無駄な時間

黒ばけもの展が終わり
散らかっていたアトリエをようやく片付ける気になった。
段ボールの山にはCDとレコードがぎっしりと詰まっている。
それも安価で買ったはいいが一度しか聞いていないものばかり。

いつも音楽を聴きながら制作しているのだが
ただ好きな曲ばかりを流しているのではない。
適当に買ってきてそれを順番に流していくのだ。
一曲聞いて外れだと思っても我慢して聞いていると
七曲目くらいから急激に良くなるなんてこともある。
そんな実験のようなことを制作中ずっと続けていた。

「我慢し続けて良い曲に出会った時の感動はすごいよ」
なんてことを友人に話したら
「我慢して聞く時間も...それにかけるお金も無駄だよ」
と最もらしいことを言われる。
確かにその通りだと思う反面
この感覚は何かに似ているとずっと思っていた。

後からそれは旅だと気付いた。
初めて行く国のガイドブックを読めないのとよく似ている。
妻が行きたい場所を線で結び計画を立てている横で
私はいつも準備もしないでぼんやりしている。
帰国してから復習はできるが予習ができない。
先に知ってしまうことで感動が薄れるのが怖いのだ。
ルーマニアでも運に任せて歩いて辿り着いた村にこそ感動がある。
行く前からその村を目的地にしてしまったら印象はきっと異なるだろう。
音楽も旅もやはり偶然の出会いに醍醐味があるのだと思う。

例えば日本でも喫茶店へ行こうと下調べなんかすると
嫌でも色々な写真が出てきて他人の評価が星で表れる。
その情報を知ってしまった時点で冒険心は失われてしまう。
食べきれないほど大きなサンドウィッチが有名な喫茶店があるとしても
それを知らずに目の前のサンドウィッチに驚きたい。
美味いも不味いも先入観なく自分の五感で感じたい。

もちろん失敗したり無駄になることもあるが
そんなことを続けていると本当に好きなものが見えてくる。
「どうして自分で何も調べないの?」と問う友人への答えと
「この段ボールの山...どうするの?」と呟く妻への言い訳に過ぎないが。

text by : tetsuya

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黒ばけものと赤いリボン



Pretzelと屋号を付けたのは十三年前。
プレッツェルという名のドイツパンが
腕を組んだ子供のシルエットから形作られていると知り
制作していた子供服のブランド名にぴったりだと思い決めた。
そして同時期に始めた小さな店も妻と腕を組んで歩んでいこうと
この屋号をそのまま店名にした。

それから古物を外国へ買い付けに行くようになり
ルーマニアに魅了され、その地で暮らすことになった。
帰国後は子供服を量産する気にも店を再開する気にもなれず
ルーマニアの村で見てきた刺繍という表現に自然と辿り着いた。

黒ばけもの展の期間中、刺繍を始めたきっかけを
お客さんに訊かれる度にそんなことを振り返っていた。
自分でも今こうして黒い糸で刺繍していることや
DEE’S HALLに作品が並んでいることが不思議だった。

素晴らしい空間で展示できたことはもちろんだけれど
典美さんやチコちゃんやキンタに出会えたことが嬉しかった。
一週間も図々しく家族のような気持ちで暮らしていたからか
思い出すのは典美さんが淹れてくれたコーヒーやスムージーや
チコちゃんの分まで食べてしまった美味しいおにぎりのことばかり。
あと猫のキンタとの距離が少しずつ縮まっていくのも楽しみだった。

夜はこの展示のきっかけを作ってくれた津留くんと呑み歩き
アートについて語った。けれどふたりで考えれば考えるほど
変な方向へと話は進み、アートからかけ離れていく。
「可愛いはナメられる」何度この言葉を口にしたことか...。
でもそんなくだらない話が創作の原動力になるのだと思う。
作品が勢いよく売れた時には人目も気にせず彼とハイタッチした。
それは高価な刺繍をバッグという形態で認めてもらえた喜びだった。

現実が夢のようだったからか夜はほとんど眠れなかった。
どれだけ酒を呑んで寝てもすぐに目が覚めてしまう。
きっと楽しい時間を無駄にしたくなかったのだろう。
最後の朝はすごく静かで卒業式の前のような気分だった。
雨上がりに射す光の中、テラスで名残惜しく
ひとり煙草を吸いながら春を感じていた。
勝手にドキンちゃんと呼ばせてもらっていた典美さんと別れる時は
展示に誘ってくれた有り難さとそれが終わってしまった淋しさとで
胸がいっぱいになった。

そんな気はなかったが、帰り道に十三年前に借りていた店と
通っていた服飾専門学校に足が向いた。原点回帰ではないが
この先どう進んでいくのだろうと想像していた。
ずっと刺繍を続けていくのかと自分に問いかけていた。
そんな時に骨董屋で紙に巻かれたシルクの赤いリボンを見つけた。
「これって中までリボンが続いてるんですかね?」と訊ねると
「分からないけど...これは物体としての魅力だね」と返ってきた。
確かに今ある姿が良ければその先は知らなくていいのかもしれない。
"P"と”F”その色褪せた台紙に記されたふたつのアルファベットが
”Pretzel”と”Frederic”を意味しているように感じられて
それをリュックサックに詰め込んで東京を後にした。



text by : tetsuya

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黒ばけものの絵本

絵本が大好きな子供たちは眠る前に必ず
お気に入りの一冊を妻の枕元に持ってくるらしい。
夜の読み聞かせを何よりも楽しみにしているようだ。
私はいつもみんなが眠ってから帰宅するので
その様子を目にすることはあまりない。

黒ばけものの絵本がようやく完成して
届いたその日は子供たちと一緒に眠ることにした。
この物語だけは自分で読んで聞かせたかったのだ。

夢中になって刺繍と言葉を追う子供たち。
しかし読み進めていくうちに楽弥の頭は混乱した。
「えっ...なんで?どうゆうこと?」
ページを行ったり来たり彼は小さい頭で考えている。
それが私には嬉しかった。
不思議に感じたまま終わるのではなく
彼は自分なりに答えを探そうとしている。

希舟は”おなかとせなかがくっついた”という言葉が
いくら想像しても思い浮かばなかったらしく
「ねぇ...おなかとせなかはくっつかないよ」と
まんまるのおなかを触りながらひとり呟いている。
そんなふたりの姿を見れただけで幸せな夜だった。

text by : tetsuya

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黒ばけもの



黒けもの展が終わった一昨年末。
アトリエはけものたちが旅立ってどこか淋しい空気に包まれた。
壁一面の黒けものがじっとこちらを見ていたのに
しばらくはレモンイエローの壁がしんと静まり返るだけだった。

年が明けて、フォークとナイフを手にした少年が壁に現れた。
何かを食べたそうにじっとこちらを見つめている。
この少年は一体何が食べたいのだろう。

それから一年が経ち、フォークとナイフを手にした熊が突如現れた。
ぎょろりとした鋭い目は少年以上に何かを食べたそうにしている。
どんな物語が生まれるのか私は密かに楽しみにしていた。

「次は黒ばけもの展だよ」と夫から聞いた時
彼らが化けていることを知った。
少年のバッグを手にしてみると中に見慣れないポケットがあった。
そこにはあのぎょろりとした目の熊の顔が刺繍されていた。
もしかしてと思い熊のバッグの中を覗いてみると
やはりそこには少年の顔が刺繍されている。
少年が熊なのか...熊が少年なのか...。
早くも黒ばけものの世界に迷い込んでしまった。

気になってバッグの中を覗いていくと
女の子の顔に子豚の顔が重なっていたり
男の子の顔に猿の顔が重なっていたりする。
それはまるでむちむちのお腹とお尻を揺らして歩く娘の希舟と
飛んで跳ねてすぐにどこかへと走り去る息子の楽弥のよう。
どんな人間にもけものらしい部分があるのかもしれない。

刺繍に夢中の夫は髪も髭も伸ばしっぱなしで馬のようになってきた。
早朝から深夜までアトリエにいるので家にはほとんど居ない。
子供たちは家で夫の姿を見つけると嬉しさのあまり
ふたりがかりで馬乗りになり引き止めようとする。

ひとしきり遊ぶと、楽弥は急に分かったような顔で
「パパは黒ばけもの作るから忙しいんだよ。きっきもうだめ!」
と調子に乗る希舟を諭してアトリエに送り出す。
夫の姿が見えなくなると私に耳打ちをした。
「パパの黒ばけもの...がっくん大好き」
楽弥も黒ばけものが生まれるのを密かに楽しみにしているようだ。

text by : yuki

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ゆきだるま



朝から降り続く冷たい雨。
ラジオから流れる各地の積雪情報に大変そうと思いつつも
どこか羨ましさを感じていた。
息子も同じ気持ちのようで物足りなさそうに呟いた。
「雪、降らないかなぁ」

鼻風邪を引いて、初めて耳鼻科にかかった。
長い待ち時間も重なってか珍しく大人しい楽弥。
ようやく終わった頃には待合室には誰もいなくなっていた。

外に出ると、やわらかな雪がはらりはらりと落ちてきた。
辺りはうっすらと積もっている。
「雪、降ってる!ずっと降らないかなって考えてたんだ」
楽弥は喜びの舞を踊り、先程の大人しさが嘘のように
浮かれて飛び跳ねて白い地面に小さな足跡を残していく。

夕食を終えた頃には驚くほど積雪していた。
夫と楽弥はこらえきれなくなって外へと駆け出した。
「おとこのこチームがつくるんだよね、ゆきだるま」
初めての大雪に腰が引けている希舟が言った。
父と兄のことを男の子チームと呼んでいる。
「さむいからさ、おんなのこチームはまってようね」
自分と私のことを女の子チームと呼んでいる。
たいがい女の子チームは楽な方を選ぶ。

家の門から消えていった男の子チームはしばらくして
大きな雪の玉を転がして庭に戻ってきた。
「パパ、がっくんにぃに、ばんがって」と希舟が声援を送る。
真っ白い息を吐くふたりは充実した表情で制作に励んでいる。
「きっきぃ、目と鼻、探してきて!」と夫に頼まれた希舟は
必死になって野菜かごを漁っている。
目にはジャガイモを鼻にはニンジンを頭にはバケツを乗せて
楽弥よりも大きな雪だるまが完成した。

快晴の翌朝、楽弥は布団の中でもぞもぞしている。
冬になってから、毎日のように読んでいた絵本
レイモンド・ブリッグズの『ゆきだるま』のように
夜のうちに遠くへ飛んでいってないかな?とか
朝がきて溶けていなくなってないかな?とか想像して
布団から出られなくなってしまったらしい。
「昨日の場所でちゃんと待ってるよ」と伝えると
慌てて階段を下りて窓にかじりついた。
安堵の表情と輝いた瞳で雪だるまを見つめる。
子供って素敵だなと思う。雪の日は特に。

照りつける太陽でジャガイモとニンジンが落ちてしまった。
保育園から帰ってきて、気を落とさないか心配だが
雪だるまの目と鼻が大好物のシチューになれば
少しは気を取り直してくれるかもしれない。

text by : yuki

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