ブランカとギター弾き

土曜日の朝、車を飛ばして東京へと向かう。
「上映始まっていますがよろしいですか?」
チケット売り場でそう訊かれたので
「やっぱりやめときます」と答えた。
「たった一分だよ。まだ大丈夫でしょ」
と後ろで息を切らした妻が驚いた表情をしている。
「せっかく映画を観に来たのに一分遅れただけで帰るの?」
一日一回の上映なので妻が怪訝な顔をするのも仕方ないが
「その一分を無駄にしたくないんだよ」
そう答えて映画館を後にした。

日曜日の朝八時半、銀座の駐車場でしばし煙草を吸う。
「上映の一時間半も前に着いてどうするつもりなの?」
どこの店も開いていない静かな都会の真ん中で妻は呆れている。
二日続けて同じ場所に来ることになるとは思っていなかったが
それくらいこの映画に惹き付けられていた。
目的もなく気になる道をふらふらと散歩してから
ナッツとビールを買い込んで一番後ろの席に付く。
「なんか生まれて初めて映画を観る人みたいだよ」
どことなく緊張している私を見て隣で妻が笑っている。

物乞いをして暮らす少女が盲目のギター弾きにお金を投げる。
しかしある時には盲目のギター弾きからお金を盗ろうとする。
「前はお金をくれたのに今度は盗るのかい?
 明日の朝食代くらいは残しておいてくれよ」
ギター弾きは少女にただ優しく声を掛ける。
そんな冒頭のストーリーだけで感動していた。
映像美も然ることながら台詞ひとつひとつが胸に響いてくる。
『ブランカとギター弾き』はスラム街を舞台にした映画で
出演者の大半は路上やゴミの山で出会った人々だという。
リアルな光景だからこそ心が揺さぶられるのかもしれない。
きっと長谷井宏紀監督はこの街を心から愛しているのだろう。

ルーマニアでよく遊んだジプシーの子供たちを思い出していた。
彼らは盗みや物乞いもするが、分け与えることも知っている。
「腹は減ってないか?」とお金も無いくせに心配してくれる。
畑から盗んできたネギやトマトを得意気に分けてくれ
お金がある時にはバーでビールまで奢ってくれる。
もちろんお金や指輪を盗られそうになった時には本気で怒るが
一切悪びれることなく、無邪気に笑っている彼らを見ていると
お金を盗ることよりも、お金ごときで慌てている私の姿を見て
楽しんでいるのではないかと思えてくる。
「お前はそんなにお金が大事なのか?」
そう問われているような気がしてくる。
「なんでリンゴは分けられるのにお金は分けられないんだろう」
ジプシーを追っている写真家がそんな事を口にしていたが
彼らと時間を共にしているとその言葉が身に沁みる。
お金がある方が幸せに生きられるのかもしれないが
お金がなくても幸せに生きられるはずだ。

映画に出てくる孤児の少女はお金を稼ぎ母親を買おうとするが
ギター弾きと歌いながら旅をしているうちに深い絆で結ばれ
お金なんかでは買うことのできない愛情があることを知る。
ふたりして大きなリボンのカチューシャを頭に乗せて
嬉しそうにピンク色のわたあめを食べるシーンなんて
愛に満ち溢れていて一瞬で幸せな気持ちにさせられる。

映画館を出るなり、預けていた子供たちを急いで迎えに行くと
リンゴ飴で真っ赤にした口で走り寄ってきた。
大きくなったふたりの子供を両腕で抱き上げながら
早くこの子たちを連れてどこかへ旅に出たいなと考えていた。
いつか映画の舞台であるマニラのスラム街も一緒に歩けるかな。

text by : tetsuya

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ひと夏の約束


いつも聖子さんとの再会はすんなりといかない。
かつてのルーマニアでの待ち合わせも連絡が取れなくて
慌ててバス停や駅を息を切らせて探し回ったことがあった。
どこにもいなくて、仕方なく諦めて帰ろうとしたところに
町の中央広場でにこにこと佇んでいる聖子さんを見つけた。
「ここにいればいつかお会いできると思って」
焦りや不安のないその爽やかで優しい笑顔を見た途端に
力が抜けてこちらもすっかり微笑んでしまう。

去年は駅までお迎えに行く途中で公衆電話から着信があった。
「素敵なお家ですね」と明るい声が響いて驚き、すっとんで家に帰った。
住所を頼りに家を探したようで1本の傘に4人で寄り添って待っていた。
「電話ボックスに忘れ物の傘があったんです。とってもラッキーでした」
濡れた足下も気にせずに聖子さんは心から再会を喜んでくれた。

今年こそお迎えに行こうと駅に向かうが、どこにも見当たらない。
長いこと付近を探し回って、結局思いもしないところで出会えた。
やっぱり聖子さんは涼しい顔をして「たこ焼き食べますか?」と
これまた思いもしない質問をして、たこ焼き屋へと姿を消した。

携帯電話がなくても人はいつか出会えるんだなと思う。
旅先で夫と仲違いして別の道を行っても不思議とどこかで会うことができるし
電車で会っただけの名前しか知らないイオアンとだって再び会うことができた。
今は機械に頼り過ぎて、人間らしい感覚が錆びついてしまったような気がする。

1年ぶりの再会。私の背をすっかり追い越した大樹くんの長身に驚いた。
初めて会った時は今の楽弥と同じ4才だったのに早いものでもう13才。
もの静かで聡明な青年に成長している。その大人びた大樹くんに楽弥が
「たいきにーちゃん!」と後を追ってどこまでもついて行き、離れない。

朝歌ちゃんも可愛いお姉さんになっていて、お喋りが楽しくて仕方ない希舟が
ひとりでぺらぺらと話し、時に変な踊りをするのを笑って相手をしてくれる。
赤ちゃんだった瑞生くんも表情豊かになり、澄んだ瞳で多くのことを語る。
みーちゃんの独特の間は、いつもみんなの笑い声に包まれる。
1才から13才までそれぞれの年齢の魅力があって愛おしい。

日が暮れるまで遊び、食事を作り、食卓を囲み、みんなで眠る。
束の間の大家族で、何でもない普段の生活がうんと賑やかになるのが嬉しい。
そしてルーマニアの生活のことや村のこと、友人の話を聞くと心が踊り出す。

聖子さんたちに会うとぼんやりと霞んでしまったルーマニアの感覚が思い起こされる。
素朴な話に心が温まるのと同時に彼の地の凍てつくような冷たい風のことも思い出す。
なんて生温い生活に身を置いているのだろうとはっとさせられる瞬間がいくつもある。
水がなければ汲み、車がなければ歩き、暑ければ川で泳ぎ、寒ければ火を焚く。
自然に寄り添った生活をしてきたはずなのに、それをすっかり置き去りにして
いつの間にか暮らすことに別段必要のないものが増えている。
必要なものは思っているよりも少ないと実感したはずなのに
いつからかその悟りが頭の隅に追いやられてしまっている。
このままでいいのだろうかとどこかで違和感がくすぶる。

楽しいひとときも束の間、早起きをして帰り支度をするみんなの姿に
淋しさを隠しきれない子供たち。子供たちだけでない、私も同じだ。
生温い空気が漂っていたところに、清々しい風が吹き込まれて
私の気持ちはルーマニアに飛んでいってしまっていた。

空港までお見送りをする車内、大きな飛行機を見てはしゃぐ子供たちの隣で
胸が締め付けられるような思いでいっぱいになっていた。
みんなが帰国してしまう淋しさと別のもどかしさがあった。
数年ぶりに訪れた空港の雑多で活気に満ちた雰囲気に触れて
すぐにでもルーマニアへと飛び立ちたいという衝動に駆られた。
「今、ルーマニア行きのチケットがあったら俺は何もかも捨てて飛行機に乗る」
同じ気持ちなのだろう、夫が放った言葉が胸に刺さる。聖子さんも続けた。
「みんなで一緒に旅立てたらどんなにいいでしょうね」

別れの淋しさからバイバイが言えなくなってしまった息子が足にまとわりつく。
楽弥の分まで固く握手をして「今度はルーマニアに会いに行くね」と伝える。
静かになった帰路の車内で心がきゅっとしぼんだが、やがてほどけていく。
先程の約束を反芻するうちに、子供たちが緑鮮やかなルーマニアの丘を
転がりながら駆け回る姿を思い描くと少しずつ心が軽くなっていった。
ひと夏の約束をきっと果たしたい。

text by : yuki

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折り紙の天の川


「ねぇ、折り紙ちょうだい」
「ねぇ、はさみちょうだい」
息子に言われるままに棚の上にあった折り紙とはさみを手渡した。
四才になり、少しずつはさみの使い方が上手になってきたものの
やはり見守っていないと手を切りそうで心配だ。
これでもかというほどに折り重ねて、分厚くなった紙の一番端を
ぎじきじ、ぎじぎじ、じょっきん。
切れた先端が部屋の隅に飛んでいった。
息子は笑って喜ぶが、私は指が飛んでいったのではとひやっとする。

ゆっくり折り紙を広げると、そこにはいびつな星が輝いていた。
保育園で七夕飾りを作ったようで、家でもやりたくなったらしい。
「がっくんにーに、すごーい、かっこいー」
妹に褒められて気を良くした息子は、次々と星を作っていく。
切る箇所や角度を間違えても、それはそれで素敵な模様ができる。
広げる度に小さな感動があり、あっという間に折り紙の山ができた。

子供たちが「さ〜さ〜のは〜さ〜らさら〜」と歌っていたので
私も一緒になって「まきばにゆれる〜」と歌うと
「えっ、ちがうよ、のきばだよ」と息子に訂正された。軒端なんだ。
彦星が牛飼いだからか、幼い頃から牧場だと思い込んでいた。
子供に教わることは多い。

ささのはさ〜らさら〜 のきばにゆれる〜
おほしさまき〜らきら〜 きんぎんすなご〜
ごしきのた〜んざく〜 わたしがかいた〜
おほしさまき〜らきら〜 そらからみてる〜

続きを歌う子供たちの隣で手が止まった。
幼い頃に耳にしていたはずなのに、初めて聞いたような気がした。
金銀砂子という歌詞もそうだけれど、風流な童謡の美しさに
子供といるとふと気付かされる。そして、そういう時は
なんだか心にじんと熱いものが広がっていく感覚がある。

そういえば、息子が短冊に願い事を書いて
「お星様に選んでもらえるかなぁ」
と呟きながら、部屋の片付けをここ数日頑張っていた。
どうやら、お星様が願い事を叶えてくれるかどうかは
自分の行い次第だと思い込んでいるらしい。
お星様に悪事が見つからないように慌てている姿もまた愛おしい。

折り紙の山を一枚ずつ繋げて壁に飾ると
まるで色とりどりの天の川のよう。
「わ〜きれい〜」「わ〜ちれい〜」
と子供たちは声を合わせて拍手している。
こうした日々の小さな喜びが星の瞬きのようだと
子供たちが大きくなったら感じるのかもしれない。
素敵な七夕の夜になりますように。

text by : yuki

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絵本とカレーライス

いつか人形劇をやりたいと思って書いていた台本が出てきた。
台本といっても一枚の画用紙に色々な動物が登場して
吹き出しの言葉で話が進んでいく漫画のようなもの。
十年ほど前に店の机で暇つぶしに描いたのだけれど
時を経て読み返してみると我ながら面白く感じた。
それを元に子供たちに絵本を作ろうと思い立った。

刺繍を仕上げるのには何日もかかるけれど
絵ならものの数分で描き上げることができる。
そんな簡単な気持ちで作り始めたのが、そもそも間違いだった。
制作途中で子供たちの感想を訊こうと思い、読み聞かせてみるが
その反応は正直で「面白かった」と言うものの顔が笑っていない。
子は親の作品を否定しないのか、その優しさが余計に胸に刺さる。
絵と文で子供の心を掴むのは、なんて難しいことなんだろう。

それから幾度となく描き直し、子供たちが笑った場面を残しつつ
また夜通しかけて描き直す。翌朝にもう一度読み聞かせてみると
昨夜ふたり揃って笑い転げていたはずの場面にさえ
まったく反応しなくなっていたりする。
子供の感情は変わりやすい。
面白かったものが面白くなくなったり
面白くなかったものが面白くなったり。
そんな時には空しくもなるが、何度読んでも面白いものを作るには
何度も子供を前にして読んでみるしか方法はない。

制作に煮詰まっていた夜、眠っていた息子が急に目を開けて
「キツネが逆立ちして鯉のぼりを眺めるっていうのはどう?」
「ウサギが疲れちゃってゴールで一眠りっていうのはどう?」
「ゾウが遊んだ水をカバが飲んじゃったっていうのはどう?」
「カルタを取ろうとしたらネコが食べたっていうのはどう?」
と溜まっていた言葉が溢れ出るかのように、投げかけてきた。
そのまま静かになったので、眠ったのかなと思ったら
目をつむりながらも、ずっと考えてくれていたようで
「あっ!思いついた」とまた斬新な文が放たれる。

いつしかそれは川柳のようなカルタの句のような歌へと形を変えて
その奇想天外な言葉に感動して讃えると、いきいきとした瞳で喜ぶ。
ストーリーは分からなくとも、彼の言葉の力はすごいと素直に思う。
いつも息子が描く自由な絵に心を動かされているように
私も彼の心を動かすようなものを作らないといけない。

ふたりの子供が気に入った場面を軸にして、絵を描き直し
推敲を重ね、ようやく一冊の絵本が描き上がった。
しかし読み直してみると、子供の反応ばかりに気を取られて
自分を見失っていたことに気が付き、深く落胆した。
何も考えずに書いたあの台本の自由さが失われている。
夢中になって数分で描き上げた勢いがそこにはなかった。
しかも無反応だったから泣く泣く却下した文を後になってから
気に入った息子は、今は無き原文を暗記して読んでいるという始末。

結局ひと月もの間、絵本の制作に取り憑かれていた。
子供も楽しめる自分らしい絵本を作るということが
こんなにも大変なことだとは思わなかったが
子供たちと真剣に向き合えた良い時間だった。

これならもっと喜んでもらえるんじゃないかという物語が
刺繍の合間に浮かんでくると、今でも書き留めてしまう。
針と筆を交互に持つことで、刺繍も絵もさらに楽しくなる。
いつか子供にも大人にも喜んでもらえる絵本を作れたらなと思う。

手伝ってくれた息子に感謝を込めて、夕食の買い物の時に
「今日は楽弥の好きなものを作るよ。何が食べたい?」と訊くと
「カレーライス 今はそれしか 食べたくない」と返ってきた。
彼の頭は絵本のことよりも川柳のことでいっぱいになっている。

text by : tetsuya

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芸術家の少年

連休前に思い立って、あの男に連絡をした。
これまで電話を取ったためしがないのに
やけにあっさりと繋がった。
「明日から遊びに行ってもいい?」
「ええけど寝るとこ作るからゆっくり来てな」
相変わらずだったが、生きていたことにまず安心した。

最後に会ったのは東京に住んでいた頃、もう七年も前になる。
ちょうどルーマニアへ旅立つ前の慌ただしい時期にやって来て
毎日、パンとビールと公園を求めて自転車で走り回ることになった。
朝起きると姿はなく、大きな紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら
帰ってくるものだから、冷蔵庫はコーヒー牛乳で埋め尽くされた。
それも一口飲んだものを横に積み重ねていくから溢れ出ている。
彼と一緒にいると信じられないことが度々起こる。

保育園帰りの子供たちに急遽決まった連休の予定を伝える。
「今夜からみんなで遠くに行くことになったんだよ」
「行きたい。行きたい。どこに行くの?」
「芸術家に会いに行くんだよ」

不思議そうな顔をしたままの子供たちを乗せて出発する。
いつもなら寝ている時間なのにふたりは眠ろうとしない。
「なんか真夜中の冒険みたい」
息子が窓に張り付いて夜景を見ながらそう呟いていたが
目的地も分からないまま布団に寝て暗闇を走るということは
子供にとっては夢と現実の間を旅しているような感覚なのかもしれない。

寄り道をしながら丸一日かけて姫路に辿り着いた。
「寝るとこ作るからくれぐれもゆっくり来てな」
と道中に念押しされていたので、まさかとは思ったが
通されたアトリエにはその言葉通り、寝るとこが作ってあった。
「ぎりぎりやったで。さっき整ったところや」
木材を調達してベッドを作っただけではない。
シーツも布団も枕もすべて彼の手で作り上げられていた。
「このリネンはイタリアの七十年前のデッドストックやねん。
 素材にはこだわらなあかんからな。一番ええのを使うんや」
いつも会った瞬間だけは随分と格好良いことを言うのだ。
「この部屋には入らへんから好きなだけ泊まっていき」
兄貴風を吹かせて彼は颯爽と階段を下りて行く。

広いアトリエにある照明は作りかけのランプふたつだけ。
薄明かりのなか見渡すと、イーゼルに掛けられたいくつもの絵画に
無造作に置かれた画集に写真集、夜空に向けられた天体望遠鏡があり
以前と変わっていない彼の世界観がひときわ輝いて見えた。

朝は庭でゆっくりコーヒーを飲み、昼は公園でサンドウィッチを食べて
夜は家で映画を観て酒を呑む。子供たちも映画に釘付けになっている。
こうした日常が心地良いのは全てが彼の手によるものだからだろう。
コーヒーやサンドウィッチや映画や酒にこだわりがあるように
表札も照明も家具も台所も風呂もこだわりぬいて作ってある。

アトリエには立ち入らないと兄貴風を吹かせていたはずの彼は
誰もいない隙に入っているようだった。荷物が増えているのだ。
額装された版画や童謡集や積み木が旅行鞄に次々と詰められていく。
旅行鞄がいっぱいになると、深緑色をした継ぎ接ぎの鞄が隣で口を開き
そこに古着や指輪や貴重なレコードが次々と詰め込まれていく。
こっそり荷物に細工をしている彼にばったり会ったりすると
「ばれてもうた」と恥ずかしそうに階段を下りて行くのだ。
「何度も言うてるけどここ禁煙やからな」と言葉を添えて。

ことあるごとに子どもたちにもプレゼントを持ってくる。
古い木箱の中に詰められたアクセサリーや小説の一説だったりと
決して子供向けとは言えないものを。彼には子供と大人の境がないのだ。
子供にも本物を持たせようとしている。自分の宝物を譲ろうとしている。
木箱からボヘミアングラスを取り出して子供たちに一生懸命に説明する。
「これはすごい技術なんやぞ。プラハという町が遠くの国にあってな。
 プラハ城というお城があるねん。おっちゃんはその町が好きやねん。
 そこで作ってるんや。すごいやろ。チェコはビールもうまいんやぞ」
こんな話が延々と続いて、子供たちが飽きて騒ぎ始めると
「それでええんや。大人になったらみんな丸くなってまうからな。
 子供は尖っててええんや。丸くなるなよ。尖っててええんやぞ」
丸くなっていない大人がそんな言葉を本気で投げかける。
少年のように純粋な瞳で自分に語りかけているかのように。

なぜか帰る日の晩になって
「寿司屋に行くで」と彼はやけに張り切り
「時間稼ぎや」と寿司屋を四件はしごすることになった。
「すし!すし!すし!またすしかよ!」と子供たちは笑い転げる。
白いシャツに黒いハットを被り、彼は幸せそうに寿司を頬張る。
その姿は、遥々海を越えてやって来たユダヤ人を連想させた。
「なんか寿司に感動しているユダヤ人に見えてきた」と伝えると
「俺な嘆きの壁に行っとるからな。一応巡礼済みやで」と返ってきた。

そういえば、旅の醍醐味を教えてくれたのも彼だ。
「二週間野宿したとしても一日は五つ星に泊まらなあかん」
その言葉は私の教訓になっている。
旅だけではなく、生き方そのものに影響している。
「自分を粗末にしたらあかんねん」
酒に呑まれながら彼はそんな言葉を吐き出すのだ。

アトリエに気になる絵本があったので
「これもらってもいい?」と声を掛けると
「欲しいものは黙って持っていき。もう全部頭に入っとるからな」
と気取っていたが、私がくまのプーさんの話をした時には
「それ一度も読んだことないねん」と笑っていた。
イギリスで暮らし、アトリエにコブタのぬいぐるみもあったのに
彼の頭の中には何も入っていない。彼のメッキは実に剥がれやすいのだ。

別れ際にお手製のポンポン付きの毛布とドミニカ産の葉巻を手渡された。
「ぽっかりしてもうたからすぐ遊びに行くかもしれへん」
彼はそんなことを呟いた。確か七年前もそうだった。
姫路に遊びに行ったすぐ後に東京に飛んで来たのだ。
「心に穴が空いてもうた」とその穴を埋めるために。
冷蔵庫にコーヒー牛乳が並ぶ日はそう遠くない気がする。

text by : tetsuya

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