白衣を着た猫



「この家に猫がきてくれて嬉しいよ」キャットフードをぽいっと口に放り込んで友人が言う。「楽弥も希舟ちゃんも大きくなってきたこのタイミングで猫がきてくれて本当に嬉しいよ」キャットフードを噛み砕きながら友人が繰り返す。「猫がいると家族がひとつになるんだよ。喧嘩した時も猫がクッションになってくれるんだよ」無類の猫好きの彼はそう熱く語るとキャットフードを呑み込んだ。

確かに猫を飼ってからというもの「ずー!ねず!ねずみ!」という子供たちの浮かれた声が家中に響いている。ややこしいが、ねずみという名の猫である。ふたりは暇さえあれば猫を膝の上に乗せてどれほど自分になついているかを自慢し合っている。猫を飼うことに難色を示していた妻もねずみがどうした、こうした、そんな話ばかりしている。佐原に越してきて三度の冬を古びたストーブひとつで乗り切ったというのに、ねずみが寒いだろうとあっさりこたつを用意した。これまで耐えてきたあの寒さは何だったのだろうと思うほどこたつのある、いや、猫のいる冬は幸せなものだ。

猫のノミが気になり、動物病院に連れて行くことになった。帰ってくるなりふたりが寄ってきた。「ねずの病院どうだった?」と楽弥。「病院の先生ってねずのお話し分かるの?」と希舟。「先生なんだからちょっとくらい分かるんじゃない?」と楽弥。「でも先生って人間でしょ?」と希舟。いたずら心が働いた私は「人間に猫の言葉が分かるはずないよ。がっくんもきっきぃも分からないでしょ?動物病院っていうのは猫には猫の先生。犬には犬の先生がいるんだよ」「まじか。すげー」楽弥は目を丸くする。きりん組の希舟は驚いた様子で訊いてくる。「きりんは?」「もちろんきりんの先生。きりんの病院は教会みたいに屋根が高いんだよ」来年らいおん組になる希舟が続ける。「らいおんは?」「もちろんらいおんの先生。らいおんの病院は結構大変でさ。おとなしくしてないと先生に食べられちゃうんだよ」「こわー」楽弥は興奮している。純粋なふたりとの会話に私まで楽しくなってしまい、もう後戻りできないところまできてしまった。

猫に詳しい友人いわく、ねずみは毛がふさふさだから寒い国の猫らしい。ちょうど同じ頃、楽弥が小学校の図書室で借りてきた犬猫図鑑を広げて「ねずがのってたよ。ねずはロシアの猫なんだよ」と教えてくれた。そこにはサイベリアンと記されたそっくりの猫が写っていた。「ロシアって雪が降ってたところだよね」モスクワの空港で飛行機を乗り継いだことのある楽弥はロシアという響きがたいそう気に入ったらしく「家にロシアの猫がいるんだよ」と小学校で言いふらし、子供たちが猫をあやす道具を持って家に遊びに来るようになった。

これまで気にしたこともなかったが、私の周りは不思議なくらい猫好きが揃っている。人間と話すよりも先に回廊に横になり猫と遊んでいる友人もいる。私も幼い頃から犬や猫を飼っていたが、なんとなく犬は可愛がるもの、猫は放っておくもの、そういうものだと思っていた。だから家にいた二匹の猫はどちらも遠い存在だった。だが、ねずみは犬のように甘えてくる。肉球をぺたぺた押しつけてきたり、顔をすりすりしてくる。楽弥と希舟は猫の真似をしてねずみと遊んでいる。友人が家に来る度にふたりとねずみがそっくりだと言う。言われてみるとまん丸な目とすぐに人の膝の上に乗ってくるところはよく似ている。素直に喜んでいいのか分からないが、ねずみが三人目の子供のようにも思えてくる。

猫のムシが気になり、また動物病院に連れて行くことになった。ねずみを抱いた希舟が訊いてくる。「猫の先生って白いお洋服着てるの?」「もちろん着てるよ。先生だからね」その情景を思い浮かべながら私は答える。「ミャー」白衣を着た猫がねずみに何やら訊いている。「ミャー」それにねずみが何やら答えている。もちろん人間の私に猫の問診など分かるはずもない。そうなってくると診察料はキャットフードになるのか。診察が終わるとねずみは先生にキャットフードを支払う。先生は手渡されたキャットフードをぽいっと口に放り込んだ。そんな想像が膨らむ。「ミャー」猫というよりはたぬきのような佇まいで、ねずみが首を傾げて鳴いている。



photo by : kentaro shibuya

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嵐と猫

台風の夜は家が吹き飛ばされるのではないかと心配で眠れなかった。轟々と音を立てて雨風が容赦無く窓ガラスを打ち付ける。もう割れるかもしれないと覚悟していると、顔に冷たい水滴が垂れてきた。天井からの雨漏りに家中の鍋を総動員させて水滴を受けるが、明かり取りの窓が木枠ごと外れて一気に雨が吹き込んでくる。吹き付ける雨風で窓をはめ直すこともできず、回廊は一瞬にして水浸しになる。運悪く回廊に立て掛けてあったレイモン・ペイネのリトグラフもびしょ濡れになっている。風に吹き飛ばされて大木に引っ掛かった家のバルコニーに佇む男と女の姿。こんな嵐の日に濡れるなんて”恋の嵐のあと”という名にぴったりだと雨水を吸い込んだ作品を呆然と眺めていた。

夜が明けてアトリエに行くと、こちらも床が水浸しになっている。拭くどころの騒ぎではない。壁一面に掛けた刺繍の作品と妻のぬいぐるみが心配だったが、幸いなことに雨は壁の内側を伝って床に流れ込んだようで無事だった。ほっと胸を撫で下ろす。踏板の濡れたミシンの電源が入らなくて壊れたかと思ったが、それは停電のせいだった。それからしばらく停電が続いた。

「動物園に行きたい」と子供たちの声がする。保育園も小学校も停電で休みになったのだ。今日は特別な休みだからとふたりの希望通り動物園に行く。楽弥は動物を見る度に「あぁ家で飼いたいなぁ」と呟く。希舟もその気になり「きっきぃこれにしようかな」とキャンディーを選ぶかのようにワタボウシパンシェやコモンマーモセットという子猿のような動物を選んでいる。「これは飼えないよ」と説明するもふたりは納得しない。「じゃあクチャみたいな犬だったらいいの?」と訊いてくる。ルーマニアでいつも楽弥にくっ付いて歩いていた犬のことだ。クチャとはハンガリー語で犬という意味でそのままなのだが「クッチャン、クッチャン」と呼んで可愛がり、朝から晩までずっと一緒に過ごしていた。その時の楽しさが忘れられないようだ。返事に困ってしまった。

翌日もその翌日も停電が続き子供たちと一緒に過ごした。最初はふたりが行きたいところへ遠出していたものの、休みが一週間も続くと疲れてきて近くの公園で遊ぶようになる。「パパー。来てー」遠くから楽弥の声がする。「早く、早く」慌てる楽弥の方に走り寄ると、茂みの陰から目のまんまるなふわふわの子猫が顔を出した。生まれて間もないようで「ミャー」とか細い声で鳴いている。母猫とはぐれてしまったのだろうか、お腹が空いた様子で楽弥の指をぺろぺろ舐めている。それからずっと足下にくっ付いてきて離れなかった。「ねぇ飼ってもいいでしょ?」と訊く楽弥に「お母さん猫が探しているかもしれないから駄目だよ」と答える。一緒に遊びにきていた愛莉ちゃんが「お母さん来るのかな?来なかったら死んじゃうのかな?がっくんの家に連れて行きたいね」と言うと「俺もそう思ってるんだけどね」と子猫を抱きながら楽弥は捨て台詞を吐いた。

結局、日が暮れても母猫は現れなかった。そして今、子猫は家にいる。名はねずみ。希舟が「ねぇねずみ色だからねずみにしない?」と提案した。猫を他の動物の色で例えるなんてどうかと思ったが異論もなく決定した。「ねずみ元気かな?」と出先で希舟が口にする度に「えっ。ねずみ?」と訊かれるのは難点だが、私もねずみという名を気に入っている。ねずみみたいに部屋の隅っこをちょろちょろ走り回るからだ。そういえば、レイモン・ペイネの”恋の嵐のあと”にも風に吹き飛ばされている猫が描かれている。嵐と猫。偶然とはいえ、こうして嵐のあとにやってきたねずみとの生活が始まった。

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空と海とハイライト

「なんか空が海みたいに見える」小学校が始まる時間だというのに回廊で息子が空を見上げている。「ほんとだ、がっくん。あのさ、あの白い雲が泡ってことだよね」希舟がお姉さん口調で同意する。「違うよ。泡じゃないよ。波だよ」楽弥は面倒臭そうに訂正する。「そうだよ。泡と波は一緒ってことだよね」希舟は健気に続ける。「だから泡じゃないってば」兄のそっけない返事に妹の口はへの字に曲がり、目からは涙が溢れる。負けず嫌いの希舟は自分が間違っていることが許せないのだ。いつもの兄妹喧嘩に耳を傾ける。

空に浮かぶ雲を指差しながら「あれはサメ。あれはカメ。あれはエイ」「見て。エイのしっぽが切れちゃった」と楽弥が笑っている。気を取り直した希舟も「あれはイルカ。あれはイカ。あれはパパ」と庭で煙草を吸っている私を最後に指差して笑っている。そして回廊に置いてあったハイライトを見て「これも海」と言う。あの水色の煙草のことだ。それから空へと消えていく煙を見つめて「がっくん、雲って煙だよね?」と訊く。「違うよ。煙は毒だよ」と楽弥はまたそっけなく答える。

夏は暇さえあれば海に行っていた。子供たちは真っ黒に日焼けした。裸になると白い水着を着ているかのような境界線がある。私も幼い頃から海が好きだった。海水浴場ではない誰もいない海が好きだった。波が高ければ高いほど楽しくて、夏はいつもそこで泳いでいた。溺れた時の恐怖心もはっきりと憶えている。海に入り潮の匂いを嗅ぎながら水平線を眺めて、波に揉まれて海中の音を聴く。海は無になれる唯一の場所だった。

「パパー」浅瀬の方から両手を貝殻でいっぱいにした希舟が叫んでいる。はっと我に返り自分のことを呼んでいるのだと気付く。不思議と海にいると自分が子供に戻ったような感覚になる。「そんなに遠くに行っちゃだめだよ」と希舟が慌てている。怖がりの希舟は私が海に潜る度に「溺れちゃだめだよ。もう溺れちゃだめだからね」と目に涙を浮かべる。小さな体で家族が離れることを一番に心配している。それとは反対に怖いもの知らずの楽弥は海に飛び込んでくる。きっとこれは幼い頃の自分の姿なのだろう。波に揉まれながらも必死に泳ごうとしている。自分がした体験がいま目の前で起きている。あの時は助けてもらったが、いつのまにか自分が助ける番になっている。

海から上がり煙草に火をつける。ハイライトは美味しいから吸っているのではなくて、慣れで吸っている。ずっとそう思っていた。けれど実際は娘が言うように海のような水色のパッケージに惹かれているのかもしれない。ポケットに海が入っている。それが落ち着くのかもしれない。そういえば、同じハイライトを吸っている友人も海を見るのが好きだと言っていた。様々な国の海を見てきた彼女もきっとそういうことなのだろう。



photo by : mikako ichimura

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なるとの”の”

夏休み前に小学校で面談があった。「楽弥さんはひらがなの書き順がまだ正確ではないです。鏡文字になってしまうこともあります」宿題の束をめくりながら先生が淡々と話している。「そうなんです。ノートを逆さまにして文字を書くこともあるんです。ひらがなをひとつの形として捉えているみたいです」そう答えると、先生は言葉に詰まったような顔をして話題を変える。「でも図工はすごいんですよ。ピカイチです。絵も切り紙も夢中になって休み時間になってもやっているんです」

教室の後ろに切り紙がずらりと貼り出されている。名前を見ずとも遠目からあれが楽弥の作品だと分かる。いつだったか、保育園の廊下に貼り出された運動会の絵がどれも同じ構図のことがあった。きっと周りから影響を受けやすい時期なのだろう。楽弥の絵も似たり寄ったりで「みんなと同じ絵を描いて楽しい?」と訊いたことがある。楽弥は返事に困っていたが、家で描くのとは違う自分の絵を見て何かを感じているようだった。切り紙は濃い紺色の紙の上に幾何学模様に切った山吹色と薄紫色の紙が貼ってあった。その配色と複雑な模様は誰のものとも似ていない。上手い下手ではなくそれだけで安心する。自分の世界が素直に表現できていることに。

思い返せば、楽弥は小さな頃から工作が好きだった。大きなハサミを握ってよく切り紙も作っていた。百枚入りの折り紙が一日でなくなることもあった。切り紙には上も下も左も右もない。どこから見ても面白い模様に仕上がっている。一心不乱に紙を切り続けるその姿に感心していた。それがルーマニアから帰国した翌日から宿題を課せられるようになり、工作の時間はなくなってしまった。読んでいた絵本は教科書に変わり、握っていたハサミは鉛筆に変わった。ひらがなを文字ではなくひとつの形として認識するのも仕方がない。

三才の頃、初めて書いた”の”はなるとのようなぐるぐる模様だった。それから三年が経ち、渦巻き模様から徐々に文字らしくなってきたものの今も終点から逆に”の”と書いている。完成形は同じなのにひらがなには書き順というルールがある。これは自由に工作をしてきた子供にとって初めての制約であり試練なのかもしれない。本来なら親が教えるべきことなのだろうが、滅茶苦茶な書き順も鏡文字も愛おしく思えてしまう。それどころか「逆さまから書けるなんてすごいじゃん」と褒めてしまう。それは左右逆に靴を履く子供らしい光景をそのままにしておきたいと思うのと似ている。一度正してしまったらきっともう逆さまの世界には戻れない。

入学してすぐのこと。ロッカーに入れるランドセルの向きを注意された楽弥が帰り道に呟いた。「そんなの別にどっちでもいいじゃんね」「それは確かにどっちでもいいと思うよ」「パパも結構反対が好きだよね」「えっ?」「駐車場に車停める時もみんなと反対じゃん」「そうだね」「いつも下駄だし」確かに間違ってはいない。その会話をふと思い出して、面談の日に他の車に習って後ろ向き駐車をしてみた。すると「ボン」と鈍い音がして外に出る。そこにだけ突き出たうねる松の木に車の屋根が挟まっている。左右の白線を気にして後ろに下がったら上の木にぶつけたようだ。まぁそんなことはどうでもいい。罠にでも掛けられたような気分のまま急いで小学校へと向かう。

面談が終わって駐車場に戻ると、木に挟まった車を見て楽弥が体をよじらせて笑っている。「これわざとやったの?」わざとやる訳がない。何がそんなにも面白いのだろう。「パパならわざとやりそうだなぁ」とやけに楽しそうだ。やはり慣れないことをするものではない。自分のやりたいようにやらないとうまくいくものもうまくいかない。ひらがなも固く考えずに自由に書けばいい。工作の時間のように楽しんで書けばいい。

夏休み最後の夜、子供たちとラーメンを食べている。「あっ。きのの”の”だ」ピンク色の渦巻き模様を希舟が指差す。それを楽弥が箸ですくいあげて手の平に乗せる。そして確かめるように口を開く。「ねぇパパ。やっぱりこっちの”の”の方が格好いいよね?」私は黙って頷く。

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ふたりの少年



「この辺りにいるはずだよ。酸っぱい匂いがするでしょ」その言葉に楽弥が鼻をくんくんさせる。「ほんとだ。酸っぱい匂いがする」ヘッドライトで照らした木を一本一本確かめながらふたりは進んでいく。「がっくーん」「ひーくーん」後ろから希舟の呼ぶ声がする。

懐中電灯で希舟の顔を照らすと頬に四匹の蚊が止まっている。反射的に右頬を叩いてしまった。辺りは真っ暗。ずっと怖かったのだろう。緊張の糸が切れたように大声で泣き出した。「ママー」と泣き叫ぶがママはいない。手を繋ごうとすると希舟の左手にはカナブンが握られていた。

数日前に手の平に乗せたカブトムシの写真が届いた。虫を獲りに行こうと前川さんに誘われたのだ。昆虫が大好きな楽弥は大喜びして、希舟もそれにつられて「きっきぃも行く」となった。きっと庭でバッタを捕まえるくらいの軽い気持ちだったのだろう。それが蓋を開けてみたら街灯もない暗い森ときた。四才の女の子が泣くのも無理はない。

匂いを頼りに樹液が出ている木を見つけた。「ほら。いた。ここはカブトムシにとっては格好の場所なんだよ。ちょうど身を隠せるようになっているでしょ」と嬉しそうに話す昆虫博士と逃すまいと夢中で捕まえる楽弥。鼻を利かせて歩いているうちに虫かごは賑やかになっていった。

暗闇の中でランタンを灯して夕食を摂る。食事を前にして急に元気になった希舟の小さな手が大きなおにぎりに伸びる。「希舟ちゃんのおにぎりは何が入ってるかな?」と前川さんが訊く。もぐもぐしながら「お肉」と希舟が答える。肉は入っていないだろうと思って口にすると本当に肉だ。前川さんが焼き鳥やつくねを入れて握ってきてくれたのだ。さすが大人の姿をした子供である。子供心をよく分かっている。希舟は左手におにぎり、右手にぶどうを持って幸せそうに頬張っている。「ひーくんのお肉おにぎり美味しい」と弁当箱はあっという間に空っぽになった。食べ終えるなり楽弥は捕まえたばかりのノコギリクワガタを見て「こうなってるのが格好いいよね」と頭の上に両手で弧を描いている。それに負けじと昆虫博士も「こうだもんね」と頭の上により大きな弧を描く。ふたりの少年の目が輝いている。

虫なら何でも喜ぶと思った私は見つけた虫を楽弥の虫かごに入れた。すると楽弥がその虫を必死に逃がそうしている。「どうした?」と訊くと「この虫は臭いからいらない」と答える。前川さんが「よく知ってるね。その虫は臭いんだよ」と続く。私が捕まえた臭い虫が虫かごから落ちた途端に楽弥が踏み潰そうとした。その瞬間に「殺すことはないだろう」と前川さんの声が森に響く。恥ずかしくなったのか楽弥は笑ってごまかしている。小さな虫でも懸命に生きていることを痛感した。どんな虫を見つけても昆虫博士がその虫の特徴を教えてくれる。まるでこの世の生きものすべてに意味があるというように。図鑑を見ているだけでは感じられないことがある。「もっと探そうよ」と虫かごがいっぱいになっても楽弥の興奮は冷めやらない。最後にミヤマカミキリを見つけて虫捕りは終わった。

家に帰ると千恵さんと愛犬のニハルが待っていた。何よりも先に楽弥は昆虫博士にもらったおがくずと腐葉土を虫かごに入れている。それを希舟とニハルが仲良く階段に腰掛けて見守っている。前川さんの像刻を前に私の頭は混乱する。さっきまで楽しそうに虫捕りをして、暗闇の中でおにぎりを食べていた大きな少年。その手から生まれた美しい像刻が静かに私を見つめている。まったくの別世界のようにも感じるが、やはり前川さんの純粋さが作品に投影されている。千恵さんが虫かごを見て「すごいね。初めて来た時はバッタもなかなか捕まえられなかったのに」と褒めてくれる。確かに楽弥は前川家で随分と成長させてもらっている。そして次は標本を作ろうと約束をして別れた。

帰り道に私は森に落ちていたフクロウの羽根を帽子に挿した。楽弥は飽きずに虫かごを覗いている。疲れて眠ってしまった希舟の右頬には四つの赤い勲章が残っていた。



photo by : chie maekawa

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拝啓JPWiMAX

ルーマニアから帰国してアトリエにインターネットを繋ぐために、これまで利用していた会社に回線工事を頼んだが、四月は混んでいてふた月ほど時間が掛かるという。さすがにそれでは遅過ぎると思い、ルーターを即日発送してくれるJPWiMAXという会社に申し込む。これなら持ち運びができて家でも仕事ができる。

それがいくら経っても届かないのだ。しびれを切らして連絡をすると「四月中の発送は難しいです。五月の連休明けになります」とのことで待っていたのだが、届かない。再び連絡をすると「五月中の発送は難しいです。六月になります」とのことで気長に待っていたのだが、一向に届かない。

毎日メールの返信のためにWiFiの繋がるカフェに通うことになった。あまりにもコーヒーが苦いからカフェラテを注文する。いや、もう注文しなくても「カフェラテですよね。お好きなんですね」と店員が顔を憶えてくれている。同じ時間に同じ席に座り、同じタイミングでブラインドを下ろすと「今日も下げてもらいありがとうございます」と同じ言葉を掛けられる。おまけに試食を勧められ、その感想を求められる。

帽子にツナギに下駄。こんなに通うつもりじゃなかったので、人目も気にせずにずっと同じ格好だったのだが「今日も素敵なお帽子ですね」なんて店員に言われると帰りたくなる。それでも今日で最後だろうと言い聞かせて下駄を鳴らして通い続けた。

誰のせいでもないがカフェラテが嫌いになった。言うなればカフェも嫌いになった。パソコンもインターネットも嫌いになった。もしかしたらこれはJPWiMAXから私へのメッセージなのかもしれない。「インターネットに使う時間があるなら刺繍に使いなさい」人間が生きていくうえでパソコンなんて必要ない。人間には限られた時間しかないのだから作品を残したい。ありがとうJPWiMAX。さようならJPWiMAX。

敬具

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リョウジのリョウリ

「その膝どうしたの?」と妻が訊く。「渋谷さんの力が足りなくて落っこちた」と膝から流血した楽弥が苦々しく答える。

真夜中に散歩に出掛けた楽弥の小さな手は友人ふたりの大きな手と繋がっていた。私は彼らの一歩後ろを歩いている。友人の力を借りて「いちっにのっさんっ」で飛び跳ねると同時に片方の手が離れる。地面に向かって楽弥の体が斜めに落ちていく。相当痛かったのだろう、悶絶している楽弥を「おいっ大丈夫か?」と潤ちゃんが気遣う。

「渋谷さん心配したでしょう」と妻が続ける。「全然」と楽弥が答える。「えっ。渋谷さん何してたの?」「星見てた」「嘘でしょ」「本当にこうやって星見てた」と楽弥は腰に手を当て夜空を見上げる仕草をした。確かにひとり夜空を見上げていたような気がする。

散歩から戻ると、料理をしない岩井さんが何故か料理について語っている。「俺が料理したら道具も食材も全部こだわっちゃうから駄目。でも味覚だけは天才かもしれない。いや本当に。小学校の時の授業で料理したら上手すぎて。それからみんなにリョウリって呼ばれてたの」楽弥を落とした渋谷さんが名誉挽回とばかりに口を開く「リョウジだけにね」。潤ちゃんが「そういうことか」と妙に納得している。

そこからリョウリことリョウジの肉汁の出ないハンバーグ論が始まる。「肉汁が旨いんじゃないの?」と口を挟む潤ちゃんに「違うの潤ちゃん。本当のハンバーグは旨みを閉じ込めるの」と返すリョウリ。そもそもハンバーグをどう作るかという話ではなく、どう作ってもらうかという話をしている時点で違うような気もする。そこにパン屋を営む謂わばプロの克ちゃんが「パテが好きってこと?」と至極真っ当な質問をするも誰ひとり聞いていない。渋谷さんはそんなことよりも「リョウジのリョウリね」と随分とその語呂が気に入った様子だ。ハンバーグの夢でも見ているのか、私の足下で眠ってしまった希舟は口をパクパクさせている。

ハンバーグ論は未明まで続いた。「俺は色んな大人に育ててもらったから楽弥にも色んなことを教えてやりたいの」と岩井さんは常々語っている。きっと今宵もハンバーグだけでなく、人間の本質を教わったはずだ。大人とはこんなにも馬鹿で楽しいものだと。

私は腰に手を当て夜空を見上げる。そして先程までハンバーグ論を繰り広げていた男が幼い頃のトラウマから肉が食えないことを思い出していた。

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忘れた目玉

電話が鳴る。「こっちは最高の季節だよ。遊びに来ない?」「今から行くよ」雨降りの金曜日、何気ない会話だが距離がある。ここから長野まで300キロ。車で4時間はかかる。すぐに保育園と小学校に子供たちを迎えに行き、そのまま長野へと向かう。

暗闇のなか明かりが灯っている一軒の家。白猫のおもち、黒犬のあんこ、あんこに目玉を食べられたBOOと友人家族が迎えてくれた。そのBOOの目玉を直すという名目で遊びに来たのに、肝心の目玉を忘れて来てしまった。無性に彼らに会いたくなり、着の身着のまま慌てて出発したのだ。他の日でもよかったのかもしれないが、生まれたばかりの赤ちゃんの寝顔を見て、今このタイミングで来て良かったと思った。

ちかちゃんと初めて会った時、いろははまだ自転車の補助席に乗っていた。それから傘屋を始めて、ひとりふたりと家族が増えて、住まいも移り変わり、いろはは中学生になった。ひとつだけ変わらないのはいつ会っても魅力的な家族だということ。

鶏の鳴き声で目を覚ます。昨夜は暗闇で何も見えなかったが、見渡す限り緑の木々が揺れている。雨音だと思っていたのは、庭を流れる川の音。湿った植物の匂いがする。あまりの清々しさに茫然としてしまう。「空気が美味しいね」と妻が言うと、楽弥は口を開けてぱくっと食べて「ほんとだ。美味しい」と目を丸くした。おもちを追い掛ける希舟とあんこの散歩に出掛ける楽弥。ふたりで木のブランコに座り自然を満喫している。

産まれたばかりの鶏の卵で目玉焼きを作り、ビワの葉でお茶を淹れ、庭で摘んだフキやヨモギを天ぷらにして食べる。なんて豊かな時間なのだろう。山の麓や湖の畔を散歩して、ご飯を食べて、お風呂に入り、眠る。日が暮れて、夜が明けて。それが何よりも幸せに感じられる。温泉に誘われても、蕎麦屋に誘われても出掛けたくなかった。この家にいるだけで満足していた。

雨上がりの帰り道、ちかちゃんが「貝戸家もここに住んだらいいのに」と言っていたのを思い出す。離れていても心の近い友人の言葉はそれもなかなか面白いかもしれないと思わせてくれる。ゆうくんが持たせてくれた卵が助手席で揺れる度に心も揺らぐ。夕空にうっすらと浮かんでいた白い満月はいつの間にか金色に輝いていた。

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希舟の災難

去年の暮れはルーマニア北部のマラムレシュ地方にいた。初めてここを訪れたのはかれこれ十年以上前になる。黒い帽子を被り、刺繍の施された革のベストを羽織った男性と花柄のスカーフを頭に巻き、縞模様のエプロンを掛けた女性の姿に感動したのを今でもはっきりと憶えている。村人が集う教会の前を走り去る干し草を積んだ馬車や羊の群れを日がな一日飽きずに眺めていた。

そんな風景も時の流れと共に段々と少なくなってしまった。魅力的な古民家が何の変哲もない大きな家に変わっていく。マラムレシュ地方は古い木造教会が世界遺産に登録されているので観光資源が入る。そのお金で家を建て替える人が多いが、美しい木彫りの家が次々と壊されてしまうのは残念で仕方がない。

これまで幾度となく訪れているブシュタとアヌッツァの家に行く。夫婦は民宿を営んでいて、十年前は自宅の一室を貸しているだけだったのに、今では敷地に三棟も宿が並んでいる。宿代も以前より随分と高くなっていて、料理上手なアヌッツァの食事を思わず断ってしまった。アヌッツァは何かを察したように「食事代はいらないから食べていきなさい」と優しい言葉を掛けてくれた。温かいスープが雪道を歩いて凍えた身体をほぐしてくれる。

翌日もアヌッツァが朝食を用意してくれた。お腹を満たして次の村へ向かおうとすると「民族衣装を着てみたら」と言う。希舟も楽弥も妻も人形のようにマラムレシュ地方の民族衣装を着せられていく。最後に私に用意してくれたのは百年前の革のベスト。革の装飾と細部まで施された刺繍が美しい。かつては代々受け継がれる民族衣装を村中の人が身に纏っていたのに、今ではほとんど目にしなくなった。貴重なベストを持ち帰るべきか葛藤していると、楽弥は飽きて雪の降る庭へと飛び出し、希舟が追いかけた。

バタンと大きな音がして、アヌッツァの叫び声と希舟の泣き声が響いた。何が起きたのかと思って駆け寄ると、希舟の顔が血で真っ赤に染まっている。どうしたらいいのか分からずに抱きしめる。希舟も何が起きたのか分からない様子だ。目も当てらないほど血だらけになった顔を恐る恐る見ると、おでこがパックリと割れている。

この村には病院がなく、町まで行くにもヒッチハイクしか手段がない。それに町の病院が年末に開いているとも限らない。アヌッツァが慌ててガーゼを持ってくるが、生地が劣化して粉々になっている。それでもすぐに止血しなければと思い、綿屑の舞うガーゼで傷口を押さえる。

外に飛び出した希舟は楽弥を見失い、寒くて家の中に戻ってきたらしい。その時に雪で足を滑らせ扉の敷居におでこを打ったようだ。ブシュタが自分で作った家だから角材が剥き出しになっている。その鋭い敷居の角で切ってしまったらしい。ブシュタは申し訳なさそうにビニール袋いっぱいの林檎を持ってきた。

このままでは危ないと思い、ヒッチハイクをして近くの村の友人の家に向かう。七年ぶりに会うイオアンは初めて会う私たちの子供を見て喜ぶと同時に目を覆った。奥さんのマリアが急いで消毒をしてくれる。手当ての間に愛犬のマンゴーが嬉しさ余って飛び跳ねて楽弥と希舟を舐め回す。マンゴーは子供たちよりも大きいが幼くて甘えん坊だ。

そのままイオアンの家に泊まらせてもらい、一緒に年越しをした。ルーマニア人は魚をほとんど食べないが、奮発してバケツいっぱいのマスを揚げてくれた。さらに伝統料理のミティティやサルマーレや手作りのケーキにツイカ、山ほどのご馳走を囲んで幸せな気持ちで新年を迎えた。希舟もマンゴーと追いかっこをするほど元気になっていた。

シク村に戻り、いつも通りの生活をしていた三日後のこと。急に希舟の顔が腫れた。目も開かないほどに腫れ上がり涙を流している。二時間かけて町に行き、友人のラーレーシュとキンガに病院のことを尋ねる。夫婦には娘のグレタがいるので、子供の病院をよく知っている。親切なふたりは仕事を休み、わざわざ私たちのところまで駆けつけてくれて、いくつもの病院を一緒に回ってくれた。小児科、外科、眼科。丸一日かけて検査をした。傷口からばい菌が入り膿んだうえに結膜炎も発症してしまったらしい。それからしばらくは町の病院に通い続けた。

「マリアが消毒してくれたのにね」と希舟に言うと「マンゴーも舐めてくれたしね」と答えた。「えっ。マンゴーが舐めたの?」と訊くと「そうだよ。マンゴーが治してくれたんだよ」と自慢気だ。希舟はおでこの傷が治ったのが嬉しかったらしく、前髪を上げておでこを見せる癖がついた。そしてピンク色の傷跡を「きっきぃのしるし」と呼んで喜んでいる。

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楽弥の災難

五月の連休は川越の友人の家に泊まっていた。友人が営む店でPretzel蚤の市を開催して、普段会うことのできないお客さんと旅の話や古物の話をしながら充実した時間を過ごした。子供たちも菓子屋横丁に駄菓子や玩具を買いに出掛けたり、遊園地に連れて行ってもらったりと楽しんでいた。一週間も家族のように食事を囲み、同じ屋根の下で眠っていたから、蚤の市が終わった時は淋しさで胸がいっぱいになった。こんな気ままな私たちを迎え入れてくれた友人の懐の深さに感謝した。

蚤の市を終えた翌朝、搬出のために古物を包み直して車に積み始めた。ようやく片付いたのは日が傾いた頃。20箱あったダンボール箱は半分ほどになったが、それでも車は満杯でかろうじて運転席だけが空いていた。車内を覗いた楽弥が「座るところないじゃん」と笑っている。確かにこれでは帰れないと思い、子供たちの席をどうにか作っている時に、楽弥の聞いたことのない声が響いた。何と言ったらいいのだろう、言葉にならないような呻き声。

慌てて車の外に出ると、楽弥ではなく希舟が凄い勢いで飛び跳ねて泣き出した。希舟の視線の先で楽弥はうずくまって頭を押さえている。その小さな手の中から血が溢れ、地面に滴れていく。希舟が泣きながら何か説明している。どうやら希舟が投げた石が後ろを向いていた楽弥の頭に直撃したらしい。咄嗟に楽弥を抱えた私の服に血が染み込んでいく。通りすがりの人が驚いて集まってくる。「救急車呼びましょうか?」楽弥は恐くなったようで「痛くない」と強がり「きっきぃだって血だらけになったけど救急車に乗らなかったじゃん」と続ける。それはルーマニアでの話だ。どうしても救急車に乗りたくないのだろう。抵抗する楽弥をなだめながら電話をかける。

遠くから聞こえるサイレンの音が大きくなるにつれて希舟が余計に泣き叫ぶ。自分がやってしまったことの重大さを感じているのだろう。「がっくん、死なないで」とぴょんぴょんと飛び跳ねながら涙を飛ばしている。救急隊が楽弥に問いかける。「どれくらいの石が当たったの?」後頭部から血が出ているのにそんなこと分かるはずがない。しかし楽弥は地面に転がっていた小さな石を拾い「これくらいの石」と答える。大ごとにしたくないのだろう。「この石じゃこんなに血は出ないよ」救急隊が首を傾げる。泣いている希舟に訊くと大きな瓦礫を指差した。

楽弥と付き添いの妻が救急車に乗り込む。私と希舟は車で病院へ行こうと思ったが、希舟は楽弥と離れたくないと泣き叫んでいる。仕方なく希舟を救急車に乗せると、今度は私と会えなくなることを心配して「パパ、どこに行くの」と泣きじゃくる。そして救急車の扉が閉まる瞬間に「パパ、先にご飯食べないでね」と捨て台詞を残した。一気に緊迫感がなくなった。連休中に子供たちと遊べなかったから今日は美味しいものを食べに行こうと約束していたのだ。それがよっぽど楽しみだったのだろう。食事が中止になることを楽弥の頭と同じくらいに心配している。

楽弥の頭は出血量のわりにあっさりと治療が終わった。あれほど怖がっていたくせに、英雄にでもなったかのように救急車の様子を語っている。希舟はそんな話に一切耳を傾けることなく「今日はごちそうだよね」と笑って飛び跳ねた。

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