茶けだもの



”黒けもの”は四才。”黒ばけもの”は五才。”黒けだもの”は六才。物語を制作していた時の楽弥の年齢だ。そこに描かれている生と死の世界は子供には理解し難いかもしれないが、ほんの少しでも彼の心に残るようなものを作りたかった。

人間が大事なことを覚えるのは六才頃までのような気がする。そこまでは心の感覚で頭に吸収されていくが、そこから先は教えられたものを頭で記憶していく。それで頭がいっぱいになると知らず知らずのうちに心の感覚は鈍っていき、本当に大事なことまで忘れてしまう。だから物語が思い浮かぶと子供たちに聞いてもらう。子供の心に響くものが本物だと信じている。

小さい頃は夜遅くまで遊んでいた楽弥も、よほど疲れているのか小学校から帰るとすぐに眠ってしまうようになった。「がっくん起きて。ご飯だよ。冷めちゃうよ」夕飯ができるとふたつ下の妹が起こす。「うるさい!こっちは学校に行ってるんだよ。きっきぃ分かる?保育園じゃないんだよ」優しく声をかけた希舟が何故か怒られる。ねぼけまなこで夕飯を食べると楽弥はまた眠ってしまう。「がっくん起きて。お風呂だよ。冷めちゃうよ」懲りずに希舟が起こす。「うるさい!こっちは勉強してるんだよ。きっきぃは遊んでるだけでしょ?まったく」兄の勢いに希舟が凍りつく。

彼の頭は小学校のことでいっぱいになっている。これまでは車で送っていたが、展示会で私が不在になるからと最近は三十分かけて歩いて行くようになった。六時半に目を覚まして七時ちょうどに家を出る。それも十分前にランドセルを背負い、炊飯器の時計とにらめっこをしている。これは自覚が出てきた証拠なのだろうか。ついこの前まで遅刻ぎりぎりで校門に車を横付けしてくれと頼んでいた彼が、小学校の鍵が開くのを一番に待っているというのだから人間が変わってしまったかのようで恐ろしくもある。

楽弥は朝早く誰もいない図書室へ行き本を読んでいるらしい。あれだけ自由奔放だった息子が遠い存在に感じるのは何故だろう。今の彼は私の作る物語に興味を持ってくれるのだろうか。そう思っていた矢先にプレゼントをくれた。「これあげる。茶色く塗っちゃったけど」それは赤いりんごを手にした黒けだもののキーホルダーだった。ポケットの中にこれを入れて展示会へと向かう。

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黒けだもの



数年前から黒けだものの物語を思い浮かべていたが
その結末だけが頭に浮かんでは消えてを繰り返し
自分の中に迷いが生じていた。
けれどルーマニアで獣の肉を食べた夜に
想像と現実が重なり黒けだものの物語は完成した。
子供にも大人にも色々な人に読んでもらえたら嬉しい。

”黒けだもの”まえがきより。

ルーマニアの小さな村で暮らしていた頃
毎晩のように家に遊びに来る愛すべき友人がいた。
会った途端に蒸留酒を勧めてくる彼の名はマールトン。

この日もいつものように井戸で水を汲み薪をくべ
納屋にぶら下がる野菜でスープを作ることにした。
マールトンが鍋を覗き込んで驚いている。
「肉がない。何てことだ。神様!」
彼は頭を抱えると慌てて家を飛び出した。

しばらくすると骨付き肉の塊を手に戻って来た。
「何の肉?」そう訊くよりも先にそれは鍋に投入された。
「たぶん...豚」彼はそう答えるがたぶん豚ではない。
鶏でも牛でも羊でもない強烈な獣の匂い。
空腹だった私とマールトンは夢中になってそれを頬張る。
最高に臭いが最高に美味い。

翌朝になり原因不明の激しい頭痛に襲われた。
その日からひと月もの間布団の中から出られずにいたが
朦朧とする頭の中では黒けだものの物語が生まれていた。

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黒けだもの展



展示会まであとひと月。ルーマニアにいる友人から送ってもらった大量の黒い糸も、そのほとんどを使い果たした。長らく刺繍に没頭していたが、あとひとつ作品を仕上げれば物語ができあがる。数年前に頭の中で描いた人間と黒けだものの物語。

ちょうど二年前の冬、黒ばけもの展の最中にDEE'S HALLの土器さんに次はこの物語を作りたいと構想を話した。またこの場所で展示することを夢見て、まだ展示が終わってもいないのに黒けだものの絵を地面に広げていた。それからずっと黒い糸を手放さずにいる。ルーマニアを旅している時もポケットの中にはいつも黒い糸が入っていた。

思い返してみれば、二十代の頃は大量の生地や資材に囲まれて子供服のデザインをしていた。生地の色や素材を選ぶだけでも随分と頭を悩ませた。自分が好きなものと売れるものに差があると感じていたから流行も気にした。デザイン画を描き型紙を引いても思い通りに仕上がらず、縫製工場と揉めることもあった。その度に理想のものを作るには自分の手で作るしかないと感じていた。だから店を開けていた四年半は自問自答の日々でもあった。その時は自分でも理解していなかったが、店を閉めてルーマニアで暮らそうと思ったのは一度すべてをリセットしたかったのだと思う。そこから抜け出したかったのだと思う。

帰国してからは、店を再開するでも子供服を作るでもなく、自分の手で刺繍をするようになった。ルーマニアの村で自給自足の生活を見てきた影響だろうか。大きな利益は生まないが、店を維持するために売れるものを作るよりも制作に夢中になれた。それから刺繍を続けているうちに糸の色も種類も減っていき、最後に残ったのがルーマニアの黒い糸だった。黒い糸さえあれば自分の好きな世界を描くことができる。これからどう変化していくのか分からないが、今は黒い糸で表現することが面白くてたまらない。

前回に続き今回の展示会もPicnikaの津留くんがルーマニアの家具や古道具を並べてくれる。私も負けじとルーマニアで買い付け展示のために温めておいた古物をいくつか並べる。愛に満ち溢れた土器典美さんのDEE'S HALLで展示できること、そして冷酷で毒舌でほんのちょっぴり愛のある相棒の津留慎太郎と過ごす夜を楽しみにしている。

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キッ・クン・ジ

「今日ね、キックンジやったんだよ」「キックンジ?」「そう、キックンジやったんだよ」「キックンジ?」いくら考えても分からない。「きっきぃ、もう一回言ってみて」「キックンジだってば」「金閣寺?」「違うって。キックンジだってば」何度聞いても分からない。一緒に保育園に希舟を迎えに来た楽弥に通訳を頼む。「きっきぃ、ゆっくり言ってごらん」兄貴ぶった口調で楽弥が訊く。「キッ・クン・ジ」ゆっくり言っても変わらない。楽弥は首を傾げる。希舟は自分の言葉が思うように伝わらず不機嫌になっていく。保育園のお迎えに来た親とその子供が何人も目の前を通り過ぎて行く。

日が暮れていく園庭でただ時間だけが流れた。「クッキング!」突然、楽弥が夕空に響き渡るような声を張り上げた。「クッキングじゃない。キックンジでいいの」今さらそれが正解とは言えずに希舟が騒ぐ。「がっくん、さすが」私は息子を讃えて、ようやくすっきりした気持ちで駐車場へと歩き出す。希舟は恥ずかしさからか顔を赤くして泣いている。

帰り道、機嫌を取り直した希舟がクッキングの話を始める。「スポンジの上にクリームをぬって、クリームの上にバナナをのせて、その上にまたスポンジをのせて、クリームをぬって、イチゴをのせるの。それで最後にドンピングして二階建てのケーキを作ったんだよ」「ドンピング?」「そう、最後にね、チョコをドンピングするんだよ」きっとトッピングのことだろう。でも、それを直す気にはなれない。逆にふざけたくなってしまい、希舟の言葉を自分なりに再構築して訊いてみる。「まずポンスジの上にクリームをぬるでしょ。その上にまたポンスジをのせてバナナをドンピングするの?」「違うよパパ。スポンジだって」慌てる希舟に楽弥までふざけ始める。「きっきぃ、ポンスジの上にリームクをぬって、そのリームクの上にバナナをドンピングするんでしょ?」「違う。リームクなんて言ってない。がっくん大嫌い」怒る希舟にさらに楽弥が追い打ちをかける。「ポンスジ、リームク、バナナ、バナナ、バーナーナー」覚醒した楽弥が歌いながら踊っている。「もうやめて」目に涙を浮かべながらも可笑しくて笑っている希舟に最後に確認する。「きっきぃ、キックンジ楽しかった?」「キックンジなんて言ってない。パパも大嫌い」

家に着くなり私は刺繍を始める。最近は大きな布を床に広げて家で制作をしている。展示会まであと二カ月。今は遊ぶ時間もない。十二月生まれのふたりをどこか楽しい所へ連れて行きたいが、そんな余裕もない。それでもふたりと過ごす馬鹿げた時間は最高に楽しくて、それだけで心が潤う。楽弥と猫のねずみは白い布に黒い糸が刺されていく様を仲良く隣で見つめている。希舟は黒い糸の切れ端が出る度に走ってキッチンへ捨てに行ってくれる。ついでにフライパンで何をキックンジ、いや、クッキングしているか覗いて来る。どうやら妻はチキンを焼いてるらしい。そうか、今夜はクリスマス・イブ。真夜中に忘れてはいけない大事な仕事がひとつある。

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白衣を着た猫



「この家に猫がきてくれて嬉しいよ」キャットフードをぽいっと口に放り込んで友人が言う。「楽弥も希舟ちゃんも大きくなってきたこのタイミングで猫がきてくれて本当に嬉しいよ」キャットフードを噛み砕きながら友人が繰り返す。「猫がいると家族がひとつになるんだよ。喧嘩した時も猫がクッションになってくれるんだよ」無類の猫好きの彼はそう熱く語るとキャットフードを呑み込んだ。

確かに猫を飼ってからというもの「ずー!ねず!ねずみ!」という子供たちの浮かれた声が家中に響いている。ややこしいが、ねずみという名の猫である。ふたりは暇さえあれば猫を膝の上に乗せてどれほど自分になついているかを自慢し合っている。猫を飼うことに難色を示していた妻もねずみがどうした、こうした、そんな話ばかりしている。佐原に越してきて三度の冬を古びたストーブひとつで乗り切ったというのに、ねずみが寒いだろうとあっさりこたつを用意した。これまで耐えてきたあの寒さは何だったのだろうと思うほどこたつのある、いや、猫のいる冬は幸せなものだ。

猫のノミが気になり、動物病院に連れて行くことになった。帰ってくるなりふたりが寄ってきた。「ねずの病院どうだった?」と楽弥。「病院の先生ってねずのお話し分かるの?」と希舟。「先生なんだからちょっとくらい分かるんじゃない?」と楽弥。「でも先生って人間でしょ?」と希舟。いたずら心が働いた私は「人間に猫の言葉が分かるはずないよ。がっくんもきっきぃも分からないでしょ?動物病院っていうのは猫には猫の先生。犬には犬の先生がいるんだよ」「まじか。すげー」楽弥は目を丸くする。きりん組の希舟は驚いた様子で訊いてくる。「きりんは?」「もちろんきりんの先生。きりんの病院は教会みたいに屋根が高いんだよ」来年らいおん組になる希舟が続ける。「らいおんは?」「もちろんらいおんの先生。らいおんの病院は結構大変でさ。おとなしくしてないと先生に食べられちゃうんだよ」「こわー」楽弥は興奮している。純粋なふたりとの会話に私まで楽しくなってしまい、もう後戻りできないところまできてしまった。

猫に詳しい友人いわく、ねずみは毛がふさふさだから寒い国の猫らしい。ちょうど同じ頃、楽弥が小学校の図書室で借りてきた犬猫図鑑を広げて「ねずがのってたよ。ねずはロシアの猫なんだよ」と教えてくれた。そこにはサイベリアンと記されたそっくりの猫が写っていた。「ロシアって雪が降ってたところだよね」モスクワの空港で飛行機を乗り継いだことのある楽弥はロシアという響きがたいそう気に入ったらしく「家にロシアの猫がいるんだよ」と小学校で言いふらし、子供たちが猫をあやす道具を持って家に遊びに来るようになった。

これまで気にしたこともなかったが、私の周りは不思議なくらい猫好きが揃っている。人間と話すよりも先に回廊に横になり猫と遊んでいる友人もいる。私も幼い頃から犬や猫を飼っていたが、なんとなく犬は可愛がるもの、猫は放っておくもの、そういうものだと思っていた。だから家にいた二匹の猫はどちらも遠い存在だった。だが、ねずみは犬のように甘えてくる。肉球をぺたぺた押しつけてきたり、顔をすりすりしてくる。楽弥と希舟は猫の真似をしてねずみと遊んでいる。友人が家に来る度にふたりとねずみがそっくりだと言う。言われてみるとまん丸な目とすぐに人の膝の上に乗ってくるところはよく似ている。素直に喜んでいいのか分からないが、ねずみが三人目の子供のようにも思えてくる。

猫のムシが気になり、また動物病院に連れて行くことになった。ねずみを抱いた希舟が訊いてくる。「猫の先生って白いお洋服着てるの?」「もちろん着てるよ。先生だからね」その情景を思い浮かべながら私は答える。「ミャー」白衣を着た猫がねずみに何やら訊いている。「ミャー」それにねずみが何やら答えている。もちろん人間の私に猫の問診など分かるはずもない。そうなってくると診察料はキャットフードになるのか。診察が終わるとねずみは先生にキャットフードを支払う。先生は手渡されたキャットフードをぽいっと口に放り込んだ。そんな想像が膨らむ。「ミャー」猫というよりはたぬきのような佇まいで、ねずみが首を傾げて鳴いている。



photo by : kentaro shibuya

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嵐と猫

台風の夜は家が吹き飛ばされるのではないかと心配で眠れなかった。轟々と音を立てて雨風が容赦無く窓ガラスを打ち付ける。もう割れるかもしれないと覚悟していると、顔に冷たい水滴が垂れてきた。天井からの雨漏りに家中の鍋を総動員させて水滴を受けるが、明かり取りの窓が木枠ごと外れて一気に雨が吹き込んでくる。吹き付ける雨風で窓をはめ直すこともできず、回廊は一瞬にして水浸しになる。運悪く回廊に立て掛けてあったレイモン・ペイネのリトグラフもびしょ濡れになっている。風に吹き飛ばされて大木に引っ掛かった家のバルコニーに佇む男と女の姿。こんな嵐の日に濡れるなんて”恋の嵐のあと”という名にぴったりだと雨水を吸い込んだ作品を呆然と眺めていた。

夜が明けてアトリエに行くと、こちらも床が水浸しになっている。拭くどころの騒ぎではない。壁一面に掛けた刺繍の作品と妻のぬいぐるみが心配だったが、幸いなことに雨は壁の内側を伝って床に流れ込んだようで無事だった。ほっと胸を撫で下ろす。踏板の濡れたミシンの電源が入らなくて壊れたかと思ったが、それは停電のせいだった。それからしばらく停電が続いた。

「動物園に行きたい」と子供たちの声がする。保育園も小学校も停電で休みになったのだ。今日は特別な休みだからとふたりの希望通り動物園に行く。楽弥は動物を見る度に「あぁ家で飼いたいなぁ」と呟く。希舟もその気になり「きっきぃこれにしようかな」とキャンディーを選ぶかのようにワタボウシパンシェやコモンマーモセットという子猿のような動物を選んでいる。「これは飼えないよ」と説明するもふたりは納得しない。「じゃあクチャみたいな犬だったらいいの?」と訊いてくる。ルーマニアでいつも楽弥にくっ付いて歩いていた犬のことだ。クチャとはハンガリー語で犬という意味でそのままなのだが「クッチャン、クッチャン」と呼んで可愛がり、朝から晩までずっと一緒に過ごしていた。その時の楽しさが忘れられないようだ。返事に困ってしまった。

翌日もその翌日も停電が続き子供たちと一緒に過ごした。最初はふたりが行きたいところへ遠出していたものの、休みが一週間も続くと疲れてきて近くの公園で遊ぶようになる。「パパー。来てー」遠くから楽弥の声がする。「早く、早く」慌てる楽弥の方に走り寄ると、茂みの陰から目のまんまるなふわふわの子猫が顔を出した。生まれて間もないようで「ミャー」とか細い声で鳴いている。母猫とはぐれてしまったのだろうか、お腹が空いた様子で楽弥の指をぺろぺろ舐めている。それからずっと足下にくっ付いてきて離れなかった。「ねぇ飼ってもいいでしょ?」と訊く楽弥に「お母さん猫が探しているかもしれないから駄目だよ」と答える。一緒に遊びにきていた愛莉ちゃんが「お母さん来るのかな?来なかったら死んじゃうのかな?がっくんの家に連れて行きたいね」と言うと「俺もそう思ってるんだけどね」と子猫を抱きながら楽弥は捨て台詞を吐いた。

結局、日が暮れても母猫は現れなかった。そして今、子猫は家にいる。名はねずみ。希舟が「ねぇねずみ色だからねずみにしない?」と提案した。猫を他の動物の色で例えるなんてどうかと思ったが異論もなく決定した。「ねずみ元気かな?」と出先で希舟が口にする度に「えっ。ねずみ?」と訊かれるのは難点だが、私もねずみという名を気に入っている。ねずみみたいに部屋の隅っこをちょろちょろ走り回るからだ。そういえば、レイモン・ペイネの”恋の嵐のあと”にも風に吹き飛ばされている猫が描かれている。嵐と猫。偶然とはいえ、こうして嵐のあとにやってきたねずみとの生活が始まった。

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空と海とハイライト

「なんか空が海みたいに見える」小学校が始まる時間だというのに回廊で息子が空を見上げている。「ほんとだ、がっくん。あのさ、あの白い雲が泡ってことだよね」希舟がお姉さん口調で同意する。「違うよ。泡じゃないよ。波だよ」楽弥は面倒臭そうに訂正する。「そうだよ。泡と波は一緒ってことだよね」希舟は健気に続ける。「だから泡じゃないってば」兄のそっけない返事に妹の口はへの字に曲がり、目からは涙が溢れる。負けず嫌いの希舟は自分が間違っていることが許せないのだ。いつもの兄妹喧嘩に耳を傾ける。

空に浮かぶ雲を指差しながら「あれはサメ。あれはカメ。あれはエイ」「見て。エイのしっぽが切れちゃった」と楽弥が笑っている。気を取り直した希舟も「あれはイルカ。あれはイカ。あれはパパ」と庭で煙草を吸っている私を最後に指差して笑っている。そして回廊に置いてあったハイライトを見て「これも海」と言う。あの水色の煙草のことだ。それから空へと消えていく煙を見つめて「がっくん、雲って煙だよね?」と訊く。「違うよ。煙は毒だよ」と楽弥はまたそっけなく答える。

夏は暇さえあれば海に行っていた。子供たちは真っ黒に日焼けした。裸になると白い水着を着ているかのような境界線がある。私も幼い頃から海が好きだった。海水浴場ではない誰もいない海が好きだった。波が高ければ高いほど楽しくて、夏はいつもそこで泳いでいた。溺れた時の恐怖心もはっきりと憶えている。海に入り潮の匂いを嗅ぎながら水平線を眺めて、波に揉まれて海中の音を聴く。海は無になれる唯一の場所だった。

「パパー」浅瀬の方から両手を貝殻でいっぱいにした希舟が叫んでいる。はっと我に返り自分のことを呼んでいるのだと気付く。不思議と海にいると自分が子供に戻ったような感覚になる。「そんなに遠くに行っちゃだめだよ」と希舟が慌てている。怖がりの希舟は私が海に潜る度に「溺れちゃだめだよ。もう溺れちゃだめだからね」と目に涙を浮かべる。小さな体で家族が離れることを一番に心配している。それとは反対に怖いもの知らずの楽弥は海に飛び込んでくる。きっとこれは幼い頃の自分の姿なのだろう。波に揉まれながらも必死に泳ごうとしている。自分がした体験がいま目の前で起きている。あの時は助けてもらったが、いつのまにか自分が助ける番になっている。

海から上がり煙草に火をつける。ハイライトは美味しいから吸っているのではなくて、慣れで吸っている。ずっとそう思っていた。けれど実際は娘が言うように海のような水色のパッケージに惹かれているのかもしれない。ポケットに海が入っている。それが落ち着くのかもしれない。そういえば、同じハイライトを吸っている友人も海を見るのが好きだと言っていた。様々な国の海を見てきた彼女もきっとそういうことなのだろう。



photo by : mikako ichimura

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なるとの”の”

夏休み前に小学校で面談があった。「楽弥さんはひらがなの書き順がまだ正確ではないです。鏡文字になってしまうこともあります」宿題の束をめくりながら先生が淡々と話している。「そうなんです。ノートを逆さまにして文字を書くこともあるんです。ひらがなをひとつの形として捉えているみたいです」そう答えると、先生は言葉に詰まったような顔をして話題を変える。「でも図工はすごいんですよ。ピカイチです。絵も切り紙も夢中になって休み時間になってもやっているんです」

教室の後ろに切り紙がずらりと貼り出されている。名前を見ずとも遠目からあれが楽弥の作品だと分かる。いつだったか、保育園の廊下に貼り出された運動会の絵がどれも同じ構図のことがあった。きっと周りから影響を受けやすい時期なのだろう。楽弥の絵も似たり寄ったりで「みんなと同じ絵を描いて楽しい?」と訊いたことがある。楽弥は返事に困っていたが、家で描くのとは違う自分の絵を見て何かを感じているようだった。切り紙は濃い紺色の紙の上に幾何学模様に切った山吹色と薄紫色の紙が貼ってあった。その配色と複雑な模様は誰のものとも似ていない。上手い下手ではなくそれだけで安心する。自分の世界が素直に表現できていることに。

思い返せば、楽弥は小さな頃から工作が好きだった。大きなハサミを握ってよく切り紙も作っていた。百枚入りの折り紙が一日でなくなることもあった。切り紙には上も下も左も右もない。どこから見ても面白い模様に仕上がっている。一心不乱に紙を切り続けるその姿に感心していた。それがルーマニアから帰国した翌日から宿題を課せられるようになり、工作の時間はなくなってしまった。読んでいた絵本は教科書に変わり、握っていたハサミは鉛筆に変わった。ひらがなを文字ではなくひとつの形として認識するのも仕方がない。

三才の頃、初めて書いた”の”はなるとのようなぐるぐる模様だった。それから三年が経ち、渦巻き模様から徐々に文字らしくなってきたものの今も終点から逆に”の”と書いている。完成形は同じなのにひらがなには書き順というルールがある。これは自由に工作をしてきた子供にとって初めての制約であり試練なのかもしれない。本来なら親が教えるべきことなのだろうが、滅茶苦茶な書き順も鏡文字も愛おしく思えてしまう。それどころか「逆さまから書けるなんてすごいじゃん」と褒めてしまう。それは左右逆に靴を履く子供らしい光景をそのままにしておきたいと思うのと似ている。一度正してしまったらきっともう逆さまの世界には戻れない。

入学してすぐのこと。ロッカーに入れるランドセルの向きを注意された楽弥が帰り道に呟いた。「そんなの別にどっちでもいいじゃんね」「それは確かにどっちでもいいと思うよ」「パパも結構反対が好きだよね」「えっ?」「駐車場に車停める時もみんなと反対じゃん」「そうだね」「いつも下駄だし」確かに間違ってはいない。その会話をふと思い出して、面談の日に他の車に習って後ろ向き駐車をしてみた。すると「ボン」と鈍い音がして外に出る。そこにだけ突き出たうねる松の木に車の屋根が挟まっている。左右の白線を気にして後ろに下がったら上の木にぶつけたようだ。まぁそんなことはどうでもいい。罠にでも掛けられたような気分のまま急いで小学校へと向かう。

面談が終わって駐車場に戻ると、木に挟まった車を見て楽弥が体をよじらせて笑っている。「これわざとやったの?」わざとやる訳がない。何がそんなにも面白いのだろう。「パパならわざとやりそうだなぁ」とやけに楽しそうだ。やはり慣れないことをするものではない。自分のやりたいようにやらないとうまくいくものもうまくいかない。ひらがなも固く考えずに自由に書けばいい。工作の時間のように楽しんで書けばいい。

夏休み最後の夜、子供たちとラーメンを食べている。「あっ。きのの”の”だ」ピンク色の渦巻き模様を希舟が指差す。それを楽弥が箸ですくいあげて手の平に乗せる。そして確かめるように口を開く。「ねぇパパ。やっぱりこっちの”の”の方が格好いいよね?」私は黙って頷く。

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ふたりの少年



「この辺りにいるはずだよ。酸っぱい匂いがするでしょ」その言葉に楽弥が鼻をくんくんさせる。「ほんとだ。酸っぱい匂いがする」ヘッドライトで照らした木を一本一本確かめながらふたりは進んでいく。「がっくーん」「ひーくーん」後ろから希舟の呼ぶ声がする。

懐中電灯で希舟の顔を照らすと頬に四匹の蚊が止まっている。反射的に右頬を叩いてしまった。辺りは真っ暗。ずっと怖かったのだろう。緊張の糸が切れたように大声で泣き出した。「ママー」と泣き叫ぶがママはいない。手を繋ごうとすると希舟の左手にはカナブンが握られていた。

数日前に手の平に乗せたカブトムシの写真が届いた。虫を獲りに行こうと前川さんに誘われたのだ。昆虫が大好きな楽弥は大喜びして、希舟もそれにつられて「きっきぃも行く」となった。きっと庭でバッタを捕まえるくらいの軽い気持ちだったのだろう。それが蓋を開けてみたら街灯もない暗い森ときた。四才の女の子が泣くのも無理はない。

匂いを頼りに樹液が出ている木を見つけた。「ほら。いた。ここはカブトムシにとっては格好の場所なんだよ。ちょうど身を隠せるようになっているでしょ」と嬉しそうに話す昆虫博士と逃すまいと夢中で捕まえる楽弥。鼻を利かせて歩いているうちに虫かごは賑やかになっていった。

暗闇の中でランタンを灯して夕食を摂る。食事を前にして急に元気になった希舟の小さな手が大きなおにぎりに伸びる。「希舟ちゃんのおにぎりは何が入ってるかな?」と前川さんが訊く。もぐもぐしながら「お肉」と希舟が答える。肉は入っていないだろうと思って口にすると本当に肉だ。前川さんが焼き鳥やつくねを入れて握ってきてくれたのだ。さすが大人の姿をした子供である。子供心をよく分かっている。希舟は左手におにぎり、右手にぶどうを持って幸せそうに頬張っている。「ひーくんのお肉おにぎり美味しい」と弁当箱はあっという間に空っぽになった。食べ終えるなり楽弥は捕まえたばかりのノコギリクワガタを見て「こうなってるのが格好いいよね」と頭の上に両手で弧を描いている。それに負けじと昆虫博士も「こうだもんね」と頭の上により大きな弧を描く。ふたりの少年の目が輝いている。

虫なら何でも喜ぶと思った私は見つけた虫を楽弥の虫かごに入れた。すると楽弥がその虫を必死に逃がそうしている。「どうした?」と訊くと「この虫は臭いからいらない」と答える。前川さんが「よく知ってるね。その虫は臭いんだよ」と続く。私が捕まえた臭い虫が虫かごから落ちた途端に楽弥が踏み潰そうとした。その瞬間に「殺すことはないだろう」と前川さんの声が森に響く。恥ずかしくなったのか楽弥は笑ってごまかしている。小さな虫でも懸命に生きていることを痛感した。どんな虫を見つけても昆虫博士がその虫の特徴を教えてくれる。まるでこの世の生きものすべてに意味があるというように。図鑑を見ているだけでは感じられないことがある。「もっと探そうよ」と虫かごがいっぱいになっても楽弥の興奮は冷めやらない。最後にミヤマカミキリを見つけて虫捕りは終わった。

家に帰ると千恵さんと愛犬のニハルが待っていた。何よりも先に楽弥は昆虫博士にもらったおがくずと腐葉土を虫かごに入れている。それを希舟とニハルが仲良く階段に腰掛けて見守っている。前川さんの像刻を前に私の頭は混乱する。さっきまで楽しそうに虫捕りをして、暗闇の中でおにぎりを食べていた大きな少年。その手から生まれた美しい像刻が静かに私を見つめている。まったくの別世界のようにも感じるが、やはり前川さんの純粋さが作品に投影されている。千恵さんが虫かごを見て「すごいね。初めて来た時はバッタもなかなか捕まえられなかったのに」と褒めてくれる。確かに楽弥は前川家で随分と成長させてもらっている。そして次は標本を作ろうと約束をして別れた。

帰り道に私は森に落ちていたフクロウの羽根を帽子に挿した。楽弥は飽きずに虫かごを覗いている。疲れて眠ってしまった希舟の右頬には四つの赤い勲章が残っていた。



photo by : chie maekawa

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拝啓JPWiMAX

ルーマニアから帰国してアトリエにインターネットを繋ぐために、これまで利用していた会社に回線工事を頼んだが、四月は混んでいてふた月ほど時間が掛かるという。さすがにそれでは遅過ぎると思い、ルーターを即日発送してくれるJPWiMAXという会社に申し込む。これなら持ち運びができて家でも仕事ができる。

それがいくら経っても届かないのだ。しびれを切らして連絡をすると「四月中の発送は難しいです。五月の連休明けになります」とのことで待っていたのだが、届かない。再び連絡をすると「五月中の発送は難しいです。六月になります」とのことで気長に待っていたのだが、一向に届かない。

毎日メールの返信のためにWiFiの繋がるカフェに通うことになった。あまりにもコーヒーが苦いからカフェラテを注文する。いや、もう注文しなくても「カフェラテですよね。お好きなんですね」と店員が顔を憶えてくれている。同じ時間に同じ席に座り、同じタイミングでブラインドを下ろすと「今日も下げてもらいありがとうございます」と同じ言葉を掛けられる。おまけに試食を勧められ、その感想を求められる。

帽子にツナギに下駄。こんなに通うつもりじゃなかったので、人目も気にせずにずっと同じ格好だったのだが「今日も素敵なお帽子ですね」なんて店員に言われると帰りたくなる。それでも今日で最後だろうと言い聞かせて下駄を鳴らして通い続けた。

誰のせいでもないがカフェラテが嫌いになった。言うなればカフェも嫌いになった。パソコンもインターネットも嫌いになった。もしかしたらこれはJPWiMAXから私へのメッセージなのかもしれない。「インターネットに使う時間があるなら刺繍に使いなさい」人間が生きていくうえでパソコンなんて必要ない。人間には限られた時間しかないのだから作品を残したい。ありがとうJPWiMAX。さようならJPWiMAX。

敬具

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