津留さん

「手伝いましょうか?」
欲しかったこの一言は彼の口からすぐにこぼれた。

刺繍の巡回展を開催することが決まり、浮かれていた夜に
考えてもいなかったチラシのイメージが一気に頭の中に広がった。
パソコンに長く向き合うことのできない私は
まずクロッキー帳に筆で絵を描くことから始める。
墨で塗られた黒けものの体に修正液で文字を書き込み
コピー機を駆使して切り貼りし、イメージを形にしていく。
ふと、専門学校に通っていた15年も前のことを思い出した。
ドシエと呼ばれるイメージブックを作るために夜中のコンビニに通い
コピー機で拡大と縮小を繰り返し、狭い部屋で切り貼りしていた日々。
眠い頭で操作すると、欲しかった素材が切れてしまって落ち込むが
もう小銭もなく、これも悪くないなと自分で自分をごまかしていた。
時を経ても、あの頃のやり方と何ひとつ変わっていない。

デザインはすぐに決まったが、ここで手が止まってしまった。
入稿するにはパソコンと向き合わなければならない。
それに頭を抱えていた時に電話が鳴った。
「刺繍展のチラシはどうするんですか?」と津留さんに訊かれ
「イメージは出来てるんですが...」と言葉を詰まらせる私に
「手伝いましょうか?」という救いの一言がこぼれた。
「えっ!本当に?」と大袈裟に驚いてみせたものの
どこかで彼のこの一言を待っていた気がする。

私は黒けものの絵を描き足す度に津留さんに送った。
成功も失敗もない。描いたものすべてを送り続けた。
大量の黒けものの中から、どういう基準かは分からないが
琴線にふれた黒けものを厳選し、彼がレイアウトしくれた。
この最初の原稿が素晴らしかった。
コーヒーカップを帽子さながらに被ったカメの甲羅に
のんきなウサギがそっぽを向いて座っている...
彼の遊び心に心底感動していた。

そこから連日連夜のやりとりが始まった。
チラシの画像がメールで届く度に、電話で微妙なニュアンスを伝えた。
「ウサギが楽しそうに見えるように1ミリ上に」とか
「カメの甲羅にある小さな塗り落としを潰して」とか
細かい修正にも津留さんは嫌な顔ひとつせず...
電話の向こうだから嫌な顔をしていたかもしれないが
「99回までの修正は許します」と笑ってくれる。
そんな彼のおかげで理想のチラシが仕上がった。

そして今は黒けものの本を一緒に作っている。
刺繍の詩集は30ページほどになる予定だが
きっと津留さんは2999回の修正に応えてくれ
これまで見たことのないような面白い本になると信じている。
「手伝いましょうか?」の一言が大掛かりなことになってしまい
今頃、後悔しているだろうか...
いや、電話口での彼は意外と楽しそうにしている。
もしかしたら黒けものに取り憑かれているのかもしれない。

津留慎太郎。33才。11月生まれの蠍座。
胡散臭い丸眼鏡で東欧の古物を愛でる店主。

写真はチラシに落選した黒けものを可哀想に思い
津留さんが心を込めて制作した没黒けもの集合体。

text by : tetsuya

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黒けもも

目を覚ますとベッドの上の布団は膨らんでいるが、そこに人の気配はない。
今日も夫は仄暗いうちに、こっそりアトリエへと出掛けて行ったようだ。
子供たちが起きだして、膨らんだ布団に「パーパー!」と飛びつくが
布団はぺしゃんと潰れる。これがいつもの朝の風景。

保育園が始まる時間になると、がらりと縁側の窓が開き
慌ただしく子供たちを車に乗せて、保育園へと送ってくれる。
そのままアトリエに戻ると、食事をものの数分で済ませるだけで
日がな一日、ルーマニアの黒く太い糸を操っている。

これまで夫が刺してきたイーラーショシュ刺繍の伝統図案は
いつからか自分の世界へと広がっていき、ここ数年の間に
黒い糸で施された動物が1匹、2匹、3匹...と増え続け
気が付けば壁一面に動物が佇んでいる。
花を持ち立ち尽くす朴訥な熊やまんまるに太った怪しく微笑む猫
馬に跨がる紳士や落馬した楽士に帽子の男のシルエット。
家族ひとりひとりの肖像まで刺繍にした。

アトリエに並んだ手提げ鞄に仕立てられた黒い動物は
皆こちらをじっと見据えていて、でもどこか違うことを考えているようで
何か不思議な物語が生まれそうな予感をはらんでいる。

かねがね刺繍展をやりたいという秘めた思いはあったようだけれど
友人の一声によって、堰を切ったように物事が決まっていった。
一夜のうちに電話一本で巡回展の約束を諸処に取り付けて
最終日にはアトリエでアコーディオンの音楽会をやることが決まった。
東京から九州まで友人が刺繍展を快く引き受けてくれたことが嬉しい。

刺繍展の表題を考えていたある日のこと
ぼんやり動物を眺めていると”獣”という一文字が浮かんできたらしい。
たしかに動物も人間も黒い糸で刺されると、なぜか獣らしさをまとう。
その日から彼らは「黒けもの」と呼ばれるようになった。

連日、夫は真夜中まで黒けものを刺し続けている。
これほどまで刺繍に夢中になる父親がいるだろうか。
息子は夕食を頬張りながら、先に席を立ちアトリエへと向かう夫に
「パパ!今日も黒けももがんばってね!」と声を掛けている。
そして娘も負けじと「もけもも...ねっ!」と応援している。

text by : yuki

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半田さん

骨董市で昭和初期の壊れた扇風機を譲ってもらった。
油と埃にまみれた黒い鉄の塊をアトリエに持ち帰るよりも先に
半田さんのテラスに持ち込む。
「半田さんこれ直せますか?」
テラスの奥のにやけた顔に金歯が光る。

「何か直すものはないか?」
半田さんはいつもそう言ってやって来る。
暇と器用な手を持て余しているのだ。
「どこか俺と似ているところがあるのかもな」
何か修理を頼むと半田さんはいつもそう言って帰っていく。
きっと古いものを捨てずに直しながら使い続けているからだろう。
廃材でこしらえた半田さんのテラスには
割れた鏡で作ったシャンデリアや鳥かごに組み込まれたラジオや
謎のオブジェが所狭しとぶら下がっている。

スピード違反で捕まり肩を落としている私のところに
「あそこの橋で60キロオーバーで捕まっちまったんだ」と
半田さんはさらに肩を落としてやって来る。
「あそこを120キロで走ってたんですか?」と訊くと
「そうだ」と深く頷く。
「そうだ」が半田さんの口癖だ。
半田さんは免許証を取り上げられて怒っていた。
「やつら何を言っても聞かねぇんだ」と警察に憤っていた。
確かにどこか自分に似ているところがあるのかもしれない。

半田さんは一度アトリエに来るとなかなか帰らない。
とっくに話は終わっているというのになぜか帰らない。
「何か直すものはないか?」と言いながらアトリエを見回し
民芸品を眺めたり本棚の絵本を引っ張り出して読み始めたり
挙げ句の果てには真っ黒な手で作品を触り始める。
「たいしたもんだ」と言いながら触り続けるので
仕方なく壊れかけの古い木のハンガーを渡した。

翌日、目を疑うほどに艶艶のハンガーを片手に
半田さんは金歯を光らせてやってきた。
私は半田さんが帰ってすぐにその塗料をヤスリで削り落とした。
返って時間を費やしてしまったことに後悔しながら削り続けた。
それから半田さんがアトリエで何かを手にする度に
またあの塗料を塗られてしまうんじゃないかと気が気じゃないが
どんな修理でも気兼ねなく頼めるのは半田さんしかいない。

数日後、半田さんのテラスで壊れていた扇風機が回っていた。
磨かれた真鍮の羽から心地良い風が流れている。
その風を半田さんは顔面で受けながら笑っている。
半田さんが遅くまで配線を直してくれていたのを私は知っている。
けれど半田さんは大変さを微塵も感じさせることなく
扇風機に向かって「そうだ」と子供のように笑っている。
絶対にお礼を受け取らずに半田さんは決まってこう言う。
「半田さんが直してくれたと憶えててくれたらそれでいいんだ」

しかし、ようやくアトリエにやってきた直ったはずの扇風機は
電源を入れても回らなくなっていた。
半田さんは扇風機が直ったことがたまらなく嬉しくて
テラスで回し過ぎモーターがいかれてしまったらしい。
「これで羽を弾けばエンジンがかかるから大丈夫だ」
と網の間から木の棒で羽を弾いた。
モーターが軌道に乗って回転し始めると
「そうだ」と半田さんは金歯を光らせた。

半田さんが来るとまったく仕事にならないのだが
たまに顔を見るとなぜか嬉しくなる。
「しゃべり過ぎて悪かったな」
何も直すものがないと半田さんはいつもそう言って去っていく。
煙草に火を点けて歩く後ろ姿は哀愁が漂っている。
どこかで見たことのある後ろ姿だと思っていたら
五年前に他界した祖父にそっくりなのである。
だから私ともどこか似ているのかもしれない。

半田高生。78才。12月生まれの射手座。
アトリエの向かいで暮らす元バスの運転手。

text by : tetsuya

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夏の終わり

夏が終わった。
今朝、ルーマニアから来てくれた友人を見送りに行った帰り道
夏が終わったことをひとり感じていた。
もしかしたら助手席に座っていた息子も
同じことを感じていたのかもしれない。
彼もまた過ぎ去る景色を淋しそうに眺めていた。

どこかへ遠出をしたわけでもないが、楽しい夏だった。
入れ替わり立ち替わり友人が遊びに来てくれて、賑やかな日々だった。
佐原に越して来てからというもの、都心から離れているためか
来客が少なくて物足りなかったが、このひと月に友人が一遍に押し寄せた。
ほとんどの人が佐原を訪れるのが初めてだったが
皆一様にこの町を気に入ってくれて、来られたことを喜んでくれた。

夜は花火やスイカ割りをして、子供たちも思いきり楽しんだ。
食事も風呂も眠る時も傍には必ず誰かがいて、大家族のようだった。
楽弥も希舟もお客さんが大好きで、たくさん騒いでたくさん笑った。
寝る間も惜しいようで、夜更かししては気絶するように眠った。
泊まっていた友人が帰る度に淋しそうな表情をするが
また誰かが泊まりに来てくれて嬉しくなる、そんな日々の繰り返しだった。

しかし、今日も明日も明後日も来客の予定はない。
それを知ってか空港から保育園までの車中、息子はずっと黙っていた。
保育園に預けて別れた後、私の背中に泣き声が迫ってきた。
「バイバイ...バイバイ...バイバイ...」
別れ際に息子が泣いて追ってくるのは久しぶりだった。
「みんな帰って...淋しくなっちゃった...」
頬を濡らしながら息子は涙の理由を話した。
「バイバイ...バイバイ...バイバイ...」
それは単に私に対して発した言葉ではなく
遊びに来てくれたみんなへの別れの言葉のようだった。

今朝、空港で友人家族と別れた時にも我慢していたのだろう。
車中、ずっと涙を堪えていたのかと思うと何とも言えない気持ちになった。
矢継ぎ早に来客があったことで、悲しむ時間さえなかったのだろう。
ひとつひとつの別れの悲しさが、一気に溢れてしまったようだった。

息子は泣きながら言った。
「今日、岩井さんと渋谷さんに遊びに来てほしい」
先日来たばかりの友人の名前があがって思わず笑ってしまった。
この状況で何故、古道具屋と写真家の男達を選んだのか...。
いつも唐突に姿を現すこの不思議なふたりなら
きっとすぐにでも来てくれると思ったのだろう。

私にとっても夏休みが終わってしまったような喪失感があるが
この喪失感こそが充実した夏の終わりを物語っているのかもしれない。

text by : tetsuya

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おばちゃん

数えてみるとこれまで7つの物件を借りてきた。
窓から馬が見える部屋や目の前がお花畑の家や
煉瓦の階段の地下の店や古いお屋敷の一室など
何かに心惹かれる度に引っ越しを決めてきた。

だからアトリエにしている昭和初期に建てられた洋館も
住居にしている明治時代に建てられた日本家屋も
一目見てその風貌に惹かれて迷いなく越してきた。

大家さんの人柄に惹かれたというのもある。
初めて佐原を訪れたその日に、こんな風情のある町に住めたらな...
と思った矢先に出会った三角屋根に花かごのレリーフの洋館。
大家さんを探しまわって、突然声を掛けたのにも関わらず
快く鍵を開けてくれて、古い建物の良さを教えてくれた。
私たちのような風変わりな家族が来たら警戒しそうなものだけれど
ちっとも気にしない懐の深い大家さんはもっと変わり者なのだろう。
そんな変わり者同士だからか、とても気が合う。

出会ったその日から大家さんを「おばちゃん」と呼んでいるが
この町ではおばちゃんを知らない人はいない。
おじちゃん共々、佐原の皆から頼られ、慕われ、愛されていて
後になって「社長」や「親分」と呼ばれていることを知り恐縮したが
私たちにとってはやっぱり「おばちゃん」と「おじちゃん」がしっくりくる。

保育園が終わってからも仕事が残っている時には
おばちゃんが子供たちの面倒を見てくれることもしょっちょうで
楽弥に大好物の芋を焼いてくれたり、希舟に離乳食を作ってくれたりと
出会ったばかりの私たちを家族のように優しく見守ってくれた。
ハロウィンやクリスマスにはプレゼントを用意してくれて
誰よりも子供たちを喜ばせてくれるし
子供が体調を崩すと親よりも先に心配して
あの病院がいいからとすぐに連れて行ってくれる。
薬を受け取るまで2時間も待っていてくれたのには驚いた。
子供たちも80才になるおばちゃんを一番の友達だと思っている。

このアトリエを借りてから毎日のようにおばちゃんと顔を合わせる。
通りすがりの人も混ざって立ち話に花が咲くこともよくある。
おばちゃんが私たちを地元の人々に紹介してくれることで
少しずつこの町に根付き、佐原がもっと好きになっていく。

いつだって思いつきで引っ越してしまうから
「ここにはどれくらい住むつもりなの?」
と友人から訊かれるが、先のことは自分でも分からない。
アトリエも住居も佐原の町もとても気に入っているので
すぐにどこかへ行くことはないような気がしているが
いつだって素敵な出会いは不意にやってくるので
どうしてもそれに身を任せてしまう自分がいる。
その時にはきっと真っ先におばちゃんの顔が思い浮かび
私を迷わせることになるだろう。

text by : tetsuya

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