくのひとり旅である。ひとりで楽しまなくては意味がない。ゴブラン織りの椅子を立ち、歩いているうちにアメ横に辿り着いた。目に付いたチョコレートをふたつ子供たちのお土産に買って、目的もなくまた歩き始める。

丘という喫茶店でサンドウィッチを食べて、コーヒーを飲んで考える。今日はどこへ行こう。何をしよう。この暇を持て余している時間が何よりも楽しいのではないかと思えてくる。さらにここは煙草まで吸えるらしい。店主に青緑色の灰皿を貰い、天井から地下にぶら下がる豪華なシャンデリアを横目にハイライトに火を付ける。既に満足してしまい、ここでゆっくりしてそのまま帰ろうかとも思ったが、新宿へ向かうことにした。

一週間前、長旅の帰り道に車で夜の新宿を通ったのだが、あの雑踏とネオンに何だか懐かしい気持ちになり、近いうちに来ようと思っていたのだ。学生の頃、新宿によく生地を買いに来ていた。当時、十センチ単位でカットしてくれる所は少なかったので、私はこの生地屋で財布とにらめっこをしながら制作する洋服を考えていた。当然、電車賃なんてないので、祐天寺までの道のりを自転車でふたり乗りして帰る日々だった。しかし上京して間もない頃から通っていたこの生地屋は、跡形もなく消えていた。

変わりゆく新宿の廃墟と化した王城ビルで展示をやっていたので寄ってみる。歌舞伎町弁財天でお参りをして、風俗店の角を曲がり、細い路地を進んでいき、無機質な鉄の扉を開く。ビルの内部は解体現場のような様相で、蔦のように複雑に絡む配線が剥き出しになっている。吹き抜けには足場が組まれていて、地下から夜空に向かって一筋の光が放たれている。屋上には“光は新宿より”の文字。上階から奈落を見下ろす。一歩足を踏み外すとすぐさま落ちてしまいそうな気がするが、奈落の底から上空を見渡すとどこまでも飛んでいけそうな気がする。自身に置き換えるとするならば、仄暗い奈落は制作の現場であり、遥か上空へと突き抜ける一筋の光は可能性なのかもしれない。

気が付くと、四〇二号室で見知らぬ人々を前に下手なカラオケを披露していた。見知らぬ人が手を叩いたり、タンバリンを叩いたりしている。現実でありながら、虚構ともいえる空間。音痴であろうが関係ない。カラオケなんて二十年振りだが、ミラーボールの回るこの空間でマイクを握らないことは負けに等しいと勝手に思い込み、小学生の時に衝撃を受けたロックンロールを選曲していた。不思議な体験をしてそろそろ帰ろうかと思ったが、王城ビルカレーと書かれた張り紙が目に止まった。迷わずレストランに入ってカレーを注文した。偶然にも王城カレーに始まり、王城カレーで終わった訳である。

歌舞伎町を後にして乗り込んだ電車で、佐原の到着時間を確認する。九時十二分着。出発時間と同時刻。また偶然にも午前九時十二分に始まり、午後九時十二分で旅が終わろうとしている。私は十二時間を振り返り、城から丘をひとつ越えてまた城を訪れたような、何とも言えない達成感をひとり噛み締めていた。

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グサッ。グサッ。

グサッ。体に危険信号が走る。何が起きたのか分からず、急いで浜に戻ろうとするが、左足が思うように動かない。波はあるがサーフボードに乗る余裕もなく、右足一本で海の中を必死に歩いていく。「どうしたの?大丈夫?」サーフィンを始めたばかりの息子が波に乗って近づいてくる。「クラゲか何かに刺された」そう答えたものの、クラゲではないと確信していた。何というか、左足を丸ごと一本食われたかのような、これまでに味わったことのない痛みに襲われていた。

「ママ!パパが大変!早く来て!」息子が必死に呼んでいるにも関わらず、妻は手を振りながら娘と浮き輪でぷかぷかと浮いている。「ママ!早く来て!」何度叫んでも駆け付ける様子はない。あぁそういうことか。彼女たちは私が危機的状況だということを信じていないらしい。イソップ寓話のオオカミ少年と同じである。私と楽弥はこれまで突然倒れて死の淵を彷徨う寸劇をしたりと、下らない冗談を幾度となく繰り返してきた。「ママ!本当に大変なんだって!パパの足から血が出てる!」楽弥が必死になればなるほど劇団感が増していく。もう頼りになるのは彼しかいない。息子は小さな体で二枚のサーフボードを持って叫び続ける。「すごい血なんだって!早く来て!」彼女たちはまだ遠くで手を取り合ってぷかぷかと浮いている。

浜に上がったはいいが、左足の甲に小さく空いた穴から血がとめどなく流れている。何とかここまでは歩いたが、足が痺れてもう立つこともできない。浜で人魚のように横たわり痛がるその姿さえも演技っぽく見えているのだろう。傷口に砂が入らないかと心配して、楽弥が傷口に海水を掛ける。それが滲みてとんでもなく痛い。たまたま浜辺を散歩していた老夫婦が、只事ではないと救急車を呼んでくれた。携帯電話の置いてある車まで歩くこともできなかったので助かった。

「また下手な演技をしているのかと思った…」妻は血だらけになった左足を見てようやく信じたようだ。リアリティに下手というものがあるのか、それともいつもの冗談にリアリティがあり過ぎたのか。遠くで聞こえていたサイレンの音が徐々に大きくなっていき、近くで止んだ。「どうされましたか?」救急隊が訊く。「何かに足を刺されたみたいで…」「おそらくエイですね」言われてみれば、あの感触はエイに違いない。ぬるっとした何かを踏んだ瞬間に刺されたのだ。それに前日には海面に現れた丸みを帯びたヒレを目にしていた。赤みがかった大きくて不気味なヒレ。あれもエイだったのか。隊員に肩を借りて救急車まで足を引き摺って歩いていく。

バケツに湯を張ってもらい、足を入れると不思議なほど痛みが和らぐ。毒素が熱で中和されるらしい。毒針が残っているかもしれないからすぐに診察を受けるように勧められたが、砂だらけの濡れた体で救急車に乗るのも気が引ける。さらに日が暮れてきて、子供たちを海岸で待たせることもできない。救急車には乗らずに、左足をバケツに入れたまま、右足で運転して病院へ向かうことにした。

夜八時半、病院の待合室は受診を待つ人々で混雑していた。さらに気になったのは初診料、七千七百円。病院なんてかれこれ十年以上は行っていない。そんな私にとって、この金額は高過ぎる。待合室まで運んだバケツの湯は冷めて足は痛みがぶり返している。とにかく湯が欲しいが、受付では湯もくれない。しびれを切らして近くの中華料理店に入って事情を話すと、快くバケツに熱湯を足してくれた。足を湯に浸けると楽になり、左足だけ熱湯風呂の状態で中華料理を囲んだ。病院での待ち時間も初診料も馬鹿馬鹿しくなり、腹いっぱい食べて帰ることにした。帰路の一時間、湯が冷める度にポットを借りては給湯をして、何とか家まで辿り着いた。思い返せばおかしな一日だった。

グサッ。海に行く前にも私はこの音を目の前で感じていた。いつものようにアトリエで刺繍をしていたら、急に撮影隊が現れたのだ。その先頭にいたロバートの秋山氏が、ボーを見るなり口に指を突っ込んだ。突き抜けんばかりに指をぐりぐりと口の奥まで突っ込まれて、えずくボー。私は電話をする。「秋山氏が来てるよ!」妻は信じていない。これまで角刈りにティアドロップの来客の際に松方弘樹氏が来てるとか、それこそ日焼けした漬け物を持った来客の際は梅宮辰夫氏が来てるとか、下らない冗談を言ったこともある。だからだろう。「ボーーーー」という彼の声を電話口で聞いて、彼女はようやく状況を理解したようだ。彼の存在感は抜群だった。口と目をまん丸にしてボーになりきってみたり、ボーの声を出してみたり、アトリエは笑いの渦に包まれた。

いつだったか、楽弥が学校からの帰り道に出会った撮影スタッフをアトリエに連れて来たことや、偶然居合わせたロケの地図への書き込みや、突然降ってきた豪雨が番組を撮影するきっかけになったらしい。ちょうど出荷前のボーウェアが散乱していて、少しくらい片付けておけばよかったと後悔もしたが、楽しい時間だった。撮影隊が帰るとすっかり雨は上がり、再び針を刺す気にはなれず、高揚した気分のまま波に乗ろうと家族で海に繰り出したのだ。その後、エイに刺された訳である。

グサッ。一日に二度、違う形でこの音を感じた訳だが、どちらも忘れられない思い出として胸に刻まれた。それから一週間後、私の左足は毒針が残っていたのか、信じられないほどに腫れ上がった。針で毒針を探している私を見て、楽弥がキッチンにいる妻を呼んでいる。「ママ!パパの足が象みたいになっちゃった!早く来て!」オオカミ少年がいくら叫んでも妻が駆け付ける様子はない。

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フレデリック・ベアーズ

子供が生まれてからの数年間は、プレッツェルの子供服ばかりを着せていた。それ以外は蒐集していた古着をあわせるくらいで、他に必要なものは何もなかった。子供たちは嫌がるでもなく、むしろ喜んで、一才になる前にセンタープレスの入ったウールのパンツを穿いて、刺繍を施した麻のシャツを羽織り、革靴を履いててくてくと歩いていた。

しかし私が作っていたのは六才くらいまでの子供服で、八才と十才になったふたりはもう着られない。さらに子供たちにも自我が芽生えて、ヴィンテージの洋服を買ってきてももう着てくれない。ウェスタンシャツを羽織り、西部劇みたいに鉄砲を撃つ真似もしなくなったし、花柄のサーキュラースカートを穿いて、ジプシーみたいにくるくると踊ったりもしなくなった。小学校というのは良くも悪くも、いわゆる普通を子供たちの意識に刷り込む。段々と人より目立つことを嫌がり、普通であることを好むようになっていく。それまでは、喜んで飛び跳ねるとか、怒って地団駄を踏むとか、感情と行動が結びついていたのに、すべて頭で考えてから行動するようになっていく。子供の成長は、嬉しい反面、人間らしさが失われていくようで淋しくもある。

小学校に入るまで、リーバイスのジーンズにシルクのシャツにスエードのベストをあわせて、チャックテイラーを履いていた息子は、いつの間にかショートパンツにスヌーピーのTシャツをあわせて、ランニングシューズを履くようになった。Tシャツには彼なりの美学があるらしく、簡素なプリントに適度な英字が入ったものが好みらしい。おそらくそれは、プレッツェルの子供服から今の格好への移行期間に無地の洋服を着させ過ぎたことがもたらした結果である。彼はプリントに飢えていたようで、ローテーションしているUSA製のスヌーピーのTシャツ三枚は、着古して溶ろけそうになっている。

古着屋に行っても息子の好みの洋服を探すのは苦労する。娘はおだてればいくらでも可愛い洋服を着てくれるが、息子はそうもいかない。ちょうどボーの絵を描いていた時にふたりが小学校から帰ってきたので、着ているTシャツの上にボーの絵を当てて訊いてみた。「こんなTシャツを作ったら着る?」「ボーちゃんTシャツ!着る!着る!」そう言って喜ぶ娘と、ランドセルを放り投げてそそくさとグローブとバットをリュックサックに詰めて出掛けようとする息子。「がっくんは着る?」「うん。着る」ぶっきらぼうだが、予想外の言葉が返ってきた。偶然にも彼のTシャツの美学に一致したようだ。

アトリエの壁にボーがずらりと並んでいる。Tシャツやパーカーやキャップになったボーは、ぬいぐるみの表情と同じくどこか遠くを眺めている。妻がぬいぐるみを作り始めてから二十年、ボーが生まれるのをずっと隣で見てきた私にとって、それは何よりも馴染みのあるモチーフで、それこそユニフォームのようである。

休日の午前六時半、お揃いのボーウェアをそれぞれに身に付けて、キャッチャーマスクならぬテングマスクを被り、家族で湖畔の野球場へ出掛ける。誰もいないいつものグラウンドで小さな円陣を組む。楽弥が声を張り上げる。「フレデリック・ベアーズ!しまっていくぞー!」「おー!」そんなつもりで作った訳ではないが、妙に嬉しい自分がいる。ツナギのジッパーの隙間から、ボーが顔を覗かせている。

<ボーウェアは7月24日より販売を開始します。詳しくは News をご覧ください>

photo by : kentaro shibuya

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パンを焼く男

「名前はパンを焼く男ですか?」そう訊かれて言葉に詰まるも「まぁそうですね」と軽く返事をする。男は私の描いた絵を手に取り「へぇパンを焼く男ですか〜」と妙に感心している。机の上には、昨夜飲んだワインやウィスキーの空瓶がいくつも並んでいる。

ちょうど日が暮れた頃に男はやって来た。そして、家と車をいそいそと往復して、両手に持ちきれないほどのワインやウィスキーが運び込まれた。「ここでお店でも開くおつもりですか?」そう訊きたくなるほどにパンが山盛りになったカゴを運び終えて、ようやく乾杯しようとしたタイミングで息子が口を開く。「ねぇ親方!チョコとマロンのパンってある?」そう、男はいつからか親方と呼ばれている。親方はずっしりと詰まった大きなカゴの中に手を入れて、次から次へとパンを出していく。「あれ?ちょっと待っててね〜」親方は慌てて外に飛び出すと、チョコとマロンのパンを掲げて戻ってきた。「車の中に転がってたよ〜」笑いながらパンを差し出す親方につられて「えっ!ど〜ゆ〜ことよ?」と息子と娘も顔を見合わせて笑っている。

手際よくパンを切って食卓に並べていく親方の隣で、そのペースに負けない勢いで楽弥と希舟が食べている。ただ腹が減っているのではない。手が止まらないくらいにうまいのである。どれもうま過ぎて、あっという間に消えていく。「こんなにも食べてもらえて嬉しいな〜」夢中で頬張っているふたりに驚きながらも、親方はずっと楽しそうにパンを切っている。「これがつまみになるんすよ〜」そう言ってマッシュルームを切り始めたかと思えば、しまいには台所で包丁まで研いでいる。食にすべての神経を使っているのだろう。パンを語り、ワインを語り、ウィスキーを語り、そのまま親方は眠りについた。子供たちに無理矢理、桃色の布団を巻かれて、魚肉ソーセージのようになって。

パンピーポー。男のパン屋の名前である。なぜ私の描いた絵に和訳を題したのか、なぜ自ら題しておきながら妙に感心しているのかは謎だが、パンを焼く男には間違いない。いずれ刺繍となってパンピーポーの店先に現れるであろうパンを焼く男の図案をあれこれと考えている目の前で、男はグラスの中を覗いていた。白く濁ったそのグラスには甘酒の酒粕が気持ちよさそうにふわふわと浮遊していた。

「もし僕がパンを焼いていなかったら…」唐突に仮想の話が始まった。こだわり抜いたパンを焼く偉大な男の口から果たしてどのような言葉が放たれるのか、耳を澄ませてじっと待つ。「…ただの酒カスです」聞き間違いではない。確かに男はそう言った。ストローで酒粕をぐるぐると回しながら。仕事を終えてからの一杯を何よりも楽しみに生きている男のことだ。それに昨夜の豪快な飲み方を見ていると確かに男は酒カスなのかもしれない。待てよ。同じじゃないか。男が酒カスなら私も酒カス。私が着手しようとしているのは、酒カスによる酒カスのための刺繍ということになる。まぁそれもいい。想像力を酒粕のように浮遊させて、今日も私は黒い糸を刺していく。

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「黒のみものいかがですか?」

「黒のみものいかがですか?」蝶ネクタイの男がカップに飲み物を注いでいる。人間たちは、それを飲みたいがために、これまで大切にしてきた生き物を除け者にしていく。黒い一杯のために、見当違いの言葉を並べて、独りよがりにカップを傾けるのである。

所在のない除け者たちは、人間が口にしている飲み物が気になり、ありとあらゆる想像をする。その想像はどこまでも膨らんでいき、飲み込んでいるつもりが、いつの間にか飲み込まれてしまう。次から次へと、姿を変えていくその過程は、生き物の成長のようであり、輪廻転生のようでもある。生まれてから死ぬまで、どんな生き物にも役割があり、その役割を果たしたとしたら、死ぬことも生まれることと同じように尊いことなのではないか。そんなことを考えながら、除け者はカップの中へと姿を消していく。

〜あとがきより・以下省略〜

四冊目の刺繍絵本「黒のけもの」が完成しました。詳しくは News をご覧ください。どうぞよろしくお願い致します。

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